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第9話 演奏会

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「仕事、終了」
 
 いやぁ、今日もお疲れ様でした。封土の経済状況をまとめる作業は、いつやっても疲れてしまう。それがまだ、黒字だったいいのだけどね? ここの領民は真面目な人が多いから、その税金を誤魔化す人も少ない。たまにいたとしても、ある種の罪悪感を抱いてしまうのか? 俺が備忘録の計算式を睨んでいる中で、俺に「ごめんなさい。今回は、急な出費ができてしまいまして。金納が遅れてしまいました」と謝ってくる人もいた。「これからは、納期にちゃんと間に合わせます」と言ってね。館の中から出ていく。あるいは後日、お詫びの品を持ってきたりもする。俺としては「それ」が心苦しくもあったが、家の召使いは「貴方のお気持ちも分かりますが、これは彼等の義務です。この封土で生きる以上は、当然に生まれてくる義務。それを怠るのは、領民としての生を怠けているのと同じです」と言って、俺に「それ」の必要性を説いてきた。
 
 俺は、その言葉に渋々とうなずいた。その言葉がもっともだったからである。領主の俺が甘くなったところで、彼等の待遇がよくなるわけではない。その身分もなくなって、あらゆる人間が平らになるわけでもない。一時の救いを得るだけだ。「自分達は、本当の人間になったのだ」と、そう内心で喜ぶだけである。実際は、何の不平等もなくなっていないのに。目の前の開放感に浸って、その真実から目を背けてしまうのだ。それは、不幸以外の何モノでもない。人間は(俺の場合は領主だが)、何かしらの力に縛られている。誰かの造った道を歩かされている。それを造った人に都合がいい、真っ暗な一本道を。

 だが、大抵の人は「それ」に気づいていない。あるいは仮に気づいていたとしても、「それ」に抗う方法が見つからず、一人、また一人と落ちていき、最後には少ない人間しか残らないのだ。その少ない人間ですら、そこから抜けだす方法が見つけられず、挙げ句は思考停止に陥ってしまうのである。「こんな事を頑張っても無駄だ」と言う感じにね? 彼等は頭の方もいいから、すぐに「やっぱり止めよう」と諦められるのだ。まるで自分の人生からはみでるように、社会の国道を歩きだしてしまうのである。俺には、その光景がどうしても耐えられなかった。

「俺は、社会の国道を歩いているんじゃない。自分の私道を歩いているんだ。自分だけしか歩けない、たった一つの私道を」

 だが、それでも自分だけが生きているわけではない。その身分がどんなに偉くても、自分の周りには人がたくさんいる。それらの人達によって、自分の道が支えられている。その意識がたとえ、自分にはなかったとしても。大勢の人が「それ」を支えて、「自分」と言う存在を造っているのだ。その事実だけは、どう頑張っても変えられない。「自分一人だけで生きている」と思っている奴は、(余程の強運でなければ)周りの人々から疎まれ、蔑まれ、罵られてしまうのである。俺がこうして自分の好きな事をやられるのも、家の召使い達がいてくれるからであり、この封土が保たれているのもまた、真面目な領民達がその税を納めてくれているからだ。

 それらがもし、崩れてしまったら? この封土はたぶん、あっと言う間に終わってしまう。今までの経済循環が崩れて、その財政がすぐに倒れてしまうのだ。封土の財政が崩れれば、あらゆる領民達が困ってしまう。それらを統べている俺も、地獄の底に落ちてしまうのだ。そうなったら、一巻の終わりである。だから、そうならないためにも……。封土の領民達は、大切にしなければならない。彼等の労を労うためにも、領主の俺ができる事をしなければならない。今日の趣味(と言っていいのかは、微妙だが)も、その思いから「やろう」と決めた事だった。

