117 / 192
第2章 久瀬玲華
1年と数ヶ月ぶりに触れた彼女は⋯⋯
しおりを挟む
『⋯⋯助けて』
打ちひしがれた玲華を見て、電話越しでの彼女の声が蘇ってくる。
もしかして⋯⋯本当に玲華は、俺に助けを求めていたんじゃないだろうか。
この状況から助けてほしくて。この苦しみから解放されたくて。
俺は役者じゃないからわからないけども、役者にとって自分が作り込んだ役を否定されるというのは、自分が否定されるたも同然なのではないだろうか。
玲華は今、自分を全否定されて苦しんでいるのではないだろうか。
凛が自分を全否定されたと感じたように。
玲華もまた、今そうなっているのではないのか。
「玲華⋯⋯」
声をかけて、肩に手をかけようとすると。
「⋯⋯ダメ」
小さく震えた声で拒否された。
「ショーが優しいのはよく知ってるよ⋯⋯でも、今はダメ」
その姿はあまりにも痛々しくて、抱きしめてあげたくなる。罪悪感も背徳感も全部背負って、ただ目の前で泣き崩れる彼女を救いたかった。
「嘘ついて呼び出して、それでこんな泣き言行って慰めてもらってたら⋯⋯私、リンよりも、もっとズルい女になっちゃう」
苦しい時に苦しいっていうのはズルいのか。
凛も、玲華も⋯⋯どうしてそんなに自分に厳しく生きていられるんだ。
「⋯⋯こんなつもりじゃなかったのにな。ちょっと会って、話して、君をからかって⋯⋯それで元気もらいたかっただけだったのに」
思い出しちゃった、と大きく溜息を吐いた。
「一昨日もそう。他校の学祭であんなことするつもりなかった。あんな大事になんてするつもりなかった。ちょっとショーに会えて、ちょっと話せたら⋯⋯それだけでよかったのに」
「⋯⋯⋯⋯」
「でもさ、君達すごく楽しそうだった。私がこんなに苦労してるのに。腕なんか組んじゃって、私がしたかったこと、できなかったことしてて⋯⋯羨ましかった」
玲華は、俺が凛と2人で学祭を回っているところを見ていたのだ。
それでだったのか。
彼女があんな大胆なことをしたのは。本当に凛が憎かったのか。だから、ああやって大衆の前で凛を挑発して、叩き潰そうとしたっていうのか。
それに対して怒りを覚えないと言ったら嘘じゃない⋯⋯他にやり方があるだろうと言いたい。
でも、こんな風に玲華を苦しめている俺が、どの面下げて言えるっていうんだ。
何も言えない。彼女が苦しんでいるのは、俺のせいなのだから。
「ほんとは今日、無理矢理オフにされたんだ。役作りしてこいって言われて。そんなの、急に作り込めって言われたって⋯⋯無理じゃん。丹精込めて作った〝優菜〟を殺して、別人に変えろって⋯⋯1日で変えれるわけないじゃん」
玲華はまた顔を伏せて、静かに泣いた。
──無理じゃん。
こんな言葉が玲華の口から出てくるとは、思ってもいなかった。
どんな大変な事でも、なんでも軽くやってのける。それが久瀬玲華だと思っていたから。
でも、違ったのだ。俺からしたら超人みたいな玲華でも、無理と感じることがある。俺や凛のように⋯⋯諦める事がある。
俺は、何にも彼女のことをわかっていなかった。
「あの時さ」
「ん?」
「あの、自販機でコーヒー奢ってくれた時」
「ああ」
「ほんとは私が撮影の足引っ張ってたんだ。正確に言うと、私と準主役の女の子が、だけど」
俺にはあの時の玲華はすごく輝いていたように見えた。
それでも、ダメなのだろうか。そんなに厳しい世界なのか。
「私もだけど⋯⋯もう一人の子も結構キツそうでさ。笑うでしょ。主役と準主役がダメだしされすぎて撮影にならなくて、今日は私達抜きで撮影してるの。私達がいなくていいシーンの」
それでも玲華は逃げない。
彼女が強いから。
俺なら絶対に絶えられない屈辱にもこうして耐えている。たった一人、家族もいないこのアパートで。
「きっと、バチが当たったんだよね。リンにもあんなひどい事言って、結局自分もこのザマ。何がズルい、よね⋯⋯私が一番ズルいっつーの⋯⋯」
何も言ってやれないもどかしさ。
何もしてやれないもどかしさ。
「ごめん⋯⋯もう帰って。泣き言止まらなくなりそうだから」
自分よりもはるかに頑張っている子にかける言葉なんて、何もありはしない。
俺はあまりにも無力だ。無力すぎて、何も言ってやれない。
(だから、せめて⋯⋯)
黙って立って⋯⋯膝を抱えて座ってる彼女をそっと抱き締めた。
いつかのように柑橘系の香水の匂いで鼻孔が満たされて、一気に記憶が過去へと戻される。
