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帳倶楽部
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公園に着いた。
この辺りで最も大きな自然公園で、大規模に植林された木々と、整えられた花壇、常にチリひとつ落ちていない美しい歩道に、中央付近に蓮の浮いた池もある。
それらを暖色の灯りが照らし出し、自然の美しさを優しく映し出している。
眼前に映る光景に、どこか非現実感を感じながら、僕は前に進み出る。
誰もいない。そう思っていたのだが、棒置き場の近くのベンチに、誰かが座っていた。
目を落として、何かを見つめている。青白い光に照り返されたその顔は、いつも思うのだが、年齢の割に老けて映った。
「やあ、トミー」
僕は声をかけ、手を軽く上げた。
画面に顔を落としていたトミーが目を上げ、こちらを見る。
彼はにこやかに微笑んで、「ハイ」と言った。画面はまだほの青い光を放っている。
僕はトミーの横に座り、何気なく言った。
「仕事は終わったのかい? 早いね」
トミーは首を振って、再び画面の中に目を落とした。
「いいや、これからさ」
そう言って黙り込む彼の肩越しに、彼の見つめているパネルの画面を盗み見る。
その中では色とりどりのビーンズが長方形の箱の中に並べられていて、彼は指を動かしてそれらを動かし、同じ色にして消している最中だった。
「……なんだかな」
トミーは画面から目を離さないまま、続けて言った。その目は画面を見ているようで、遠くのどこかを見つめてい
るような目だった。
「やる気が起きないんだ。最近。……これって、変かな」
僕は滑り台の先の木を見ながら、答えた。
「分かるよ、その気持ち」
僕は頭の後ろで腕を組み、首を支えた。
トミーが僕の方を見て、ニヤッと笑って言った。
「それ、最近流行ってるトークショーのアレだろ。司会者の」
「……ああ」
僕は思い出した。何気ない仕草が大袈裟で、顔がアニメから飛び出てきたような派手な顔をした司会者が、事あるごとにゲストの話に訳知り顔に「分かるよ、その気持ち」と言うのだ。
彼は巷ではちょっとしたスターで、その言葉を流行らせた張本人でもある。
僕は苦笑して、言った。
「別に真似して言った訳じゃない。本当だよ。分かる気がするんだ、その気持ちが。何故なら、今僕は、やる気がまったく出ていない。本当だよ」
「……分からないな」
再びトミーは無表情に画面の中に顔を落とすと、ビーンズ潰しに取り掛かる。
彼の指は彼の意思とは無関係に、まるで別個の生き物のように勝手に動いているように見えた。
彼はそんな指の動かす画面を、見るともなしに見つめている。その青白い横顔が、どこか寂しげに映り、僕は自分の中に焦りが見え始めるのを悟った。
彼が言った。
「僕は、外では消防士だったんだ。体を使う仕事だよ。毎日筋トレをして、有事の為の打ち合わせをして、お呼びが掛かればベルと共に出動する。……懐かしいな、あの太い棒を滑り降りる感覚……」
僕は地面に目を落とした。火事は今は国中の建物に設置されたスプリンクラーが消してくれるし、住民は据え置きの脱出口さえ通ればどこからでも即時に脱出できる。
誰の助けも必要としていない。
「……家に帰ったら、妻と子供が迎えてくれる。子供は殆ど寝ていることが多くて、妻に抱えられている姿も、殆ど寝ぼけているような状態だったけれど……。まあ、楽しかったな。あの日々は」
僕は、無言で聞いていた。
「……帳倶楽部に引っ越してきたのは、妻の希望だったんだ。妻は夜型で、ネットの仕事だから。尚更ね。こんな場所が世界にあるのに、一度しかない人生、自分の生きたい環境で来てみたい。僕は妻の事を愛しているから、決断は簡単だったよ。彼女を幸せにしてあげたかった」
僕は足元に転がっている何気ない石ころを見つめている。
