王女と騎士の逃走劇

弥生

文字の大きさ
上 下
2 / 17

2.深い森の中で

しおりを挟む

 星ひとつない暗闇が、闇夜にこちらの気配を消してくれる。
 躊躇わずに闇夜の森を抜ける青年の手には少女の手が握られていた。

「ヒズ、ヒズ、待って。お兄様が……」
「わかっております。急ぎましょう。……はやく森を抜けて、できるだけ遠くに行かなければ」
「ヒ、ヒスクライヴ様、お待ちになって! 早いですわ……っ」
 旅の支度を整えた侍女のマリアと合流し、その荷を持つとヒスクライヴは早急に城をたった。

 マリアは可憐な少女だった。
 その容姿に見合った運動能力しか持ち合わせていない。ヒスクライヴとリーシャの後を少し遅れて付いてくる。
 リーシャは涙を溜めて、残してきた兄王子のいる方角を振り向きながらもその歩みは止めない。

 ヒスクライヴはちらりと主たる少女を見る。

 年の頃は12、3ほどにしか見えぬ、今年15歳になる王女だ。
 いつもぼんやりとしている姿しか見てこなかった。
 これほどまでに深く感情を表しているのはいつぶりだろうか。

 自然と、はじめて王女と出会った5年前に意識がさかのぼる。

◇◆◇
 
「……姫に仕えることになりました。ヒスクライヴです」
「……」
 ヒスクライヴは片膝を付き、騎士としての礼をするが相手からの返事はない。
 普通何かしらあるだろうとちらりと視線を少女に向けると、ヒスクライヴは固まった。

 口をあんぐりとあけている。
 驚いているのだろうが、こちらもその表情に驚きだ。王女としての仕草としてこの間抜け面はあまりよろしくないのでは?
 などと失礼な事を考えてしまう。
「…………何か驚かれるようなことでも?」
「ふぁっ……あの……えっと、えへへ」
 困ったような半笑い。
 少なくとも自身の騎士となる者へ向ける表情ではない。
 
「あの、私の護衛になるって、その……ヒスクライヴさんは賭けか何かで負けたんですか?」
 ヒスクライヴは再び固まった。
 ……実際、その通りであったからだ。
 仲間内で行った『誰に仕官するか』の勝負に惨敗したヒスクライヴは、王宮内でも浮いていて出世の見込めない第二王女の護衛となった。

「いいえ。そのようなことは」
 鋼の自制心でそのようなそぶりは見せないぞという気概で笑顔を作る。
 ――少々の笑顔は引きつっていたかもしれないが。

「まぁ、どうしましょう。護衛がつくなんて思ってもいなかったわ。……どうしましょう」
 おろおろとする少女に、俺の方こそどうするべきなんだろうと困惑状態になるヒスクライヴ。
 ……一つだけ言えるのは。

「リーシャ姫、私は貴方の護衛です。さん付けはいりません」
「そうなの? ええと、じゃあヒス!」

 誰がヒステリックのヒスだ。

 その略称に一瞬幼少期に言われた腹立たしいあだ名を思い出す。無論、そういってからかった輩をヒスクライヴはすべて血祭りに上げた。

「できれば……ヒス、とは呼ばないでいただきたい」
「わかったわ! ヒズね!」
 ……どこから来た、濁点。

 この主は……大変変わっている。

 たったこの数分の邂逅だけでわかってしまった。否、わかりたくもなかったが。
 ヒスクライヴは後悔した。あの時、ポーカーでブタさえ引かなければ。今さら後悔しても遅いが。

「よろしく、ヒズ。あの、ヒズも事情があって私の護衛になったのだと思うの。だから、いつだって私の元から去ってもいいのよ。私は王族の中でもハズレなんだから。……いつだって、お兄様やお姉さまの所へいってもいいからね」

 そうやって、ほわりと花が咲いたように笑う少女は自身の護衛騎士となる青年に手を差し伸べたのだった。

◇◆◇

「ヒスクライヴ様!!」
「……っなんだ」
 マリアの声に足を止める。鬱蒼とした森を抜けるのに、過去を振り返りすぎた。

「リーシャ様の足から血が……無理をしすぎですわ」
「……何?」
「リーシャ様も長時間歩くのに慣れておりません」
 少し青ざめた顔をして歩くリーシャの靴の先が血豆が潰れたのか赤く滲んでいる。
 
