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破(青い月編)
5節『幕間・宿命の子供達』
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樫崎渡が去った後、雨宮瞳は場が気まずい沈黙に支配されると思った。だが、萩谷は地上でのことなどなかったかのように、彼女の近くへと歩いてきた。
「さすがは噂に名高い先代の最強巫女か」
「萩谷くん……?」
「おまけに君の祖母は別次元の強さだったのだろう? 戦う必要すらなかったとか」
彼の様子は蘇生時とはやはり違う、そう瞳は感じた。陰鬱な雰囲気は消え、何かよからぬことを考えているようにも見えない。その雰囲気は三年前の彼に似ていた。
「どうして、萩谷くんが戦ったの?」
「僕は元来、戦闘員だ。寸鉄であんな戦い方もできると、さっき教わったばかりだ。灸を据えられるついでに」
「灸?」
「再調整だよ。一度死んだからには生まれ変われとね。これ以上、余計なことをするなと」
自嘲するように笑うと、さっと横を向いて倒れた人もどきを指さした。
「ところで、あれはどうする。まだ死んでいないが、こんなところにいつまでも置いておいていいのか」
「よくないわ。急所は外しただけだもの。雷の火傷もあるし、このままでは死んでしまう」
瞳が慌てて人もどきに駆け寄ると、それは確かに瀕死の状態だ。しかし、手当しようにも包帯も何もなく、その姿はどこまで近寄っても焦点があわない。ずっと見続けていれば、目眩すら起こしそうだ。
「巫女服の裾を破って包帯代わりにするわ」
「待て。先代巫女は何も言わなかったが、そいつは襲ってきたやつなんじゃないのか?」
「そうだけど、関係ないわ。倒れている人を放っておけないもの」
「まったく。君のお人よしは変わらないな」
そう言って、彼は上着を脱いだ。
「変わってくれ。君の服を汚す必要はない」
「でも、」
「応急処置は戦士の一般教養だ。君よりは止血の方法を知っている」
無理やり瞳をどかすと、上着を人もどきの腹に巻き始めた。血がじんわりと服に広がるが手際よく巻いて人体に程よい強さで縛り上げる。
「これでいい。で、この先はどうする」
「集落に近いところまで連れていくわ。そこなら誰か気付くだろうし」
「いい判断だ。ただ、そいつが目覚めてから何者なのか聞き出すのもありだと思うけど?」
「別に知りたくないもの」
「淡泊だね。寸鉄の作業もしないとなると母親に怒られるぞ」
そう言いつつも彼は人もどきの肩を取って担ぐと、そのまま背負った。
「方角はわかるのか?」
「樫崎くんが焼け野原にした場所を背に進めばたどり着くはずよ」
瞳は踵を返し、まだ未踏の地へと足を踏み入れた。先は林が広がるばかりだが、もう敵がいる気配はない。だが、それにしても瞳は不用意だと彼は感じた。彼女は萩谷とつかず離れず、ただ前だけをどんどん進んでいく。急いでいるわけではないのに。
「弱いと言われたことがショックだったか?」
その言葉に雨宮の足が止まった。
「母は天才だもの。……私とは違う」
「それでも今の内にコンプレックスは克服しておけよ。月にいる間に必ず話しておくんだ。三年前、あの人が死んだ時のことも」
「何を話すの」
「君が今の君になってしまったことだ。母親は死んだことを君のせいにはしていないし、これ以上罪の意識を重ねることも――」
「違うわ!」
彼女は思わず叫んでいた。
「私のせいで母は死んでしまった。たとえ恨んでいなかったとしても、その事実は変わらないの。これは母じゃなくて、私の問題なのよ!」
「それでも他者を救う機械と化した君を見て、あの人がいいと思っているわけがない。それを確かめるべきだ」
「母だって、雨宮の巫女よ。怨霊から人を守ることが全てなの。私達はそうやって生きるしかない。萩谷くんにだって、萩谷家の掟があるでしょう」
