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二 斎藤一之章:Spy

蛤御門の変(三)

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 佐幕派は勝った。でも、嫌われて憎まれた。京都の町に及ぼした害が大きすぎたせいだ。
 オレたちは残党狩りに手段を選ばなかった。長州藩とつながりのある者の屋敷に火を放った。文字どおり、長州藩士を炙《あぶ》り出そうとしたわけだ。
 残暑の風にあおられて、火はまたたく間に大きくなった。建物がひしめく京都の町は、火事に弱い。類焼を止める手立てはなかった。火は町全体を呑み込んだ。武士も町衆も、迫り来る火から逃げ惑うだけだった。
 京都の町の大半を焼く大火が収まったのは戦闘の翌々日だ。
 炎の中で三百人以上が死んだ。二万数千軒の家や寺や神社が焼けた。祇園祭の華やかな山車《だし》も焼けた。火傷《やけど》をした者、怪我をした者、仕事をなくした者がたくさんいる。身ひとつで焼け出されて、飯にありつくこともままならない。
「壬生狼《みぶろ》と会津の田舎者が、いらんことしよって」
 誠の一文字に段だら模様の羽織で焼け跡を歩けば、聞こえよがしの陰口が耳に届く。新撰組の屯所がある壬生や会津藩が拠点とする黒《くろ》谷《だに》の金《こん》戒《かい》光《こう》明《みょう》寺《じ》は焼けなかった。だから、なおさら風当たりが強い。
 残党狩りそのものは成功した。幕府からも朝廷からも容《かた》保《もり》公からも、新撰組はよくやったと評価された。給金も弾んで、武器や鎧を新調する算段が付いた。近藤さんは幕臣の一人と認められて、将軍が開く二条城の会議にも出られるようになった。
 でも、これは本当に手柄と言えるのか? オレたちは京都の町を守るために江戸から出てきたんじゃないのか? 武士の争いを京都に持ち込んで、大火を起こして人を死なせて、手柄だと喜んでいいのか?
 屯所から近い壬《み》生《ぶ》寺《でら》の庭の隅で、木刀を抱えて座り込む。新撰組の屯所は一ヶ所じゃなくて、オレたちは、壬生に並んで建つ武家屋敷の数軒に分かれて間借りしている。道場なんかない。寺の庭を借りて稽古をする。
 じっとしていられなくて寺に来た。いざ木刀を握ると体が動かない。なぜなのか、わかっている。考えすぎだ。頭を使うのは苦手なくせに。
 頭上で羽ばたきの音がした。白い鳩《はと》が降りてくる。腕を伸ばしてやったのに、鳩はわざわざ肩に止まってオレに頬ずりした。
「懐くな。あんたは道具なんだぞ」
 脚に結ばれた手紙を運ぶだけの道具だ。勝先生に使われるための生き物。オレと同じだ。
 手紙を開くと、普段どおり質問が連ねてある。蛤《はまぐり》御《ご》門《もん》の戦闘のことと、その後の新撰組の動きについて。これで三往復目だ。
 勝先生の質問は、会津藩の配置から銃や大砲の型、容保公の表情ひとつまで、いちいち細かい。それを問うて何になるのかという項目もある。オレが見たままを書いて寄越せと、勝先生は言う。嘘を書いたところで、きっと簡単に見破られる。
 手紙を懐《ふところ》にしまって、息をつく。オレは勝先生に言われたとおりに動いている。人の顔と名前を覚えろ。表情と仕草をよく見ろ。しゃべる訛りを聞き分けろ。火種には率先して巻き込まれろ。でも、決して熱くなるな。
 熱くなっちゃいけないのは、自分でもよくわかっている。感情と欲望に身を任せて人を斬った結果、恐ろしい思いをした。あれ以来、数えられないくらい人を斬ったのに、最初に殺した男のことは今でも夢に見る。呪われているのかもしれない。
 くるくると喉を鳴らしていた鳩が急に飛び立った。毬《まり》が弾むような足取りで、藤堂さんが庭を突っ切って駆けてくる。飛んでいった鳩を見上げて、藤堂さんは、にっと笑った。
「あの白い鳩、斎藤にしか懐かねぇんだな。近寄ることもできやしねえ」
 そんなふうに勝先生が仕込んだからだ。鳩は存外、頭のいい鳥らしい。
「懐いてくれとは言ってないんだが」
「そうひねくれるなよ。鳥だろうが獣だろうが、他人に懐かないやつが自分にだけ惚れてるってのぁ、気分がいいもんだろ? あの鳩、名前は?」
「ハトと呼んでる」
「いや、鳩だけど。そこはもうちょっとこう、かわいげのある名前で呼んでやれよ。真っ白な鳩なんざ、そうそういねぇぞ」
