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セミオート

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 抱き合っていた時間は二時間にも満たなかったかもしれない。
 携帯電話の画面には午前三時と表示されている。平仁はもういない。朝までいてくれると思ったのに、また連絡するという言葉を残して出て行った。
 残ったのは僅かに香る煙草の匂いだけ。
 抱かれたけだるさはあるものの、発情期による欲求は軽減されている。ただそれも時間が経てば性欲は溜まる。一時的なものでは物足りなかった。
 ぐしゃぐしゃになった髪をかき上げて、俺はのっそりと上半身を起こした。ベッドから立ち上がり、よろめきながらドアを開けた。
 すると、俺をここまで送ってきた男が隣の部屋で座って雑誌をめくっていた。顔を上げた男と目が合い、咄嗟にドアを閉める。素っ裸で出て行く所だった。というか俺たちがいちゃついている間、ずっとそこにいたのだろうか。そんなことを考えていると、ドア越しにノックされた。
「送っていく」
 そう言われて、俺はべたつく体をそのままにのろのろと下着を身に着ける。せめて体を洗いたかったが、ここは他人の部屋だ。ベッド脇に置かれたバイク雑誌や求人誌、ハンガーにかけられたジャケットやベストは見慣れないもので、抱き合っているときは気にならなかったがこうして周囲を見回すと、部屋の匂いも雰囲気も他人の気配がある。
 どうして平仁はこんな場所を指定したのか、ここに連れてきた男は誰なのか、今更ながらわからないことばかりだ。
 服を着て部屋を出ると、男はヘルメットを片手に立ったまま俺が出てくるのを待っていた。この男も説明はないのだ。素性もわからないのはどうかと思うが、これが平仁を取り巻く世界なのだろう。
 男が靴を履き俺のほうを振り返ったので、正面から見てふと気づいた。
「もしかして黒服の人?」
 尋ねると気まずそうに男は顔を逸らした。あまり知られたくないのだろう。前髪をおろしていたので気づかなかったが、多分何度か会ったはずだ。
「あまり喋らないように言われている」
 男は素っ気なく言って先にドアを開けて出て行く。そのくらい教えてもいいと思うのに、緘口令が敷かれているらしい。ずいぶんな扱いだ。
 来たときと同じように男に送られアパートに帰ってきた。
 まだ外は暗く、数時間の逢瀬が嘘のように感じる。もっと会いたいのに、抱き合っていたいのに、今は平仁が遠い。
 これからこんなことが発情期が終わるまで続くのかと思えば、本当に体だけの関係しかないように感じる。
 確かに今までだって体の関係がメインで進んできた。番だし、発情期に体の触れ合いは欠かせない。ただ、それだけではないものを感じ始めている。
 再び自室に戻り、平仁のシャツを握り締めてベッドに潜りこむと、瞬く間に睡魔が襲ってくる。匂いを嗅ぎ、いない存在を忘れるかのように、眠りへと落ちていった。


 会う時間は二時間弱。時間もまちまちで、深夜だったり、朝日が昇るころだったりと起きているには辛い時間帯だったこともあった。平仁はどんなときでも変わらない。疲れたり眠そうな表情は一度も見たことがなく、快楽を際限まで引き出して、俺がくたくたなるまで絞りつくして帰っていく。
 場所は常にあの一室で、男がバイクで迎えに来る。男も平仁も俺のアパートの敷居をまたぐことはない。
 そんなことが四日ほど続いたある日、俺は発情期の終わりを悟った。だるさや熱っぽさはなくなり、性欲も薄まっているせいで自分で慰める回数もずいぶん減った。
 多分、今日が最後になる。
 平仁から連絡はもう入っていて、朝の五時ごろには迎えに行くという。
 いつも通り、配慮がない時間帯も連日だと慣れるしかなく、俺は早めに起きて身支度を整え、余った時間で勉強をしていた。
 憶測ではあるが、こんな早朝に時間の指定をしてくるのは理由があるわけではなく、それしか時間が空いてないのではないか、という懸念を抱いている。訊かれるのを嫌がるだろうから、俺からは何も言わないし訊かないけど、なんとなく察するものはあった。