「家の掟と君の問題は別問題だ。なぜなら、君は、」
「聞きたくない!」
そう言って、彼女は走り出して行ってしまった。
「もっと肩の力を抜けと言ってるんだ」
今だけは樫崎の気持ちがわかるなと彼は思い、すぐに追いかける。それにしても取り乱すとはめずらしい。母と出会ったことが悪い方に揺らいでいるのか、かつてはどうだったかと彼は回想する。
――事の起こりは三年前。雨宮雫が死んだ前後のことだ。彼女の死因は怨霊による魂の穢れの蓄積によるもの。浄化の力を以てしても、直接負の塊に触れることで少しずつ穢れが増えていく。それはまるでシミのようなもの。どうしても落ちない汚れが癌のように体全体に進行していく。代々全ての巫女がそれにより死亡し、霊体が月へと赴くのだ。
特に雨宮雫は霊力が弱く、穢れの蓄積も早かった。そこで目をつけられたのが、まだ幼い瞳だ。彼女は祖母の隔世遺伝か霊力が強い。彼女の力で穢れを取り除けるのではと考えた神主と青鷺の研究機関が雫の浄化実験を開始した。だが、結果は失敗だった。雫の穢れは晴れることなく瞳は期待をかけられた分だけ絶望に叩き込まれた。それが今に至る雨宮瞳なのだと萩谷は聞いている。
――それを母は知っているのだろうか。
当時はまだ普通の明るい少女だった。両親が多少世間ずれしていても純朴な子だったはずなのに、萩谷が再会した時には彼女も自身も変わっていた。
「あの時、もう少し優しくしていれば」
この結末は変えられたのかもしれない。今更悔いても遅い。雫が死ぬ、最も瞳が苦しい時に萩谷は街を飛び出し自分都合の夢を描いていただけだ。
計算は完璧だった。彼女が極限まで追い詰められ孤独にあえいでいるところをそっと掬い、見せかけの優しさで彼女を誘惑する予定だった。幼馴染という立場を利用して、瞳と雨宮家を手に入れ街で鏑木家に劣らぬ盤石の地位を……。絶対に失敗しないように、本心を悟られないように……。
そこまで萩谷が考えた時、ぴりぴりとした感覚を覚えた。
それと同時に憎しみめいた感情が薄れていく。そうだ、失敗した計画など今はどうでもいい。だが、なぜ僕はあそこまで樫崎に殺意を抱いたのだったか……?
「さすがは噂に名高い先代の最強巫女か」
「萩谷くん……?」
「おまけに君の祖母は別次元の強さだったのだろう? 戦う必要すらなかったとか」
彼の様子は蘇生時とはやはり違う、そう瞳は感じた。陰鬱な雰囲気は消え、何かよからぬことを考えているようにも見えない。その雰囲気は三年前の彼に似ていた。
「どうして、萩谷くんが戦ったの?」
「僕は元来、戦闘員だ。寸鉄であんな戦い方もできると、さっき教わったばかりだ。灸を据えられるついでに」
「灸?」
「再調整だよ。一度死んだからには生まれ変われとね。これ以上、余計なことをするなと」
自嘲するように笑うと、さっと横を向いて倒れた人もどきを指さした。
「ところで、あれはどうする。まだ死んでいないが、こんなところにいつまでも置いておいていいのか」
「よくないわ。急所は外しただけだもの。雷の火傷もあるし、このままでは死んでしまう」
瞳が慌てて人もどきに駆け寄ると、それは確かに瀕死の状態だ。しかし、手当しようにも包帯も何もなく、その姿はどこまで近寄っても焦点があわない。ずっと見続けていれば、目眩すら起こしそうだ。
「巫女服の裾を破って包帯代わりにするわ」
「待て。先代巫女は何も言わなかったが、そいつは襲ってきたやつなんじゃないのか?」
「そうだけど、関係ないわ。倒れている人を放っておけないもの」
「まったく。君のお人よしは変わらないな」
そう言って、彼は上着を脱いだ。
「変わってくれ。君の服を汚す必要はない」
「でも、」
「応急処置は戦士の一般教養だ。君よりは止血の方法を知っている」
無理やり瞳をどかすと、上着を人もどきの腹に巻き始めた。血がじんわりと服に広がるが手際よく巻いて人体に程よい強さで縛り上げる。
「これでいい。で、この先はどうする」