 年より若く見える顔に呆れ笑いを浮かべて、藤堂さんはオレの隣にしゃがみ込んだ。新撰組には虎《こ》体《たい》狼《ろう》腰《よう》の細身の者が多いが、藤堂さんはひときわ華奢だ。オレや沖田さんと同じで月代《さかやき》も伸ばしっぱなしだから、元服をしていない年頃にも見える。
 でも、子どもっぽい見てくれに反して、藤堂さんの剣は烈《はげ》しい。威勢よく体ごと突っ込んでいって、敵の懐《ふところ》で剣を振るう。近すぎる間合いは、小柄な藤堂さんだからこそだ。体の大きな者ほど、藤堂さんの剣技に対する術《すべ》がない。
「藤堂さん、何か用か?」
「土方さんからの招集だ。自分の隊で入《いり》用《よう》のものがあれば、まとめて計上して報告するようにって。それと、江戸に腕の立つ知人がいるなら教えてほしいって」
「腕の立つ知人?」
「今回の手柄で金が手に入って、隊士を増員しても十分に養えるようになった。この冬、池田屋と蛤御門の手柄話をねたに、江戸で新たな人手を募るんだそうだ。そのついでに、俺たちの知人にも声を掛けるつもりらしい」
「オレには、いないな。心当たりがない」
「そうか。俺は、同じ北《ほく》辰《しん》一刀流の使い手を何人か当たってみようと思ってるよ。中でも一人、すげぇ人がいるんだ。交流試合で一度会っただけなんだが、たぶん向こうも俺を覚えてる。あの人が合流してくれたら心強いぜ」
 藤堂さんは屈託なく笑って、ひょいと立ち上がった。行くぞ、と手で示す。池田屋で傷を負った額に、最近ようやく包帯を巻かなくなった。くっついたばかりの傷はまだ赤々としている。花街の女の中には、目を背ける者もいる。
 オレも立って、藤堂さんに並んで歩き出す。土方さんから、いろいろと聞いておかないといけない。土方さんはたくさんのものを見ている。あの人のそばにいれば、オレにもたくさんのものが見える。
 見て、学んで、盗め。蛤御門で戦う会津藩を前に、土方さんからそう言われた。似たようなことを、土方さんより先に、勝先生から言われた。勝先生の指示に従って、オレは土方さんの動きさえ、見て学んで盗んでいる。


 土方さんは切れ者だけど、正直だ。人の好き嫌いが顔に出る。自分には副長しか務まらないと言うのは、その正直さを自覚しているからだろう。今、土方さんがいちばん嫌っている相手が、武《たけ》田《だ》観《かん》柳《りゅう》斎《さい》だ。
 武田さんは、ぺらぺらとよくしゃべる。人をおだてるのが得意だ。背が高くて坊主頭で、オレや沖田さんあたりよりは学があるらしい。でも、勝先生を知っているオレから見れば、武田さんの言葉には中身がない。
 新撰組は武《ぶ》辺《へん》者《しゃ》ばかりだ。口が立って調子のいい武田さんのことを、直感的に毛嫌いする者も多い。それでも武田さんが新撰組にいられるのは、局長の近藤さんが武田さんを気に入っているからだ。
 近藤さんは、自分より学があって剣もそれなりに使える人が好きだ。試衛館の仲間で言えば、山《さん》南《なん》敬《けい》助《すけ》がそうだ。オレより十一歳年上の山南さんは、今のオレの年齢のころから何でもよく知っていた。
 頭が切れる人、口が立つ人、物知りな人をそばに置きたい近藤さんの気持ちは、オレにもわかる。自分がそうじゃないから、代わりに物を考えてくれる人がいたら安心だ。
 この冬に江戸で人集めをすることの話し合いを終えた後だった。部屋を出ようとしたオレを、土方さんが呼び止めた。
「斎藤、ちょいと様子を見ていてほしいんだが」
 土方さんが含みのある言い方をするとき、結末はたいてい流血沙汰だ。新撰組の掟《おきて》を破って脱走しそうなやつを見張る。尊攘派が送り込んだ間者を見付ける。罪が発覚し次第、粛《しゅく》清《せい》か処刑か暗殺。何にしても殺す。手を下す役は、オレか沖田さんが多い。
「誰の様子を?」
 武田さんだろうか、と当たりを付ける。二条城に上がるようになった近藤さんに、武田さんは前にも増してまとわり付いている。
 が、予想は外れた。土方さんは、意外な人物の名前を挙げた。
「永倉と原田だ。相変わらず、あいつらは気性が荒ぇな。最近ちょくちょく近藤さんに食って掛かってる」
「なぜ、永倉さんと原田さんが?」
「武田が人前で、余計なことを近藤さんに吹き込んだせいだ。下っ端に過ぎない我ら隊士は全員、幕臣の一人に数えられるようになった近藤さんを雲の上の人として慕っているとな」
「それに対して、近藤さんは?」
「特に何もねぇよ。それほど意味のある発言だと、近藤さん自身は思っちゃいねえ。でも、下っ端扱いされた永倉や原田が異議を唱えた。手前らは近藤さんの同志であって家臣じゃねぇんだ、と」
