雪のように、とけていく

山吹レイ

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冷たい雪の、その狭間で(前編)

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「伊摘、待て」
 ドアを開け車から降りようとした伊摘に、貴昭が運転席から出るなり、厳しい顔で辺りを見回した。
「まだ車に乗ってろ」
 貴昭がそう言った直後だった。
 一人の男が物陰からナイフを振りかざして出てきた。
「貴昭!!」
 悲鳴にも似た声をあげた伊摘に、貴昭はちらと一瞬だけ視線を向けて叫んだ。
「車に乗れ!」
 貴昭はナイフを振りかざした男の手を掴み、そのまま手首を捻りあげて男をアスファルトの上にいとも簡単に倒し叩きつけた。
 そのとき、柱の陰から黒光りする銃を手にした男の姿が見えて、はっと息を呑む。
 伊摘は恐怖に駆られ、貴昭の側へと行こうとした。
 銃口が真っ直ぐに貴昭に定められていたからだ。
 貴昭は駆けつけようとした伊摘に気づき、鋭い声で命令する。
「車に乗ってろ!」
 伊摘の足が僅かに止まる。だが、車には乗らずに、銃を手にした男の方に走っていこうとした。このままでは貴昭の命が危ない。
「伊摘!! くそっ!!」
 貴昭は、アスファルトに伸びている男から手を離すと、すぐさま伊摘を庇うように前に出て、気づいていたのか、銃を手にした男の方へと走った。
 貴昭が向かってくるのを見た銃を手にした男は、恐怖に顔を強張らせて、闇雲に発砲した。
 銃を手にしてもなお、貴昭の存在が怖いのだとわかる。
「貴昭!!」
 銃弾が見えているはずはないのに、野生の感でもあるのか、瞬時に貴昭は身を低くし頭を下げ、そうしながらナイフを懐から取り出すと、男に投げつけた。
 貴昭の投げたナイフは銃を持った男の腕に突き刺さり、男は悲鳴をあげて銃を落とす。
 その隙を貴昭は逃しはしなかった。
 男の首を鷲掴みし、貴昭はそのまま男の体重などなにも感じないように軽々と持ち上げると、首を締めつけながら柱に体を激しく叩きつけた。
 その一撃で男は死んだように動かなくなった。
 貴昭が動かなくなった男から手を離すと、男は泡を吹いて壊れた人形のようにアスファルトにぐにゃりと落ちる。
「組長!!」
 組員が次から次へと駆けつけてきた。
 伊摘は安堵して肩から力を抜くと、片手で顔を覆い震える息を吐く。
 今になって怖くて足が震えている。
 気を抜くとへたりこんでしまいそうだった。
 貴昭はまだ敵が潜んでいないか緊張で肩を張り詰めながら、獲物を探し出す鷹のような鋭い視線で周囲を見回している。
 アスファルトに転がっている二人の男は、ぴくりとも動かない。
 ここからでは死んでいるのか生きているのかわからないが、伊摘は怖くて近づくこともできなかった。
 貴昭は危険がないのを確認すると、駆けつけた組員に厳しい目を向けた。
「遅えんだよ!」
 一喝した貴昭に、怯えたように組員は頭を下げた。
「すみませんでした!」
「どこの組のもんか照合しろ。死んでなかったらそのままどこかに縛っておけ。後で俺が訊く」
 男たちは怯えながら頷く。
 そこに、一台の車が近くに停まり、後部座席からつい先ほどまで一緒に仕事をしていた嶋が現れた。
 伊摘が頼るような目を向けると、嶋は伊摘に軽く頷き、貴昭のほうへ歩いていく。
 貴昭は憤懣やるかたないように、荒い口調でつけ加えた。
「もう一度セキュリティを見直せ。カメラにこいつらの姿が映っていたはずだ。どうして見逃していたのか……怠慢してたんならただじゃおかねえ」
 ドスが滲んだ言葉に、組員たちの顔は見る見るうちに青ざめていく。
「それより、組長と伊摘さんにちゃんと護衛をつけるべきだと思います」
 貴昭の目の前に来た嶋は、素早く辺りを見回し、現状を把握した。
 貴昭に意見できる者が現れたことに、組員の間でほっとした雰囲気が流れる。
「早くそいつらを連れて行け。目障りだ」
 嶋の口調も伊摘と一緒に仕事をしているときより随分荒っぽいものになるが、それでも貴昭とは違い、怒りに駆られた様子はないので竦むことはなく聞きやすい。