 もう少しで五時になるのを見て、問題集を閉じ、アパートの外に出る。
 ちょうどいいタイミングでバイクが来たので後部座席に乗って、いつものアパートに着いた。
 男に続いて部屋に入ると、そのまま寝室へと向かう。
 平仁の姿を見て、ほっと安堵する。もしかして、いないのではないかという不安がどこかにあって、毎回安心せずにはいられないのだ。
 煙草を消した平仁の前に立つと、手を引かれて膝に乗る。小さな子供がするようにしがみつく形になり、こんな風に甘えて抱かれたこともなかったと思いながらキスを交わした。
 キスをしながら平仁が俺の首を撫でる。フェロモンは薄くなっているはずだ。
「発情期が終わりそうだから、明日からはいい」
 俺がそう言うと平仁は項に鼻を押しつける。じっとして肩に顔を埋めていると、服の下から肌を探られてくすぐったさに体を捩った。その拍子に二人でベッドに倒れこんだ。
 キスをしながらボタンを外され一枚一枚脱がされていく。
 口づけも手つきも優しく、蕩けるような甘さで満たされた。いざ挿入の段階になっても、俺が焦れて早く欲しいと強請るまで、ゆっくりと時間をかけて指や舌で愛撫された。
 体内におさめても平仁はしばらく動かず、俺が耐え切れず腰を揺らしても最奥をついたまま体の重さで動きを封じる。焦らされて思わず平仁の肩に噛みついた。そこでやっとゆるゆると動き始めたが、ゆっくりすぎて刺激が足りない。腰を押しつけてせがんでも平仁はあやすように惑わすように揺らすだけで、積極的に動こうとはしない。
 抵抗するのを諦めて、目を閉じ平仁にしがみついたまま揺れる動きに身を任せる。たうたうような心地よさが体を包み込み、自然と力が抜けていく。うっとりと恍惚の世界へと誘うような悦楽に、足を広げ平仁の雄を優しく迎え入れる。
 激しく内襞を擦られるのもいいが、こうしてまったりと平仁を感じながら、抱き合うのも悪くなかった。
 平仁が足を抱えなおしたので、俺は腰に足を絡ませる。激しくはないが緩くもない動きで腰が揺れ始めると、やわやわと内側を締めつけて平仁を飲みこむ。
 ふわっと体が浮くような感覚で達し、ときを同じくして穿っていた平仁が体内でびくびくと震える。この瞬間がたまらなく好きで、俺はじっとして平仁が息を詰め迸る熱を受け止めた。
 抱かれれば抱かれるほど、溶けあうのがわかる。飽きるどころか、欲求が強まるのはこのせいだ。いつだって気持ちがよくて、どんな風に重なっても俺の体は平仁にぴったりと添う。
 平仁が腰を引き、体内から抜いた。コンドームを付け替えて今度は俺をうつ伏せにさせて後ろから入ってきた。
 がっちりと背後から抱えこんで、項を噛んだり舐めたりしながら突くのが、ここ最近定番になりつつある。向き合って顔を見ながらするほうが好きだが、背後から抱かれる安心感も心地がいい。征服されているという背徳感もあって、達したばかりでも瞬く間に盛り上がる。あまり動けないのは難点ではあるが、尻に力を入れて締めつけると、中にいる平仁が悦ぶのがわかった。
 その格好のまま二度目に達し、三度、四度と互いに精を出し尽くして、やっと体が離れた。
 ベッドでうつ伏せになり余韻に浸る俺に対し、平仁はすぐに体を起こして衣類を身に着ける。
 あまりの素っ気なさに恨めしく思う気持ちもあったが、もしかして忙しい合間を縫って会いに来てくれているのではないかと思えば、無理は言えなかった。
 もっと会いたい、一緒にいたいなど、聞き分けのない子供のような、もしくは恋に溺れた女性のような愚痴も言いたくない。
「明日から本当に大丈夫なんだな?」
 スーツを着た平仁に念押しされて俺は素直に「うん」と頷く。ここで嘘でもつけたらよかったのだが、生憎そんなことをしてまで困らせたくはなかった。
 ただ我儘も言わないかわりに、無言で手を伸ばした。
 優しいキスが唇に降ってきた。今しがた情熱的に求め合っていたとは思えないほど、紅雨のような温かな口づけ。
 それだけで満足してしまった俺は、裸のまま平仁を見送った。