 近藤さんは大らかだが、少し鈍い。戦場ではあれほど敏感に敵の気配を探るのに、普段はのんびりして、人の感情の機微に気付かないことがある。永倉さんたちとのすれ違いも、そのあたりが原因だろう。
 土方さんは眉間のしわを深くした。
「永倉や原田の動きを見張ってくれ。じきに落ち着くと思いたいが、二人とも猪突猛進なところがあるから心配だ」
 オレは黙ってうなずいた。火種には巻き込まれておけ、と告げる勝先生の声が脳裏によみがえった。
 土方さんから話を聞いてすぐに、オレは永倉さんや原田さんたちが額を突き合わせているところに出くわした。声を掛けていいかどうか、様子をうかがう。顔を上げた永倉さんのほうから、オレを呼んでくれた。
「斎藤、来い。正直なところを聞かせてくれ」
 永倉さんは、怒りとも苛《いら》立《だ》ちともつかない表情をしている。これを見ろ、と突き付けられた紙には、尖った表題が書かれていた。
「近藤勇の非行五箇条?」
 原田さんの字だ。すっきりして豪快で、字が苦手な者にも読みやすい。永倉さんと原田さんが目配せして、永倉さんが口を開いた。
「新撰組は、このままじゃいけねえ。いつか、どこかで、何《なに》某《がし》かの道筋を決める必要がある。その時が今だと、俺や原田は考えている。近藤さんにも、そのへんをきちっと考えてもらいてえ」
「非行……近藤さんの振る舞いが、いけない?」
「試衛館の中でもいちばん年が若い斎藤と総司と平助には、ちっとわからねぇかもしれねぇが、俺たちは近藤さんを上に立つ人だとは思ってねえ。前を走る人だと思ってる。先陣を切って人をまとめるのが似合う人だ。だから局長の任に就いてもらった」
 五箇条には、単刀直入な文章が並んでいる。
 近藤さんが隊士を家臣のように扱うのは許せない。士道を貫くべきなのに、口達者なだけの武田さんを重用するのは正しくない。幕臣だからといって、自分ひとりきらびやかな鎧に身を固めるのはふさわしくない。おおよそ、そんなところだ。
「永倉さん、これを近藤さんに直接言ったことは?」
「俺と原田で何度も掛け合った。土方さんにも山南さんにも相談した。山南さんが近藤さんをたしなめてくれたが、武田の野郎のせいで状況は変わらねえ」
「沖田さんや藤堂さんには?」
「総司には言えねぇよ。労《ろう》咳《がい》で弱ってたところに暑気に当てられたのが尾を引いて、秋も半ばだってのに、まだ寝付いてるんだぞ。平助にも言ってねえ。あいつはまだ若くて、人によく懐く。家臣扱いに腹を立てる俺たちの胸は理解できねぇだろう」
「藤堂さんが若いなら、オレも同い年だが」
「斎藤は昔から特別だ。餓鬼のくせに妙に落ち着き払って、俺たちのことをいちいち見抜いていただろう。京都に来てからますますだ。土方さんもそのあたりを誉めていた」
 オレは信用されているんだろうか。油断ができない相手だから、最初から抱き込もうと思われているのか。どっちでもいいか。火種には巻き込まれておけ。今、永倉さんたちのそばにいれば、皆の本心がわかる。
「この五箇条を、どうする?」
 オレの問いに、永倉さんは、ぐっと顎《あご》を引いて答えた。
「会津公、松平かたもりさまに直談判しに行く。会津公は新撰組の名付け親で後ろ盾だ。俺と原田が命を懸けて新撰組の行く末を案じているってことを、会津公にもわかっていただかなけりゃならねえ。屯所の中だけで話をしてたんじゃ、埒《らち》が明かねぇだろ」
 非行五箇条の最後に、永倉さんと原田さんの覚悟の深さがうかがえた。書き連ねた内容に一つでも嘘や間違いがあれば、腹を切ってもよい。そう宣誓した上で、永倉さんと原田さんの署名がある。
 土方さんが思っていた以上に、永倉さんと原田さんは熱くなっている。新撰組の上役である容保公まで巻き込むつもりとは。
 話の行方を見守っていた二番隊伍長、島《しま》田《だ》魁《かい》が名乗りを上げた。
「俺は近藤さんとの付き合いは長くないが、永倉さんと原田さんの考えには一理あると思う。局内の序列や力関係は、組織がでかくなる前に一度、きちっと考えておくべきだ」
 島田さんは永倉さんの古なじみらしい。京都で新撰組が旗揚げしてすぐに仲間に加わったうちの一人だ。
 原田さんが差し出した筆で、島田さんは非行五箇条の末尾に署名をした。視線がオレに集まった。オレは筆を執って、島田さんの名前の隣に、斎藤一と書いた。
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