上 下
10 / 17

10話

しおりを挟む
「本当にありがとうございますっ……! ミラがいなくなったらと思うと恐ろしくて恐ろしくて……本当に良かった……」

 まったく、今日はよくお礼を言われる日だ。
 あの後すぐに運び込まれてきた冒険者の女性の治療をすることになったんだけど、無事それが終わった後、彼女のパートナーと言うか恋人の男性が涙を流しながら私に頭を下げているところだ。

 確かに彼女は肩から腰に掛けて大きな切り傷を受けていて意識不明の重体だったけれど、幸い傷口は毒や感染症、呪いの魔術などに侵されていなかったから問題なく治療することができた。
 残念ながら体に深い傷跡が残ってしまうけれど、それでも命あっての体だ。
 彼はただ素直に喜び、感謝してくれた。

「ルイナさんは本当に凄いですね。あれほどの傷の治療をしておいてなおピンピンしてるだなんて……私でしたらマナ不足で倒れちゃいそうですよぉ」

 同席していた職員さんにも褒められた。
 私は生まれつきマナが多い方らしく、しかも幼い頃からマナを増やす訓練を続けていたお陰で保有量にはかなりの自信がある。
 回復魔法は人体に直接干渉する魔法だからかなりマナの消費が荒いので、普通は複数人で治療するか、マナを貯蔵した器具を用いるんだよね。

 だからそれらに頼らずに一人で治療できる私はかなりの異常者らしいんだけど、ここの人たちは単純に腕のいい回復術師として尊敬の目を向けてくれる。

「やっぱりこういうところの方が息が詰まらなくていいなぁ」

 その後、状態が比較的マシな容体だった2人の患者さんを治療してからようやく解放された私は、屋上で一人呟いた。
 貴族社会と言うのは本心を胸に押し込め、舞台で徹底的に“貴族”を演じる戦場だ。
 だから褒められたり感謝されたりしても、その奥底では黒いことを考えているなんて当たり前。
 誰も信用してはならない。言葉をまっすぐ受け取ってはならない。
 子供のころからそう教えられてきた。

 もちろん、私自身もその一人だ。
 どれだけ嫌な思いをしても、本当は言いたいことがあっても、その本心をぐっと押し込んで笑顔で“はい”と頷いてきた。
 精一杯笑って誤魔化して、波風を立てないように生きてきた。

 だけどここはまっすぐ生きる人たちが集まる場所。
 感謝の言葉や誉め言葉に余計な意味を考えなくてもいい場所だ。
 もちろん中には碌でもないことを考えている人もいるかもしれないけれど、ほとんどの人は素直に本心をぶつけてくれる。

 もし私が回復魔法という“価値”がなかったら。
 もし私が平民の世界そとで認められる場所がなかったら。

 きっと私は自分を見失って、おかしくなっていただろう。
 ルイナ・ハーキュリーは政略結婚で臨まぬ結婚をするも、寵愛を得られず、誰にも心を開けず、その一生を孤独に蝕まれて死んでいく。
 そんな“もしも”の未来を考えると、恐ろしくて仕方がない。

 だからこそバークスさんや教会の子供たち、それにここの院長などには感謝してもしきれないんだ。
 だからこそ、旦那様に愛を貰えなくたって、私は生きていけるんだ。
 誰かの命を救うことができるこの両手が、たくさんの温かい繋がりを作ってくれるから。

 私は今日も笑って一日を終えられる。

「なんだ。こんなところにいたのか、ルイナ嬢」

「エヴァン殿下! その、お体は……?」

「お陰様で随分と回復した。こうして出歩けるくらいにはな」

 夕日を眺めながら思考に耽っていたところに病衣でその身を包んだエヴァン殿下が現れ、声をかけてきた。
 彼は当然のように私の隣へ歩いてきて、私と同じように鉄柵に腕を置く。
 さっきまでのボロボロ具合とは一転して清潔な身なりとなったエヴァン殿下は、先ほどまでの戦士然とした様子とは全く違う。
 だけどしばらくの間、お互い言葉が見つからないまま時間が過ぎた。
 そして沈みかけだった夕日がようやく今日の役目を終えようとするタイミングで、殿下はその沈黙を破った。

