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18.存在証明
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18.存在証明──山中優の場合
「緊張してる?」
「……別に」
そう言いながらレトロな車のハンドルを握る指先は、白くなるほど力が入っていた。
……気持ちはわからなくないけど。
「やっとだね」
「……ああ」
遠山引率の元、俺はある家に向かっていた。
……山中優の遺影に手を合わせに。
新聞に掲載されることがあれば、行方がわからなくなっていた山中優の家族に会えるのではないかという読みは、何とか当たった。
新聞に絵まで載るためには最優秀賞か、審査員特別賞……銀賞は辛くも名前と絵のタイトルは載るが、絵そのものは載ることがない。
あの絵は、名前だけでは優に関係があることは伝わっても、それが良いイメージなのかどうかの判断が付かない。
是非、本物を見に来てもらう為には、どうしても絵の部分まで新聞に載る必要があった。
……随分とその為に無理はしたけれど、無事描ききることができて良かった。
絵が完成したときに、これがどうしても描きたかった理由です。って両親にも絵の写真を送ったら、『彼が“ゆーちゃん”ね。会えてとても嬉しいわ』と返事が返ってきた。誠意が伝わったのか、散々な点数を取った夏休み明けの実力テストについては何も言われなかった。
俺の両親は海外にいるあの二人だ。
けれども、優の真相にたどり着いた俺には、優の両親も救える可能性がある。
絵画が一般公開され、ロビーに飾られた日。
あの日に山中優の両親に話を聞くことができた。
学校で事故死してしまった優の話を聞いて、ショックで倒れてしまった事。
あまりにも悲しみが深く、当時は死んだ理由など屋上からの転落死だという事以外を学校から聞き出すことが出来なかったこと。
そして、思い出がいっぱい詰まった家に住み続ける事が出来なかった事。
『もう、随分と昔の事になるのに、まだまだ優のことを受け止めきれなくて……』
俺は胸が詰まる思いで、それを聞いていた。
俺以上に苦しんでいる遠山は、隣で血が滲むほど唇を噛み締めている。
『あの、もしよろしければ、彼の……山中優さんの遺影に、お線香をあげさせて貰えないでしょうか』
俺が思いきって聞いてみると、山中優の両親は彼に似た笑顔で是非にと言ってくれた。
『あの、先生もどうぞ、ご一緒に』
『……っ。よろしいのですか』
『はい、美術部の顧問の先生ですよね? あの子も美術部でしたので、きっと喜びます』
遠山は深く頭を下げて、伺わせていただきます。と、丁寧にお辞儀をした。
学生が一人で行くには憚られるかもしれないけれど、ここは遠山も一緒だということで、寮の外出申請は無事通った。
山中優の家族が引っ越したのは、都心から離れた住宅街だった。
近くのパーキングに遠山は車を停めて、連れだって歩く。
緊張した面持ちで遠山がチャイムを鳴らす。
事前に連絡していたのですぐに返事があり、お邪魔しますと丁寧に靴を揃えて家に上がった。
「こちら、お口に会えば良いのですが」
遠山が差し出した茶菓子を、ご丁寧にどうもと受け取ってもらえた。
通されたのは居間。
仏壇には素朴な少年がはにかんでいる写真が飾られていた。
優の遺影は、中学生の頃の写真だろうか。
まだあどけなさが残る顔立ちだった。
線香を上げさせてもらう。
遠山が丁寧な所作で線香を立てるので、その様子を真似て、俺も同じように手を合わせた。
「ありがとうございます」
遠山は声が震えないようにしながら、深く頭を下げた。
「こちらこそ、本当にありがとうございます。優に線香をあげに来てくれて」
優の仏壇は、とても綺麗だった。
……丁寧に手入れされているからだろう。
優。優……お前、本当に愛されてるじゃん。
話しかけるが、心の中にあったはずの優の断片はなにも語らない。
「あの、もしも良ければですが、今回最優秀賞を頂いたあの絵、申請すれば絵が戻ってくるそうなんです。あの、一度学校で飾らせて欲しいって言われているんですけど、その後は受けとることができるので、その……絵を貰って頂けたらって」
「そ……んな、いいのかい? あの絵は表彰もされたような絵で……」
「いいんです。……いいんですよ。俺は、あの絵がどこにあったら一番嬉しいかなって。そう思ったら、ここしかないかなって」
その為に描いた、山中優への弔いの絵。
「ありがとう……あの絵をずっと見ることができるなんて」
「この人と二人で、飾られている期間はできる限り見に行っていたから、嬉しいわ……」
