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二 斎藤一之章:Spy

蛤御門の変(四)

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 鞍《くら》馬《ま》や比《ひ》叡《えい》の山のてっぺんは紅くなろうとしている。山のふもとの京都の町は、夏の名《な》残《ごり》の蒸し暑さがいつまでも消えない。
 江戸は、四つの季節がちゃんとあった。京都は、春と秋がないと思う。過ごしやすい暖かさや涼しさがない。ただ景色だけは移り変わる。人間に仕組まれたように、春に庭の花が咲いて、秋に山の葉が紅くなる。
 会津藩は黒《くろ》谷《だに》の金《こん》戒《かい》光《こう》明《みょう》寺《じ》に駐屯している。壬生の屯所は四角い京都の左下にあって、金戒光明寺は御所を挟んでちょうど対角、右上の端だ。
 永倉さんと原田さんを先頭に、非行五箇条に署名した者、オレを含めて六人は、金戒光明寺に押し掛けた。
「会津公にお目通り願いたい」
 永倉さんたちの言葉に、山門を預かる会津藩士たちはかぶりを振った。
「殿は伏せっておいでだ。忙しい上にこだに暑くては、体がよくなるわけもね。悪ぃけんじょ出直してくれ」
 永倉さんたちが目を点にして固まった。会津の訛りがきつすぎて、聞き取れなかったみたいだ。
「会津公は体調が優れないらしい。出直してくれ、と」
「斎藤、わかるのか!」
 そう驚かれても困る。話の通じた会津藩士が、ほっとした顔をした。が、それも束の間、原田さんがいきなり脇差を鞘ごと抜いた。
「今すぐ会津公に取り次いでくれ。さもなきゃ、俺はここで腹を切る。そんだけの覚悟があってここに来たんだ」
 原田さんは山門の真正面に座り込んで、着物をはだけた。腹に真一文字の古傷がある。切腹未遂の傷痕だ。生まれ育った伊予にいたころ、上役と喧嘩をして、腑抜けでないことを証明するために腹を切ってみせたらしい。
 そんな傷痕のある原田さんが脇差の鯉口を切ってみせた。会津藩士は大慌てで原田さんを引き留めて、容保公への取り次ぎに走った。
 金戒光明寺は敷地が広い。千人の会津藩士が駐屯しても余裕がある。東山から連なる高台に建っていて、地の利を活かした堅固な造りだ。京都では知恩院と並び立つ優れた「守りの城」だと、勝先生が言っていた。
 大きな建物に案内された。オレたちの屯所とは比べ物にならない。白い玉砂利の庭が見える広い部屋で、オレたちは容保公と対面した。
 容保公は三十歳だ。近藤さんの一つ下、土方さんと同い年と言うと、不思議な感じがする。ひどく細い体付きは子どもみたいに頼りない。でも、穏やかな微笑みは達観して、年がわからない。
「何があったのだ、新撰組? 申してみよ」
 会津訛りではない。容保公は江戸に生まれ育って、会津藩主の叔父の養子になったのが十二のころ、会津に赴《おもむ》いたのは十七になってからだ。
 永倉さんと原田さんは交代で、近藤さんの最近の振る舞いについて説明した。非行五箇条の書面を容保公に提出して、読んでもらう。
 容保公の額に、うっすらと赤い環が見えた。銃弾と砲弾、妖気から自軍を守った光の壁を思い出す。後になって考えて、容保公は変わった人だと思った。攻める力ではなく、守る力だけを使うとは。
 容保公が少し咳をした。水を、と小声で所望する。側仕えの小《こ》姓《しょう》が立つより早く、控えめな女の声がした。
「ごめんなんしょ。お水、お持ちしたなし」
 あ、とオレは思わず喉の奥で声を上げた。時尾だ。蛤《はまぐり》御《ご》門《もん》で妖を討ったとき世話になったのに、礼の一つも言う機会がなかった。
 道着を身に付けていたあのときと違って、時尾は普通の女の格好をしている。枯葉のような色の小袖。年はいくつだろうか。子どもではないが、オレより若い気がする。
 時尾はちらりとオレに微笑みかけて、容保公に水を差し出した。
 甲斐甲斐しい時尾の仕草に目を奪われた。オレは江戸にいたころから女っ気のない暮らしだ。時尾の白い手が着物の裾《すそ》を払い、袖を押さえる。そんな一つひとつが物珍しい。
 水で喉を湿した容保公は、非行五箇条の書面を置いて、ぐるりとオレたちを見渡した。
