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フレイムエッジ

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 男は俺の目の前に座ると口を開きかけて……首を横に振った。
 その仕草だけで言えない気持ちを察することができたが、ここで引き下がるわけにはいかない。俺は多分、渦中にいる。何に巻きこまれているかわからないが、知る権利はある。
「あんたと平仁はどんな関係?」
 いくら待っても言う気配のない男に焦れて、俺から尋ねた。
「店の上司と従業員だ。それ以外の関係はない」
 淡々とした答えが返ってきたが、男は目を伏せたまま、渋々といった感じだ。
「上司? でもここまで送り迎えしてくれるのだって、仕事の一環じゃないよな?」
 訊くなり、男は途端に無言になった。これ以上話す気はないらしい。
 口の堅さから信頼できる人物なのだとわかるが、俺にとってはその利点も妨げになる。話を続けても口を割ることはないだろうと踏み、質問の内容を変えた。
「あんたのこと、教えてくれる?」
「知ってどうする?」
 あからさまに嫌な顔をされたので、それすらも教えてくれないのかと残念に思いながら食い下がった。
「ただの興味本位だけど……せめて名前ぐらい教えてもいいんじゃない?」
堤智也つつみともや
 口早に告げられた名前を頭の中で反芻する。そして、俺も自己紹介がまだだと思い名乗った。
「俺は諸富叶人」
「知ってる。沙希さんの息子だろ?」
 驚いて目を剥く。母さんとは同じ職場だろうし知っていて当然だと思ったが、俺のことまで知っているとは考えもしなかった。
「なんで知ってんの? というか、俺だけ知らなかったのかよ」
「沙希さんに子供がいることは内輪で話してたから知ってた。そのときは名前まではわからなかったが……ストーカーのときにお前店にいただろ?」
 派手に立ち回っていたし、あの後平仁に拉致されたので、目撃した人も多いはずだ。頷くと男……智也は鼻の頭を掻いて言いにくそうに続けた。
「それに、東屋さんとお前が番になったときに、そこにいたから俺」
「番って……まさか」
 顔が瞬時に真っ赤になる。顔から火が噴きそうだった。
 あのときは発情期で具合も悪かったし、意識も朦朧としていてあまり覚えていない。もしかして俺を店まで避難させてくれた黒服の男が、智也だったのだろうか。俺と平仁がセックスをしている瞬間にそこにいたのだとしたら……穴があったら入りたいほど恥ずかしい。
「だから、こういう役回りを頼まれたんだけどな……」
 小さく呟かれた言葉に俺は赤くした顔を上げた。
 俺と平仁の関係を知っているから頼まれたというなら、巻きこまれたのは智也のほうになる。それとも、柄の悪い男たちとも知り合いなのだろうか?
「あんたも、平仁がいる……関係者の人?」
「違うと言っている。俺は一般市民だ。もういいだろ。送っていく。あまり長居されても困る」
 智也は勢いよく立ち上がった。これ以上の質問は嫌がられるだろうと判断し、俺も立ち上がる。
 ヘルメットを握り締めた俺は、訊けば訊くほどわからなくなったような気がして、立ちすくんだ。靴を履いた智也がついてこない俺に気づいて振り返った。
「お前は東屋さんだけ信じていればいい。あの人は、ああゆう輩の中じゃ少なくともまもとだし、悪いようにはしない」
 以前生吹に言われた、平仁は『顔と素行は悪いが、性格と頭は悪くない』という言葉を思い出した。少なくとも平仁は生吹や智也から信頼されている。それに、俺を安心させるためにこんなことを言ったのだとしたら、智也も悪い人ではなさそうだった。
 ただ、周りはどうであれ、平仁が信頼するべき人物であると判断できる材料は何もない。発情期に一緒にいてくれても、辛いときに側にいて看病してくれても、それが本質であれ、平仁は俺になんの説明もない。
 多分、今日が訊くチャンスだった。なんというタイミングの悪さだったのか、こういう事態がもう少し早く起こっていたら、巻きこまれたという言い訳を理由に嫌でも訊けた。この先、平仁と会えるとしたら三か月後。
 自分から連絡を入れてもいいが、きっと嫌がる。それに教えてくれない可能性が高い。アパートに帰るように言われたとき言葉を濁らせたのもその証拠だし、こんな場所を逢瀬に選んだのも俺をかかわらせないためだと思う。