 男たちはすぐに倒れている男二人を持ち上げ、息をしているか確信してから手足をロープで縛りつけた。
「伊摘さん、怪我はありませんか」
 嶋は少し離れた場所に立っている伊摘に近づき、さり気なく腕に触れる。
「はい、大丈夫です」
 貴昭も伊摘の側に来ると、触るなとばかりに伊摘の肩を抱き引き寄せた。
「お前は来るのが早かったな」
 眉を顰めた貴昭は嶋に来て欲しくないような言いかたで喋る。
「ちょうど近くを通ってましたので」
 伊摘は貴昭を見上げ、その精悍な頬に一筋の血の滲んだ傷を見て手を伸ばした。
「血が……」
「かすり傷だ。たいしたことねえ。それよりも伊摘、お前、俺の言うこと聞かなかっただろ?」
 貴昭の目は組員たちを見るように厳しい色が浮かんでいたが、口調はとても優しかった。
「貴昭が心配だったから……」
 伊摘は視線の強さに押されて目を伏せる。
「俺は自分の身は自分で守れる。伊摘はいつも自分の身を最優先に考えろ。俺は気が気じゃねえんだよ。これからは車に乗れっつったら乗れ。逃げろと言ったら逃げろ。わかったな」
 確かにその通りだった。
 貴昭は伊摘に心配されなくても、相手を倒していくだけの力も経験もある。
 伊摘がそこに入っていけば、逆に邪魔になるか殺されるだけだ。
「わかった」
 伊摘が頷くと、貴昭は目を細めてキスをしたそうな顔で見つめた。
 伊摘は慌てて嶋に目を向けてから貴昭を見つめ、困ったような目で貴昭に訴える。
 あからさまに残念な顔をして貴昭はため息をつくと、伊摘の肩から腰に手を当て気持ちを紛らわせるようにわき腹を撫でた。
 ゆったりとした思わせぶりな撫でかたに、思わず伊摘の体が小さく震える。
「嶋、だいたいのことは見当ついてんだろ?」
「はい」
「なら後はお前に任せる」
 伊摘の腰を抱いたまま立ち去ろうとした貴昭を嶋は引きとめた。
「待ってください」
 貴昭は不機嫌な顔で嶋を睨む。
 それを見ても嶋は顔色一つ変えずに喋った。
「組長、供の者をつけずに伊摘さんと二人だけで帰って来るのは危険です」
 貴昭は仕事が早く終りそうなとき、必ず伊摘を迎えに来る。
 そして供の者を連れずに、貴昭が運転する車で二人だけでマンションへと帰ってきていた。
 貴昭が二人だけの空間に、他の者がいるのを嫌がるからだ。
「伊摘は俺が守る。それで問題ねえはずだ」
 面倒くさそうに言った貴昭に、嶋は軽く眉を顰めた。
「もし組長が撃たれたら?」
 貴昭は押し黙り、意地の悪い質問をした嶋を射るように見つめる。
 そう、もし貴昭が撃たれたら……それはすなわち伊摘も死を意味する。
 伊摘を守る人は誰もいなくなるのだから。
 今回のことも、貴昭が撃たれていたら伊摘も無事ではなかった。
「もし十人の相手が襲ってきたら?」
 さらに過酷な場合を想定した嶋に、貴昭は唸り声をあげて髪を乱暴にかく。
 貴昭一人だけならばなんとかなるだろうが、伊摘にまで手が回らないだろう。
 そして、そのことも伊摘の危険を意味する。
 嶋は広い可能性を視野に入れて考えているようだった。
「一番大事なのは伊摘さんの命です。それを考慮して行動して下さい。失ってしまってからでは遅いですよ」
 諭すような嶋の声に、貴昭は仕方なく折れた。
「運転手一人よこせ」
 すると嶋はそれに便乗して更につけ加えた。
「助手席にもう一人つけましょう」
 貴昭は一瞬嶋を睨んだが、何も言わなかった。
 守りが堅ければ堅いほど伊摘は安全になる。それにうかつに手出しさせない牽制の意味もある。
 そのことを貴昭は誰よりも知っている。
 伊摘の危険が減ることを思えば、嫌とは言えないのだ。
 嶋は貴昭から伊摘に視線を向け、問うように見つめる。
 伊摘はもちろん異論はない。貴昭が問題なければ。
 伊摘が小さく頷くと、嶋も僅かに微笑を浮かべて頷いた。
 言葉にしなくとも視線や仕草だけで意思の疎通をする二人の様子に、貴昭は面白くなさそうな顔で腰に回した腕に力をこめる。
 そして、もう話は終ったとばかりに貴昭は伊摘の腰を抱いたままエレベーターへと向かっていく。