「おぬしらの言いたいことは、よくわかった。新撰組の中には位の上も下もなく、一丸となって誠忠に励みたいという心意気、頼もしく思う。その心意気のために誰に対しても妥協せず、正しいと信じる道を進まんとする姿勢も天晴《あっぱれ》である」
 凛とした声音は、同時に優しい。会津という質実剛健の尚武の藩を仕切る人なのに、容保公は静かだ。
 永倉さんが身を乗り出した。
「お誉めの言葉を頂戴し、至《し》極《ごく》光栄です。俺たちは本気です。近藤さんが非行を改めないなら、近藤さんに腹を切ってもらうつもりがあるし、俺たちに非があると会津公がおっしゃるなら、俺たちがここで腹を切ります」
「おぬしが永倉新八か? 勇ましいのはよいことだ。だが、腹を切るなどと、一足飛びに刀を持ち出すのは、しばし待つがよい」
「一足飛び? 新撰組は武士です。士道に反すれば腹を切る覚悟で、皆、この誠の羽織に袖を通します。止めだてされるのは、言っちゃ悪いが、お門《かど》違いです」
 原田さんたち皆、うなずいた。会津藩士の中にも、うなずく者がいる。かすかに眉をひそめた時尾と、オレは目が合った。うなずくふりをして、オレは時尾から目をそらす。
 容保公は微笑んでいた。
「これはわしの考えなのだが、争う前に、まずは話をし、互いを知ることから始めるのがよいと思う。わしは無知で非力、不肖な人間で、行き届かぬところが大きい。京都の治安を預かる身でありながら、なかなか務めを果たし切ることができぬ」
 原田さんが異を唱えた。
「ですが、会津公は、辛抱強く町衆の不満の声を聞いて、それに応えておられるでしょう? 七月の大火事の後も、炊き出しをしたり着物や布団を配ったり、たくさんのことをなさっている。行き届かねぇなんて、そんなことぁねぇでしょう」
 原田さんは、新撰組の中でいちばん京都の町に溶け込んでいる。いずれ夫婦《めおと》になろうと本気で言い交わす相手もいる。そんな原田さん伝いに聞く京都の町衆の言葉は、掛け値なしに正確なものだ。
 容保公はかぶりを振った。
「わしでは力不足だ。京都の治安を守ってやれぬ。会津藩士や新撰組が侮辱や攻撃に晒《さら》されるとき、やはり守ってやれぬ。歯痒く、悔しく、腹立たしい。しかし、わしが己の感情に溺れてもよいものだろうか? 大切なものを守るためなら、他者を滅ぼしてもよいのか?」
 少し、言葉を切る。容保公のまなざしがオレたち一人ひとりを等しく見やる。容保公は再び口を開いた。
「怒りは憎しみに変じやすい。義憤でさえ、たやすく憎悪に成り代わる。その感情のままに刀を取る前に、一息入れてはみぬか? 我を押し通すための剣へと堕落すれば、おぬしらの背中の誠の字も泣こう。非行五箇条の件、今少し考え直してほしい」
「考え直す、ってのは?」
「原田左之助、そう怪《け》訝《げん》な顔をするでない。わしは新撰組に達者でいてもらいたい。頼りにしておるのだ。勇気ある声を上げたおぬしらも、行いを正すべきところのある近藤も、同じように大切に思うておる。どちらか一方を欠きたくなどない」
「もったいないお言葉です」
「おぬしらに相談したい。新撰組の不和を取り成すには、どうすればよいだろうか? わしが間に入って取り成しをするのでは、心もとないか?」
 あまりに穏やかな言葉に、永倉さんも原田さんも気勢を削がれた。熱くなっていたのが、急に我に返ったみたいだ。永倉さんと原田さんは視線を交わして、ほとんど同時に、容保公に頭を下げた。
「この一件、お預けいたします。どうぞよろしくお願いします」
 永倉さんの言葉を聞きながら、オレも頭を下げた。
 顔を上げよ、と容保公が柔らかく言った。オレたちは素直に従った。臣下に顔を上げさせる殿さまというのも、たぶん珍しい。大名行列の前で頭を上げたせいで打ち首になった話は、昔からざらにある。
 容保公がオレを見た。笑顔だ。
「斎藤一、おぬしの名と顔は、しかと覚えておるぞ。蛤《はまぐり》御《ご》門《もん》の戦ではご苦労だった。見事な妖退治、心強かったぞ」
 心臓を、どんと一つ打たれたような衝撃。ねぎらわれるなんて思っていなかった。驚きのあまり、息の仕方を忘れる。隣の永倉さんにつつかれて、はっとして息を吐いた。喜びが胸を襲って、体が震えた。
「ありがたきお言葉」
「これからもまた、頼りないわしに力を貸してくれ。おぬしが力を必要とするときは、わしにできることをしよう」
 ありがたい、それ以上。とんでもないお言葉を賜《たまわ》った。オレはこの人の下で働いているんだと、急に、はっきりと理解する。
 勝先生に使われるだけの身だと思ってきた。勝先生に新撰組の皆を奪われないために、オレは狗《いぬ》になる。そのつもりで生きているのに、容保公の目に、オレは違うように映っている。
 なんて恐れ多い。ねぎらわれたり、頼りにされたり、オレはそんな上等な人間じゃない。
 容保公は少し咳をして、オレたちの顔を順繰りに見つめた。
「おぬしらが新撰組を故郷のように大切にするのは、わしが会津を想う心と同じだ。わしは会津の生まれではない。だからこそ会津を深く知り、大切にしたいと思った。会津に根付く、義理と忠誠を重んずる気風は、わしの誇りだ。藩校、日新館の什《じゅう》の掟《おきて》は、わしの座右の銘だ」
「什の掟……!」
 懐かしさに息を呑んだ。オレはそれを母から教わった。
 什というのは、会津に昔からある地縁のまとまりだ。会津では、什の中で結束して、什と什も結束するから、藩全体が強いつながりを持つ。什の掟は、子どもに最初に覚えさせる七つの決まり事だ。
 容保公が「一つ、年長者《としうえのひと》の言うことに」と、口ずさむ。オレの口は、知らず知らずのうちに動いていた。
 一つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
 一つ、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ。
 一つ、嘘言《うそ》を言うことはなりませぬ。
 一つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
 一つ、弱い者をいじめてはなりませぬ。
 一つ、戸外で物を食べてはなりませぬ。
 一つ、戸外で婦人《おんな》と言葉を交えてはなりませぬ。
 ならぬことはならぬものです。
 とっくに忘れたつもりでいたのに、全部覚えていた。暗唱し終えるとき、声に出しているのはオレひとりだった。永倉さんたちも容保公も会津藩士も時尾も、オレを見ていた。気まずくて、オレは顔を背けるように頭《こうべ》を垂れた。
「オレは、母方が会津なのです」
 告げた途端、罪悪感が込み上げた。人を斬って江戸を離れて以来、母のことなど忘れていた。手紙ひとつ書ける身じゃない。名前まで変えた。
 容保公が声を立てて笑った。ずっと微笑んでいたが、笑ったのは初めてだ。
「嬉しいのう、斎藤は会津の血を引く男か! ならぬことはならぬものです。不条理のまかり通る世の中だが、守るべきものは堅く守らねばならぬ、という意味だ。忍耐と自制、忠誠と義理を重んずる会津の心がそのものだ。そうか、斎藤は会津なのか」
 いたたまれない。忠誠も義理も、オレにはあったものじゃない。勝先生の間者だ。大事な仲間のはずの新撰組を逐一探っている。会津藩のことも、容保公のことさえ、勝先生に報告した。オレは裏切り者の卑怯者だ。
 言えない。本当のことは、絶対に、誰にも言えない。
 オレはただ頭を下げ続けるふりをして、容保公の笑顔から逃げる。容保公がそれを許してくれない。
「顔を上げよ、斎藤。わしは今日、おぬしと話せて嬉しい。また機会があれば話そう。それまで達者でいるがよい」
 形ばかり、どうにか返事をした。容保公がもう一言二言、新撰組への助言を述べて、面会が終わった。
 帰り際、寺の前庭を歩いていると、女の足音が追い掛けてきた。足を止めて振り返る。時尾が追い付いてきて、ぺこりと頭を下げた。
「斎藤さまにこの前のお礼を申し上げたくて。どうもありがとうごぜぇました」
 礼を言われる意味がわからない。防御や治療で世話になったのはオレのほうだ。
 顔を上げた時尾はオレを見て、永倉さんたちを見て、急に赤くなった。
「許してくなんしょ。わたしの言葉、こっだふうだから、江戸のお侍さまにはわかんねぇな。それに、什の掟を破って戸外《そと》で声を掛けっつまうなんて、はしたねぇごど。京都は戦場だから男も女もねえ、働くときは男と一緒に働けと、家老さまからも特別に許してもらってはいるけんじょ」
