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2話 双子の兄王子たち

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 王の代理として兄たちがこの離宮を視察すると報せが届いたのは、冬の間は固く凍りついていた池の氷が溶け出す頃のことだった。
 双子の兄たちのことは、オルバン司教から少なからず聞かされていた。
 長兄のログナー王子は赤い髪に緑の瞳。気性は荒いが優秀な騎士で、騎士団に所属する貴族たちから支持されている。
 一方の次兄のユグルド王子は青い瞳に黒髪。穏やかな笑顔の似合う王子は深く広い知識を持ち、宰相派の貴族たちから支持されていた。
 二人共それぞれが得意とする分野で国王の補佐をしており、王の代理を務めることもしばしばあるとオルバン司教は言っていた。だから今回の視察については、何らおかしいことはないように思われた。
 オルバン司教は酒に酔うとはレキウスに、お前のような半端者には二人の王子のように恵まれた人生を送ることができるはずもないと、よく言っていた。
 半端者。
 そう、オルバン司教はそんなふうにレキウスをしばしば貶めた。
 もっともなことだとレキウスは思っている。自身の唯一にして最大の秘密をオルバン司教は忌むべきものだと言い放った。罵り、悪態をついたその口で、その秘密に陶酔したのは誰であろう、オルバン司教その人だ。
 医術の心得もあるオルバン司教によると、レキウスは先天性のシーメールだということだった。同じ年の少年たちよりも一回りほど小柄で華奢な体に、ささやかだがふっくらとした胸の膨らみ。男性器は小さく、陰唇と思しき睾丸に埋もれかけている。
 王の系譜に連なる者の中には時々、先天性のシーメールが産まれることがあった。聞くところによると直近ではレキウスの曽祖父が先天性のシーメールだったということだ。曽祖父はレキウスとは違って自由奔放に恋愛をし、男でも女でも好みのタイプと見ればすぐに寝所に引きずり込んでいたらしい。それが原因で国が転覆しかけたことも一度や二度ではなかったそうだ。そんな曽祖父の存在があったからか、オルバン司教はレキウスを目の敵にし、折檻を繰り返した。
 身体的、精神的な折檻から、性的なものまでありとあらゆる折檻をして、レキウスを痛めつけることでオルバン司教は快感を得ていたのだ。
 しかしスレンの機転でオルバン司教は失脚し、今は懺悔の孤島にある修道院で生活を送っているはずだ。
「本当に……本当に、兄さまたちがここへ……?」
 舞い込んだ一通の書状は、近く双子の王子たちの視察が行われるということが簡潔に綴られているだけだった。
 レキウスは書状の文字に指を這わせ、感慨深そうに呟く。
「来るんだね」
「はい。三日ほどでお着きになるかと」
 表情をかえることなく淡々とスレンは返す。
「早いね」
 会ったことのないふたりの兄に自身の秘密を隠し通すことが出来るだろうかと考えながら、レキウスは眉間に皺を寄せる。
「そうでもないかと。さっそくお二人を迎える準備を始めることに致しましょう」
 兄王子たちが滞在する間のことをスレンは既に考え始めているのだろう。
 レキウスは憂鬱そうに溜息をついた。
 オルバン司教がいなくなりようやく平穏な日々が戻ってきたというのに、また陰鬱な日々が始まるのだ。面倒だなと思うと同時に、兄たちと対面することが怖くもある。今度はうまく隠しおおせることができるだろうか。
「大丈夫かな」
 小さな声でポツリと言えば、ふとスレンがこちらを向いて穏やかに頷いた。
「大丈夫ですよ、レキウス様。わたくしが必ずレキウス様をお守り致します」
 スレンはそう返した。


 三日後、兄王子たちが離宮に到着した。
 供の者も付けずに離宮に到着した兄王子たちはどこから見ても大人の男といった様子をしていた。
「は……初めまして、ログナー王子殿下、ユグルド王子殿下。レキウスにございます」
 都育ちの兄たちは煌びやかに見えた。三日間の旅で少しばかりくたびれた様子をしていたが、それでもレキウスには随分と垢ぬけて見えた。
 これまで一度として会ったことのない彼らはそして、レキウスにとっては見知らぬ大人でしかなかった。
