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活動記録その一
迷い猫のトラさん(4)
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より静かな場所だった。耳が痛くなるほどの無音。それだけでなく、皮膚が何かに圧倒されている。
畏怖。
二人のように力を持たない雅にも、この超常的な空間は畏れを覚えさせる。呼吸をするのも憚られるような何かがある。
歩いているうちに、獣道は、人の足によって作られたような道になっていった。その道を導かれるようにして進むと、開けた場所に出た。いつのまにか山頂に辿り着いていたらしい。そこからさきには道はなく、上り坂もない。壁のように伸びた木々の隙間から空が見える。あちらまで行けばきっと麓を見渡せるだろう。しかしそれも憚られる気配があった。
木々もなく、広場のようになった中央に、巨大な石があった。高さは四メートルを超えており、歪な丸をしていた。その前に、虎のような横縞模様が背に入った猫の姿がある。ちょこんと座っている。
あっ、と雅が一歩踏み出したとき、何か妙な声が聞こえてきた。低くおどろおどろしい、何を言っているのかわからないが、経を唱えているような声が重なっていく。
「あぶねえから下がってろ」
雅の前に全が出て、雅のことを下がらせた。
「でも、猫ちゃんが」「わかってる、だがまだだ」
全がウインクして、息を吐くと、ずかずかと前に出ていった。
雅が下がると、経を唱えるような声が遠くなっていく。どうやら、自分の目の前には見えないラインがあって、その向こうに行くとより一層聞こえるようだ。きっと今、全には経を唱えるような声が聞こえ続けているのだろう。
南雲が雅の横についた。そして全の背を見ていた。
「ようトラ。元気か?」
トラがびくりと動いたのち、また座りなおした。
「元気かって聞いてんだよ、元気なのか?なんだってこんなところにいんだよ。帰ろうぜ、キヌさん、心配してんぞ」
トラがひとつ鳴いた。
「はあ?だから、キヌさん心配してんだって。お前まさか、キヌさんここまで連れてこいってか?」
トラがまたひとつ鳴き、またひとつ鳴いた。
「あのなあ、帰りたいなら帰ろうよ。なんで帰れねえのさ」
少し黙った後、トラが弱く鳴いた。
「大丈夫だよ、俺たちがなんとかしてやっから」
全がにかりと笑った。そのとき、三人に地を這うような声が聞こえた。
「其ノモノハ我ガ贄ト成ッタ」
突然聞こえたおそろしい声に雅はびくりと体を震わせた。南雲はそのそばで石を睨んでいた。
「願イヲ聞キ届ケシ代償。契約ハ果タサレル」
「ようやく喋ったかと思ったらなんだてめえ、石の分際で」
「貴様コソ分ヲ弁エヨ。我ハ神の一柱ーー米穂付之大山石之神デアル」
「知るかよ。お前、願いを叶えたのか」
「願イヲ聞キーー」「うるせえてめえじゃねえ。トラ、おい、トラ!」
石の神が話す中、全はトラに話しかけた。あまりの恐れ多さに雅は唖然とした。曲りなりにも神様に、うるせえ、てめえと宣うなんて。
「トラ、教えろ。お前、何を願って、何を叶えてもらった」
「我ガ贄ト成ーー」「だからうっせえっつうんだよ。少しは石らしく黙ってろ」
トラが怯えているように喉を鳴らす。それから弱々しく、長く、とても長く鳴いた。
全がそれに合わせて息を吸い、トラを強く見つめた。息を吐いていく。
「頼んだんだ。じいさんを少しでも長生きさせてくれって。じいさん恩人だから。一緒に育ててくれたばあさんが、いっつも悲しそうなんだ。だから頼んだんだ。長生きさせてくれって。一緒にいさせてくれって」
いままで聞いたことのない声だった。雅が驚いていると、隣で南雲が舌打ちした。その顔は冷たい、ひどく冷たい怒りに満ちていた。