1年と数ヶ月ぶりに触れた彼女はとても弱っていて⋯⋯冷たかった。
「ショー⋯⋯君、バカだよ⋯⋯」
バカだ。本当に。
どうしていいのかわからなくて、どんな言葉をかければいいのかもわからなくて⋯⋯結局こんなことしかできない。こんなことしたって、誰も救われないのに。
彼女はそれからも静かに泣き続けていた。
俺の肩をぎゅっとつかんで、嗚咽を殺すように。
そのまま何も話さないまま、時間だけが過ぎた。それから数分だろうか、何十分だろうか。時間もよくわからないが、しばらくそうしていた。
気持ちが落ち着いてきたのか、嗚咽が収まってくると、彼女はぽんぽんと、俺の肩を叩いた。
「⋯⋯ありがとう、もういいよ」
ゆっくりと彼女から離れる。
初めて見る、彼女の泣き顔。とても愛おしいけれど、そう感じてはいけないと思う自制心もどこかにあって。
本当に、俺は何を考えているんだろうな。
「私⋯⋯たくさんズルしちゃったから、ペナルティが必要だね」
「ペナルティ?」
「ううん、こっちの話」
言って、彼女は立ち上がった。立ち上がって、俺を追い出すように、背中を押してくる。
「わ、なんだよ」
「もういいから。ほら、帰った帰った!」
いきなり追い出される方の身にもなってほしいのだが、彼女の声はさっきよりも元気そうだ。正気がしっかりと戻っている。
押し出されるように玄関まで追いやられ、よくわからないまま靴を履かされる。
玄関に腰掛けて、座って靴を履いていると──そっと、彼女を後ろから俺に覆いかぶさってきた。
彼女の柑橘系の香りが、俺を包み込む。
「ショー⋯⋯ありがとう」
耳元でそれだけいうと、名残惜しそうに離れる。
帰り際に小さく手を振るので、それに応えて⋯⋯彼女の部屋を出た。
もう空には月が登っていて、暗くなっていた。
(結局、課題出せてないし)
もう郵便物はポストから収集されてしまっているだろう。
何やってんだか。
俺も、何やってんだか。
でも⋯⋯彼女が少し元気になってくれたかと思うと、なんだか少し心が晴れやかになっていて。
これでいいはずがない。でも、今だけはきっとこれでよかったんだと、自分に言い聞かせた。
打ちひしがれた玲華を見て、電話越しでの彼女の声が蘇ってくる。
もしかして⋯⋯本当に玲華は、俺に助けを求めていたんじゃないだろうか。
この状況から助けてほしくて。この苦しみから解放されたくて。
俺は役者じゃないからわからないけども、役者にとって自分が作り込んだ役を否定されるというのは、自分が否定されるたも同然なのではないだろうか。
玲華は今、自分を全否定されて苦しんでいるのではないだろうか。
凛が自分を全否定されたと感じたように。
玲華もまた、今そうなっているのではないのか。
「玲華⋯⋯」
声をかけて、肩に手をかけようとすると。
「⋯⋯ダメ」
小さく震えた声で拒否された。
「ショーが優しいのはよく知ってるよ⋯⋯でも、今はダメ」
その姿はあまりにも痛々しくて、抱きしめてあげたくなる。罪悪感も背徳感も全部背負って、ただ目の前で泣き崩れる彼女を救いたかった。
「嘘ついて呼び出して、それでこんな泣き言行って慰めてもらってたら⋯⋯私、リンよりも、もっとズルい女になっちゃう」
苦しい時に苦しいっていうのはズルいのか。
凛も、玲華も⋯⋯どうしてそんなに自分に厳しく生きていられるんだ。
「⋯⋯こんなつもりじゃなかったのにな。ちょっと会って、話して、君をからかって⋯⋯それで元気もらいたかっただけだったのに」
思い出しちゃった、と大きく溜息を吐いた。
「一昨日もそう。他校の学祭であんなことするつもりなかった。あんな大事になんてするつもりなかった。ちょっとショーに会えて、ちょっと話せたら⋯⋯それだけでよかったのに」
「⋯⋯⋯⋯」
「でもさ、君達すごく楽しそうだった。私がこんなに苦労してるのに。腕なんか組んじゃって、私がしたかったこと、できなかったことしてて⋯⋯羨ましかった」
玲華は、俺が凛と2人で学祭を回っているところを見ていたのだ。
それでだったのか。
彼女があんな大胆なことをしたのは。本当に凛が憎かったのか。だから、ああやって大衆の前で凛を挑発して、叩き潰そうとしたっていうのか。
それに対して怒りを覚えないと言ったら嘘じゃない⋯⋯他にやり方があるだろうと言いたい。
でも、こんな風に玲華を苦しめている俺が、どの面下げて言えるっていうんだ。
