青い月の下で

大川徹(WILDRUNE)

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10節『クソ回顧録』

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 あの子は僕の初恋の子だった。そして今までにできた唯一の彼女だった。初めて会ったのは小学五年生の時。今にして思えば、本当にあどけない二人だった。今のように性の知識すらなく、毎日を遊んでいれば満たされた日々。
 
 僕が彼女に好きだと言われたのはその一年後だった。

 「樫崎くん、だいすき」

 僕達二人は教室の掃除当番で、人がいなくなる帰り間際。夕陽で赤い教室、長い影。電気はもう消えて、薄明りの中できらきらと窓ガラスが輝いていた。
 
 ――一体、僕のどこが好きだったんだろう。

 体も中身も今とはまるで別人の時代。ストレートに受け取った僕は二つ返事でOKした。あの子はとてもかわいかったし。僕達二人の関係なんて一緒に遊ぶ以外に何もなかったけど、それだけで満ち足りていた。僕達は小学校を卒業するまで、いつも一緒にいて二人で同じ中学の同じクラスへと進学することができた――
 
 幸せな時間は二学期で事切れた。
 何が原因だったのか、正直なところ僕にはわからない。変化に耐えられなかったのかもとも思う。人も場所も、そして自分達の体も。いつの間にか彼女とは話が合わなくなり喧嘩し、その後話すことはなかった。本当にあっけない顛末だった。
 
 彼女は中学二年に上がる頃、転校していった。僕には一言も告げずに。喪失感だけが残され、僕は彼女恋しさに呻いた。そして何度も思った。

 変わらなければよかったのに――と。


 「それ以来、彼女に似た面影の子を見つける度に僕は暴走した。やがて周囲の目は蔑むものへと変わっていった。鏑木への扱いがだんだん悪くなったのもその頃だ」
 「つまり、完全に巻き込まれたと」

 翌日、そう僕から聞かされると鏑木は吐きそうなくらい顔色が悪くなっていた。
 
 「普段、こんなこと絶対人に話したりしないんだけど、お前には嫌な思いをさせるからな。これまでも、これからも」
 「樫崎くんが一日も早く、幸せな恋を見つけることを祈ってるよ」
 「ありがとう」

 失笑して返すと、僕は座っていた椅子から立ち上った。
 
 「どこへ行くの?」
 「屋上。萩谷に会う」

 本当に予告通り、萩谷は転校生として僕のクラスに現れた。注目を集めながら、彼はこっそりと「昼休みに屋上で」と僕に耳打ちした。
 
 「本当に言った通りになるのかな。君の好きな人を会いに来させるなんて」
 「さあ。どこまでも胡散臭いし、当てにしない方がいいかもな」

 そう言って僕は教室を出ると、まっすぐ屋上に向かった。クラスメイトが僕の姿を見つけると、すぐにさっと道を開ける。そうしながら目的地に着くと、僕は開口一番に言った。
 
 「で、あの子はまだ来ないのか?」
 「……いきなりかい? 言葉に焦りがあるよ」

 萩谷は確かにその場で待っていた。苦笑いをして、僕へと近づいてくる。
 
 「僕と違って一般人なんだから、それなりに時間はかかるよ。それにまだ契約書にサインもしてないのに」
 「本人が来ないことには取引にならないな」
 「一時的な平穏を前金代わりに提供したんだけどね」

 確かに陰口を言う連中は何もしなくなっていた。もう片がつけられていたらしい。少し、僕を見る目がたどたどしいが。――そうか、これが雨宮父の言ってた『内容は消せても何かあったということは残る』か。雨宮はずっとこんなふうにして生きていたのだろう。
 
 「単に転校生が来て、僕に構ってられないのもあると思うけど」
 「いずれ収まるよ」

 萩谷は軽く微笑んで言うが突然現れた美少年に女子達は騒ぎ、男子達には緊張が走っている。今だってクラスの人達は萩谷を探しているだろう。にぎわう教室で静かなのは僕がいる一角だけだ。桑谷も笹本も、その光景から一歩線を引いている。
 
 「せっかく雨宮が今日も登校できていたんだ。いつもより顔が硬いのは君のせいだ」
 「御三家同士、面識があるので」
 「そういうことじゃない」

 どうせ一番の目的は彼女の監視だ。雨宮に比べれば、僕らはおまけのようなもの。彼女が登校しているのも、きっと何か理由がある。
 
 「話を戻そう。樫崎君は雨宮さんから手を引くかい?」
 「ノーと言ったところで、来年になれば別々のクラスにするつもりだろ。わかっているよ」
 「まあ、君の場合それだけで問題が解決しそうにないんだよね」

 萩谷はフェンスの前に立ち、やれやれと両手をあげてみせた。
 
 「しかし、君は最初に恋をした子の面影をずっと追いかけている。本人が出てくるなら、君はどんな手段を使ってでも手に入れようとするんじゃないか?」
 「あの子はもう、僕の知っているあの子じゃないのかもしれない」
 「たったそれだけの理由で君は諦めないよ。少なくとも今の状態で雨宮さんと付き合うよりはよほど簡単だ」

 よくご存じだ。そろそろ、困ってないのに困ったふりをするこの男に僕は飽きてきた。
 
 「君は恋をしたことがあるのか?」
 「もちろん。君達よりもずっとね」
 「君は本当は何歳だ」
 「秘密です」

 にこりと微笑むと彼は屋上の扉の前に歩き出した。
 
 「僕としては普通に友人として接してくれるなら、雨宮さんとの関係もありなんだけど。まだ時間はあるから、そのへんもよく考えてみてほしい。じゃあ、これ以上クラスメイトを心配させたくないので僕は戻るね」
 「次会う時はあの子を連れてこいよ」

 その言葉に変わらない笑顔で返すと萩谷は中へと消えていった。僕は大きくため息をつき、屋上の床に寝転がる。
 
 「事実ばかり言ってたな」

 あの子に会いたい。あの子と別れた後、どれだけ僕が思い詰めたか。だが、雨宮をこのまま放っておいてもいいわけがない。一度好きになった以上、ここで諦めるほど僕は不誠実な男じゃないんだ。
 
 「とはいえ」

 僕が本当に好きなのが誰か、この僕が一番わかっている。だからこそ、この微妙な関係・葛藤に僕は決着をつけられなかった。予鈴が鳴っても、決められなかった。
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