この猫のような声はトラの声だろうか。
「かなえてもらったんだ。俺にはよくわからないけど、かなえてもらったから。それに、ばあさん俺見ると泣くんだ。じいさんじいさんって」
そこで声は途絶えた。
「あー!疲れた!」肩で呼吸をして全は叫んだ。
「で、お前はどうしたいんだよ。帰りたいの?それとも帰りたくねえの?帰りたくねえならいいさ。キヌさんには俺がちゃんと伝えとくから」
トラがひと鳴きした。
「ほんとだって。俺、お前の言葉分かってんだろ?」
さらにトラがひと鳴きした。
「今気づいたのかよ。あほだねえ。まったく、で、どうしたい?」
トラが泣いた。全が微笑んだ。
「じゃあ帰ろう、キヌさん、待ってっから」
「其レハ許サレヌ」
「うるせえなあ、石野郎。おめえ、どれだけ助けたんだよ?」
「我ハ神デアル。願イトハ全テヲ叶得ルコト能ワズ」
「お前さあ……」
「詐欺師だな」
全は怒りに震えた。冷たい声で南雲が言った。
「すまないが、俺も離れる」
雅にそう断りを入れた。雅はおずおずと頷いた。
「そんなに怯えることはない。呪詛のように声が聞こえているだろうが、まやかしだ。それに、準備をしていてくれ。きっと君の力が必要になる」
「私の?」
「ああ、頼んだ」
南雲が石に向かって歩いていく。ちょっと、と呼び止めたかった。雅の力とはなんだろう。二人が特殊だからって勘違いされていないだろうか。
「待たせた」
「おお、ようやくか。じゃ、あとは頼むわ」
「そのままトラを連れていけ」
「お、余裕な感じ?」
「ああ。この程度ならば雅に害はないだろう」
「おっけ、じゃあ行くぜ」
二人は石に対峙した。
「さあて、石野郎、てめえをなしのつぶてにしてやんぜ」
「人間ガ神二盾突クトハ愚カ也」
「貴様は神などではない」
南雲が言い捨てる。全が駆けだした。怯えるトラに近づくと、抱きしめようとした。驚いてトラが走り出す。
「ばっかてめえ逃げんじゃねえ!雅!」
「はい!」雅が走ってトラの前に回り込んだ。
「おいで」トラが怯えながら、跳んだ。雅が胸にトラを抱きしめる。
「色気づきやがって!俺も抱きしめられてえ!」「邪魔だ」
「すんませーん」
全が石の前から走ってずれた。そのまま雅のところへ行って、誘導する。
「一応、な。ちっと離れとけ」
「我ガ神足ル信仰ヲ人間如キガ奪スルカ」
「何度も言わせるな。貴様は神ではない」「愚カ也」
「そう、貴様は愚かだ。愚かな鬼だ」
南雲が歯を噛みしめて、石を強く睨んだ。
「現世の理を見抜いて、真実を見届けん。瞳理は我にあり」
南雲の紺桔梗の目が光った。
刹那。地が揺れた。大気が揺れて、木々が凪ぐ。軋み上げる音がする。
「!?!?……ナ……二……!?!?」
石に無数の罅が入っていく。亀裂は瞬く間に至る所でつながった。
「”悪鬼羅刹を許さず”--南雲家の家訓だ。文句があるなら、俺の目を見て物を言え」
言い切ると、より強く睨みを効かせた。
鼓膜を破らんばかりの断末魔が辺りに響いた。離れたところにいた雅はその恐ろしさに耳を塞ぎたかった。しかし胸元でトラを抱きかかえているから出来ず、せめて、と顔を背けた。雅の前に全が出て、彼女とトラのことを守るようにした。
つながった無数の亀裂は深みを増していき、瞬間だった。
巨大な石は礫に砕けて散った。
あまりにも想像を超える出来事だった。呆然としている雅の肩を叩き、全が微笑んだ。
「終わったぜ」
南雲は無数の礫の中から一つを取り上げて、冷たい目で見た。その目はもう光ってはいない。
「お前が願いをかなえようと努力したことは認める。しかし、身の丈に合ったことをすることだ。願いも、贄もな」
言って南雲が小石を上に放り投げた。それを今度は全が掴んだ。
