Citrus 柑橘探偵

みのり

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2幕 時の廃れた研究室

5話 狸の腹太鼓

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 僕らは日村さんの部屋をあとにしたあと、エレベーターで最上階である5階に向かっていた。病院のエレベーターを想起させるように広く、消毒液臭い。松原さんがタバコを吹かしていたなら、きっといくらかこの空間もマシになったろう。
 
「奈津子さん。次はなんの研究をしてる人ですか」
「次はこの研究所の所長です。多忙な方ですから、時間がある今のうちにしましょう」
 先程、松原さんが時計を気にしていたのはこのためだったのだろう。
 
 5階でエレべーターが開くと、紅い眼鏡を輝かせた秘書が迎えに立っていた。僕らがそのフロアに降りたあと、すこし焦ったような素振りを見せた。
「所長のもとへ案内いたします。もう一度、エレベーターにお乗りください」
 秘書に案内されるがまま、一行は再度乗り込んだ。今度は秘書も一緒に乗り、壁面の何もない場所に手をかざした。壁面が優しく緑色に光ると扉が閉められてしまい、そのまま表記が存在しない階層に向かった。

 掌紋センサーの組み込まれたエレベーターとは何ともセキュリティの高い施設なのだろうと今一度驚かされる。内部構造をイメージしたくなり、考え出したところでエレベーターが到着のメロディーを奏でた。
「なはは、よく来たな。若人たち」

 扉が開いた先で迎えたアロハシャツを着た男は笑って、狸のようにお腹をポンッと叩いた。生活水準の高い体型からして所長であるのだと予想がついた。
「警視庁二課の松原です。予めお願いしていました事情聴取にご協力お願いします」
松原さんの顔が不格好にキリッとしている。堅い振る舞いが本当に苦手なのだろう。

「所長の長沼久嗣ながぬまひさしです。なんなりとご協力させてください。さあさあ、お座りください、今日は一息も休憩を取れていないでしょう」
 長沼さんの手の招く先に数百万は下らない一人がけソファーとテーブルが厳めしく存在していた。僕は七つあるうち一つのソファーに気を惹かれ腰を下ろした。ソファーそのものに違いは見受けられないが、他の椅子に比べてこの椅子の接地面にだけ引きずったような跡があったからだ。

 この部屋にはカーペットは敷かれておらず、温かみのある木製フローリングであるため、傷が付きやすかったのだろう。掃除の時に傷つけてしまった可能性もないわけではない。しかし、入室時に見渡して受けた完璧主義の印象からかけ離れている。そこが僕の頭の中で引っかかっている。

 僕の左隣に松原さん。更にその左隣に奈津子さん。奈津子さんの正面に長沼さんが対面している。僕らの後ろから秘書が紅茶を差し入れてくれた。紅茶に付け合わせて砂糖とミルクは置かれているが檸檬は置かれていなかったので少し残念だった。ホットレモンティーはマイナーなのだろうか。巷のコンビニに発売されているレモンティーは大手のアイスティーしかない。ホットがない。これは僕にとっては唾棄すべきことだ。檸檬がないのならと僕は角砂糖を六個入れて飲まずに置いた。

 松原さんたちはストレートでひと啜りすると本題に入った。
「所長さんはこの部屋の入出記録を確認すればほぼアリバイが確保できるのですが、念の為聞かせてください。入出記録は後から改ざん等することは可能ですか」
 所長は妊婦かのように腹を擦り考えるとある結論に至ったようで腹太鼓を打った。

「なはは、おそらくできないと思いますよ。管理サーバーはこの部屋の奥にありまして、管理会社に委託してますからサーバーをいじるパスワードは無いんですよ。それに万が一、管理会社にパスワードの問い合わせがあった場合には私の専用デバイスと警備室のパソコンに一方入るようになってますからわかります」
「管理会社に問い合わせがなかったか念の為に確認をとってもよろしいでしょうか」
「なはは、構わんよ。それより、君たちには履歴書が必要だと思うんだ」

 ソファーに沈む反動で立ち上がるとデスクの引き出しから分厚いファイルを引き出してテーブルの上においた。
「ありがとうございます。参考にさせていただきます」
「なはは、いいんだ。ただ、紙一枚ですらこの部屋からは出さないでほしいんだ。こんなに大切は個人情報を私は持っているんだからね。私これから出資希望者と対談が控えてるからいなくなるけど、この部屋は秘書に言っていただければ自由に使ってもらって構わないよ」
 
 松原さんが「勿論です」と頭を下げた後、長沼所長はエレベーターで去っていった。
「こんなにたくさんの資料、読み切るのに何日かかるのでしょう」
 

 この大量の資料に目を通すのは俺が適任だった。柚葉はぜひとも被疑者に事情聴取をして、その観察眼で我々では遠く至れない答えを見抜いてほしい。また、奈津子には柚葉を起用する際に適応された例の契約条件を満たせるように彼のもとにいてほしい。そして、禁煙で周りの人たちまで不快にさせてしまっている俺こそが一人になるべきだ。
「この事務作業は俺に任せて2人で行きな」
 俺は格好つけて、紅茶に手を伸ばした。
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