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第三章 行く末
闇の子の成長
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ミウンタのバッハタウンに住むサイキ・ハイレンが、空を駆け巡った光を見たのは、いつものように料理を作るため、井戸の水を汲みに出た時の事だった。
「…………」
消えて行く雷を、目を細めて見ていた彼女は、言葉を発する事もなく、無言で家に入って行く。
家の中には、小さな女の子が、窓を見詰めて目を丸くしている姿がある。サイキが家に入って行くと、小さな女の子は、目を丸くしたままサイキに視線を移し、窓の外を指した。
「あに?あれ」
小さな女の子は、まだ発音が覚束無いが、"なに?あれ"と言っているようだ。
サイキが闇の子を外に連れ出し、一緒に住み始めてから、二週間ほどたっていた。
窓を指して目を丸くしている闇の子、ユハン・ハミットは、ミイラのようだった当初よりは、少し肌の血色が良くなって来ているようだ。まだ痩せ細ってはいるものの、体は少しずつ太り始めている。
長過ぎるほど伸びきった髪は、サイキによって切られ、今はショートカットだった。
「雷の子の力だねぇ~」
目を見開くユハンに、笑顔で答えるサイキ。
「かみゅなりのこのはから?」
舌が回りづらいのか、ユハンは懸命にサイキのまねをして口を開く。
意味は分かっていないようだが、サイキが笑顔で話すのを見た闇の子は、少し、落ち着いたようで、見開いた目を徐々に元に戻して行った。サイキと住み初めてからまだ二週間なものの、ユハンは大分慣れて来たようで、サイキとよく話すようになっていた。
「そうそう雷の子。でもね、心配しなくても大丈夫だよ」
サイキは作った食事をテーブルに運びながら、優しい声を出す。テーブルに運ばれた食事を目にした瞬間、ユハンの顔からは笑みが零れる。
ユハンは、食べる事や水を飲む事が大好きになっていた。家に来て、初めて水を飲んで食べ物を食べた瞬間から、ユハンは異様な量の水や食事をほしがった。彼女の希望通り上げていたら、一日中食べっ放し飲みっ放しだ。
まるで今までの事を取り戻すかのように、無心で食事にがっつくユハンの姿を見ていたサイキは、この摂取量は逆に体を壊してしまうと思い、食事の量を制限する事を決めた。
水はいくらでも飲んでもいいと言われ、ユハンはいつもコップを持っている。決まった時間に決まった量の食事を取る事を決められたユハンは、食事の時間になるといつも満面の笑みを浮かべた。
先程は空を照らした光に驚いていたユハンだったが、テーブルの上を食事が並んで行くと、目を輝かせて身を捩っていた。
「ご飯! ご飯! ご飯! ご飯!」
ユハンは椅子の上に座りながら、何度もお尻を浮かせて言葉を発した。彼女が一番に覚えた単語は"ご飯"だ。
来た当初は椅子を掴みながらでしか座れない彼女だったが、今では背凭れだけで、バランスを取る事ができるようになった。体に多少の筋肉が付いた証拠だ。だが、まだ立って歩く事も、背凭れがなければ起き続けている事も出来ない。
狭い空間で生きて来た彼女は、足を伸ばす事ができず、いつも膝を曲げてしゃがんでいるかのような姿勢で椅子に座る。サイキは、行儀が悪いと、何度か足を下ろす事をさせてみたが、バランスを取る事ができず、椅子から落っこちてしまう。
サイキは寝る前に、彼女の足や腕を揉みながら、徐々に足を伸ばす運動をさせていた。
ユハンは最初、彼女が自分の体を揉むのに首をかしげていたが、最近ようやく意図が分かって来たのか、自ら体を動かそうと行動し始めている。
曲がった膝は、固まってしまいなかなか真っすぐ伸ばす事が難しいが、徐々にやわらかくなって来ているようにも見える。腕はよく動くようで、ご飯は自分の手で食べる事ができる。
「お、い、しい」
テーブルに並ぶご飯を食べながら、ユハンは満足そうに頬を緩めていた。
片言で話すユハン。
闇の中に幽閉されている時、彼女が自らの声の存在を知ったのは最近の事。
食べる事も水を飲むことも、話す事すらなかったユハンは、全く舌を使う事もなく育っていたためか妙に滑舌が悪い。食べ物もボロボロと零し、それを片付けるため、いつもサイキはユハンの隣で食事を取っていた。
サイキはふと窓を見詰める。先程光った空を気にかけているのだろうか。そんな彼女の姿を見たユハンは、食べ物を口の回りに付けながら、キョトンとサイキの顔を見上げた。
「ど、ど、ど」
何度も繰り返しながら、サイキに話しかけているユハン。
「…………」
そんな彼女に優しい目を向けたサイキは、持っていた布でユハンの口の周りを拭いてあげる。
「もう少ししたら」
優しい声を響かせながら、サイキは言う。
「お客さんが来るかもねぇ~」
ユハンにとって、サイキの言う言葉は、ほとんどが理解出来ない事だった。
「おきゃ、く、しゃん?」
不思議そうに言うユハンだったが、彼女は耳にした事は一語一句忘れない。
その証拠にお客さんと言う単語を聞いて、思い浮かんだ顔に、笑顔を浮かばせたユハンは「ヤン、来る!?」と声を高くした。
彼女の言葉を聞き、一瞬、驚いたように目を丸くしたサイキだったが、すぐに優しい顔に戻って「ヤンさんは来るよ~。でも遠くから違うお客さんも来ると思うなぁ~」と言った。
サイキが闇の子を外に出した時に一緒だった青年、ヤンは、彼らがバッハタウンの家に住むようになってから、度々様子を見に来ていた。
彼は、サイキたちに食べ物を持って訪れ、食卓をともにし、食べ終わるとすぐに帰って行く。
彼が本当にサイキの下へ訪れたのは、光が空を覆ってからしばらくたってからの事だった。
コンコンと、戸が鳴る音が響いたのは、ユハンもサイキも食事を済ませ、二人でのんびりと寛いでいた時の事。
ユハンに笑いかけて「ヤンさん来たね」と呟いたサイキは、「はーい!」と、言いながら戸に、向かい歩いて行った。
サイキが戸を空けると、家まで走って来たのか息切れをしたヤンが、真面目な顔をして立っていた。
ただならぬ彼の様子に、笑顔を崩す事もなく「お待ちしていました~。どうぞ~」と、ゆっくりと言うサイキ。
「……失礼します」
満面の笑みで迎え入れられたヤンは、静かに家に入って行く。
「ヤン! こ、こん、にちは」
椅子の上に膝を曲げて座っているユハンは、うれしそうに声を上げた。
「こんにちは」
ヤンは優しく声を出し、ユハンを見てほほ笑んだ。
「どうぞ座ってください」
コップに水を注ぎ、人数分、テーブルに置いたサイキは、落ち着いた声を響かせた。
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