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序
7節『陰謀』
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――そうして何もない一日が経過した。
「何してるの、ばおばお」
「何もない一日が経過したと思っていただけだよ」
屋上で寝ながら携帯電話を操作していると、笹本が僕の顔を覗き込んでいた。かがんで僕を見る彼女の顔はとても近い。背にした冷たいコンクリートと、鼻腔をくすぐる生暖かい吐息。アンバランスな感覚に思わずくしゃみが出そうになる。
「前から思っていたんだけどさ」
「ばおばお、あたちを肝試しに呼んでくれなかったでしょ!」
彼女の喋り方は相変わらず舌足らずだ。言いかけた言葉を喉の奥に引っ込めて、代わりにため息が出た。
「それに友達ともケンカして! もう何があったの!? ヒミコに振られたの!?」
「まだ振られてない。とても仲いい」
「うっそだー」
彼女はひらりと僕の上からのくと、寝転ぶ僕の横に座り込んだ。
「今日は何かヒミコと話せた?」
「いや……」
昼休みに雨宮は帰っていった。僕も誰も知らぬ間に。始業式の日と同じだ。結局話すことさえできなかった。他人の目を気にしたわけじゃない。思い起こせば、話せる内容は昨日の夜の出来事だ。幽霊は何か。雨宮は何者なのか。そんなことを堂々と彼女に聞けるほど、僕は世間知らずではなかった。
「いろいろあるんだ」
もしかしたら、雨宮がずっと休んでたことも関係があるのかもしれないな。
「……少し勘違いをしていた。雨宮の秘密。雨宮について誰も何も言わないのは、雨宮の悪口はつまり神社の悪口に直結するからだと。SNSでも祟りだとか呪いだとか聞いた。縁起の悪いことを言えるわけがない。だが、事実は違った」
「……あたちは難しいことはよくわからない」
彼女は体育座りの膝の上に肘をついて、両手を自分の頬に添えた。
「僕もわからないことだらけだ」
「じゃあさ、今からヒミコのうちに行こうよ」
「言われなくても、わかっているよ」
昨日は動転していたあまり何も聞けなかったが、あの出来事を利用すれば雨宮により近い関係を迫れるかもしれない。たとえどれだけ人から後ろ指刺されようが、僕の頭はそういうふうにしか考えられない。雨宮に好かれれば、それで十分だ。
「じゃあ、ぼーっとしている暇ないよ!」
そう言われて腕を取られて引っ張られる。
「おいおい。笹本は別に行かなくても」
「早退しちゃったんだよ、心配だもん! 病気が出たんだよ!」
「あのな……」
病気は嘘だと言おうとして、はっと口をつぐんだ。もし、それが教室の不慣れな環境のせいじゃないとしたら。今まで休んでいた理由と関係があるなら、何かまた予想できない事態が発生したんじゃないのか?
ふと笹本の顔を見て、桑谷のことを思い出す。勘の鋭いあいつなら、きっと同じことを考えただろう。僕よりも早く、雨宮がいなくなった段階で。
「そうだな、行こう」
「うん!」
本当は一人で行きたいが、笹本は止められない。というより、こいつは論理で攻めても言いくるめられない。だから、肝試しに連れていかなかったんだ。
「前から思っていたが、そもそも距離が近いんだよ!」
飲みこんでいた言葉をやっと吐き出すと、僕も立ち上がった。
幸い、神社への最短ルートは調べつくしてあった。急いでいけば、十五分もかからない。なのに、笹本は学校を出るなり走り出し、いくら声をかけても止まらない。感情に身を任せてるのか、止まると死ぬのか。マグロかこいつは。
「違うよ、エイだよ」
「地獄耳かよ」
そんなことにわざわざ返事しに戻ってきては、すぐにまた走っていく。しかも時々、彼女が道を間違えるのを止めるせいで僕の体力は余計に消耗した。
「というか……、笹本。意味わからんぞ……」
「なーに? 遅いよ、ばおばおー」
はぁはぁと息を吐きながら、僕の気分は落ち込んでいた。神社に近い山の麓付近まで来ると、笹本はぶんぶんと僕に向かって手を振っている。
「調子……狂うな。お前の言うことすることは全部、本能的で嘘がない……。僕にとっても天敵だな」
その時、服のポケットに入れていた携帯が振動した。手に取ってみると、僕にあてたSNSのメッセージ。差出人は桑谷だ。
『気を付けろ』
「何だこれ」
まさか、あいつどっかから見てるんじゃないだろうなと周囲を見回す。だけど、周囲は人気がなくて気味が悪いくらいだ。じゃあ、ただの勘で笹本相手に警告を送ったとか? 笹本に注意しろ。それってつまり――嫉妬?