胸の奥がぽかぽかとしてくる。
自分の描いた希望が、この二人の心にも明かりを灯した。
それが、とても嬉しい。
「あと、山中さん。……こちら、16年前に山中優さんが描いていたスケッチです」
遠山が布に包んで持ってきた、美術準備室に置いてあった優のスケッチブックを差し出す。
「おそらく当時は急な事もあり、こちらをご返却出来なかったのだろうと……」
「まぁ、優の描いたスケッチですか……?」
「中を見ても……?」
「もちろんです」
優の両親はスケッチブックを開くと、本当に懐かしそうに目元の皺を深めた。
「懐かしい……」
「あの、このスケッチを見て、俺は、その……亡くなった優さんについて描きたいって。絵を描くことが大好きだった彼を描きたいって……思って……あの絵を描くことにしたんです」
「……私たち、あの頃は本当に店ばかりにかまけていて……あの子が苦しんでいたことも何も気付けないで……」
「…………」
優の両親の表情が悲痛に歪む。
「優は、本当に“事故”だったのかって、ずっと……」
「……とても悲しい事故だった、と俺は思っています」
奮い立て、神崎望。
……それが、俺がここに来た理由だから。
「16年も昔の事なんて、俺にはわかりません。けれども、ひとつだけ確かに分かることがあります」
「……それは?」
「“死にたい”と“生きていたくない”これは、とても近い言葉ですが、同じではないと思っています。16年前に、山中優に起きていた事は、俺には何も言うことができません。ですがひとつだけ……俺が彼の死が事故だったと推測する事があります。彼は……最期の瞬間まで、絵を描いていたということです」
「優が……絵を……」
優の両親はそれが何故今さら言われるのかわからないようだった。
「俺が描いた絵の中に、彼がコンクールに出展しようとしていた未完成の絵をモチーフにしたものを描きました。未完成の絵、です。彼はそれを描きあげようとしていました。衝動的な、と言われてしまえば証明できませんが、少なくとも彼はコンクールに出そうとしていた絵を未完成のまま残そうとはしません。……そういう少年だったと、スケッチを見て俺は思うのですが、どうでしょうか? 彼は絵を完成させたかったのではないかと、俺は思っているんですが……」
「あぁ……そうだ。あの子は、大人しいのに、どこか我慢強く……絵が完成するまではご飯を食べることすら忘れて……はは、何度か叱ったりしましたね……」
遠山がじとりと俺を見る。
いやいや、俺倒れたのは2回だけだし。
……飯忘れもたかだか9回だけだったし。
絵描き馬鹿の優よりはまだ俺はマシの方だって!
「こほん、ええと、だから俺は、彼の死は事故だったんじゃないかなって思います。とても悲しい事故だったと」
「はは、そうか……そうか……」
「……ですが、あの……彼が追い詰められていたのは……」
遠山が、自分の傷を抉り出そうとしている。
自罰的で……どうしようもない奴。
「遠山先生……あなたが優の同級生であることは、見た瞬間からわかりました。美術部の顧問で、と知った瞬間から。……我々は、まだ、謝罪を……あなたの謝罪を受け入れられません。受け入れるということは、許すということ。まだ、そこまで整理が出来ていません」
「……はい。重々承知しています……」
「ですが、優の位牌に手を合わせてくださることは、感謝しています。……これからも、もしお時間があったら、貴方がどう生きてきたのか、優に教えてください……」
「……はい。ありがとうございます」
遠山の声が少し震えて、深く頭を下げた。
「神崎君、君は優のスケッチブックを美術準備室で見つけたと、言っていたね?」
「はい。歴代の先輩たちのスケッチブックと一緒にあったのを見つけました」
「それなら、優のスケッチブックはそのまま美術部の他のスケッチと一緒に置いてくれないかい?」
「……良いんですか?」
「良いんだ。我々には、君の描いてくれた優がいる。それに……優の遺した絵が、君たちと私たちを繋げてくれた。それが本当に奇跡的な事だと思ってね。もし優の生きてきた証が、他の子達にも見てもらえる機会があるのなら、そちらの方が嬉しいよ」
「“存在証明”ですね。わかりました。お預かりします。遠山先生が顧問のうちは、絶対守ってくれますよね」
「あぁ……」
「それと、こちらから渡したいものが一冊だけあります。遠山先生、受け取っていただけますか?」
「私に、ですか?」
取りに行ってきます、と席をたったあと、大切そうに古ぼけたスケッチブックを持ってきた。
初めて見た。
そのスケッチブックは優の記憶の断片にも残っていないぞ?