 伊摘はかろうじて嶋に頭を下げると、嶋は軽く頷き、もう貴昭を引き止めることはしなかった。


 シャワーを浴び終えて寝室に向かうと、貴昭は背を向けたまま携帯電話でまだ話をしていた。
 かれこれ、もう一時間以上話をしていることになる。
「ああ、それでいい。たいした奴じゃ……」
 貴昭は気配を感じて後ろを振り向き、そこに伊摘を見つけると言葉を切った。
 伊摘は気まずげな雰囲気を察して、静かに寝室から出る。
 貴昭が電話の内容をあまり聞かせたがらないのを知っているから逃げたのだ。
 洗濯も終ってしまったので、することがなくリビングのソファに腰を下ろしテレビをつけた。
 欠伸をしながら、ぼんやりと時計を見上げると時間は午前零時。
 いつもはもうベッドに入っている時間だ。
 貴昭がいるので、料理や洗濯といったことに普段よりも時間がかかってしまい、しかも今は寝室すら行けない。
 毎日が忙しい貴昭と少しでも長く一緒に過ごせるのは嬉しいが、それとひきかえに自分の自由や睡眠時間がなくなるのは仕方がないことだった。
 肩にかけたタオルで濡れた髪を拭き、ソファに横になる。
 すると、すぐに睡魔が襲ってきた。
 重い瞼を擦り、テレビを見るとはなしに見ていると、寝室のドアが開く音がした。
 目の前に現れた貴昭が伊摘の伸ばしていた足を折り曲げ、そこにできたソファの空間に座る。
「悪かったな」
 謝罪し、貴昭は上半身を伸ばし伊摘に口づける。
「ううん、大丈夫」
 欠伸を噛み締めて伊摘は上半身を起こし、テレビを消し立ち上がった。
 貴昭も立ち上がり、寝室へと向かう伊摘の後をついてくる。
 寝室へ入り、伊摘は着ていたTシャツとハーフパンツを脱いで、パジャマに着替えようとした……が、下着姿一枚になったところで、いきなり背後から貴昭に押し倒された。
 ベッドに倒れた伊摘の上に、貴昭がすかさず乗ってくる。
 見れば貴昭はいつの間にか全裸になっていて、その素早さたるや一体いつ服を脱いだのか疑いたくなるような早業だった。
 貴昭は熱いキスで唇を塞ぎ、伊摘の下着を邪魔だとばかりに脱がせて背後に放る。
 この流れは素直に伊摘を寝かせるようなものではないと嫌でもわかった。
 貴昭のもう一人のやんちゃ坊主が、いつでも出撃できる体勢で伊摘の内股を突いていたからだ。
 伊摘は唇を舐められながら、貴昭の体を僅かに押した。
「貴昭、もう今週はできないはずだ」
 嶋の下で働くようになってから、貴昭にセックスを週二回と制限させている。
 でなければとてもではないが、体がだるくてベッドから動けない。
 今週はもうすでに二回しているため、伊摘には拒む権利がある。
「やりてえ……だからいいだろ」
 貴昭は子供のような言い訳を口にして、股間へと手を伸ばしてきた。
 それを素早く拒み、伊摘は軽く貴昭を睨んだ。
「今日は無理。疲れたから寝たい」
 疲れを理由にすれば貴昭は伊摘を慮ってくれる、そう思って言ったが、貴昭はなおも言い募った。
「なら、一回で終わらせる」
「貴昭……」
 伊摘はため息をついて前髪をかきあげた。
 貴昭の性欲は、伊摘を思いやるより自分を満たす方が優先のようだった。
 いつもなら伊摘のことを考えてくれる貴昭も、下半身の暴走にはどうすることもできないのだとわかる。
 伊摘は明日も仕事があるのに、セックスをして辛い疲れを引き摺ったままに働くことになるのが嫌だった。
 だが、ため息をついたところで、したくないと口にしたところで、貴昭の勃起がおさまるわけではない。
 また一人虚しく処理させるのも忍びないといえば忍びない。
 内股をぐいぐい突いている貴昭のものにそっと触れれば、待ち構えていたように更に重量を増した。
 許しを待つ犬のように、貴昭は何度も伊摘の頬や額や唇にちゅっちゅと口づける。
 これでも貴昭は伊摘の許可を待っているのだ。
「一回きりだから。約束を守るんだったらしてもいい」
 貴昭には一度きりと約束させても、過去にもう何度も破られている。
 セックスを譲歩したのだから、今度こそ約束を守って欲しかった。
 固い口調で告げた伊摘に、貴昭も「わかった」と真面目に頷いたが、目の奥の欲望は喜びを隠しきれていない。