「よかったな、消されなくて。まあなんだ。身に染みたろ?お前はどうしたいんだ?」
何度か全が頷いた。
「ガンちゃんの言葉を借りりゃあ、これもまた何かの縁だよな」
言って、全は小石をポケットに突っ込んだ。
「あ?てめえ捨ててくぞ」
ポケットに脅して聞かせる。なんと物騒な、と雅は笑った。その胸でトラが鳴く。
「ああ、もう大丈夫だ。しっかしトラ、お前拾われて数年で家出なんてすんじゃねえよ。ちゃんと、キヌさんに謝ろうな」
トラが強く鳴いた。それを聞いて、なぜか雅は嬉しくなった。
三人が山を下り、風沼キヌの家に着いたころには十九時を回っていた。キヌは物腰の柔和な人だった。
三人はあがらせてもらって、ことの詳細をある程度包み隠して全が説明した。
キヌが大事そうにトラを撫でる。トラは幸せそうだった。
いたく感動したキヌがあれやこれやとお土産をくれて、むしろ三人が遠慮して申し訳なくなるほどだった。
それから三人は線香をあげさせてもらって、家を後にした。
三人の姿を、キヌは頭を下げて見送った。その間、トラは鳴いていた。
「トラちゃん、なんて言ってたんですか?」
歩きながら雅が全に訊ねる。
「なんとなく予想つくだろ?」
全がにかりと笑う。
「ありがとうだってさ」
三人はそれぞれに帰路につく。
すごい体験をした。きっとクラスメイトたちはこんなゴールデンウィークを過ごしたことはないだろうし、今後だって過ごすことはないかもしれない。とても、有意義な時間だった。当然、いまだに信じられないこともたくさんあるが。それでも、この目で見て、この耳で聞いたことは事実だった。思い出すだけでドキドキする。
一人の家に帰ると、すでに両親は帰ってきていた。どうして、と思っていると、家族三人で過ごしたいのだと言われた。まんざらでもない様子で、雅は母の料理が並ぶ食卓に向かった。
それからいつものように時は流れて、湯船に浸かったとき、ふとトラとキヌの姿を思い出して、少しだけ、雅は全を羨ましく思った。
畏怖。
二人のように力を持たない雅にも、この超常的な空間は畏れを覚えさせる。呼吸をするのも憚られるような何かがある。
歩いているうちに、獣道は、人の足によって作られたような道になっていった。その道を導かれるようにして進むと、開けた場所に出た。いつのまにか山頂に辿り着いていたらしい。そこからさきには道はなく、上り坂もない。壁のように伸びた木々の隙間から空が見える。あちらまで行けばきっと麓を見渡せるだろう。しかしそれも憚られる気配があった。
木々もなく、広場のようになった中央に、巨大な石があった。高さは四メートルを超えており、歪な丸をしていた。その前に、虎のような横縞模様が背に入った猫の姿がある。ちょこんと座っている。
あっ、と雅が一歩踏み出したとき、何か妙な声が聞こえてきた。低くおどろおどろしい、何を言っているのかわからないが、経を唱えているような声が重なっていく。
「あぶねえから下がってろ」
雅の前に全が出て、雅のことを下がらせた。
「でも、猫ちゃんが」「わかってる、だがまだだ」
全がウインクして、息を吐くと、ずかずかと前に出ていった。
雅が下がると、経を唱えるような声が遠くなっていく。どうやら、自分の目の前には見えないラインがあって、その向こうに行くとより一層聞こえるようだ。きっと今、全には経を唱えるような声が聞こえ続けているのだろう。
南雲が雅の横についた。そして全の背を見ていた。
「ようトラ。元気か?」
トラがびくりと動いたのち、また座りなおした。
「元気かって聞いてんだよ、元気なのか?なんだってこんなところにいんだよ。帰ろうぜ、キヌさん、心配してんぞ」
トラがひとつ鳴いた。