 母と同じだ。幼いころの訛りはいつまで経っても消えないらしくて、江戸ではしばしば言葉が通じない。そんなときは必ず、野良仕事をしても白い母の顔は真っ赤になった。
「さすけねえ」
 会津の言葉がオレの口を突いて出た。問題ない、という意味だ。時尾の垂れがちの目が輝いた。
「さすけねえって、おっかつぁまから教わったべし?」
「母の口癖だった」
「斎藤さまは会津の言葉が全部わかんのがよ?」
「ああ」
「だけんじょ、斎藤さまが話されるのは、江戸の洒落《しゃれ》た言葉だなし」
 いきなり、永倉さんがオレの背中をはたいた。永倉さんだけじゃなく、皆、にやにやしている。
「俺たちは先に帰るぞ。近藤さんにも土方さんにも黙って出てきちまったから、さっさと戻って仕事をしねぇとな」
「それはオレも同じだが」
「斎藤は会津藩に用事があって遅れると、土方さんに伝えておくぜ。ゆっくりしてきていいぞ」
「永倉さん」
「色白でかわいい顔をして気働きが利く上に、薙刀《なぎなた》も使えりゃ不思議な術も使う。しかも、田舎育ちで擦《す》れてねぇ娘なんて、江戸にも京都にもそう多くねぇぞ。斎藤は花街じゃ窮屈そうにしてるが、確かに、気位の高い京《きょう》女《おんな》より会津の女のほうが似合いそうだ」
 永倉さんの言葉に、皆、どっと笑った。冷やかされている。いつの間にか顔が熱い。どうしていいかわからない。
 何も言えずにいるうちに、永倉さんたちは帰ってしまった。時尾と二人、取り残された。どうしよう?
「オレの言葉」
「え?」
 しゃべろうとした途中だった。母が会津の言葉を使うのに、オレは江戸の言葉で話す。そのあたりの事情を言おうとしていた。
「オレの言葉は、下手だ。しゃべるのが下手だ。最初は、たぶん会津の言葉を覚えた。でも、父が明石だ。お守りをしてくれていた姉は、江戸の女言葉だ。混ざって、わからなくなった。兄は混ざったまましゃべって、からかわれた。オレは、だから、しゃべらなかった」
 時尾はうなずいて聞いていた。
「おとっつぁまが明石なら、京都の言葉もすぐわかったのではねぇかし?」
「苦労はしなかったな」
「会津と明石と京都の言葉がわかって、江戸の言葉がしゃべれるんだ。斎藤さまはとても頭がよかんべし。わたしはもともと、お殿さまの姉君の照《てる》姫《ひめ》さまの祐《ゆう》筆《ひつ》だっただけんじょ、江戸育ちの照姫さまに会津の言葉を覚えていただくばっかりでした」
 祐筆と聞いて納得した。見目のいい武家の女がいい年をして嫁いでいない様子なのは、仕事があるからだ。貴人のそばに仕えて文字を代わりに書くのが、祐筆の仕事だ。字が綺麗なのはもちろん、学がないと務まらない。
 容保公の姉君は会津にいるはずだ。時尾は祐筆を辞めて京都に来たんだろうか?
「なぜ京都にいる?」
「わたしが、環を断つ者だからだなし。照姫さまが、環を成したお殿さまを心配して、わたしを京都に送りました」
「そうか」
「斎藤さま、ご存じがよ? 会津は昔から、環の力を求める者が多い。強くなりてぇ者が多いからです」
 オレはうなずいた。母から何度も聞いた話だ。
 徳川幕府第三代将軍、家光公の時代の忠臣である保《ほ》科《しな》正《まさ》之《ゆき》公を藩祖とする会津藩は、徳川家への忠誠心が並外れて強い。心身ともに鍛え、学問を磨いて、徳川家に尽くそうとする。そういう気風だ。
 だから会津には昔から、鍛錬の果てに自ら環を成すことにたどり着く者が多い。それと均衡を取るように、生まれつき環を持つ者も多い。
「会津公のお体は? 環の悪影響は出ていないか?」
「さすけねぇようです。新撰組にも、環を成したお人がおられるべした。具合《あんべ》は何《な》如《じょ》だべし?」
「今のところは、さすけねえ」
 真似して答えると、時尾は笑った。垂れがちの目尻がますます下がって、えくぼができた。
 時尾と話したのはそれだけだ。山門の前で別れて、オレは一人、屯所に戻る道を歩き出す。胸のざわめきは、少しの間、収まらなかった。
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