「いや、ないな。それはない」
笹本に恋煩いとか、さすがに僕もついていけないです。
「見て、ばおばお!!」
「え?」
頭を切り替えて顔を上げれば笹本が石段に向かって指をさしていた。その先に、倒れている男がいた。
「あいつは――」
体の奥底が急速に冷えるのを感じた。彼は肝試しで僕が呼びだした幽霊役だ。疲労も忘れて駆け寄ると、男は苦しそうに呻いて仰向けになる。
「この子、知り合い?」
「――友達」
という名の人材。だが、僕はここに来いとは指示を出していない。学校も終わって間もないのに、なぜこんなところにいる? すると、彼は僕に気付いて震える指で上を指さした。石段の上を見ると、最上段に近いところに誰かがいる。明らかに様子がおかしい。
「何だあれは。――まさか、あれにやられたのか!」
彼を置いて階段を駆け上がる。雨宮は――いた!
彼女の周りに数人の男達。彼らは制服を着ていなければ少年でもなかった。黒い服に身を包んだ異様な集団。男達は雨宮を囲んで押さえつけようとしている。
「雨宮!」
叫ぶと彼女が僕に気付いて眼下を見た。それと同時に他の男も気付く。その隙に彼女が一人の男の首筋を打った。見事な手刀だが、すぐに別の男が回り込んで彼女の腕をつかむ。それで雨宮は石段に倒れこむようになる。はっとしたが、その勢いのまま後ろの男だけを石段に打ち付けた。――フェイク。それでも多勢に無勢、彼女が不利なのは変わらない。普通の制服姿の彼女に前から男達が押し寄せる。
「雨宮を離せ!!」
立ちふさがる男に向かって、僕は駆け上がり様に蹴りを放った。男はガードするも捨て身の勢いに僕と同時に体制を崩し、階段を転がり落ちた。その横を入れ替わりのように駆け上がってきたのは、笹本! 雨宮を組み敷く男に踵落としを食らわせる。
「くっ!」
脳天をやられた男が転がり落ち、残りは二人。近い男に向かって笹本が正拳突きをくらわすが、読まれたのか手首をつかまれ阻まれる。そのままもみ合いになる二人。最後に一人残った男は倒れた雨宮のそばで、下段にいる僕と視線を交錯させる。
「っ」
何か言ってやろうと思ったのもつかの間、口も手も止まった。不安、怒り、恐怖、それらがない交ぜになった感情が一息に僕の心に押し寄せた。置かれた現実が今更僕の心を突き刺す。
その刹那。男は雨宮から跳ねると、笹本を男から引き離し僕へと突き落とした。避けようとしても体が動かない。笹本の背中がもろに僕の体に当たり、後ろへと倒れこんだ。
「うっ!」「わっ!」
石段に強く体を打ち付け、下段へとさらに転がり落ちる。数段落ちたそこで、やっと体が思考に追いついた。両手両足で踏みとどまり、続く笹本を受け止めて石段を見上げる。
男達の姿は消えていた。振り返っても、どこにもいない。そこにいたのは眠ってしまったかのように倒れる雨宮と、いつの間にいたのか最上段の鳥居から見下げる男の姿だった。
「何事だ、これは……」
「あんたは……?」
しわの深い初老の男。その姿を見て、何者なのかすぐに察しがついた。写真でも見たことがある、浅黄色の袴姿。この神社の神主であり、雨宮瞳の父親だ。
厳しい顔をする彼に僕は立ち上がり、視線を受け止める。どんな表情をすればいいかわからず、けれど視線をそらすことなく睨むようにして僕はそこに立った。
「ヒミコー」という笹本の言葉が周囲にこだましていた。
「何してるの、ばおばお」
「何もない一日が経過したと思っていただけだよ」
屋上で寝ながら携帯電話を操作していると、笹本が僕の顔を覗き込んでいた。かがんで僕を見る彼女の顔はとても近い。背にした冷たいコンクリートと、鼻腔をくすぐる生暖かい吐息。アンバランスな感覚に思わずくしゃみが出そうになる。
「前から思っていたんだけどさ」
「ばおばお、あたちを肝試しに呼んでくれなかったでしょ!」