「はあ?だから、キヌさん心配してんだって。お前まさか、キヌさんここまで連れてこいってか?」
トラがまたひとつ鳴き、またひとつ鳴いた。
「あのなあ、帰りたいなら帰ろうよ。なんで帰れねえのさ」
少し黙った後、トラが弱く鳴いた。
「大丈夫だよ、俺たちがなんとかしてやっから」
全がにかりと笑った。そのとき、三人に地を這うような声が聞こえた。
「其ノモノハ我ガ贄ト成ッタ」
突然聞こえたおそろしい声に雅はびくりと体を震わせた。南雲はそのそばで石を睨んでいた。
「願イヲ聞キ届ケシ代償。契約ハ果タサレル」
「ようやく喋ったかと思ったらなんだてめえ、石の分際で」
「貴様コソ分ヲ弁エヨ。我ハ神の一柱ーー米穂付之大山石之神デアル」
「知るかよ。お前、願いを叶えたのか」
「願イヲ聞キーー」「うるせえてめえじゃねえ。トラ、おい、トラ!」
石の神が話す中、全はトラに話しかけた。あまりの恐れ多さに雅は唖然とした。曲りなりにも神様に、うるせえ、てめえと宣うなんて。
「トラ、教えろ。お前、何を願って、何を叶えてもらった」
「我ガ贄ト成ーー」「だからうっせえっつうんだよ。少しは石らしく黙ってろ」
トラが怯えているように喉を鳴らす。それから弱々しく、長く、とても長く鳴いた。
全がそれに合わせて息を吸い、トラを強く見つめた。息を吐いていく。
「頼んだんだ。じいさんを少しでも長生きさせてくれって。じいさん恩人だから。一緒に育ててくれたばあさんが、いっつも悲しそうなんだ。だから頼んだんだ。長生きさせてくれって。一緒にいさせてくれって」
いままで聞いたことのない声だった。雅が驚いていると、隣で南雲が舌打ちした。その顔は冷たい、ひどく冷たい怒りに満ちていた。
この猫のような声はトラの声だろうか。
「かなえてもらったんだ。俺にはよくわからないけど、かなえてもらったから。それに、ばあさん俺見ると泣くんだ。じいさんじいさんって」
そこで声は途絶えた。
「あー!疲れた!」肩で呼吸をして全は叫んだ。
「で、お前はどうしたいんだよ。帰りたいの?それとも帰りたくねえの?帰りたくねえならいいさ。キヌさんには俺がちゃんと伝えとくから」
トラがひと鳴きした。
「ほんとだって。俺、お前の言葉分かってんだろ?」
さらにトラがひと鳴きした。
「今気づいたのかよ。あほだねえ。まったく、で、どうしたい?」
トラが泣いた。全が微笑んだ。
「じゃあ帰ろう、キヌさん、待ってっから」
「其レハ許サレヌ」
「うるせえなあ、石野郎。おめえ、どれだけ助けたんだよ?」
「我ハ神デアル。願イトハ全テヲ叶得ルコト能ワズ」
「お前さあ……」
「詐欺師だな」
全は怒りに震えた。冷たい声で南雲が言った。
「すまないが、俺も離れる」
雅にそう断りを入れた。雅はおずおずと頷いた。
「そんなに怯えることはない。呪詛のように声が聞こえているだろうが、まやかしだ。それに、準備をしていてくれ。きっと君の力が必要になる」
「私の?」
「ああ、頼んだ」
南雲が石に向かって歩いていく。ちょっと、と呼び止めたかった。雅の力とはなんだろう。二人が特殊だからって勘違いされていないだろうか。
「待たせた」
「おお、ようやくか。じゃ、あとは頼むわ」
「そのままトラを連れていけ」
「お、余裕な感じ?」
「ああ。この程度ならば雅に害はないだろう」
「おっけ、じゃあ行くぜ」
二人は石に対峙した。
「さあて、石野郎、てめえをなしのつぶてにしてやんぜ」
「人間ガ神二盾突クトハ愚カ也」
「貴様は神などではない」
南雲が言い捨てる。全が駆けだした。怯えるトラに近づくと、抱きしめようとした。驚いてトラが走り出す。
「ばっかてめえ逃げんじゃねえ!雅!」
「はい!」雅が走ってトラの前に回り込んだ。
「おいで」トラが怯えながら、跳んだ。雅が胸にトラを抱きしめる。