「集落に近いところまで連れていくわ。そこなら誰か気付くだろうし」
「いい判断だ。ただ、そいつが目覚めてから何者なのか聞き出すのもありだと思うけど?」
「別に知りたくないもの」
「淡泊だね。寸鉄の作業もしないとなると母親に怒られるぞ」
そう言いつつも彼は人もどきの肩を取って担ぐと、そのまま背負った。
「方角はわかるのか?」
「樫崎くんが焼け野原にした場所を背に進めばたどり着くはずよ」
瞳は踵を返し、まだ未踏の地へと足を踏み入れた。先は林が広がるばかりだが、もう敵がいる気配はない。だが、それにしても瞳は不用意だと彼は感じた。彼女は萩谷とつかず離れず、ただ前だけをどんどん進んでいく。急いでいるわけではないのに。
「弱いと言われたことがショックだったか?」
その言葉に雨宮の足が止まった。
「母は天才だもの。……私とは違う」
「それでも今の内にコンプレックスは克服しておけよ。月にいる間に必ず話しておくんだ。三年前、あの人が死んだ時のことも」
「何を話すの」
「君が今の君になってしまったことだ。母親は死んだことを君のせいにはしていないし、これ以上罪の意識を重ねることも――」
「違うわ!」
彼女は思わず叫んでいた。
「私のせいで母は死んでしまった。たとえ恨んでいなかったとしても、その事実は変わらないの。これは母じゃなくて、私の問題なのよ!」
「それでも他者を救う機械と化した君を見て、あの人がいいと思っているわけがない。それを確かめるべきだ」
「母だって、雨宮の巫女よ。怨霊から人を守ることが全てなの。私達はそうやって生きるしかない。萩谷くんにだって、萩谷家の掟があるでしょう」
「家の掟と君の問題は別問題だ。なぜなら、君は、」
「聞きたくない!」
そう言って、彼女は走り出して行ってしまった。
「もっと肩の力を抜けと言ってるんだ」
今だけは樫崎の気持ちがわかるなと彼は思い、すぐに追いかける。それにしても取り乱すとはめずらしい。母と出会ったことが悪い方に揺らいでいるのか、かつてはどうだったかと彼は回想する。
――事の起こりは三年前。雨宮雫が死んだ前後のことだ。彼女の死因は怨霊による魂の穢れの蓄積によるもの。浄化の力を以てしても、直接負の塊に触れることで少しずつ穢れが増えていく。それはまるでシミのようなもの。どうしても落ちない汚れが癌のように体全体に進行していく。代々全ての巫女がそれにより死亡し、霊体が月へと赴くのだ。
特に雨宮雫は霊力が弱く、穢れの蓄積も早かった。そこで目をつけられたのが、まだ幼い瞳だ。彼女は祖母の隔世遺伝か霊力が強い。彼女の力で穢れを取り除けるのではと考えた神主と青鷺の研究機関が雫の浄化実験を開始した。だが、結果は失敗だった。雫の穢れは晴れることなく瞳は期待をかけられた分だけ絶望に叩き込まれた。それが今に至る雨宮瞳なのだと萩谷は聞いている。
――それを母は知っているのだろうか。
当時はまだ普通の明るい少女だった。両親が多少世間ずれしていても純朴な子だったはずなのに、萩谷が再会した時には彼女も自身も変わっていた。
「あの時、もう少し優しくしていれば」
この結末は変えられたのかもしれない。今更悔いても遅い。雫が死ぬ、最も瞳が苦しい時に萩谷は街を飛び出し自分都合の夢を描いていただけだ。
計算は完璧だった。彼女が極限まで追い詰められ孤独にあえいでいるところをそっと掬い、見せかけの優しさで彼女を誘惑する予定だった。幼馴染という立場を利用して、瞳と雨宮家を手に入れ街で鏑木家に劣らぬ盤石の地位を……。絶対に失敗しないように、本心を悟られないように……。
そこまで萩谷が考えた時、ぴりぴりとした感覚を覚えた。
それと同時に憎しみめいた感情が薄れていく。そうだ、失敗した計画など今はどうでもいい。だが、なぜ僕はあそこまで樫崎に殺意を抱いたのだったか……?
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