「……オレは今日、死んだと思った。いや、死んでいい・・・・・と思っていたんだ」

「えっ……?」

「大切な兄さんを失いかけたあの日から、オレはひたすら強くなることを望んだ。今度こそ大切な人を失わないように、戦える力を」

「…………」

「少し長くなるが、聞いてくれないか。今は無性にも誰かに話したい。そんな気分なんだ」

 エヴァン殿下はどこか遠い目をしながら、鼻息を軽く吐き出して私に問いかけた。
 私は無言で頷いた。
 何を語りだすのか分からなかったけれど、不思議と殿下が隣にいるこの状況を悪くないと思ってしまったから。
 満足がいくまで、話を聞いてあげよう。

 それから殿下は語り始めた。
 幼少期の自分の身に起きた事件のこと。
 それがトラウマになって、その辛さから逃れるためにただひたすら強さを求めて生きてきたこと。
 そして今日、強大な敵ドラゴンと闘い、死を受け入れようとしたこと。

 殿下が語った事件は私も記憶に残っている。
 第一王子ヴィレム殿下襲撃事件。
 当時の貴族界にかなりの衝撃を与えた大事件だ。

 と言ってもまだ幼かった私にはそれほど強い興味はなく、事実として知っているだけにすぎないけど。
 確か次期国王の候補として有力であった若き王弟殿下を押し上げようとする狂信的な貴族の手の者によって実行された事件と聞いている。
 その結果、ヴィレム王子は何とか一命を取り留めるも体に重い障害を背負ってしまった。

 まだ10歳だった殿下が目の前でお兄様ヴィレム殿下が死にかける様を見せつけられたら、そりゃあトラウマになって当然だろう。
 だらけ者で全く注目されていなかった第三王子殿下の評価が変化し始めたのも、ちょうどこの事件の後からだった。

 第三王子殿下は武に優れ、強き心を持つ。いずれ我が国を危機から護る英雄となるだろう。
 第三王子殿下こそ我が国を導く次期国王に相応しいのではないか。

 とまで言われていたのを思い出した。

「オレは国王の座なんてどうでもよかった。ただ、兄さんを護れる力があれば、それでよかった。兄さんを護って死ねる日が来れば本望だとさえ思っていた」

 それだけがオレが望む生き方だったから、と殿下は続けた。

「だからあの時オレはもう死んでいたはずだったんだ。暗闇の中に閉じ込められて、体の感覚もすべて失って。直接的じゃあなかったけど、国のために、兄さんたちのために戦った結果、オレは死んだんだなって受け入れようとした」

 それはきっと、私が懸命に治療している時の記憶。
 その時の殿下に意識はなかったけれど、もしかしたら走馬灯のような夢でも見ていたのかもしれない。

「でも声が聞こえたんだ。何もないはずの真っ暗闇な死の世界で。死んじゃだめだ。生きて。生きるために戦ってと。オレに手を差し伸べてきた」

「――っ!」

「何もかも諦めていたはずの俺に手を伸ばしてくれたんだ。逃げようとしていたオレを導いてくれたんだ」

 それって、もしかして――

「正直、嬉しかった。強さにしか生きる意味を持てなかったオレに、ただ純粋に生きろって言ってくれたこと」

 ああ。私の声、ちゃんと届いていたんだ。

 口にこそ出さなかったけど、あの時私は殿下に生きて欲しいと本気で願っていた。
 私がどれだけ手を長く伸ばしても、肝心の本人がその手を取ってくれなきゃ、私は救う事なんてできない。
 だからマナと一緒に想いをぶつけて呼びかける。

 今はただ、生きるためだけに戦って、と。

「――って、自分で言ってて少し気恥しいな。少々話過ぎてしまったか。でも感謝しているのは本当だ。拾い上げてもらったこの命の使い方、今は少し休みながら改めてゆっくり考えてみようと思う」

「エヴァン殿下……」

「長話に突き合わせて悪かったな。オレは一旦病室に戻ろう」

 そう言って殿下はくるりと柵に背を向け、ゆっくりと歩き出した。
 私は自然と口角が上がったのを感じた。
 だからその背中に向かって声を上げた。

「殿下!」

 そう呼びかけると、足が止まり、こちらへと振り返った。

「殿下があのまま目を覚まさなかったら、私はきっととても悲しくなっていました。それはきっと、殿下のお兄様も同じです。死んでしまったら取り返しがつかないから。大切な人を傷つけてしまうから……」

 私の脳裏に、過去の記憶がフラッシュバックする。
 私が救えなかった命――目の前で死んでしまった、あの辛い光景が。

「殿下ならきっと、見つけられるはずです! 今日見つからなくても明日に。明日見つからなかったら明後日に。生きていればいつかきっと、何かが見つかるはずです」

「ルイナ嬢……」

「見つかるといいですね。素敵な答え」

「……ああ」

 きっと今の私の顔は真っ赤に染まっているだろう。
 だけどそれは沈みかけの夕日のせいだ。
 だから決して目は逸らさない。まっすぐ想いをぶつけるんだ。

「やはりキミ・・はいい女だな。いつか本気で――」

「えっ?」

「いや、なんでもない。それじゃあ、また」

 最後に何か、殿下が言ったような気がしたけれど。
 たまたま強く吹いた風にかき消されて私の耳には届かなかった。

しおりを挟む
感想 47

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

好きだと伝えたら、一旦保留って言われて、考えた。

さこの
恋愛
「好きなの」 とうとう告白をした。 子供の頃からずっーと好きだったから。学園に入学する前に気持ちを伝えた。 ほぼ毎日会っている私と彼。家同士も付き合いはあるし貴族の派閥も同じ。 学園に入る頃には婚約をしている子たちも増えるっていうし、両親に言う前に気持ちを伝えた。 まずは気持ちを知ってもらいたかったから。 「知ってる」 やっぱり! だってちゃんと告白したのは今日が初めてだけど、態度には出ていたと思うから、知られてて当然なのかも。 「私の事どう思っている?」 「うーん。嫌いじゃないけど、一旦保留」  保留って何?  30話程で終わります。ゆるい設定です!  ホットランキング入りありがとうございます!ペコリ(⋆ᵕᴗᵕ⋆).+2021/10/22

悪役令嬢の破滅フラグ?転生者だらけの陰謀劇!勝者は誰だ

藤原遊
恋愛
悪役令嬢の破滅フラグを回避するためには 平凡な人生を夢見ていたはずの私、レティシア・ド・ベルクレア。ある日気づけば、乙女ゲームの悪役令嬢として転生していた。金髪碧眼、学園一の美貌を誇る“悪役令嬢”なんて、何の冗談? ゲームのシナリオ通りなら、ヒロインをいじめ抜いた私は婚約破棄され、破滅する運命。それだけは絶対に避けなければならない。 ところが、学園中に広まる悪評は、どこかおかしい――まるで誰かが意図的に私を“悪役”に仕立て上げているかのよう。元婚約者である王太子アルフォンスや、謎めいた青年リシャールと手を組み、陰謀を暴こうとするうちに、恐るべき計画が明らかになる。 黒幕の華やかな笑顔の裏に潜むその真の目的は、貴族社会を崩壊させ、この国を平民革命へと導くこと。私を“悪役”に仕立て上げることで、彼女の計画は完成するらしいけれど……そんな筋書き、従うつもりはないわ! この物語の舞台は私が選ぶ! 敵か味方かも分からない彼らと共に、悪役令嬢と呼ばれた令嬢が運命に抗う、波乱万丈の学園ファンタジー!