 この分ではちゃんと約束を守れるかあやしいところだ。
 貴昭は伊摘の上から退くと、ベッドに仰向けになり、その上に伊摘を後ろ向きで跨がせた。
「ケツをこっちに持って来い」
 貴昭と腐るほどセックスしている伊摘にとっても、シックスナインは未だ恥ずかしいが、言われたとおり伊摘は貴昭の顔の上に尻を持ってきた。
 天を向いている貴昭の巨大なものを軽く手で扱き、舌を伸ばして舐める。
 大きすぎて全てを口に入れることはかなり苦しく、伊摘は先端のくびれの部分を銜えるか、舐めることしかしない。
 この大きさでは根元まで銜えることはできないだろう。
 伊摘より先にシャワーを浴びた貴昭からは微かに石鹸の匂いがした。
 舌で浮き出た筋をなぞるように下から上へと舐める。
 思わず亀頭を撫でて可愛がってあげたいと思うのは、そうすると貴昭のそこが嬉しそうに喜んでいるのがわかるからだ。
 貴昭はゆったりとした動きで伊摘の尻を揉み、親指で蕾を探っている。
 伊摘は丁寧な口と手の愛撫で貴昭の吐精を促した。
 貴昭の腹部に力が入り、膝を少し曲げると、息づいた先端から白濁が迸った。
 口に銜えていた先端から、生暖かい体液が喉に流れこんでくる。
 飲むのは苦手だし、あまりにも量が多すぎるため、伊摘はいつも口から出していた。
 勢いよく勃起したものが弧を描いて口から出ると、飛沫が伊摘の顔にまでたっぷりとかかる。
 思わず目を瞑ってやりすごしたが、口の中から顔まで精液塗れになった。
 貴昭の雄の匂いが鼻腔を充満する。
「ごほっ、ごほっ」
 咳きこむと、半開きにした口の端から唾液交じりのねっとりとした白濁が伝い落ちる。
「大丈夫か?」
 貴昭は伊摘を自分の体の上から下ろし、咳きこむ伊摘に数枚ティッシュを抜き取ってよこした。
「大丈夫……」
 ティッシュを受け取り、伊摘は口の中の液体を吐き出す。
 貴昭はベッドを軋ませて降りると寝室を出て行った。
 もう数枚ティッシュを抜き取り、口を押さえながら胸やシーツまで飛び散ったものを丁寧に拭き取る。
 貴昭が濡らしたタオルと水の入ったグラスを手に戻ってきた。
 ベッドに腰を下ろし、優しい手つきで伊摘の顔を拭く。
 いつもとは違う貴昭の様子に、伊摘はつい訝しげな声をあげていた。
「貴昭?」
「ん?」
 グラスを手に、伊摘はそれ以上なんと言ったらいいかわからず躊躇する。
 貴昭は優しいが、ここまで優しくない、と言ったら言葉に語弊があるだろうか。
 普段の貴昭は心優しき暴君だ。
 したいことは必ずするし、それは伊摘が嫌だと言っても、自分の意にそわないときは決して頷かない。
 時として優しさのこもった暴力も振るうときもある。
 お前のものは俺のものと迷いもなく言う俺様タイプだ。
 言う言葉が見つからずに困ったように俯き水を飲むと、顔を拭き終えた貴昭が、鼻先に優しくキスをする。
「かなり疲れた顔をしてるぞ」
 言われて原因はそれかと思い当たる。
 貴昭なりに伊摘のことを心配していたのだ。
 貴昭は伊摘からグラスを取り、サイドテーブルに置くと、伊摘の体を静かにベッドに横たえた。
 貴昭もその隣に横になり、伊摘を抱き寄せる。
 逞しい貴昭の腕の中に入り鼓動と体温を感じていると、たとえようもない安心感がわきあがった。
 疲れと居心地のよさに欠伸がこみ上げてくる。
 貴昭のものはまだ硬く張り詰めていたので、遠慮がちに訊いた。
「もういいのか?」
 貴昭にしてみればカウントできない一回だっただろう。
 伊摘も挿入しての一回だと思っていたため、これだけで終るとは思ってもみなかった。
「いい」
 不満な様子もなく素直にそう口にした貴昭に、伊摘は驚いた。
 セックスを最後までしなかったわけは、思った以上に疲れていた伊摘の表情を見たからだろうか。
 ただ、伊摘にしてみれば、とてもありがたい。
 貴昭は伊摘を抱きしめて髪を優しく撫でた。
 伊摘は欠伸をしながら目を閉じ、うとうとしているうちに次第に眠りへと落ちていった。
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