彼女の喋り方は相変わらず舌足らずだ。言いかけた言葉を喉の奥に引っ込めて、代わりにため息が出た。
「それに友達ともケンカして! もう何があったの!? ヒミコに振られたの!?」
「まだ振られてない。とても仲いい」
「うっそだー」
彼女はひらりと僕の上からのくと、寝転ぶ僕の横に座り込んだ。
「今日は何かヒミコと話せた?」
「いや……」
昼休みに雨宮は帰っていった。僕も誰も知らぬ間に。始業式の日と同じだ。結局話すことさえできなかった。他人の目を気にしたわけじゃない。思い起こせば、話せる内容は昨日の夜の出来事だ。幽霊は何か。雨宮は何者なのか。そんなことを堂々と彼女に聞けるほど、僕は世間知らずではなかった。
「いろいろあるんだ」
もしかしたら、雨宮がずっと休んでたことも関係があるのかもしれないな。
「……少し勘違いをしていた。雨宮の秘密。雨宮について誰も何も言わないのは、雨宮の悪口はつまり神社の悪口に直結するからだと。SNSでも祟りだとか呪いだとか聞いた。縁起の悪いことを言えるわけがない。だが、事実は違った」
「……あたちは難しいことはよくわからない」
彼女は体育座りの膝の上に肘をついて、両手を自分の頬に添えた。
「僕もわからないことだらけだ」
「じゃあさ、今からヒミコのうちに行こうよ」
「言われなくても、わかっているよ」
昨日は動転していたあまり何も聞けなかったが、あの出来事を利用すれば雨宮により近い関係を迫れるかもしれない。たとえどれだけ人から後ろ指刺されようが、僕の頭はそういうふうにしか考えられない。雨宮に好かれれば、それで十分だ。
「じゃあ、ぼーっとしている暇ないよ!」
そう言われて腕を取られて引っ張られる。
「おいおい。笹本は別に行かなくても」
「早退しちゃったんだよ、心配だもん! 病気が出たんだよ!」
「あのな……」
病気は嘘だと言おうとして、はっと口をつぐんだ。もし、それが教室の不慣れな環境のせいじゃないとしたら。今まで休んでいた理由と関係があるなら、何かまた予想できない事態が発生したんじゃないのか?
ふと笹本の顔を見て、桑谷のことを思い出す。勘の鋭いあいつなら、きっと同じことを考えただろう。僕よりも早く、雨宮がいなくなった段階で。
「そうだな、行こう」
「うん!」
本当は一人で行きたいが、笹本は止められない。というより、こいつは論理で攻めても言いくるめられない。だから、肝試しに連れていかなかったんだ。
「前から思っていたが、そもそも距離が近いんだよ!」
飲みこんでいた言葉をやっと吐き出すと、僕も立ち上がった。
幸い、神社への最短ルートは調べつくしてあった。急いでいけば、十五分もかからない。なのに、笹本は学校を出るなり走り出し、いくら声をかけても止まらない。感情に身を任せてるのか、止まると死ぬのか。マグロかこいつは。
「違うよ、エイだよ」
「地獄耳かよ」
そんなことにわざわざ返事しに戻ってきては、すぐにまた走っていく。しかも時々、彼女が道を間違えるのを止めるせいで僕の体力は余計に消耗した。
「というか……、笹本。意味わからんぞ……」
「なーに? 遅いよ、ばおばおー」
はぁはぁと息を吐きながら、僕の気分は落ち込んでいた。神社に近い山の麓付近まで来ると、笹本はぶんぶんと僕に向かって手を振っている。
「調子……狂うな。お前の言うことすることは全部、本能的で嘘がない……。僕にとっても天敵だな」
その時、服のポケットに入れていた携帯が振動した。手に取ってみると、僕にあてたSNSのメッセージ。差出人は桑谷だ。
『気を付けろ』
「何だこれ」
まさか、あいつどっかから見てるんじゃないだろうなと周囲を見回す。だけど、周囲は人気がなくて気味が悪いくらいだ。じゃあ、ただの勘で笹本相手に警告を送ったとか? 笹本に注意しろ。それってつまり――嫉妬?