「君がレキウス?」
 ユグルドが優しい笑みを浮かべて尋ねてくる。
「は……い、ユグルド王子殿下」
 目を伏せて、うつむき気味にレキウスは返す。
「こら、会話をする時は顔を上げろ」
 横柄なもの言いでレキウスの顎に指をやり、くい、と上向かせたのはログナーだ。
「も、申し訳、ございませ……」
 レキウスが目を開けると、ログナーの精悍な顔立ちが目の前にあった。わざわざ屈みんで、レキウスの目線に合わせてくれているのだとふと気付く。
「お前も王子だろう、レキウス。俺たちとは血を分けた兄弟なんだから、もっと砕けた話し方をしてもいいんだぞ?」
 厳しそうな眼差しをしてはいるが、もしかしたら優しい人なのかもしれない。レキウスはためらいながらも小さく頷いた。
「ねえ、ログナー。そんなふうに乱暴だと怖がるだろう。嫌われても知らないよ?」
 そう言って二人の間に割って入るとユグルドは、穏やかな口調でレキウスに告げる。
「僕たちのことは名前で呼んでくれると嬉しいな、レキ」
 レキ、とそう呼ばれて、レキウスは胸の奥底がこそばゆいような感じがした。レキウスの周囲には、愛称で呼んでくれる人は今まで誰もいなかった。家族にも近しい存在のスレンは侍従だから、いつの時も堅苦しい呼び方でしか呼んでくれない。こんなふうに親し気に自分の名を呼んでくれる人など、初めてだ。
「僕もログナーも、君に会えるのを本当に楽しみにしていたんだ。亡くなった母上から君のことはいつも聞かされていたから、一目見てすぐにわかったよ」
「そうだな。お前は母上によく似ている。柔らかな絹糸のような金髪も、この何も知らなさそうな幼い瞳も、本当に母上にそっくりだ」
 そう言いながらログナーは、レキウスの膝のあたりに腕を回し、抱え上げる。
「ひっ……わ、ぁ……!」
 声を上げ、慌ててレキウスはログナーにしがみつく。
「落ちっ……落ちる!」
 誰かに抱きあげられることすらレキウスにとっては初めてのことだった。
 するりとログナーの腕をすり抜けてずり落ちそうになると、レキウスの薄い尻の肉をがしりと大きな手が鷲掴みにしてくる。これで落ちる心配はなくなった。
「怖いか、レキ?」
 低く穏やかな声でログナーは尋ねた。
 レキウスが首を横に振り、怖くないよと小さな声で言えばログナーは「そうか」と太陽のように大らかな笑みを浮かべる。
 ふわりとログナーの汗のにおいが漂ってきたが、嫌な感じはしない。それどころか、どこか官能的でスパイシーな香りにレキウスはドキドキして、腹の奥がキュン、と疼くような感じがした。
「旅の疲れを癒したい。どこかゆっくりできる場所を用意してくれ」
 ログナーの言葉に、スレンが素早く頭を下げた。
「かしこまりました。ログナー殿下とユグルド殿下は、レキウス様と一緒に中庭の東屋あずまやへどうぞ。その間に食事の用意を致しましょう」
 ログナーは鷹揚に頷くと、レキウスに囁きかける。
「案内してくれ、レキ」
 レキウスは小さく返事をしたものの、この体勢は恥ずかしかった。ログナーの腕の中から逃れようともぞもぞと居心地悪そうに身を捩ったが、結局のところ放してはもらえなかった。それどこれか、尻に食い込む指がさらに微妙なところに当たるように抱え直され、動くに動けない。
「このまま案内しろ、そのほうが早い」
 きっと、ログナーの言う通りなのだろう。レキウスの足ではログナーどころか、ユグルドの歩調にもついていけないように思われた。だからレキウスは仕方なく兄の腕に抱えられたまま、東屋までの案内をする羽目になったのだ。
 歩きながらログナーは悪戯を仕掛けてきた。大きな指がレキウスの尻をなぞり、揉みしだく。時々は尻の狭間に指を滑らせ、窄まったあたりをくい、とほじる。
 ユグルドはログナーの悪戯に気付いていないようだった。だからレキウスは、ユグルドに気付かれてはならないと思った。ログナーの指がグリグリと尻の窄まりを擦っても、下唇を噛みしめて気持ちいいのをぐっとこらえてログナーにしがみついている。自分が感じているということを気取られないように、ちらちらと二人の兄の様子を窺いながら。
 東屋は、中庭を通り抜けた敷地の奥まったところにあった。