何も言えない。彼女が苦しんでいるのは、俺のせいなのだから。
「ほんとは今日、無理矢理オフにされたんだ。役作りしてこいって言われて。そんなの、急に作り込めって言われたって⋯⋯無理じゃん。丹精込めて作った〝優菜〟を殺して、別人に変えろって⋯⋯1日で変えれるわけないじゃん」
玲華はまた顔を伏せて、静かに泣いた。
──無理じゃん。
こんな言葉が玲華の口から出てくるとは、思ってもいなかった。
どんな大変な事でも、なんでも軽くやってのける。それが久瀬玲華だと思っていたから。
でも、違ったのだ。俺からしたら超人みたいな玲華でも、無理と感じることがある。俺や凛のように⋯⋯諦める事がある。
俺は、何にも彼女のことをわかっていなかった。
「あの時さ」
「ん?」
「あの、自販機でコーヒー奢ってくれた時」
「ああ」
「ほんとは私が撮影の足引っ張ってたんだ。正確に言うと、私と準主役の女の子が、だけど」
俺にはあの時の玲華はすごく輝いていたように見えた。
それでも、ダメなのだろうか。そんなに厳しい世界なのか。
「私もだけど⋯⋯もう一人の子も結構キツそうでさ。笑うでしょ。主役と準主役がダメだしされすぎて撮影にならなくて、今日は私達抜きで撮影してるの。私達がいなくていいシーンの」
それでも玲華は逃げない。
彼女が強いから。
俺なら絶対に絶えられない屈辱にもこうして耐えている。たった一人、家族もいないこのアパートで。
「きっと、バチが当たったんだよね。リンにもあんなひどい事言って、結局自分もこのザマ。何がズルい、よね⋯⋯私が一番ズルいっつーの⋯⋯」
何も言ってやれないもどかしさ。
何もしてやれないもどかしさ。
「ごめん⋯⋯もう帰って。泣き言止まらなくなりそうだから」
自分よりもはるかに頑張っている子にかける言葉なんて、何もありはしない。
俺はあまりにも無力だ。無力すぎて、何も言ってやれない。
(だから、せめて⋯⋯)
黙って立って⋯⋯膝を抱えて座ってる彼女をそっと抱き締めた。
いつかのように柑橘系の香水の匂いで鼻孔が満たされて、一気に記憶が過去へと戻される。
1年と数ヶ月ぶりに触れた彼女はとても弱っていて⋯⋯冷たかった。
「ショー⋯⋯君、バカだよ⋯⋯」
バカだ。本当に。
どうしていいのかわからなくて、どんな言葉をかければいいのかもわからなくて⋯⋯結局こんなことしかできない。こんなことしたって、誰も救われないのに。
彼女はそれからも静かに泣き続けていた。
俺の肩をぎゅっとつかんで、嗚咽を殺すように。
そのまま何も話さないまま、時間だけが過ぎた。それから数分だろうか、何十分だろうか。時間もよくわからないが、しばらくそうしていた。
気持ちが落ち着いてきたのか、嗚咽が収まってくると、彼女はぽんぽんと、俺の肩を叩いた。
「⋯⋯ありがとう、もういいよ」
ゆっくりと彼女から離れる。
初めて見る、彼女の泣き顔。とても愛おしいけれど、そう感じてはいけないと思う自制心もどこかにあって。
本当に、俺は何を考えているんだろうな。
「私⋯⋯たくさんズルしちゃったから、ペナルティが必要だね」
「ペナルティ?」
「ううん、こっちの話」
言って、彼女は立ち上がった。立ち上がって、俺を追い出すように、背中を押してくる。
「わ、なんだよ」
「もういいから。ほら、帰った帰った!」
いきなり追い出される方の身にもなってほしいのだが、彼女の声はさっきよりも元気そうだ。正気がしっかりと戻っている。
押し出されるように玄関まで追いやられ、よくわからないまま靴を履かされる。
玄関に腰掛けて、座って靴を履いていると──そっと、彼女を後ろから俺に覆いかぶさってきた。
彼女の柑橘系の香りが、俺を包み込む。
「ショー⋯⋯ありがとう」
耳元でそれだけいうと、名残惜しそうに離れる。
帰り際に小さく手を振るので、それに応えて⋯⋯彼女の部屋を出た。
もう空には月が登っていて、暗くなっていた。
(結局、課題出せてないし)
もう郵便物はポストから収集されてしまっているだろう。
何やってんだか。
俺も、何やってんだか。
でも⋯⋯彼女が少し元気になってくれたかと思うと、なんだか少し心が晴れやかになっていて。
これでいいはずがない。でも、今だけはきっとこれでよかったんだと、自分に言い聞かせた。
0
お気に入りに追加
260
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる