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2.深い森の中で
しおりを挟む星ひとつない暗闇が、闇夜にこちらの気配を消してくれる。
躊躇わずに闇夜の森を抜ける青年の手には少女の手が握られていた。
「ヒズ、ヒズ、待って。お兄様が……」
「わかっております。急ぎましょう。……はやく森を抜けて、できるだけ遠くに行かなければ」
「ヒ、ヒスクライヴ様、お待ちになって! 早いですわ……っ」
旅の支度を整えた侍女のマリアと合流し、その荷を持つとヒスクライヴは早急に城をたった。
マリアは可憐な少女だった。
その容姿に見合った運動能力しか持ち合わせていない。ヒスクライヴとリーシャの後を少し遅れて付いてくる。
リーシャは涙を溜めて、残してきた兄王子のいる方角を振り向きながらもその歩みは止めない。
ヒスクライヴはちらりと主たる少女を見る。
年の頃は12、3ほどにしか見えぬ、今年15歳になる王女だ。
いつもぼんやりとしている姿しか見てこなかった。
これほどまでに深く感情を表しているのはいつぶりだろうか。
自然と、はじめて王女と出会った5年前に意識がさかのぼる。
◇◆◇
「……姫に仕えることになりました。ヒスクライヴです」
「……」
ヒスクライヴは片膝を付き、騎士としての礼をするが相手からの返事はない。
普通何かしらあるだろうとちらりと視線を少女に向けると、ヒスクライヴは固まった。
口をあんぐりとあけている。
驚いているのだろうが、こちらもその表情に驚きだ。王女としての仕草としてこの間抜け面はあまりよろしくないのでは?
などと失礼な事を考えてしまう。
「…………何か驚かれるようなことでも?」
「ふぁっ……あの……えっと、えへへ」
困ったような半笑い。
少なくとも自身の騎士となる者へ向ける表情ではない。
「あの、私の護衛になるって、その……ヒスクライヴさんは賭けか何かで負けたんですか?」
ヒスクライヴは再び固まった。
……実際、その通りであったからだ。
仲間内で行った『誰に仕官するか』の勝負に惨敗したヒスクライヴは、王宮内でも浮いていて出世の見込めない第二王女の護衛となった。
「いいえ。そのようなことは」
鋼の自制心でそのようなそぶりは見せないぞという気概で笑顔を作る。
――少々の笑顔は引きつっていたかもしれないが。
「まぁ、どうしましょう。護衛がつくなんて思ってもいなかったわ。……どうしましょう」
おろおろとする少女に、俺の方こそどうするべきなんだろうと困惑状態になるヒスクライヴ。
……一つだけ言えるのは。
「リーシャ姫、私は貴方の護衛です。さん付けはいりません」
「そうなの? ええと、じゃあヒス!」
誰がヒステリックのヒスだ。
その略称に一瞬幼少期に言われた腹立たしいあだ名を思い出す。無論、そういってからかった輩をヒスクライヴはすべて血祭りに上げた。
「できれば……ヒス、とは呼ばないでいただきたい」
「わかったわ! ヒズね!」
……どこから来た、濁点。
この主は……大変変わっている。
たったこの数分の邂逅だけでわかってしまった。否、わかりたくもなかったが。
ヒスクライヴは後悔した。あの時、ポーカーでブタさえ引かなければ。今さら後悔しても遅いが。
「よろしく、ヒズ。あの、ヒズも事情があって私の護衛になったのだと思うの。だから、いつだって私の元から去ってもいいのよ。私は王族の中でもハズレなんだから。……いつだって、お兄様やお姉さまの所へいってもいいからね」
そうやって、ほわりと花が咲いたように笑う少女は自身の護衛騎士となる青年に手を差し伸べたのだった。
◇◆◇
「ヒスクライヴ様!!」
「……っなんだ」
マリアの声に足を止める。鬱蒼とした森を抜けるのに、過去を振り返りすぎた。
「リーシャ様の足から血が……無理をしすぎですわ」
「……何?」
「リーシャ様も長時間歩くのに慣れておりません」
少し青ざめた顔をして歩くリーシャの靴の先が血豆が潰れたのか赤く滲んでいる。
――なぜ言わないのです。
ヒスクライヴはそう言いかけてやめた。
リーシャは言わない。辛いとも痛いとも。己の状況を話す事は無い。
……それを悟れなかった自分の未熟さに反吐が出る。
「申し訳ありません、リーシャ様。気づかず歩き続けた私の落ち度です」
「いいえ、いいの……ヒズが急いでいるのもわかるもの。このぐらい、我慢できるわ」
にこりと笑った顔が引きつっている。
ヒスクライヴは近くにあった大岩にリーシャを座らせると、足の様子を見た。
靴ずれか。慣れぬ長距離の歩きで血豆ができたらしい。
マリアの持ってきた荷の中から簡易的な救護道具を取り出すと、丁寧に巻いていく。
「すみません。今はこのぐらいしかできませんが……」
「ありがとう、ヒズ」
「あの、ヒスクライヴ様。わたくし、母からリーシャ様をお連れするようにとしか言われておりませんの。いったい、何が起こっているのですか?」
「歩きながら話そう」
ひょいとリーシャを抱き抱えると、再びを森を抜けるために歩みを速めた。
外敵に襲われた時に反撃ができるようにと片腕を開けておいたのだが仕方がない。
「二日前にバルト帝国がいきなり攻めてきたのは知っているな」
「ええ、たしかいきなり国境を超えたのですわね」
「その報告があった後……すでに目と鼻の先まで迫ってきているのだ」
「な! そんな……ありえませんわ……国境からこの王都へは馬でも5日はかかるはずですわ」
「国境を越えた者たちは陽動、本部隊は切り立った山を越えて動き出していたのだ」
バルト帝国とは国境の砦を有する広いハルト平原とあまりにも斜面が急なイヴァルト山脈が接している。
二日前の知らせを受け、王国の主力の兵はハルト平原に向けて出立したばかりだった。
そこを、逆手に取られた。
すべてが出来すぎている、そう思われるほど、相手の攻撃は巧妙だった。
「ですが、我が国を攻めて何の益があるのでしょう。たしかに鉱山はありますが……主産業は農業。帝国からすれば、益の少ない小国ですわ」
「相手の目的はわからん。だが、まっすぐに王宮を目指したということは……王家に用があったのかもしれないな」
国王は先の冬に流行り病で亡くなった。若きアルス殿下が王座に就かれる……その矢先のことだったのだ。
王を失って弱体化したこの時期を狙っていたとでも言うのか。
「ヒズ、私……逃げて……よかったのかな……」
「リーシャ様」
「だって、私も、王族の一人。その首に、それ相応の、重みがあるのなら」
この首で、助かる命があるのなら。
ヒスクライヴはリーシャの言わなかった言葉の先まで悟ってしまう自分が苦しかった。
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「でも……」
「小娘ひとりの首で何ができるというのです。それこそ、傲慢という物です」
「うっ……」
ヒスクライヴはあえて、痛烈な言葉を選んだ。
主にはこれぐらい言ったほうがよい。
……優しすぎる主には。
「ヒス……クライヴ様……また……歩く速度が速いですわ……」
「すまない、今だけは我慢してくれ」
この夜のうちに森を抜けなければならない。
できるだけ、遠くへ。
首にまわされるか細い腕の感覚が、今はヒスクライヴの支えだった。
王子から託されたものは、あまりにも重い。
だが、彼には、その重さを抱えて歩むしかなかった。
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