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こうして課題に取り組んでいる俺は、他の大学生より真面目だと思っている。合コンだのサークルだの飲みだの勉強せずに遊びほうけている友人を見ても、あまり羨ましいと思うことはなく、他人は他人、自分は自分だときっちり線引きしている。
大学は学ぶために入ったのだし、勉強は当たり前。空いた時間は生活のためにバイトをしている。
友人はそれなりにいるが、浅く広くのタイプだ。人を招くこともあまりしたくないのでこの部屋には誰にも入れたことがなかったし、逆に自分も他人の部屋にあまり足を踏み入れたことがなかった。
それが、あっという間に隣人と行き来する仲になるとは不思議だ。
夜の十時。友人の部屋に遊びに行くには遅い時間ではあるが、課題はほぼ終わろうとしている。
ちらと隣室を隔てる壁に目を向け、どうしようかと考える。
金曜日なので健斗はまだ起きている。というのも、いつも聞こえる奇声は深夜零時から入るアニメを見て興奮して思わず漏れてしまうらしい。
健斗はいわゆるアニメとか特撮とかコミックが好きなオタクだという。そういえばフィギュアもあったし、エロ本の類も全部コミックとかアニメ系だった。そういうTシャツも普通に着ていたし、グッズも集めていた。
あれでちゃんとしたミステリ作家というのだから、わからない。
今朝のしょんぼりした姿の健斗が思い浮かんで、俺は冷蔵庫からビール二本とつまみを持って部屋を出ると、隣室のチャイムを押した。
すぐさま健斗がドアを開けて「課題終わった?」と控え目ながらも嬉しそうに訊く。ちゃんとドアスコープで覗いて俺だと確認して開けたかどうかも怪しい速度だ。
「もう少しで終わるし、息抜きに来た」
勝手知ったる他人の家とばかりに、靴を脱いであがると、テーブルの上に資料が山積みにされていてパソコンが開いてある。どうやら仕事中だったらしい。
「あー悪い。仕事してたんだ?」
健斗はいつ来ても迷惑な顔をしないから、つい勝手に来たり呼んだりするが、一応これでも気を遣っている。仕事中なら大人しく帰ったほうがいいだろう。
「じゃあ、俺、帰……」
玄関に向かう俺の腕を健斗は優しく掴んだ。
「ちょっ待って……俺も休憩しようと思ってたから」
健斗はすぐさまパソコンを閉じ、資料を床に置いて、俺の手からビールを取ってテーブルの上に置く。
そう言うならと大人しく座ると、健斗はテレビをつけて「ポテチとせんべいあるよ」と大量のお菓子をテーブルの上に広げた。
持ってきたビールを飲み始めた俺に対し、健斗はマグカップに少しだけビールをついであとは俺に寄越した。酒も弱いらしく、缶ビール一本ぐらいなら飲めるが、それでも顔が赤くなって眠くなるという。確かに前に飲んだ時、一缶目で顔が真っ赤になって、呂律も怪しかった。
「お前、本棚買ったんだな」
俺は以前来た時になかったテレビの隣に置かれた小さな本棚に目を留める。
「ダンボールからいちいち取りだすのが面倒くさかったから……」
部屋の隅にはまだダンボールが積んであるが、数は減った。
本棚には小難しそうな哲学書やら科学書やら、多ジャンルの本が並んでいる。高校へは行ってないと言いつつ、健斗は博識だ。主に、本やネットから仕入れた知識ばかりだと言っていたが、さすがミステリ作家だけあって勉強家でもあり読書家だ。
賞はとったことがないと言っていたが、毎年候補に名前があがっているらしい。本が売れない時代に、根強いファンがついていて部数を落とさない堅実作家と呼ばれているのを、何かの雑誌で見た。
まだ学生でアルバイトと仕送りで生計を立てている俺にとって、すでに作家として知られていて、独り立ちできる健斗が年下ながら少しだけ遠い存在に感じる。ゴミの分別ができないとか片付けができないとか、そんなことが些末に思えるほど、凄いし尊敬する。
「そういえば、今日、親が様子を見に来て……野菜とかお米とか持ってきたんだけど、星矢くん、いる?」
ウサギが描かれた大きなクッションを抱き込んで、せんべいの袋を破って食べている健斗は、ダンボールの隣に乱雑に置かれた大きなビニール袋を興味なさげに見る。