 時間はもう少しで朝の九時になろうかとしている。今日はいつもより長めに時間を過ごせた。
 体も疲れはあるものの、どこか憑き物が落ちたようなすっきり感がある。発情期が終わったせいだ。
 服を着て寝室を出ると、待っていた男が大きな欠伸をしながら立ち上がった。律儀に送り迎えしてくれる男の名も年も知らないが、今日で最後だと思えば感謝の言葉のひとつぐらい言っておいたほうがいい気がした。
「今までありがとう。明日からは送り迎えもいらないから……迷惑をおかけしました」
 ぺこりと頭を下げると、男はばつが悪そうな気恥しそうな顔をして、ヘルメットを俺に投げてよこした。
「俺は頼まれただけだ」
 ヘルメットを受け取り、スニーカーに足を入れていると、先に出ようとした男がいきなりドアを閉めて、俺に向かって「隠れてろ!」と潜めた声で怒鳴った。
 呆気に取られ、もたもたしている俺の足からスニーカーを抜き取り、乱暴に腕を引く。
 出たばかりの寝室に押しこまれてドアが閉められたと同時に、乱暴に玄関のドアを叩く音とチャイムの音が急かすように何度も鳴る。
「出てくるなよ」
 ドア越しに男は言った。
 ドアが開く音と数人の話し声が聞こえる。というか、話し声というより怒号に近い。口汚い言葉で罵り、借金の取り立てでも来ているかのような脅迫めいた怒鳴り声が途切れ途切れに聞こえる。
 答える男の声は妙に落ち着いていて「わかりません」やら「知りません」を繰り返しているようだ。
 何が起こっているのかわからずに、俺はドアに近づいて耳を澄ませる。『組の金』だの『持ち逃げ』だの物騒な言葉が次々と聞こえてきて、これは俺が聞いてはいけないことじゃないかと怖くなりそっとドアから離れた。
 そこに数人の足音が近づいてくる。
「まさか、森田の野郎を隠してんじゃねえだろうな!」
 いきなりドアを開けられた。驚いた俺の前に靴を履いたままの柄の悪い男たちが立った。
「そいつは関係ありません!」
 男が慌てて部屋の中へと入ってくると、俺を背後に庇い、必死で頭を下げている。
 これは一体、どんな状況なのかわからずにいると、頭を下げていた男が俺の腕を強く掴んで言った。
「森田のことは本当に何も知りません」
 掴まれた腕から、絶対に何も言うな、大人しくしていろ、という無言の圧力を感じる。俺も怖い男たちに逆らおうとは思っていないので黙って俯いた。
 そこにいきなり足で頭を蹴られた。俺は床に倒れて蹴られた痛みに顔を顰める。
 先頭に立っていた柄の悪い男が、しゃがんで俺の顔を覗きこんだ。
「一時、東屋にオンナができたって噂された奴か。随分大事にされてたらしいが、捨てられたんだっけなあ。今はこいつのオンナやってんのか」
 俺は柄の悪い男の視線から逃れるように顔を逸らしたが、今しがた言われたことにはっとする。俺の存在がこの柄の悪い男たちに認知されていたこともはじめて知ったが、平仁の関係者だということも話しぶりからわかった。しかもあまり平仁をよく思っていないような口ぶりだ。何より、捨てられた、と言われたことにショックを受ける。
 さっきまで抱かれていたのに、捨てられた、とはどういう意味だろう。
 柄の悪い男は俺の胸倉を掴んだ。それを男が庇うように俺を抱きしめ、柄の悪い男の手から守るように庇った。
「こいつは本当に関係ありません」
 必死に男が言い、抱きしめる腕に力をこめる。「逆らうな」と俺の耳元で呟くと、まるで恋人がするように俺の頭を撫でる。
「乳繰り合うしか能がねえのかよ。クソが。おい、行くぞ」
 男たちは荒々しく出て行った。まるで嵐に遭ったかのように放心していたが、柄の悪い男たちの足音が完全に聞こえなくなると震える息をついた。
 男は俺から離れ、寝室を出ると玄関のドアを閉めて戻ってきた。先ほどの怯えていた様子は微塵もなく、面倒くさいといわんばかりにため息をついて顔を撫でる。
「これでも喋んないつもりか?」
 強めの声で問い詰めると、男は諦めたように俺を見た。
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