「優の死には、私達にも原因があると、ずっと悩んでいたんです。彼が悩んでいる事を、家族にも打ち明けられないのではないかって」
差し出されたスケッチブックを、遠山が戸惑った様に受け取った。
古ぼけたスケッチブックを恐る恐る開いて、中を見た瞬間に遠山の頬を涙が伝う。
「貴方が優の同級生だとわかったのは、遺品を整理していて机の奥に隠してあったスケッチブックを見てしまったからなんです。もしかして、優は自分が他の人と違うことにずっと悩んでいたのかもしれないと……」
スケッチブックには若き日の遠山が描かれていた。
優が彼を描いたスケッチ……屋上のは二冊目だったのか……。
どれだけ遠山のこと好きだったんだよ。
顔か? 顔はまぁ、滅茶苦茶認めるのは癪だが確かに良い。
「真実はもうわかりません。けれどもそのスケッチブックは、きっと貴方の元が相応しい。持っていて、いただけますか?」
「はい……大切に……させていただきます」
深く礼をして、山中優の家族の家を辞した。
長居はしたつもりはないのに、辺りは暗くなっていた。
パーキングで車に乗り込むと、発進してからすぐに邪魔にならない場所に遠山が車を止めた。
「どうしたんだ?」
「……すげーー緊張した」
「だろうね」
ハンドルにもたれかかった遠山は、本当に弱っていそうだ。
「……山中の事、伝えられて良かったな……」
「そうだね」
「……山中の未完成の絵はお前が持ったままだけど良かったのか? 返さなくて」
「嘆きと弔いをモチーフにした絵を優の両親に見せたら、ショックを受けちゃうよ……あれはそのまま俺が貰っても良いかな?」
「構わないが……お前の事は良かったのか? お前に山中の記憶の断片があるって事」
「それに触れなくても、伝える事はできたから」
「……そうか」
遠山が色んな感情が混ざった表情になる。
「これで、彼の“遺志”は伝えられたかな……」
「……そうだね」
これで、伝えたい人たちに、彼の想いを伝える事ができた。
だから……。
山中優が遺した“遺書”。
遠山にも誰にも言わずに、彼の“遺書”はそっと俺の胸に秘めておこう。
一番最初に、優の死が自殺なんじゃないかと疑った理由。
彼が書いた“遺書”。
それは絵ではなく、確かに文章として残っていた。
俺には、それが隠されていた場所がわかってしまった。
だから──
遠山に寮まで送ってもらった頃には、月が夜空に浮かんでいた。
澄んだ秋の夜空、すべての弔いが済んだ空は、とても優しい風が吹いていた。
「優。優……君が生きた証。君が生きていた記憶は、確かに“ここ”にあったよ」
ずっと部屋の隅にあるその絵を見ながら自分の絵を描いていた。
首のない女神像の……恋心を弔った絵の前に立つ。
優は、確かに遺書を書いていた。
それはフラッシュバックの映像から、美術室で書いていた事は知っていた。
「あんなにもパズルのピースは揃っていたのにな」
油絵を使うときに使うパレットナイフを取り出す。パレットの油絵の具を混ぜたり削ぎ落とす時に使ったりする油絵用のナイフだ。
優が部室で昔読んでいたピカソの青の時代の本。
あの当時は貧乏な画家にとって、キャンバスの一つ一つが高くて、他の作品の習作を白く塗りつぶして上から絵を描くなんて事もしていたそうだ。
乾くとその上から塗ることが出来る油絵だからこそ出来ること。
山中優の“遺書”は、最初からそこにあった。
墓標の絵を削る。
心が痛んだが、俺は、優にひとつだけ伝えたいことがあったから。
絵を削っていくと、文章のようなものが現れた。
遺書は、最初からこの帆布に書かれていた。
その遺言を覚悟の証としてそれを木枠に貼り、キャンバスにして女神の絵を描いたのだ。
だから、彼の遺書は最初から……この絵の下にあった。
その為に誰にも気づかれなかったのだ。
「はは、すごい、決意文」
『前略
山中優様
先立つ不幸をお許しください。
僕は、彼への恋心を忘れることができません。
彼の迷惑になるとわかっていても、恋心を
止めることはできず、嫌われていると
わかっても、捨てることができませんでした。
この想いはもう許されることができません。
だから僕は、この想いを葬ることにしました。