「せっかく持ってきてくれたんだから、お前が使えばいいだろ?」
体を伸ばしてビニール袋を引き寄せた健斗は、中に入っていたほうれん草を取りだした。
「……これ、そのまま食べれる?」
「食べない」
これは本当に一度も自炊したことがない台詞だ。というか、実家にいた時、何もしていなかったと言っていたが、生のほうれん草すら見たことがないかもしれない、という恐ろしい考えが頭を過る。
「これはキャベツ?」
「ああ。千切りにすればいい」
無言になった健斗は、千切りってどうやって切るんだ? などと思っているに違いない。そもそも包丁があるのかすら疑問だ。ちなみに炊飯器は新品のまま使われた形跡はなく埃をかぶっている。
一人暮らしをさせれば、自炊もして、きちんと生活してくれるだろうと思ったのだろう。野菜も米もわざわざ持ってくれたのだ。いい親御さんだ。ただ残念なことに健斗の生活能力が低すぎる。コンビニ弁当とお菓子で生きている健斗にとって、そのまま食べられないものは必要ないのだ。
「星矢くんにやる」
ビニールをそのまま俺に寄越したので、中を覗くと、ほうれん草は萎びていて、しかもトマトは下で潰れている。せめて冷蔵庫に入れておけば鮮度を保てたのに、その考えすらないのだから、いかに料理に興味がないかわかる。
色々言いたいことはあったが、もう諦めているので「ありがたくもらうよ」と大人しく引き取った。
野菜を置いておくのも傷んでしまうので、一旦自分の部屋に持ち帰って、ほうれん草は根元を水につけておいて、トマトは潰れている部分は切り落とし、均等に切って間にチーズを挟んで皿につける。その上からオリーブオイルと胡椒を振りかければ簡単なカプレーゼのできあがりだ。
健斗の部屋に持って行くと、驚くほど喜んでくれた。
「星矢くんは天才」
そう言ってせんべいの合間にうまそうに食べている健斗が、まだ偏食や好き嫌いがないだけよかった。
そうしているうちに時間は零時をまわろうとしていて、そろそろお暇しようかと腰を浮かせた。
ところが、健斗は「もう少しで『ピュアリン・ラビッツ』入るから見よう」と引き留めた。いつも奇声を上げるほど興奮するアニメとはどんなものかと興味もあったので、一緒に見る羽目になったのだが……。
大学は学ぶために入ったのだし、勉強は当たり前。空いた時間は生活のためにバイトをしている。
友人はそれなりにいるが、浅く広くのタイプだ。人を招くこともあまりしたくないのでこの部屋には誰にも入れたことがなかったし、逆に自分も他人の部屋にあまり足を踏み入れたことがなかった。
それが、あっという間に隣人と行き来する仲になるとは不思議だ。
夜の十時。友人の部屋に遊びに行くには遅い時間ではあるが、課題はほぼ終わろうとしている。
ちらと隣室を隔てる壁に目を向け、どうしようかと考える。
金曜日なので健斗はまだ起きている。というのも、いつも聞こえる奇声は深夜零時から入るアニメを見て興奮して思わず漏れてしまうらしい。
健斗はいわゆるアニメとか特撮とかコミックが好きなオタクだという。そういえばフィギュアもあったし、エロ本の類も全部コミックとかアニメ系だった。そういうTシャツも普通に着ていたし、グッズも集めていた。
あれでちゃんとしたミステリ作家というのだから、わからない。
今朝のしょんぼりした姿の健斗が思い浮かんで、俺は冷蔵庫からビール二本とつまみを持って部屋を出ると、隣室のチャイムを押した。
すぐさま健斗がドアを開けて「課題終わった?」と控え目ながらも嬉しそうに訊く。ちゃんとドアスコープで覗いて俺だと確認して開けたかどうかも怪しい速度だ。
「もう少しで終わるし、息抜きに来た」
勝手知ったる他人の家とばかりに、靴を脱いであがると、テーブルの上に資料が山積みにされていてパソコンが開いてある。どうやら仕事中だったらしい。
「あー悪い。仕事してたんだ?」
健斗はいつ来ても迷惑な顔をしないから、つい勝手に来たり呼んだりするが、一応これでも気を遣っている。仕事中なら大人しく帰ったほうがいいだろう。
「じゃあ、俺、帰……」
玄関に向かう俺の腕を健斗は優しく掴んだ。
「ちょっ待って……俺も休憩しようと思ってたから」
健斗はすぐさまパソコンを閉じ、資料を床に置いて、俺の手からビールを取ってテーブルの上に置く。
そう言うならと大人しく座ると、健斗はテレビをつけて「ポテチとせんべいあるよ」と大量のお菓子をテーブルの上に広げた。
持ってきたビールを飲み始めた俺に対し、健斗はマグカップに少しだけビールをついであとは俺に寄越した。酒も弱いらしく、缶ビール一本ぐらいなら飲めるが、それでも顔が赤くなって眠くなるという。確かに前に飲んだ時、一缶目で顔が真っ赤になって、呂律も怪しかった。
「お前、本棚買ったんだな」
俺は以前来た時になかったテレビの隣に置かれた小さな本棚に目を留める。
「ダンボールからいちいち取りだすのが面倒くさかったから……」
部屋の隅にはまだダンボールが積んであるが、数は減った。
本棚には小難しそうな哲学書やら科学書やら、多ジャンルの本が並んでいる。高校へは行ってないと言いつつ、健斗は博識だ。主に、本やネットから仕入れた知識ばかりだと言っていたが、さすがミステリ作家だけあって勉強家でもあり読書家だ。
賞はとったことがないと言っていたが、毎年候補に名前があがっているらしい。本が売れない時代に、根強いファンがついていて部数を落とさない堅実作家と呼ばれているのを、何かの雑誌で見た。
まだ学生でアルバイトと仕送りで生計を立てている俺にとって、すでに作家として知られていて、独り立ちできる健斗が年下ながら少しだけ遠い存在に感じる。ゴミの分別ができないとか片付けができないとか、そんなことが些末に思えるほど、凄いし尊敬する。
「そういえば、今日、親が様子を見に来て……野菜とかお米とか持ってきたんだけど、星矢くん、いる?」
ウサギが描かれた大きなクッションを抱き込んで、せんべいの袋を破って食べている健斗は、ダンボールの隣に乱雑に置かれた大きなビニール袋を興味なさげに見る。
「せっかく持ってきてくれたんだから、お前が使えばいいだろ?」
体を伸ばしてビニール袋を引き寄せた健斗は、中に入っていたほうれん草を取りだした。
「……これ、そのまま食べれる?」
「食べない」
これは本当に一度も自炊したことがない台詞だ。というか、実家にいた時、何もしていなかったと言っていたが、生のほうれん草すら見たことがないかもしれない、という恐ろしい考えが頭を過る。
「これはキャベツ?」
「ああ。千切りにすればいい」
無言になった健斗は、千切りってどうやって切るんだ? などと思っているに違いない。そもそも包丁があるのかすら疑問だ。ちなみに炊飯器は新品のまま使われた形跡はなく埃をかぶっている。
一人暮らしをさせれば、自炊もして、きちんと生活してくれるだろうと思ったのだろう。野菜も米もわざわざ持ってくれたのだ。いい親御さんだ。ただ残念なことに健斗の生活能力が低すぎる。コンビニ弁当とお菓子で生きている健斗にとって、そのまま食べられないものは必要ないのだ。
「星矢くんにやる」
ビニールをそのまま俺に寄越したので、中を覗くと、ほうれん草は萎びていて、しかもトマトは下で潰れている。せめて冷蔵庫に入れておけば鮮度を保てたのに、その考えすらないのだから、いかに料理に興味がないかわかる。
色々言いたいことはあったが、もう諦めているので「ありがたくもらうよ」と大人しく引き取った。
野菜を置いておくのも傷んでしまうので、一旦自分の部屋に持ち帰って、ほうれん草は根元を水につけておいて、トマトは潰れている部分は切り落とし、均等に切って間にチーズを挟んで皿につける。その上からオリーブオイルと胡椒を振りかければ簡単なカプレーゼのできあがりだ。
健斗の部屋に持って行くと、驚くほど喜んでくれた。
「星矢くんは天才」
そう言ってせんべいの合間にうまそうに食べている健斗が、まだ偏食や好き嫌いがないだけよかった。
そうしているうちに時間は零時をまわろうとしていて、そろそろお暇しようかと腰を浮かせた。
ところが、健斗は「もう少しで『ピュアリン・ラビッツ』入るから見よう」と引き留めた。いつも奇声を上げるほど興奮するアニメとはどんなものかと興味もあったので、一緒に見る羽目になったのだが……。
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