 それでも一度、平仁と話し合わなければならない。
 俺は平仁の番。生涯『離れられない』番。否『離れられない』というより、今は『離れたくない』俺だけの番。
 平仁が独占欲を持っているように、俺にも胸をチリッと焦がすような独占欲は存在している。
 もっと一緒にいたい、抱き合いたい、そんなことを思った日は幾度もあった。
 その思いをなんと呼ぶかはわからないが、この先に進むために平仁を深く知る必要があった。


 いつもと変わらぬ日常が戻ってきても、どこかそわそわと落ち着かない日々を過ごしている。いらないことを考え、落ちこむ日も多くなった。
 発情期以外は平仁と接点はなく、連絡もないのだから、鬱憤も溜まる。
 行動力がある男だと思っていたが、俺に対してのアプローチはゼロだ。
 しびれを切らして、俺はクリーニングに出していた平仁のシャツとスーツの上着を紙袋に入れて、母さんが勤めている店の前までやってきた。
 今日、母さんは仕事が休みで店にはいない。加えて、友人のところで飲んでくるからというので、多分帰っては来ないと思っている。たびたび飲みに行くという友人のところに行くと泊まって来ることが多いのだ。
 学校帰りに制服姿でこんな場所を歩くのはちょっと気が引けるが、一度帰って着替えるのも面倒くさくて、そのまま来てしまった。
 時間が早いのか、まだ店は開いていないようだ。裏口へと向かうと、黒服がゴミ袋を手に持って外に出てきた。誰でもいいから訊いてみようと思い近づいていくと、男が智也であることに気づく。髪をオールバックにしてスーツを着ている姿は、いつも見ていたバイカーという雰囲気とは随分違う。意外にも爽やかで癖のないイケメン風である。
 俺を見るなり智也は「お前、どうしてここに来た」慌てた様子で声を潜めた。
「平仁いる?」
 開いていたドアから中を覗きつつ訊くと、智也はゴミ袋を放り制服姿の俺をまじまじと見下して言った。
「お前は東屋さんと会わないほうがいい。そのために俺が協力してるんだから」
「会っちゃいけないって……なんだよそれ」
 そんなことを赤の他人に言われたくないとばかりにむっとする。
「だから場所も提供してやったんだ。お前がうろちょろすると厄介なんだよ」
「平仁ならともかく……あんたにそんなこと言われる筋合いない」
「俺はお前の隠れ蓑になってやってるんだ」
 智也は俺の腕を掴んで言い聞かせるように声を荒げたが、事情を知らない俺にとって大きなお世話だ。
「誰もそんなこと頼んでない。平仁のことは俺が決める」
 目を据えて言い返すと、智也は大きなため息をついて「東屋さん、どうしますか?」といきなり俺の背後に向かって言い出した。
 振り向くと、いつからいたのか平仁が立っていた。いつもどおりの無表情ではあったが、呆れたような諦めているような短い息をついて「中に入れ」と俺を促した。
 ちらと智也を見るとゴミ袋を手に持ち、さっさと行けとばかりに睨んだので、慌てて平仁の後を追って中に入った。
 色々な香水が混じり合ったきつい匂いがする。女性の話し声や笑い声が聞こえる狭い通路を通り、平仁は一室のドアを開けて中に入る。続いて中に入るなり、平仁は振り向いて俺をドアに押しつけた。
 怒っている、咄嗟にそう感じた俺は謝った。
「ごめん……こんなところにまで来て」
 返事も反応もなかったが、不機嫌な雰囲気を感じ取り、今更ながら来ないほうがよかったのかもしれないと思いはじめる。来る前に電話すれば、来るなと言われるのは目に見えていたし、電話で話すだけというのも考えたが顔を見て話したかった。
 手を伸ばして頬に触れると、平仁は僅かに目を伏せる。
 いつだってどんなときだって拒絶しない平仁の態度に安堵して、そっと胸に額を押しつけた。項を撫でられほっとして目を閉じ煙草と平仁の匂いを深く嗅いだ。
「今まで発情期以外会いに来たことはなかったのに、今日はどうした?」
 平仁の声は穏やかなものだった。
「シャツとスーツ、持ってきた」
 体を離し紙袋を差し出したが、平仁は受け取ろうとしない。無理やり胸に押しつけるようにすると、平仁はやっと掴んだ。
「それに、会いたかった……し」
 思わず零れた感情に、俺は俯いて顔を赤く染める。
 平仁は俺の髪をぐしゃぐしゃにかき乱した。親し気な仕草にいつもの二人だけでいるときのような甘い空気が流れる。
 ここで遠慮していたら訊けないと思い、躊躇いがちに口を開いた。