ごめんなさい。
僕は苦しむ事が耐えがたく、
想いを抱えたまま生きているのが辛いのです
どうか、どうか、弱い心をお許しください。
ここで想いを絶つことを、お許しください。
山中優の恋心』
俺は弔いの絵と、この恋心を殺すための遺書を、全部全部ひとりで抱えて生きていく。
「優。君が捨てなきゃいけないと思った恋心は、俺が全部抱えて持っていくよ。君の代わりに遠山隼人と生きていく、なんて事は言わない。君の心まるごと抱えて、遠山隼人には責任を取ってもらおう」
彼が自分の心に向き合って、こちらを見てもらうには随分と掛かるだろうけど。
俺と優、二人であいつを支えてやるから、だから二人分目一杯愛してほしい。
本当に、俺と優は厄介な相手に捕まってしまったよね。
男の趣味最悪なんじゃないかな、なんてから笑いしてしまう。
俺は優の遺書を木枠から外すと、丁寧に折り畳んで仕舞った。
その夜、夢を見た。
夢だとはっきりとわかる、明晰夢といわれる夢だろう。
セピア色の美術室で、照れたようにそっぽを向きながら椅子に座ってモデルになっている美少年と、とても嬉しそうに彼を絵に描いている優しげな少年の夢だった。
それは、確かに幸せな夢だった。
【存在証明】
読み方:そんざいしょうめい
そのものが確かに存在すると証明すること。
(デジタル大辞泉より)
「緊張してる?」
「……別に」
そう言いながらレトロな車のハンドルを握る指先は、白くなるほど力が入っていた。
……気持ちはわからなくないけど。
「やっとだね」
「……ああ」
遠山引率の元、俺はある家に向かっていた。
……山中優の遺影に手を合わせに。
新聞に掲載されることがあれば、行方がわからなくなっていた山中優の家族に会えるのではないかという読みは、何とか当たった。
新聞に絵まで載るためには最優秀賞か、審査員特別賞……銀賞は辛くも名前と絵のタイトルは載るが、絵そのものは載ることがない。
あの絵は、名前だけでは優に関係があることは伝わっても、それが良いイメージなのかどうかの判断が付かない。
是非、本物を見に来てもらう為には、どうしても絵の部分まで新聞に載る必要があった。
……随分とその為に無理はしたけれど、無事描ききることができて良かった。
絵が完成したときに、これがどうしても描きたかった理由です。って両親にも絵の写真を送ったら、『彼が“ゆーちゃん”ね。会えてとても嬉しいわ』と返事が返ってきた。誠意が伝わったのか、散々な点数を取った夏休み明けの実力テストについては何も言われなかった。
俺の両親は海外にいるあの二人だ。
けれども、優の真相にたどり着いた俺には、優の両親も救える可能性がある。
絵画が一般公開され、ロビーに飾られた日。
あの日に山中優の両親に話を聞くことができた。
学校で事故死してしまった優の話を聞いて、ショックで倒れてしまった事。
あまりにも悲しみが深く、当時は死んだ理由など屋上からの転落死だという事以外を学校から聞き出すことが出来なかったこと。
そして、思い出がいっぱい詰まった家に住み続ける事が出来なかった事。
『もう、随分と昔の事になるのに、まだまだ優のことを受け止めきれなくて……』
俺は胸が詰まる思いで、それを聞いていた。
俺以上に苦しんでいる遠山は、隣で血が滲むほど唇を噛み締めている。
『あの、もしよろしければ、彼の……山中優さんの遺影に、お線香をあげさせて貰えないでしょうか』
俺が思いきって聞いてみると、山中優の両親は彼に似た笑顔で是非にと言ってくれた。
『あの、先生もどうぞ、ご一緒に』
『……っ。よろしいのですか』
『はい、美術部の顧問の先生ですよね? あの子も美術部でしたので、きっと喜びます』
遠山は深く頭を下げて、伺わせていただきます。と、丁寧にお辞儀をした。
学生が一人で行くには憚られるかもしれないけれど、ここは遠山も一緒だということで、寮の外出申請は無事通った。
山中優の家族が引っ越したのは、都心から離れた住宅街だった。
近くのパーキングに遠山は車を停めて、連れだって歩く。
緊張した面持ちで遠山がチャイムを鳴らす。
事前に連絡していたのですぐに返事があり、お邪魔しますと丁寧に靴を揃えて家に上がった。