「いや、ないな。それはない」
笹本に恋煩いとか、さすがに僕もついていけないです。
「見て、ばおばお!!」
「え?」
頭を切り替えて顔を上げれば笹本が石段に向かって指をさしていた。その先に、倒れている男がいた。
「あいつは――」
体の奥底が急速に冷えるのを感じた。彼は肝試しで僕が呼びだした幽霊役だ。疲労も忘れて駆け寄ると、男は苦しそうに呻いて仰向けになる。
「この子、知り合い?」
「――友達」
という名の人材。だが、僕はここに来いとは指示を出していない。学校も終わって間もないのに、なぜこんなところにいる? すると、彼は僕に気付いて震える指で上を指さした。石段の上を見ると、最上段に近いところに誰かがいる。明らかに様子がおかしい。
「何だあれは。――まさか、あれにやられたのか!」
彼を置いて階段を駆け上がる。雨宮は――いた!
彼女の周りに数人の男達。彼らは制服を着ていなければ少年でもなかった。黒い服に身を包んだ異様な集団。男達は雨宮を囲んで押さえつけようとしている。
「雨宮!」
叫ぶと彼女が僕に気付いて眼下を見た。それと同時に他の男も気付く。その隙に彼女が一人の男の首筋を打った。見事な手刀だが、すぐに別の男が回り込んで彼女の腕をつかむ。それで雨宮は石段に倒れこむようになる。はっとしたが、その勢いのまま後ろの男だけを石段に打ち付けた。――フェイク。それでも多勢に無勢、彼女が不利なのは変わらない。普通の制服姿の彼女に前から男達が押し寄せる。
「雨宮を離せ!!」
立ちふさがる男に向かって、僕は駆け上がり様に蹴りを放った。男はガードするも捨て身の勢いに僕と同時に体制を崩し、階段を転がり落ちた。その横を入れ替わりのように駆け上がってきたのは、笹本! 雨宮を組み敷く男に踵落としを食らわせる。
「くっ!」
脳天をやられた男が転がり落ち、残りは二人。近い男に向かって笹本が正拳突きをくらわすが、読まれたのか手首をつかまれ阻まれる。そのままもみ合いになる二人。最後に一人残った男は倒れた雨宮のそばで、下段にいる僕と視線を交錯させる。
「っ」
何か言ってやろうと思ったのもつかの間、口も手も止まった。不安、怒り、恐怖、それらがない交ぜになった感情が一息に僕の心に押し寄せた。置かれた現実が今更僕の心を突き刺す。
その刹那。男は雨宮から跳ねると、笹本を男から引き離し僕へと突き落とした。避けようとしても体が動かない。笹本の背中がもろに僕の体に当たり、後ろへと倒れこんだ。
「うっ!」「わっ!」
石段に強く体を打ち付け、下段へとさらに転がり落ちる。数段落ちたそこで、やっと体が思考に追いついた。両手両足で踏みとどまり、続く笹本を受け止めて石段を見上げる。
男達の姿は消えていた。振り返っても、どこにもいない。そこにいたのは眠ってしまったかのように倒れる雨宮と、いつの間にいたのか最上段の鳥居から見下げる男の姿だった。
「何事だ、これは……」
「あんたは……?」
しわの深い初老の男。その姿を見て、何者なのかすぐに察しがついた。写真でも見たことがある、浅黄色の袴姿。この神社の神主であり、雨宮瞳の父親だ。
厳しい顔をする彼に僕は立ち上がり、視線を受け止める。どんな表情をすればいいかわからず、けれど視線をそらすことなく睨むようにして僕はそこに立った。
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