 スレンと二人で慎ましやかに生活をしているとは言え、できる限りの手入れをスレンはしていた。時々は庭師を呼んで庭園の木々の手入れをすることもあったが、そんな時はレキウスは屋敷の外には出ないようにして過ごしていた。
「美しいね。春の花が満開で、いい場所だ」
 色とりどりの花が咲き乱れ、芳しい香りがあちこちに漂っている。
 ログナーと並ぶようにしてユグルドが歩く。抱えられたレキウスが二人を見下ろすと、二人は怒るどころか微笑んでくれる。
 二人の兄の存在に、レキウスは少しだけホッとする。
 どうしてもオルバン司教のことを思い出してしまい、兄と会うことを憂いていた。だがその必要はなかったようだ。心配などしなくてもいい。ログナーがレキウスのことをどう思っているのかはわからない。だが、ユグルドはきっと、レキウスのことを兄弟として、家族として優しく扱ってくれるだろう。
 東屋が見えてきたところで不意にユグルドが言った。
「この離宮は、母上がお好きだった場所だ。特にあの東屋はお気に入りの場所だった」
 庭園の端に小さな池があり、そのすぐ傍に東屋がある。春の暖かな日差しに照らされて、東屋のベンチはポカポカとして気持ちがよさそうだ。
「そうだな。あの東屋は俺も見覚えがあるぞ。懐かしいな、まだ残っていたのか」
「ああ……昔、あの池にログナーが落ちたのを僕もおぼえているよ」
 兄弟が言葉を交わすのを、レキウスはじっと聞いている。
 自分が知らない母の話、兄たちの話を聞けることが嬉しくてたまらない。
「あれは、お前が背後から不意打ちをかけて突き落としたんだろうが」
「違うね。僕は母上と一緒にベンチでお茶をいただいていたからそんなことをするはずがない」
「いや、絶対にあれはお前の仕業だ。でなきゃ誰が俺の背中を押したって言うんだ?」
 違う、違わないの言い合いをしながら東屋に辿り着く。
 いつしかログナーの悪戯はなりを潜めていた。
「ああ、この傷。まだ残ってたんだね」
 東屋のベンチに三人が並んで座ると、ベンチの隅に出来た小さな傷を見つけたユグルドが懐かしそうに微笑む。指先でなぞりながら、愛しそうにその傷を眺めている。
「あれだろう、お前が粗相をした跡だっけ?」
 フン、とログナーが鼻で笑う。
「意地の悪い言い方をするね。ちょっと実験をしただけだよ」
 確かにユグルドの触れた場所には、何かの痕跡が残っている。今までそんなことを気にもしたことがなかったが、よく見るとベンチの一部を抉り取った上から塗装をしたように見えないでもない。
「……実験?」
 小さな声でレキウスが尋ねると、ユグルドはカラカラと笑った。
「そうだよ。レンズで日光をこう、集めてね。ベンチのその端のところにログナーのジャケットが置いてあったから、あの時はどうやったら気付かれないように燃やしてしまうことができるかなとそればかり考えていた」
 兄弟喧嘩の真っ最中だったんだよ、とユグルドが何でもないことのように言う。
「喧嘩?」
 家族なら仲良くするものではないのだろうか。スレンから聞いていた一般的な家族とは、常に相手を愛し、敬い、喧嘩などしないものだ。
 ふふっ、と笑ってログナーが言った。
「母上のお腹にお前がいた頃のことだ。赤ん坊が生まれてきたら、どっちが先にお前に挨拶をするかで揉めてたんだよ」
「一番上だから自分が先に挨拶するんだって勝手にログナーが決めてしまったものだから、ちょっと意地悪をしてやろうと思っただけだよ」
 本気でやったわけじゃないとユグルドが言うと、ログナーは「本当かどうか、わからんぞ」と物騒なことを言い出す。
 しかし二人とも穏やかな表情で、声を荒げることや暴力を振るうこともなく。
 二人の兄の仲がいいことに間違いはないだろう、きっと。
 レキウスは二人の顔をまじまじと見比べて、それからホッと息を吐き出す。
「兄さまたちが喧嘩をなさるなんて、ぼくには想像できません」
 レキウスのその言葉に二人の兄王子はニコニコと楽しそうに笑みを浮かべたのだった。


 間もなくしてスレンが昼食の用意を持ってきた。
 普段のレキウスは少食だ。すぐにお腹が一杯になってしまうから、一度に量を食べることができない。そのかわりにと、スレンがこまめにお茶の時間を挟んでくれている。
「レキ、もっと食え」
 サンドイッチをわずか数口で平らげたログナーが、レキウスの口元についたソースを拭いながら言う。