「俺さ、平仁のこと何も知らないじゃん。訊いたらいけないって思ってたし、平仁も話す気はないんだなって感じてたけど……この間、黒服の人のアパートにいたときに柄の悪そうなやつらが来たんだ。俺のこと知ってて、ぞっとした」
 いきなり平仁に顎を掴まれて上を向かされる。
 足で蹴られたところは数日間青あざと痛みを残していたが、今はもうすっかり消えて、痛みもなくなった。
「話は聞いている。巻きこむつもりはなかったが、悪かった」
 まさか謝られるとは思ってもみなくて、うろたえて大きく首を横に振る。
「いや、別に謝ってほしいわけじゃなくて……知らないって怖いじゃん。俺だけ蚊帳の外じゃ何かあったときに対応できない。黒服の人が俺は無関係だ、みたいなこと言って庇ってくれたけど、なんの話か全くわかんなかった。まあ、話はわからなくても実際無関係なんだけどさ、平仁の捨てたオンナみたいな扱いもされたけど実際別れてないし、けどそんなことも言い返したらいけないんだろ? わけがわからない」
 平仁は黙って話を聞いていたが、疑問に対して答える様子はない。もう少し踏みこんでみる。
「俺には教えてくれない?」
 煙草を口に咥えて俺から離れた平仁は、紙袋をテーブルの上に置き、ソファに深く腰をかけた。
 ライターで火をつけ、ゆっくりと紫煙を吐き出した平仁に俺はどうしたらいいか悩んでいたが、躊躇いがちに向かい側のソファに座った。
「できれば、かかわらせたくない」
 ぽつりと呟いた平仁は表情こそ変わらないが、らしくなく顔に疲れが見えたような気がした。煙草の灰を落とし、指に挟んだまま、俺に目を据える。
「組を抜ける。できれば次の発情期が来る前に。遅くても年内を目途に働きかけている」
 平仁の口からはっきりと聞いたのははじめてだった。やはり、そういう関係者だったのかと腑に落ちつつも、組を抜けると言われた内容が衝撃的過ぎてうろたえてしまった。
「ぬ、抜ける!? というか……ちょっ……え!?」
 混乱して言葉にならない俺を平仁は静かに見つめている。
 冷静な平仁を目にして、あたふたしていた俺も次第に落ち着いてきたが、頭の中では思考がぐるぐる駆け巡っていた。
「ごめん……なんか、こういうこと聞いたのもはじめてだったし……」
「組の話は言わないと決めていた」
 それを聞いて、こんな機会がなければ平仁は俺に話すことはなかったと知る。
 見過ごして知らんぷりしたまま平仁の側で何食わぬ顔をして甘えることもできたが、番として生きていくなら、平仁の見ている世界を景色を同じように感じたかった。
「抜けることによって、平仁の身に危険はないのか?」
 一番心配なのは身の安全だ。組を抜ける抜けないは平仁の判断だが、それによって例えば被る被害とか悪意があるなら恐ろしい。
「ないとは言い切れない。ただ、今を逃せば足を洗うことは難しい」
 淡々とした口調で告げる平仁に、そこまで肝が据わり切っていない俺は恐怖を感じつつ理解できないことをひたすら訊くだけだった。
「なんで……組を抜けるの?」
 そこで平仁はふっと口元を緩める。サングラスの奥の目の険が僅かに和らぐ。
「お前がいるからだ」
「俺の……せい?」
「せいではない」
 煙草の灰をトントンと軽く叩いて落とすと、口に咥え、穏やかな息を吐きだした。
「一人生きていくなら今のままでよかった。だが、これからのことを考えると……連れてはいけない世界だ」
 胸がざわざわする。俺だけが二人の未来を考えていたわけではなかった。平仁もちゃんとこれからの行く末を考え行動していたのだ。
「俺は平仁から離れないよ」
 言うなり平仁は大きく頷いた。平仁は俺のことを信じている。その気持ちを強く感じた。
「ただ、今は俺から離れてろ。誰に何を訊かれても無関係を貫け」
 言われた瞬間、憤慨して言い返した。
「やっぱ、やばいんじゃん!」
「俺はやばくない。巻きこまれたらお前がやばいんだ」
 むうっと口を結び、苛々を隠し切れずに涼しい顔をしている平仁を睨みつける。
「もうしばらく辛抱しろ。いい子にしてろ」
 言い方があまりにも甘かったので、俺は握り締めた拳をといて気の抜けた息を吐いた。
「……わかった」
 平仁は煙草をねじ消して立ち上がる。俺ものろのろと立ち上がったが、このまま帰るには離れがたさが募る。
 ドアを開ける前に振り向いて平仁が言った。
「何かあったら黒服の男に言え」