 ――なぜ言わないのです。
 ヒスクライヴはそう言いかけてやめた。
 リーシャは言わない。辛いとも痛いとも。己の状況を話す事は無い。
 ……それを悟れなかった自分の未熟さに反吐が出る。

「申し訳ありません、リーシャ様。気づかず歩き続けた私の落ち度です」
「いいえ、いいの……ヒズが急いでいるのもわかるもの。このぐらい、我慢できるわ」
 にこりと笑った顔が引きつっている。

 ヒスクライヴは近くにあった大岩にリーシャを座らせると、足の様子を見た。
 靴ずれか。慣れぬ長距離の歩きで血豆ができたらしい。
 マリアの持ってきた荷の中から簡易的な救護道具を取り出すと、丁寧に巻いていく。

「すみません。今はこのぐらいしかできませんが……」
「ありがとう、ヒズ」
「あの、ヒスクライヴ様。わたくし、母からリーシャ様をお連れするようにとしか言われておりませんの。いったい、何が起こっているのですか?」
「歩きながら話そう」
 ひょいとリーシャを抱き抱えると、再びを森を抜けるために歩みを速めた。
 外敵に襲われた時に反撃ができるようにと片腕を開けておいたのだが仕方がない。

「二日前にバルト帝国がいきなり攻めてきたのは知っているな」
「ええ、たしかいきなり国境を超えたのですわね」
「その報告があった後……すでに目と鼻の先まで迫ってきているのだ」
「な! そんな……ありえませんわ……国境からこの王都へは馬でも5日はかかるはずですわ」
「国境を越えた者たちは陽動、本部隊は切り立った山を越えて動き出していたのだ」
 バルト帝国とは国境の砦を有する広いハルト平原とあまりにも斜面が急なイヴァルト山脈が接している。
 二日前の知らせを受け、王国の主力の兵はハルト平原に向けて出立したばかりだった。
 
 そこを、逆手に取られた。

 すべてが出来すぎている、そう思われるほど、相手の攻撃は巧妙だった。
 
「ですが、我が国を攻めて何の益があるのでしょう。たしかに鉱山はありますが……主産業は農業。帝国からすれば、益の少ない小国ですわ」
「相手の目的はわからん。だが、まっすぐに王宮を目指したということは……王家に用があったのかもしれないな」
 国王は先の冬に流行り病で亡くなった。若きアルス殿下が王座に就かれる……その矢先のことだったのだ。
 王を失って弱体化したこの時期を狙っていたとでも言うのか。

「ヒズ、私……逃げて……よかったのかな……」
「リーシャ様」
「だって、私も、王族の一人。その首に、それ相応の、重みがあるのなら」
 この首で、助かる命があるのなら。
 ヒスクライヴはリーシャの言わなかった言葉の先まで悟ってしまう自分が苦しかった。

「アルス様はご自身のみで片をつけようとなさったのです。リステイン様と貴方様を御助けになって。……それにアルス様はおっしゃいました。市勢の中で幸せを掴んでくれと。それは王族としてではなく、貴方個人に幸せになって欲しいと強く望んだからです」
「でも……」
「小娘ひとりの首で何ができるというのです。それこそ、傲慢という物です」
「うっ……」
 ヒスクライヴはあえて、痛烈な言葉を選んだ。
 主にはこれぐらい言ったほうがよい。
 ……優しすぎる主には。


「ヒス……クライヴ様……また……歩く速度が速いですわ……」
「すまない、今だけは我慢してくれ」

 この夜のうちに森を抜けなければならない。

 できるだけ、遠くへ。

 首にまわされるか細い腕の感覚が、今はヒスクライヴの支えだった。
 王子から託されたものは、あまりにも重い。

 だが、彼には、その重さを抱えて歩むしかなかった。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】夫もメイドも嘘ばかり

横居花琉
恋愛
真夜中に使用人の部屋から男女の睦み合うような声が聞こえていた。 サブリナはそのことを気に留めないようにしたが、ふと夫が浮気していたのではないかという疑念に駆られる。 そしてメイドから衝撃的なことを打ち明けられた。 夫のアランが無理矢理関係を迫ったというものだった。

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

処理中です...