こんにちは、女嫌いの旦那様!……あれ?

夕立悠理
恋愛
リミカ・ブラウンは前世の記憶があること以外は、いたって普通の伯爵令嬢だ。そんな彼女はある日、超がつくほど女嫌いで有名なチェスター・ロペス公爵と結婚することになる。  しかし、女嫌いのはずのチェスターはリミカのことを溺愛し──!? ※小説家になろう様にも掲載しています ※主人公が肉食系かも?

そんなに嫌いなら、私は消えることを選びます。

秋月一花
恋愛
「お前はいつものろまで、クズで、私の引き立て役なのよ、お姉様」  私を蔑む視線を向けて、双子の妹がそう言った。 「本当、お前と違ってジュリーは賢くて、裁縫も刺繍も天才的だよ」  愛しそうな表情を浮かべて、妹を抱きしめるお父様。 「――あなたは、この家に要らないのよ」  扇子で私の頬を叩くお母様。  ……そんなに私のことが嫌いなら、消えることを選びます。    消えた先で、私は『愛』を知ることが出来た。

新婚なのに旦那様と会えません〜公爵夫人は宮廷魔術師〜

秋月乃衣
恋愛
ルクセイア公爵家の美形当主アレクセルの元に、嫁ぐこととなった宮廷魔術師シルヴィア。 宮廷魔術師を辞めたくないシルヴィアにとって、仕事は続けたままで良いとの好条件。 だけど新婚なのに旦那様に中々会えず、すれ違い結婚生活。旦那様には愛人がいるという噂も!? ※魔法のある特殊な世界なので公爵夫人がお仕事しています。

【本編完結】婚約破棄されて嫁いだ先の旦那様は、結婚翌日に私が妻だと気づいたようです

八重
恋愛
社交界で『稀代の歌姫』の名で知られ、王太子の婚約者でもあったエリーヌ・ブランシェ。 皆の憧れの的だった彼女はある夜会の日、親友で同じ歌手だったロラに嫉妬され、彼女の陰謀で歌声を失った── ロラに婚約者も奪われ、歌声も失い、さらに冤罪をかけられて牢屋に入れられる。 そして王太子の命によりエリーヌは、『毒公爵』と悪名高いアンリ・エマニュエル公爵のもとへと嫁ぐことになる。 仕事を理由に初日の挨拶もすっぽかされるエリーヌ。 婚約者を失ったばかりだったため、そっと夫を支えていけばいい、愛されなくてもそれで構わない。 エリーヌはそう思っていたのに……。 翌日廊下で会った後にアンリの態度が急変!! 「この娘は誰だ?」 「アンリ様の奥様、エリーヌ様でございます」 「僕は、結婚したのか?」 側近の言葉も仕事に夢中で聞き流してしまっていたアンリは、自分が結婚したことに気づいていなかった。 自分にこんなにも魅力的で可愛い奥さんが出来たことを知り、アンリの溺愛と好き好き攻撃が止まらなくなり──?! ■恋愛に初々しい夫婦の溺愛甘々シンデレラストーリー。 親友に騙されて恋人を奪われたエリーヌが、政略結婚をきっかけにベタ甘に溺愛されて幸せになるお話。 ※他サイトでも投稿中で、『小説家になろう』先行公開です

もう尽くして耐えるのは辞めます!!

月居 結深
恋愛
 国のために決められた婚約者。私は彼のことが好きだったけど、彼が恋したのは第二皇女殿下。振り向いて欲しくて努力したけど、無駄だったみたい。  婚約者に蔑ろにされて、それを令嬢達に蔑まれて。もう耐えられない。私は我慢してきた。国のため、身を粉にしてきた。  こんなにも報われないのなら、自由になってもいいでしょう?  小説家になろうの方でも公開しています。 2024/08/27  なろうと合わせるために、ちょこちょこいじりました。大筋は変わっていません。

処理中です...