「隠れ蓑になってやってるって言ったけど、どういう意味?」
「そのままだ。俺と別れて奴と付き合っていると思っているなら好都合だ」
「ふーん、平仁と関係ないって証明するための相手ってこと?」
 無言で平仁が身を屈めて口づける。優しいキスを受けながら目を閉じ、ぎゅっとスーツの袖を握り締める。不安を拭い去るように、平仁が俺の手に手を重ねた。
「送らせる」
「いいよ。一人で帰れる」
 帰る話になっても、平仁も俺も離れることはできないでいた。
「俺はこの先もずっと平仁といたい。迷惑かなって思ったこともあったけど……」
 そう言って言葉を切り、平仁の出会いから始まった今までの関係に思いを馳せて少し笑った。
「出会いも最悪だったのに、番とか……ほんと考えもしなかった。今じゃ平仁が番でよかったと思ってる。ありがとう。それから俺のことも考えてくれて嬉しかった」
 言った瞬間強く平仁に抱きしめられて息が止まりそうになる。
「お前は……強情なのか素直なのか時折わからなくなる」
 そう言われて、同じ強さで平仁の体を抱きしめ胸に顔を埋めながら言った。
「本音しか言ってない……というか、俺のこと強情だって思ってたんだ」
「強情だろう。こんなところに来るぐらいだからな。諦めることを知らないのかと思う」
「だって好きな相手なら知りたいって思うじゃ……」
 はっとして口を噤んだ。考えもなしに素直に出てきた言葉に自分でびっくりする。
 今まで平仁について、番という逃げることも取り消すこともできない関係性が常に頭にあったため、これからどうするか、どうしたいか、というオメガとしての立場からしか考えてこなかった。根本にあったのは一緒にいたい、という願いではあったが恋愛感情まで意識したことはなかった。
 番だから一緒にいるのではなく、好きだから一緒にいたいのだ。
 そのことに今気づいて困惑する。
 恋だの愛だの、今まで一度も経験したことはなかった。オメガという第二の性の中で恋愛を楽しむだけの余裕もなかったし、親密性を抱かせる同性も異性も今までいなかった。
 それを思えば出会いやきっかけがどうであれ、俺にとって平仁は特別な相手だ。
「好いた相手の性格ぐらいは知っている」
 当然のように返された言葉に驚いて顔をあげると、平仁は困ったように笑っていた。
 言われた言葉にもびっくりしたが、こういう笑顔も見たことがなくてどきどきしてしまう。
「もう……こんな時に自分の気持ちに気づくなんて……平仁もそういうこともっと早くに言えよな」
 恥ずかしさに項垂れて小言のようにため息交じりに言うと、平仁は肩を竦めた。
「知ってるのかと思ってた」
「わかるわけないじゃん。平仁は喋らないし言葉足らずなんだよ」
 背伸びをして平仁の首に腕を回すと、唇を強く押しつける。我ながら色気のないキスだと思ったが、今は互いの気持ちが知ることができただけで胸がいっぱいで、誘う気持ちなど微塵もない。
 ところが、平仁は唇を開いて舌を覗かせると俺の唇を舐めてきた。ベッドで愛し合うかのように熱を持った舌先に理性など簡単に崩れていく。堪らずに舌を絡め、縋るように苦味が残る舌の感触を貪る。
 息があがるころになって、やっと重ねた唇を離したが、再び平仁が俺の下唇を甘噛みする。
「もう……帰る」
 執拗な唇から逃げるように顔を右に左に振って逃げようとする。今度は唇ではなく首筋に舌を這わせてきたので、思いっきり手を突っぱねて身を引いた。
 平仁を振り切って背を向けると「じゃあな」と言ってドアを開ける。
「送っていくと言っている」
 すぐ背後にいた平仁が開きかけたドアを手で押さえ、閉じてしまった。
「いい。歩いて帰る」
 やんわりと平仁の手をどけ、ドアを開けて部屋を出た。
 そこに、俺が入った裏口の方向から来た人にぶつかってしまった。
 顔をあげると、ガラも態度も悪く、どう見てもチンピラ風の中年の男が俺を睨みつけている。男の背後から視界の端に慌てる智也の顔が見えたが、俺は素早く顔を伏せて謝った。
「すみません」
 立ち止まることはせずに、背後に視線を感じ冷や冷やしながら歩き去る。
 背後から小走りに智也がついてきて俺の腕を掴んだ。
「送っていくから待ってろ」
 平仁に言われたときは、いらないと突っぱねたが、多分これは素直に従ったほうがいい。そう感じて俺は無言で頷いた。
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