 その演奏会に呼ぶ客達はもちろん、ここの領民達だ。彼等の仕事が終わるだろう時刻、明日の休日に「ホッ」とする時間帯を選んで、「来られるだけの領民達を呼ぼう」と言うわけである。この提案には、教会の司祭も「それは、妙案ですね。私も、大賛成です」とうなずいてくれた。司祭は(どうやら)信心深い男であったが、同時にお祭り好きな男でもあったらしい。普段は何処か気難しそうな顔をしているが、この時ばかりは子どものような顔で笑っていた。「演奏会の段取りは、私もご協力させて頂きます」の言葉にも、その興奮がありありと浮かんでいる。彼は「協力」の域を超えて、俺が教会の扉をまた叩いた時にはもう、演奏会の日時はおろか、封土の領民達にも「それ」をすっかり伝えきっていた。

「こう言うのは、速い方がいいですから」

 確かにそうかも知れないが。それにしても、凄い行動力だ。言い出しっぺの俺が、ほとんど脇役のような存在になっている。封土の領民達も、俺が発案者である事は分かっている筈なのに。情報の伝わり方が変に歪んでしまったせいで、俺が「それ」を聴いた時にはもう、俺の単独演奏会である筈が、「司祭との共同演奏会」に変わっていた。これには、流石の司祭も苦笑いである。「まさか、こんな事になってしまうなんて」と、少し驚いている感じだった。

「いやはや、まったく。『情報』と言う物は、本当に恐ろしいですね?」

 司祭はそう言って、自分の言葉にまた苦笑いした。

 俺は、その光景に思わず呆れてしまった。

「ああ。でも、これは本当に怖すぎる。誰がどう伝えたら、こうなるんだ?」

「分かりません。ですが」

「ん?」

「その方が楽しいかもしれませんね? 貴方一人でやるよりも、二人の方が盛りあがる。貴方の演奏はどうも、優しすぎますからね? 彼等にはちと、刺激が足りないかも知れません」

「だから、貴方も混ざるのか?」

「そうです。享楽は、地上の幸せですからね? 幸せは、多くの者と分かちあった方がいい」

「確かにそうだけど」

「だけど? なんです?」

「あ、いや、別に。だだ、牧師の言葉とは」

「思えなくて結構。牧師だって、一人の人間ですからね。享楽にふけたい時もあります。『神の使徒』と言うのも、意外と疲れますからね?」

 俺は、その言葉に思わず笑ってしまった。そう言われれば、確かにそうかもしれない。

「大変だな」

「はい。でも、それは」

「ん?」

「貴方だって、同じでしょう?」

 言いかえせなかった。俺も俺で、今の立場に疲れている。周りの人達がどう思っているかは分からないが、俺自身は少なくてもそう思っていた。

「かもね? でも、そこから逃げるわけにはいかない。俺は一応、ここの領主だからな? 領主が自分の封土を捨てたら、そこの領民達は路頭に迷ってしまう。それは、俺としても」

「分かります。お互い、面倒なところで生きていますね?」

「そう、だな。でも」

「はい?」

「貴方はどうして、神の道に入ったんです? そこに入るのは何も、強制ではないのに?」

 司祭はその質問に黙ったが、やがて「クスッ」と笑いだした。その質問は、彼にとって皮肉のようなモノだったのかもしれない。

「見えない世界が好きだったからですよ」

「見えない世界が?」

「そうです、見えない世界が。自分の目だけで見られる世界はつまらない。私は言わば、一種の浪漫趣向なんです。今回の演奏会にうなずいたのも、それが大いに関わっている。質素倹約ばかりの人生では、やはり味気ないですからね? 時には思いきり爆ぜてみたい」

「なるほど」

 その気持ちは、分からなくもない。誰だって、楽しく生きたいに決まっている。ここの封土を預かっている俺も。俺は楽しげな顔で、司祭の横顔に目をやった。

「今夜の演奏会では、何を奏でようか?」

「お利口な曲は、きっと飽きられてしまいます。彼等は、意外と遊び人ですからね? 遊び人には、遊び人にふさわしい曲がある。今夜の演奏曲は」

 それは、特に若者に人気の流行曲だった。

「ピアノは、貴方にお任せします。私は、最新の楽器を使わせて頂きますから」

「最近の楽器?」

「『バイオリン』とか言う弦楽器ですよ。一年くらい前でしょうか? 商人の一人がたまたま売っていましてね。最初は興味がありませんでしたが、つい……。まあ、『衝動買い』と言うモノです。楽器の手入れが、少し大変ですが。それを入れたとしても、凄く良い楽器ですよ? まるで楽器が歌っているようです」