「お腹がいっぱいで……」
 そうレキウスが返すと、ふと兄たちの動きが止まった。
「そう言えば、君は確か十六歳になったばかりだっけ?」
 ユグルドが少しばかり難しそうな表情をして尋ねてくる。
「は…はい、この冬の間に十六になりました」
「それにしては痩せてるな」
 と、ログナーが言う。
「そうだね。僕が十六の頃と比べても、随分と貧弱な体つきをしているようだ。食べて、動いて、もっと体力をつけないとね。でないと、大きくなれないよ?」
 確かに、騎士団に属するログナーはともかく、宰相の下で国王を支えているユグルドですら、レキウスより体はがっしりしていた。二人共、服の上からでも鍛えられた体つきをしていることがはっきりと見て取れる。
 三人で昼食を平らげてしまうと活動的なログナーは手持無沙汰になってきたのか、そわそわとしはじめた。
 双子の兄のそわそわとした様子を感じ取ってユグルドは小さく欠伸をしてみせた。
「夕方までは時間もある。この後は僕は屋敷でゆっくりさせてもらうよ。視察は明日からでいいだろうからね」
 ユグルドが言うとログナーは頷き、ぱっと立ち上がった。
「俺達の部屋は用意できているか?」
 近くに控えていたスレンへと、ログナーは問いかける。
「既にご用意できております」
 恭しくスレンが言うのに、ログナーは頷いた。
「では、俺は視察も兼ねて少しあたりを散策してくるとしようか」
 立ち上がったログナーの背中や腕の筋肉が隆起するのが見えて、レキウスは思わず見惚れてしまう。
 オルバン司教の脂ぎった脂肪だらけのだらしのない体ならともかく、ログナーのような健康的で逞しい体を目にするのは、初めてなのだ。さらに言うと、スレン以外の誰かと一緒に過ごす機会がこれまでほとんどなかったのだ。
 珍しいものを見るかのようにまじまじとログナーの背中を見つめていると、ユグルドがクスクスと笑った。
「筋肉質だろう?」
 こんなに筋肉ばかりつけて、とユグルドが言う。
「有事の際には役に立つ」
 と、ログナーが自慢げに口の端を釣り上げて笑う。
「ログナーの筋肉が役立つかどうかは置いといて、今度は僕がレキを連れて行く番だ」
 さあ、おいで、とユグルドの手がレキウスの膝の裏に回る。レキウスはおとなしくユグルドの腕に抱き上げられ、屋敷へと戻ることになった。
 ユグルドからは爽やかな新緑のにおいがする。レキウスは大人しく兄の腕に抱えられたまま、客間へと案内をした。
 整えられた室内は、ユグルドたちが疲れを癒やすことができるよう、落ち着いた装飾と家具で整えられている。
「少し、話し相手になってくれるかな?」
 昼寝をしたいと告げたユグルドだが、言っていたほど眠たくはないらしい。ベッドにゴロンと横になると、レキウスを引きずり込んでフフッ、と悪戯っぽく笑った。
「君は……本当に、母上によく似ている。髪の色も、肌の白さも、顔立ちも……」
 そう言いながらレキウスの頬を、ユグルドの指が優しくなぞっていく。
「兄さま……」
「ユグルドだよ、レキ」
 呼んでごらん、と言われて、レキウスは困ったように口をパクパクさせてしまう。
 名前を呼ぶだなんて、畏れ多いことだ。それに、なんだか気恥ずかしくもある。
「ユ……ユグルド、兄さま……」
 そっと名を呼ぶと、ユグルドはよくできました、とレキウスの頬にちょん、とキスをする。
「あっ……」
「これは、ご褒美だよ。ちゃんと僕の名前を呼ぶことが出来たからね」
 ユグルドの穏やかな物言いに、レキウスはほっと口元を綻ばせる。
 オルバン司教とのやりとりは、常に緊張の連続だった。だから兄たちと喋ることがレキウスには少し怖くもあったのだ。
「夕食の準備が整うまで、君の話を聞きたいな、レキ。君がどんなふうにこの離宮で育ったのか、教えてくれる?」
 そんなふうに言われてレキウスはどこまで話したらいいだろうかと一瞬、逡巡した。
 スレンからは、これまで知らない人とは喋らないように言い含められていた。
 だからレキウスが言葉を交わしたことがあるのは、侍従のスレンがほとんどだ。
 オルバン司教とは会話らしい会話をしたことがない。教育係として派遣されてきたものの、彼の特殊な性的嗜好のため、レキウスはオルバン司教の前ではほとんど言葉を発することは許されていなかったのだ。
