人気俳優と恋に落ちたら

山吹レイ

文字の大きさ
上 下
30 / 40

オメガ病棟

しおりを挟む
 目が覚めると同時に消毒薬の匂いが鼻を満たす。頭が痛くて思わず呻いて、数回瞬きをする。俺はベッドに寝ていて、周囲をカーテンで囲まれていた。右腕を上げると点滴が刺さっている。
「俺……」
「行理、よかった。目を覚まして」
 側に母がいてほっとしたように微笑んで目を潤ませた。
「ここは……」
「倒れて病院に運ばれたの。本当に驚いたわ」
 そこで、楽屋で急に発情期になって倒れたことを思い出した。俺を守ってくれた加賀や、アルファだった俳優を行かせまいと阻止してくれた勇吾の姿が頭を過る。色々な人に迷惑をかけてしまった。俳優の彼も、きっとあんなときにオメガの発情期に当てられるとは思ってもみなかっただろう。本当に申し訳ないことをした。
「加賀さんは?」
「ここはオメガ病棟だから彼は入れないわ」
「オメガ病棟……」
 それはオメガなら誰でも知っている、オメガ専用の病棟がある病院だ。都内に数か所ある。
 はじめてオメガだと知らされたとき、体のしくみや発情期の説明を受けた後、この病棟の存在を知らされる。発情期がコントロールできなくなったり、あまりにも発情期が辛いときなど、オメガを専門とした病棟がある病院なのだ。アルファは絶対に立ち入り禁止、家族だけ、しかもベータかオメガでなければ立ち入りできないし、出入りするには必ず名前と時間を書き込まないといけない。厳しく管理されている。
 加賀はベータではあるが、家族ではないので入れないのだ。
「ごめん、母さんにも迷惑をかけた」
「いいのよ。あなたが無事なら」
「俺……体がおかしくて……風邪だと思ったのに予想外の発情期になって……どうしたんだろう? 病気かな?」
「病気じゃないと言っていたわ。詳しいことは先生から聞きなさい」
 母はナースコールで「目が覚めました」と伝える。「すぐに向かいます」と言う言葉が聞こえてほどなくして、ドアがノックされた。 
 母が返事をして出ると、白衣を着た医者が入ってきた。
「目を覚ましましたか?」
 眼鏡をかけた背の低い、柔和な男性の先生だった。母は出て行って、先生と二人きりになる。
「俺は病気ですか?」
 単刀直入に訊くと、先生は優しく微笑んで安心させるように言った。
「病気ではありませんよ。発情期はいつありましたか?」
「ええっと……先月の中頃です。次来るのは来年の一月のはずなんですが……」
「今まで周期が乱れたりしたことは?」
「ありません。あ……でも先月あった発情期は一週間ほど早まって来て、ちょっと変だなと思いました。それと終わるのも遅くて……五日ほどで終わる発情期が一週間を過ぎても終わらず、結局十日ほどで終わりましたけど……体調も悪かったです」
「最近、何か強いストレスを感じたとか、ショックな出来事がありましたか?」
 咄嗟に思い浮かんだのは為純のことだ。言うか言うまいか悩んだ。先生は俺のことを知っているかもしれないし、そんな下世話なこと知らないかもしれない。でも、個人的な事情を口に出すのは憚れた。
「ここで言ったことは誰にも話しません」
 医者に守秘義務があることを知っているし、信頼していないわけでもないが、なぜだろう、あまり言いたくなかった。
 口を閉ざしていると、医者はじっと俺を見つめ、穏やかな口調で話しだした。
「オメガは恋に弱いんですよ」
「弱い……ですか?」
「ええ、好きな人につれなくされたり、振られたりしただけで、すぐ体に異変が起きたりします。予定にはない発情期になったり、逆に発情期がずっとこなかったりすることもあるんです」
 ふと考えてみる。確かに為純から拒絶されたことはショックだったし落ち込んだ。辛かった。でも、恋に破れたことは過去にも経験している。
 はじめて恋人ができた高校生のとき。それから大学生のときも別れを告げられた。
 それなりに辛かったが、発情期が乱れたりしたことはなかった。
「過去に……振られたことはあったんですけど、体に異変が起きたりはしなかったです」
「では、今回はそれ以上に傷ついたか……それともあまりにも辛くて感じないようにしていたとか……。私もそうだったんですよ。気が付いたら心も体もぼろぼろで、でも仕事柄忙しくて気づけなかった」
 顔を覗き込むと、彼は切なそうに笑った。
「オメガは脆くて悲しい生き物だとよくよくわかりました。でも、そんな私たちにも、オメガなんて関係ないと手を取ってくれる大切な人が現れたりします。僥倖ですよね」
「先生にもそんな人、いるんですか?」
「はい」
「いいなあ。俺は、オメガだと言えずにふられました」
 先生がオメガだとわかると、その言葉はすんなりと俺の口から漏れた。
「そうでしたか」
「……仕事も忙しかったし、ふられたことにくよくよしても仕方がないと思って毎日を過ごしていました」
「仕事が忙しいとつい頑張りすぎてしまいます。またそのことによって辛い事実から目を背けていられる。バランスがとれているようで、実は体も心も酷使しているんですよ。それで予期せぬ発情期がきたり乱れたりする、よくあることなんです。ここで、少し休みましょう」
「でも、俺の仕事は……その、休んだりしたら迷惑がかかるし、長く休むと仕事がなくなったりするかもしれないから……」
「このままいっても体を壊すだけです。少しだけ仕事を離れて体を休めましょう。それから心も少しずつでいいので満たしてあげましょう。欠けた心は元に戻らないかもしれませんが、時間が経てば痛みは薄れていくはずです」
「俺は……痛かったんですね」
「ええ」
 言われてはじめて、心が傷ついて悲鳴を上げていることに気づく。それが予想外の発情となって現れたのだ。
 心臓に右手を当ててみる。どきどきしている鼓動は、知らない場所で緊張しているかのように少し早い。
「体はどうですか?」
 訊かれて、あれだけ興奮していた体が、今は落ち着いていることに気づく。
「いつもどおりのように感じます」
「抑制剤を点滴しています。これも長く使うと依存性があるのでよくはないのですが、一時的なものであれば問題ありません。錠剤の抑制剤は服用していますか?」
「していませんし、飲んだこともありません」
「でしたら、暫くこのまま点滴で様子をみましょう」
「俺はいつまでここに?」
「とりあえず、今日はこのまま入院しましょう。明日以降体調をみて、よければ退院になります」
「……そうですか」
 体調がいいので、すぐにでも仕事ができると思っていたが、そうはならないらしい。がっかりして、加賀やメンバーのことを思い浮かべる。早く仕事に行きたかった。それとあの俳優にも謝りたい。
 先生が出て行くと母親が入ってきたので「加賀さんには連絡した?」とすぐ訊く。
「今目を覚ましたって連絡したわ。とにかく体を優先に考えて今はゆっくりと休んでほしいって。加賀さんも心配してたわよ」
「加賀さんには身を挺して守ってもらったんだ、感謝してもしきれない」
「責任感が強い人ですもの。行理がアイドルになるって一緒に家に来たときも、あなたのことは必ず守ると宣言してくれた人だから、私たちも安心して任せたのよ」
 母は加賀のことを心から信頼している。
「早く仕事がしたい」
「だめよ。お医者さんも言ってたでしょ。忙しいのはいいことだけど、すぎるのはよくないわ。それもあって体調を崩したのよ、きっと。いい機会だから、ここで小休止しなさい。そしたらまた元気になって働けるから」
「わかった……」
 母に言われて渋々頷く。
 発情期のときの一週間の休みとは違い、焦りがわく。世間から取り残されていくような感覚に、こうしてじっとしていることが堪らなく不安になる。
 でも暫くはこのままでいるしかないのだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない

タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。 対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

そして、当然の帰結

やなぎ怜
BL
β家庭に生まれたαである京太郎(きょうたろう)の幼馴染の在雅(ありまさ)もまたβ家庭に生まれたΩだ。美しい在雅が愛しい相手を見つけるまで守るのが己の役目だと京太郎は思っていた。しかし発情期を迎えた在雅が誘惑したのは京太郎で――。 ※オメガバース。 ※性的表現あり。

真柴さんちの野菜は美味い

晦リリ
BL
運命のつがいを探しながら、相手を渡り歩くような夜を繰り返している実業家、阿賀野(α)は野菜を食べない主義。 そんななか、彼が見つけた運命のつがいは人里離れた山奥でひっそりと野菜農家を営む真柴(Ω)だった。 オメガなのだからすぐにアルファに屈すると思うも、人嫌いで会話にすら応じてくれない真柴を落とすべく山奥に通い詰めるが、やがて阿賀野は彼が人嫌いになった理由を知るようになる。 ※一話目のみ、攻めと女性の関係をにおわせる描写があります。 ※2019年に前後編が完結した創作同人誌からの再録です。

甘えた狼

桜子あんこ
BL
オメガバースの世界です。 身長が大きく体格も良いオメガの大神千紘(おおがみ ちひろ)は、いつもひとりぼっち。みんなからは、怖いと恐れられてます。 その彼には裏の顔があり、、 なんと彼は、とても甘えん坊の寂しがり屋。 いつか彼も誰かに愛されることを望んでいます。 そんな日常からある日生徒会に目をつけられます。その彼は、アルファで優等生の大里誠(おおさと まこと)という男です。 またその彼にも裏の顔があり、、 この物語は運命と出会い愛を育むお話です。

お世話したいαしか勝たん!

沙耶
BL
神崎斗真はオメガである。総合病院でオメガ科の医師として働くうちに、ヒートが悪化。次のヒートは抑制剤無しで迎えなさいと言われてしまった。 悩んでいるときに相談に乗ってくれたα、立花優翔が、「俺と一緒にヒートを過ごさない?」と言ってくれた…? 優しい彼に乗せられて一緒に過ごすことになったけど、彼はΩをお世話したい系αだった?! ※完結設定にしていますが、番外編を突如として投稿することがございます。ご了承ください。

君を愛するのは俺だけで十分です。

屑籠
BL
独自設定ありのオメガバースの世界観です。 アルファとオメガには、魔力がある。 それがこの世界の常識で、どんな親から生まれるかわからないオメガを保護する目的で、オメガ保護施設というものが造られた。 そんな世界で出会った番たちのお話。

前略、これから世界滅ぼします

キザキ ケイ
BL
不公平で不平等で、優しくない世界にはもううんざりだ。 俺、これから世界滅ぼします。   職場、上司、同僚、恋人、親、仕事と周囲を取り巻く環境に恵まれない下っ端魔術師ヴェナは、ついに病を得て余命宣告までされてしまう。 悪夢のような現実への恨みを晴らすべく、やけくそ気味に破壊を司る「闇の精霊」を呼び出し、世界を壊してもらおうと目論んだ。 召喚された精霊はとんでもない美丈夫。 人間そっくりの見た目で、しかもヴェナ好みの超美形がいつも近くにいる。 それだけでもドキドキしてしまうのに、なんと精霊は助力の対価にとんでもない要求をしてきたのだった────。

処理中です...