「へぇ、そんな楽器があるんですね? それは、ますます楽しみだ」

 事実、今夜の演奏会は楽しかった。蝋燭の明かりが煌々と光る中で、教会の中に次々と入ってくる観客達。彼等は「演奏会」と言うのが余程に嬉しいのか、若い人達は普段の礼節を忘れて、年寄り達も「それ」に文句を言う事もなく、挙げ句は幼い子供達と一緒になって、楽しそうにはしゃいでいた。

 俺は、その光景に微笑んだ。嬉しい気持ちも当然にあったが、それ以上に「ホッ」とする気持ちの方が強かったからだ。「いざ開いてみたはいいが、彼等の怒りを買ったらどうしよう?」と、そんな不安に震えていたからである。彼等の立場からすれば、こんな演奏会よりも税を軽くしてやった方がずっと嬉しい。日々の暮らしが少しでも楽になって、それぞれに好きな事をできた方がずっと嬉しい筈である。この演奏会ですら、元は彼等の金なのだからね? 自分の金は、自分の好きなように使いたい筈だ。だからこそ、この光景が嬉しい。俺の趣味に文句も言わず、それどころか、俺に「ありがとうございます」と笑いかける光景が。その光景を見て、自分の何かが満たされる事が。どんな幸運にも増して、嬉しい事だった。

「そ、そうか! 喜んでもらえたら、うん!」

 言葉がつまったのはたぶん、自分の涙に意識が奪われたからだろう。俺は両目の涙を拭って、今夜の観客達に「今夜は俺達の演奏会に来てくれて、本当に有り難う御座います」と微笑んだ。

「本当は俺だけでやる筈でしたが、司祭のご厚意により」

「『夢の共演』となりました。領主様と司祭の共演。今夜はきっと、天の神もお熱くなられているでしょう。こんなに面白いお祭りは、なかなかありませんからね」

 司祭は、俺の顔に目をやった。俺も、彼の顔を見かえした。俺達は互いの顔をしばらく見あったが、子どもの一人が「はやくきかせて!」と叫んだので、互いの顔から視線を逸らしあい、一方はオルガンの前へ、もう一方は両手に例の弦楽器を構えた。

 俺は、椅子の上に座った。

「さて」

「はい」

 俺は、鍵盤の上に指を置いた。

「楽しい時間の始まりだ」

「はい!」

 司祭は、自分の楽器を鳴らした。楽器の音色は、美しかった。まるで楽器自体に声がついているかのように。鍵盤の呼吸とも、息がぴったりと合っていた。司祭は弦楽器の歌を奏で、俺も鍵盤の歌を奏でつづけた。そうするのが、本当に楽しかったからである。自分と相手の声が、音色の中に染みこんでいるようで。だから観客達が俺達の演奏に拍手喝采した時も、全身の疲労感すらも忘れて、それ以上の満足感を覚えてしまった。俺達はそれぞれの額に汗を浮かべたまま、興奮覚めやらぬ顔で観客達の前にゆっくりと進みでた。

「ふう」と笑ったのは、司祭。「ふふ」と笑ったのは、俺。

 俺は真面目な顔で、観客達の顔を見わたした。

「みんな、自分の心は満たされたかい?」

 その答えは、「もちろんです!」

「こんな演奏、聴いた事がない。今日は自分の人生で、最高の夜です!」

「そ、そうか。なら、良かった。みんなが喜んでくれたなら、それで」

 俺は司祭の顔にも目をやって、自分の趣味に心からホッとした。いろいろと不安ではあったが、やっぱり開いてよかった。俺は目の前の光景に微笑みつつ、穏やかな顔で明日の事を考えはじめた。

「さて。明日は、何をしようかな?」
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