「こちら、お口に会えば良いのですが」
遠山が差し出した茶菓子を、ご丁寧にどうもと受け取ってもらえた。
通されたのは居間。
仏壇には素朴な少年がはにかんでいる写真が飾られていた。
優の遺影は、中学生の頃の写真だろうか。
まだあどけなさが残る顔立ちだった。
線香を上げさせてもらう。
遠山が丁寧な所作で線香を立てるので、その様子を真似て、俺も同じように手を合わせた。
「ありがとうございます」
遠山は声が震えないようにしながら、深く頭を下げた。
「こちらこそ、本当にありがとうございます。優に線香をあげに来てくれて」
優の仏壇は、とても綺麗だった。
……丁寧に手入れされているからだろう。
優。優……お前、本当に愛されてるじゃん。
話しかけるが、心の中にあったはずの優の断片はなにも語らない。
「あの、もしも良ければですが、今回最優秀賞を頂いたあの絵、申請すれば絵が戻ってくるそうなんです。あの、一度学校で飾らせて欲しいって言われているんですけど、その後は受けとることができるので、その……絵を貰って頂けたらって」
「そ……んな、いいのかい? あの絵は表彰もされたような絵で……」
「いいんです。……いいんですよ。俺は、あの絵がどこにあったら一番嬉しいかなって。そう思ったら、ここしかないかなって」
その為に描いた、山中優への弔いの絵。
「ありがとう……あの絵をずっと見ることができるなんて」
「この人と二人で、飾られている期間はできる限り見に行っていたから、嬉しいわ……」
胸の奥がぽかぽかとしてくる。
自分の描いた希望が、この二人の心にも明かりを灯した。
それが、とても嬉しい。
「あと、山中さん。……こちら、16年前に山中優さんが描いていたスケッチです」
遠山が布に包んで持ってきた、美術準備室に置いてあった優のスケッチブックを差し出す。
「おそらく当時は急な事もあり、こちらをご返却出来なかったのだろうと……」
「まぁ、優の描いたスケッチですか……?」
「中を見ても……?」
「もちろんです」
優の両親はスケッチブックを開くと、本当に懐かしそうに目元の皺を深めた。
「懐かしい……」
「あの、このスケッチを見て、俺は、その……亡くなった優さんについて描きたいって。絵を描くことが大好きだった彼を描きたいって……思って……あの絵を描くことにしたんです」
「……私たち、あの頃は本当に店ばかりにかまけていて……あの子が苦しんでいたことも何も気付けないで……」
「…………」
優の両親の表情が悲痛に歪む。
「優は、本当に“事故”だったのかって、ずっと……」
「……とても悲しい事故だった、と俺は思っています」
奮い立て、神崎望。
……それが、俺がここに来た理由だから。
「16年も昔の事なんて、俺にはわかりません。けれども、ひとつだけ確かに分かることがあります」
「……それは?」
「“死にたい”と“生きていたくない”これは、とても近い言葉ですが、同じではないと思っています。16年前に、山中優に起きていた事は、俺には何も言うことができません。ですがひとつだけ……俺が彼の死が事故だったと推測する事があります。彼は……最期の瞬間まで、絵を描いていたということです」
「優が……絵を……」
優の両親はそれが何故今さら言われるのかわからないようだった。
「俺が描いた絵の中に、彼がコンクールに出展しようとしていた未完成の絵をモチーフにしたものを描きました。未完成の絵、です。彼はそれを描きあげようとしていました。衝動的な、と言われてしまえば証明できませんが、少なくとも彼はコンクールに出そうとしていた絵を未完成のまま残そうとはしません。……そういう少年だったと、スケッチを見て俺は思うのですが、どうでしょうか? 彼は絵を完成させたかったのではないかと、俺は思っているんですが……」
「あぁ……そうだ。あの子は、大人しいのに、どこか我慢強く……絵が完成するまではご飯を食べることすら忘れて……はは、何度か叱ったりしましたね……」
遠山がじとりと俺を見る。
いやいや、俺倒れたのは2回だけだし。
……飯忘れもたかだか9回だけだったし。
絵描き馬鹿の優よりはまだ俺はマシの方だって!
