【完結】断罪を乞う

弥生

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12.鬼哭啾啾

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12.鬼哭啾啾きこくしゅうしゅう──山中優やまなかゆうの場合
 
 
 “遠山隼人”が墓標に祈る姿を目撃した、次の日。 
 中庭を逃げ出すことができた俺は、あの教師に悟られることなく──

「神崎望、ちょっと来い」

 あちゃー。
 放課後に名指しで“遠山隼人”に呼び出される。
「え、神崎。あのカッコいい先生って噂の社会科の先生だろ。何かあったのか?」
「は……はは……何かな……ちょっと行ってくるね」

 何故、俺の名前さえも……。
 俺はどこにでも紛れ込める平凡オブ平凡ぞ。

「遠山……先生。あの、なんで俺の名前……」
「この前保健室に運んだからな」

 アウチ! そーいや認知されてた!!
 だらだらと冷や汗を流しながら斜め下を向く。
「あ、あの節はドーモ……」
「近くに居ただけだ。気にするな」
 はっはは。
 渇いた愛想笑いをしてしまう。

「あの、先生。どこに行くんですか」
 え、カツアゲ?
 いや、教師だからそれはないにしても証拠隠滅、処されるとか。
 いや、校内だ。そんなリスクは相手も取らないだろう。
 どうしたら、いや何が目的だ。
 ぐるぐると考えていると、油絵の臭いが鼻孔を掠める。

 そこは美術室の前だった。
 遠山は鍵を取り出すと、美術室の隣の部屋の錠を開ける。
 そこは、以前入ることが出来なかった……美術準備室。

「昔の美術部員の絵はここに納められている」
「なんで、それを……。俺に……」
「……? “山中優”の事は、16年前に亡くなった美術部員だから知っていたんじゃないのか?」
「そんな感じです!!」
 どんな感じだよ。脊椎反射で答えちゃった。
「彼の事を話す者は、もうこの学校にはあまりいないが……絵はここに残されている」
「……」
「確認が終わったら施錠して、鍵は社会科準備室に返しに来てくれ」
「なんで、先生がここの鍵を持っているんですか?」
「美術部顧問だから」
 知りたくなかった……その情報。

「なんで、俺にそんな事……」
「……俺に見つけられなかった“モノ”でも、第三者なら見つけられるかもしれないから」
 遠山は一度もこちらを見ない。
「一度、美術部を見に来たそうだな。芸術の心得があるものなら、中の作品は大切に扱うだろう」
 一度来た事もバレてる……。
 去り行く背中に、もう一つだけ尋ねる。

「……先生が手向けていたあの青紫の花は何て言うんですか?」
「……アリウム・ギガンチウム」

 そう答えると、振り返ることなく去っていった。


 “遠山隼人”の態度は理解できなかったが、こんなチャンスは二度とない。俺は美術準備室を調べる事にした。
 
 電気をつけて美術準備室に入ったが、中は雑然としていて、やや薄暗かった。
 授業に使うような石膏が棚に並べられ、美術講師の机は使われた痕跡があったが、他はあまり動かされた形跡がない。
 部屋の隅に置かれた布のかけられたイーゼルは古びてはいたが埃は被っていなかったので、ある程度清掃もされているのだろう。 
 歴代残されていた生徒作品や余ったイーゼル、キャンバスの木枠、そして使い古されたスケッチブックや作品が準備室には残されていた。


 確かに……社会科教師の“遠山隼人”と美術部顧問という肩書きは妙にチグハグだったが、以前聞いていた『顧問が折を見て片付けている』というのは偽りではないようで、雑然とした中で適度に片付けられていた。
 まず棚のスケッチブックの束を確認する。
 年代順に置かれているのだろう。下の方の日付を確認すると、15、16年前のものも出てきた。
 17年前……“山中優”の1年生の頃のスケッチブックさえも。
「そうだ。これは15才の頃に彼が描いたスケッチ。“山中優”は10月生まれだから……死んだのは17才になる前の……高校2年生の6月の雨の日」
 優のスケッチブックを手に取った時、フラッシュバックが起きる。
 
 スケッチブックの白面を必死に埋める。
 スケッチはただの陰影から徐々に黒を主体としたものになっていき……。
 心の悲鳴が、絵に塗り込められるように、深い暗い闇が描かれるようになって……。
 
 描くことが何よりも好きだった彼は、1年生の頃から教室の隅でずっと絵を描いていた。
 “遠山隼人”がそれを揶揄したのは1年生の後半。それから2年生に上がって事態は悪化していき……。

 掘り起こすことが出来たスケッチブックは、確かに才能が見受けられるものだった。
 1年生の時には作品をコンクールに提出していない。提出間際に何を思ったのか、絵を潰してしまっていた。
 コンクールに提出しようとしたのは2年生の時。秋の展示会に向けて、2年のはじめから油絵を書き始めて……。

「そうだ、描きかけの絵があったはず……」
 だけど、その絵は大きめのサイズのキャンバスで、16年も前のものなら木枠からはずされて帆布も処理されていている可能性もある。
 だけど……。

 部屋の隅のイーゼル……。キャンバスが乗せられたまま布が被せられたそれが、何故か気になる。
 歴代のスケッチブックを丁寧に元に戻すと、イーゼルに近寄っていった。

 古くなったその布地を捲る。

 そこには──未完成の絵が一枚。
 
 黒き墓標の群に佇む、翼の生えた女神像が描かれていた。
 首のないその像は、美術の教科書で良く見ていた……。
 船首に降り立ち、翼を広げて勝利した味方を祝福する女神を模した像。
 
 だが、キャンバスに描かれていた女神はあまりにも壮絶で、身体は黒に染まり、羽も傷ついて、それでも墓標に佇む姿は……。

 まるで……。
 まるで全てを嘆き弔う様で──

 名前を見なくても、誰が描いた絵なのかすぐにわかった。

 見る者の胸を突き刺すほどに深い慟哭。
 ……その嘆きが籠められた、壮絶な絵画。

「君の……嘆きなのか……」
 俺は足元から崩れ落ちる。
 涙が止まらなかった。
 
 箱を開けた先には絶望しか残されていなかった。 
 
 それは“山中優”の残した、未完成の絵だった。
 

 

 
【鬼哭啾啾】
読み方:きこくしゅうしゅう
悲惨な死に方をした者の浮かばれない亡霊の泣き声が、恨めしげに響くさま。転じてものすごい気配が漂い迫りくるさま。「鬼哭」は浮かばれない霊魂が声を上げて泣き悲しむこと。「啾啾」はしくしくと泣く声の形容。
(三省堂 新明解四字熟語辞典より)

【アリウム・ギガンチウム】
青紫の小さい花がたくさんついたポンポンのような花。
花言葉:深い悲しみ・無限の悲しみ
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