「……でもさ、入国審査の時に驚いたね。基本的にこの国では働かなくてもいい。毎日遊んで暮らせると言うじゃないか。心底驚いたね。この国はどの様にして回っているんだろうってね。君も会ったろう? あの片眼鏡の小太りのおっさんさ。あいつ曰く、消防士も事足りてるって言うんだ。街のスプリンクラーと脱出口さえあれば、住民は他人の力を借りることなく、外に出られる。自分の命を守ることができる……こんなに毎日、どこかで花火が上がっているというのに、火の気配があるのに、消防士は要らないときた」
僕は入国審査の時に見た、あの男を思い出す。小太りの片眼鏡。フロックコートを窮屈そうに着込み、僕等二人の様子をジロジロと見つめていた。眼鏡は紐がついており、それがポケットの中に仕舞い込まれていた。
僕はトミーを横目で見つめた。
彼は続ける。
「いいんだ。妻が決めた事だ。僕は妻のしたいようにさせてあげたかった。今じゃ子供もそれなりに大きくなって、この国の幼稚園に楽しそうに通えている。幸せだ。そう。そして……幸せじゃないのは、僕だけなんだ。……多分」
僕は彼の様子を横目で見据えながら、話を聞いていた。
「……なあ、ジョン、君は何とも感じないのかい? この世界、この国の在り方に。……僕は最近、自分が気が狂ってしまうんじゃないかと気が気じゃないんだ。この世界を否定してしまいたくなる。働かなくてもいい、一生陽の登らない、誰かにとっては楽園みたいなこの世界の事を」
僕は何も言わなかった。
「……満足してるはずなんだ。なのに……」
僕はトミーの声音から、言葉を遮って言った。
「それまでにしよう、トミー。分かってるはずだろう。仕事にかかろう」
「ああ……」
どこかから、サイレンの音が聞こえてくる。
彼の手の中で、画面が光を失い、ビーンズは消失した。
公園の入り口に音がして、見ると、E地区を担当する、他の隊員達の姿が複数見えた。
僕はトミーの背中に手をやったまま、静かに立ち上がると、言った。
「……明かりを点けよう」
トミーは小声で、ああ、と言った。
公園に着いた。
この辺りで最も大きな自然公園で、大規模に植林された木々と、整えられた花壇、常にチリひとつ落ちていない美しい歩道に、中央付近に蓮の浮いた池もある。
それらを暖色の灯りが照らし出し、自然の美しさを優しく映し出している。
眼前に映る光景に、どこか非現実感を感じながら、僕は前に進み出る。
誰もいない。そう思っていたのだが、棒置き場の近くのベンチに、誰かが座っていた。
目を落として、何かを見つめている。青白い光に照り返されたその顔は、いつも思うのだが、年齢の割に老けて映った。
「やあ、トミー」
僕は声をかけ、手を軽く上げた。
画面に顔を落としていたトミーが目を上げ、こちらを見る。
彼はにこやかに微笑んで、「ハイ」と言った。画面はまだほの青い光を放っている。
僕はトミーの横に座り、何気なく言った。
「仕事は終わったのかい? 早いね」
トミーは首を振って、再び画面の中に目を落とした。
「いいや、これからさ」
そう言って黙り込む彼の肩越しに、彼の見つめているパネルの画面を盗み見る。
その中では色とりどりのビーンズが長方形の箱の中に並べられていて、彼は指を動かしてそれらを動かし、同じ色にして消している最中だった。
「……なんだかな」
トミーは画面から目を離さないまま、続けて言った。その目は画面を見ているようで、遠くのどこかを見つめてい
るような目だった。
「やる気が起きないんだ。最近。……これって、変かな」
僕は滑り台の先の木を見ながら、答えた。
「分かるよ、その気持ち」
僕は頭の後ろで腕を組み、首を支えた。
トミーが僕の方を見て、ニヤッと笑って言った。
「それ、最近流行ってるトークショーのアレだろ。司会者の」
「……ああ」
僕は思い出した。何気ない仕草が大袈裟で、顔がアニメから飛び出てきたような派手な顔をした司会者が、事あるごとにゲストの話に訳知り顔に「分かるよ、その気持ち」と言うのだ。
彼は巷ではちょっとしたスターで、その言葉を流行らせた張本人でもある。
僕は苦笑して、言った。
「別に真似して言った訳じゃない。本当だよ。分かる気がするんだ、その気持ちが。何故なら、今僕は、やる気がまったく出ていない。本当だよ」
「……分からないな」
再びトミーは無表情に画面の中に顔を落とすと、ビーンズ潰しに取り掛かる。
彼の指は彼の意思とは無関係に、まるで別個の生き物のように勝手に動いているように見えた。
彼はそんな指の動かす画面を、見るともなしに見つめている。その青白い横顔が、どこか寂しげに映り、僕は自分の中に焦りが見え始めるのを悟った。
彼が言った。
「僕は、外では消防士だったんだ。体を使う仕事だよ。毎日筋トレをして、有事の為の打ち合わせをして、お呼びが掛かればベルと共に出動する。……懐かしいな、あの太い棒を滑り降りる感覚……」
僕は地面に目を落とした。火事は今は国中の建物に設置されたスプリンクラーが消してくれるし、住民は据え置きの脱出口さえ通ればどこからでも即時に脱出できる。
誰の助けも必要としていない。
「……家に帰ったら、妻と子供が迎えてくれる。子供は殆ど寝ていることが多くて、妻に抱えられている姿も、殆ど寝ぼけているような状態だったけれど……。まあ、楽しかったな。あの日々は」
僕は、無言で聞いていた。
「……帳倶楽部に引っ越してきたのは、妻の希望だったんだ。妻は夜型で、ネットの仕事だから。尚更ね。こんな場所が世界にあるのに、一度しかない人生、自分の生きたい環境で来てみたい。僕は妻の事を愛しているから、決断は簡単だったよ。彼女を幸せにしてあげたかった」
僕は足元に転がっている何気ない石ころを見つめている。
「……でもさ、入国審査の時に驚いたね。基本的にこの国では働かなくてもいい。毎日遊んで暮らせると言うじゃないか。心底驚いたね。この国はどの様にして回っているんだろうってね。君も会ったろう? あの片眼鏡の小太りのおっさんさ。あいつ曰く、消防士も事足りてるって言うんだ。街のスプリンクラーと脱出口さえあれば、住民は他人の力を借りることなく、外に出られる。自分の命を守ることができる……こんなに毎日、どこかで花火が上がっているというのに、火の気配があるのに、消防士は要らないときた」
僕は入国審査の時に見た、あの男を思い出す。小太りの片眼鏡。フロックコートを窮屈そうに着込み、僕等二人の様子をジロジロと見つめていた。眼鏡は紐がついており、それがポケットの中に仕舞い込まれていた。
僕はトミーを横目で見つめた。
彼は続ける。
「いいんだ。妻が決めた事だ。僕は妻のしたいようにさせてあげたかった。今じゃ子供もそれなりに大きくなって、この国の幼稚園に楽しそうに通えている。幸せだ。そう。そして……幸せじゃないのは、僕だけなんだ。……多分」
僕は彼の様子を横目で見据えながら、話を聞いていた。
「……なあ、ジョン、君は何とも感じないのかい? この世界、この国の在り方に。……僕は最近、自分が気が狂ってしまうんじゃないかと気が気じゃないんだ。この世界を否定してしまいたくなる。働かなくてもいい、一生陽の登らない、誰かにとっては楽園みたいなこの世界の事を」
僕は何も言わなかった。
「……満足してるはずなんだ。なのに……」
僕はトミーの声音から、言葉を遮って言った。
「それまでにしよう、トミー。分かってるはずだろう。仕事にかかろう」
「ああ……」
どこかから、サイレンの音が聞こえてくる。
彼の手の中で、画面が光を失い、ビーンズは消失した。
公園の入り口に音がして、見ると、E地区を担当する、他の隊員達の姿が複数見えた。
僕はトミーの背中に手をやったまま、静かに立ち上がると、言った。
「……明かりを点けよう」
トミーは小声で、ああ、と言った。
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