「こほん、ええと、だから俺は、彼の死は事故だったんじゃないかなって思います。とても悲しい事故だったと」
「はは、そうか……そうか……」
「……ですが、あの……彼が追い詰められていたのは……」
遠山が、自分の傷を抉り出そうとしている。
自罰的で……どうしようもない奴。
「遠山先生……あなたが優の同級生であることは、見た瞬間からわかりました。美術部の顧問で、と知った瞬間から。……我々は、まだ、謝罪を……あなたの謝罪を受け入れられません。受け入れるということは、許すということ。まだ、そこまで整理が出来ていません」
「……はい。重々承知しています……」
「ですが、優の位牌に手を合わせてくださることは、感謝しています。……これからも、もしお時間があったら、貴方がどう生きてきたのか、優に教えてください……」
「……はい。ありがとうございます」
遠山の声が少し震えて、深く頭を下げた。
「神崎君、君は優のスケッチブックを美術準備室で見つけたと、言っていたね?」
「はい。歴代の先輩たちのスケッチブックと一緒にあったのを見つけました」
「それなら、優のスケッチブックはそのまま美術部の他のスケッチと一緒に置いてくれないかい?」
「……良いんですか?」
「良いんだ。我々には、君の描いてくれた優がいる。それに……優の遺した絵が、君たちと私たちを繋げてくれた。それが本当に奇跡的な事だと思ってね。もし優の生きてきた証が、他の子達にも見てもらえる機会があるのなら、そちらの方が嬉しいよ」
「“存在証明”ですね。わかりました。お預かりします。遠山先生が顧問のうちは、絶対守ってくれますよね」
「あぁ……」
「それと、こちらから渡したいものが一冊だけあります。遠山先生、受け取っていただけますか?」
「私に、ですか?」
取りに行ってきます、と席をたったあと、大切そうに古ぼけたスケッチブックを持ってきた。
初めて見た。
そのスケッチブックは優の記憶の断片にも残っていないぞ?
「優の死には、私達にも原因があると、ずっと悩んでいたんです。彼が悩んでいる事を、家族にも打ち明けられないのではないかって」
差し出されたスケッチブックを、遠山が戸惑った様に受け取った。
古ぼけたスケッチブックを恐る恐る開いて、中を見た瞬間に遠山の頬を涙が伝う。
「貴方が優の同級生だとわかったのは、遺品を整理していて机の奥に隠してあったスケッチブックを見てしまったからなんです。もしかして、優は自分が他の人と違うことにずっと悩んでいたのかもしれないと……」
スケッチブックには若き日の遠山が描かれていた。
優が彼を描いたスケッチ……屋上のは二冊目だったのか……。
どれだけ遠山のこと好きだったんだよ。
顔か? 顔はまぁ、滅茶苦茶認めるのは癪だが確かに良い。
「真実はもうわかりません。けれどもそのスケッチブックは、きっと貴方の元が相応しい。持っていて、いただけますか?」
「はい……大切に……させていただきます」
深く礼をして、山中優の家族の家を辞した。
長居はしたつもりはないのに、辺りは暗くなっていた。
パーキングで車に乗り込むと、発進してからすぐに邪魔にならない場所に遠山が車を止めた。
「どうしたんだ?」
「……すげーー緊張した」
「だろうね」
ハンドルにもたれかかった遠山は、本当に弱っていそうだ。
「……山中の事、伝えられて良かったな……」
「そうだね」
「……山中の未完成の絵はお前が持ったままだけど良かったのか? 返さなくて」
「嘆きと弔いをモチーフにした絵を優の両親に見せたら、ショックを受けちゃうよ……あれはそのまま俺が貰っても良いかな?」
「構わないが……お前の事は良かったのか? お前に山中の記憶の断片があるって事」
「それに触れなくても、伝える事はできたから」
「……そうか」
遠山が色んな感情が混ざった表情になる。
「これで、彼の“遺志”は伝えられたかな……」
「……そうだね」
これで、伝えたい人たちに、彼の想いを伝える事ができた。