「色気づきやがって!俺も抱きしめられてえ!」「邪魔だ」
「すんませーん」
全が石の前から走ってずれた。そのまま雅のところへ行って、誘導する。
「一応、な。ちっと離れとけ」
「我ガ神足ル信仰ヲ人間如キガ奪スルカ」
「何度も言わせるな。貴様は神ではない」「愚カ也」
「そう、貴様は愚かだ。愚かな鬼だ」
南雲が歯を噛みしめて、石を強く睨んだ。
「現世の理を見抜いて、真実を見届けん。瞳理は我にあり」
南雲の紺桔梗の目が光った。
刹那。地が揺れた。大気が揺れて、木々が凪ぐ。軋み上げる音がする。
「!?!?……ナ……二……!?!?」
石に無数の罅が入っていく。亀裂は瞬く間に至る所でつながった。
「”悪鬼羅刹を許さず”--南雲家の家訓だ。文句があるなら、俺の目を見て物を言え」
言い切ると、より強く睨みを効かせた。
鼓膜を破らんばかりの断末魔が辺りに響いた。離れたところにいた雅はその恐ろしさに耳を塞ぎたかった。しかし胸元でトラを抱きかかえているから出来ず、せめて、と顔を背けた。雅の前に全が出て、彼女とトラのことを守るようにした。
つながった無数の亀裂は深みを増していき、瞬間だった。
巨大な石は礫に砕けて散った。
あまりにも想像を超える出来事だった。呆然としている雅の肩を叩き、全が微笑んだ。
「終わったぜ」
南雲は無数の礫の中から一つを取り上げて、冷たい目で見た。その目はもう光ってはいない。
「お前が願いをかなえようと努力したことは認める。しかし、身の丈に合ったことをすることだ。願いも、贄もな」
言って南雲が小石を上に放り投げた。それを今度は全が掴んだ。
「よかったな、消されなくて。まあなんだ。身に染みたろ?お前はどうしたいんだ?」
何度か全が頷いた。
「ガンちゃんの言葉を借りりゃあ、これもまた何かの縁だよな」
言って、全は小石をポケットに突っ込んだ。
「あ?てめえ捨ててくぞ」
ポケットに脅して聞かせる。なんと物騒な、と雅は笑った。その胸でトラが鳴く。
「ああ、もう大丈夫だ。しっかしトラ、お前拾われて数年で家出なんてすんじゃねえよ。ちゃんと、キヌさんに謝ろうな」
トラが強く鳴いた。それを聞いて、なぜか雅は嬉しくなった。
三人が山を下り、風沼キヌの家に着いたころには十九時を回っていた。キヌは物腰の柔和な人だった。
三人はあがらせてもらって、ことの詳細をある程度包み隠して全が説明した。
キヌが大事そうにトラを撫でる。トラは幸せそうだった。
いたく感動したキヌがあれやこれやとお土産をくれて、むしろ三人が遠慮して申し訳なくなるほどだった。
それから三人は線香をあげさせてもらって、家を後にした。
三人の姿を、キヌは頭を下げて見送った。その間、トラは鳴いていた。
「トラちゃん、なんて言ってたんですか?」
歩きながら雅が全に訊ねる。
「なんとなく予想つくだろ?」
全がにかりと笑う。
「ありがとうだってさ」
三人はそれぞれに帰路につく。
すごい体験をした。きっとクラスメイトたちはこんなゴールデンウィークを過ごしたことはないだろうし、今後だって過ごすことはないかもしれない。とても、有意義な時間だった。当然、いまだに信じられないこともたくさんあるが。それでも、この目で見て、この耳で聞いたことは事実だった。思い出すだけでドキドキする。
一人の家に帰ると、すでに両親は帰ってきていた。どうして、と思っていると、家族三人で過ごしたいのだと言われた。まんざらでもない様子で、雅は母の料理が並ぶ食卓に向かった。
それからいつものように時は流れて、湯船に浸かったとき、ふとトラとキヌの姿を思い出して、少しだけ、雅は全を羨ましく思った。
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