だから……。
山中優が遺した“遺書”。
遠山にも誰にも言わずに、彼の“遺書”はそっと俺の胸に秘めておこう。
一番最初に、優の死が自殺なんじゃないかと疑った理由。
彼が書いた“遺書”。
それは絵ではなく、確かに文章として残っていた。
俺には、それが隠されていた場所がわかってしまった。
だから──
遠山に寮まで送ってもらった頃には、月が夜空に浮かんでいた。
澄んだ秋の夜空、すべての弔いが済んだ空は、とても優しい風が吹いていた。
「優。優……君が生きた証。君が生きていた記憶は、確かに“ここ”にあったよ」
ずっと部屋の隅にあるその絵を見ながら自分の絵を描いていた。
首のない女神像の……恋心を弔った絵の前に立つ。
優は、確かに遺書を書いていた。
それはフラッシュバックの映像から、美術室で書いていた事は知っていた。
「あんなにもパズルのピースは揃っていたのにな」
油絵を使うときに使うパレットナイフを取り出す。パレットの油絵の具を混ぜたり削ぎ落とす時に使ったりする油絵用のナイフだ。
優が部室で昔読んでいたピカソの青の時代の本。
あの当時は貧乏な画家にとって、キャンバスの一つ一つが高くて、他の作品の習作を白く塗りつぶして上から絵を描くなんて事もしていたそうだ。
乾くとその上から塗ることが出来る油絵だからこそ出来ること。
山中優の“遺書”は、最初からそこにあった。
墓標の絵を削る。
心が痛んだが、俺は、優にひとつだけ伝えたいことがあったから。
絵を削っていくと、文章のようなものが現れた。
遺書は、最初からこの帆布に書かれていた。
その遺言を覚悟の証としてそれを木枠に貼り、キャンバスにして女神の絵を描いたのだ。
だから、彼の遺書は最初から……この絵の下にあった。
その為に誰にも気づかれなかったのだ。
「はは、すごい、決意文」
『前略
山中優様
先立つ不幸をお許しください。
僕は、彼への恋心を忘れることができません。
彼の迷惑になるとわかっていても、恋心を
止めることはできず、嫌われていると
わかっても、捨てることができませんでした。
この想いはもう許されることができません。
だから僕は、この想いを葬ることにしました。
ごめんなさい。
僕は苦しむ事が耐えがたく、
想いを抱えたまま生きているのが辛いのです
どうか、どうか、弱い心をお許しください。
ここで想いを絶つことを、お許しください。
山中優の恋心』
俺は弔いの絵と、この恋心を殺すための遺書を、全部全部ひとりで抱えて生きていく。
「優。君が捨てなきゃいけないと思った恋心は、俺が全部抱えて持っていくよ。君の代わりに遠山隼人と生きていく、なんて事は言わない。君の心まるごと抱えて、遠山隼人には責任を取ってもらおう」
彼が自分の心に向き合って、こちらを見てもらうには随分と掛かるだろうけど。
俺と優、二人であいつを支えてやるから、だから二人分目一杯愛してほしい。
本当に、俺と優は厄介な相手に捕まってしまったよね。
男の趣味最悪なんじゃないかな、なんてから笑いしてしまう。
俺は優の遺書を木枠から外すと、丁寧に折り畳んで仕舞った。
その夜、夢を見た。
夢だとはっきりとわかる、明晰夢といわれる夢だろう。
セピア色の美術室で、照れたようにそっぽを向きながら椅子に座ってモデルになっている美少年と、とても嬉しそうに彼を絵に描いている優しげな少年の夢だった。
それは、確かに幸せな夢だった。
【存在証明】
読み方:そんざいしょうめい
そのものが確かに存在すると証明すること。
(デジタル大辞泉より)
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いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
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