「ぼくは、小さい頃からずっとスレンと二人きりだっ……でし、た。離宮の中はどこへでも行けるけれど、知らない人が来る時は外へ出てはいけないと言われていたので、人と言葉を交わすことがあまりなくて……」
 お前は喋るな、黙っていろとオルバン司教に罵られたことを覚えている。一言も声を漏らしてはいけないと言われ、尻や手を叩かれたことがある。夜には服を脱がされることもあったが、少しでも声が漏れるとすぐに平手が飛んできたものだ。
 だからというわけではないが、スレン以外の誰かと話をすることがレキウスには少し苦手に思えていた。
 今だって、そうだ。どこまで何を話したらいいのやら、わからない。
「僕もログナーも、母上から君の事は何度も聞かされていたんだ。可愛い弟がこの離宮にいること、産まれた時から病弱で、外へは出られないこと。それから……父上や臣下たちには言えない秘密があることも、僕は知っているよ」
 神妙な顔つきでユグルドが言うのに、レキウスはゾクリと体を震わせた。
 まさかユグルドが知っているとは思わなかった。この秘密は、自分とスレンの二人だけの秘密だと思っていたのだ。
「あ……」
 さーっ、と血の気が引いていくような感じがして、レキウスは慌てて跳ね起きるとベッドから下りようとする。
「逃がさないよ、レキ」
「い、嫌……だ!」
 四肢を突っぱねてユグルドから逃げようとしたが、兄のほうが動きは素早かった。
 ぐい、と腕を引かれ、あっという間に彼の胸の中に捕らえられてしまう。
「そんなに抵抗しないで、レキ。怪我をするよ」
 ぎゅうっ、と抱きしめられた瞬間、オルバン司教に無理やり羽交い締めにされた記憶がレキウスの脳裏に蘇ってくる。
 あの時は、まだ何も知らない頃だった。やみくもに抵抗し、その度に酷く折檻されたものだ。尻を出して、鞭で打たれた。その後で燭台の蝋を垂らされ、泣いて許しを請うた覚えがある。どれだけ頼んでも、オルバン司教は蝋を垂らすのをやめてくれなかった。蜜蝋の甘い香りが立ち込める中、鞭で打たれて赤くなったレキウスの尻にオルバン司教は張り型を突き立て、夜明け近くまで楽しんだ。
 体を強張らせたままレキウスは、浅く息を吐き出した。
「ひっ……ぅ……ぅ……っ」
 怖い。このままユグルドに何をされるのかわからず、怖くてたまらない。
 レキウスはカタカタと小さく体を震わせながらごめんなさい、ごめんなさいと泣き出した。
「レキ……レキウス、体の力を抜いてごらん。大丈夫だから」
 ユグルドは静かに声をかけてくる。
 痩せっぽちの小さな弟の体を抱きしめたまま、兄王子は穏やかな声で語り始めた。
「母上はそれはそれは綺麗な方だったよ。物静かで、優しくて。王族には珍しく、父上とは恋愛結婚だったそうだ。いとこ同士で幼い頃から気心も知れていたし、何よりお互いに愛し合っていたからね。だから……レキ、君が虚弱体質でこの離宮でなければ生活できないと聞かされた時の父上のショックは大きかったと思うよ」
 耳元で囁くように語り続けるユグルドの声は淡々としていた。
「父上も母上も深く愛し合っていたよ。二人とも末っ子の君が愛しくてたまらなかったし、僕もログナーも、君を大切にしたいという気持ちは同じなんだ。だからこそ一緒に暮らすことができないのがもどかしくてたまらなくて……」
 そうだ、もどかしいのだ、とレキウスはふっと我に返った。
 レキウスだって、家族と一緒に暮らしたいとずっと望んでいた。
 こんな離宮に幽閉されるようにして世間から隠され、ひっそりと生きていくのはもううんざりだ。
「ユグルド兄さま……兄さまは、ぼくのこと、好き?」
 おどおどとレキウスは尋ねた。
 たかだか数時間で好きか嫌いかがわかるはずがない。離宮に幽閉され、スレンと二人きりで生活してきたレキウスに人を見る目があるはずがない。
 だが、オルバン司教と兄たちは違う。それだけははっきりと肌で感じることができた。
「レキのことは、母上のお腹にいた時から好きだよ」
 ぎゅっと抱きしめ直すとユグルドは、レキウスの耳たぶを甘噛みする。
「愛してるよ、レキウス」
 少し掠れたユグルドの声が、レキウスの耳の中に切なく響く。
「……っ、あ」
 自分はどうだろうかと、レキウスは思う。
 初めて会ったばかりの兄のことを、こんなふうにあけすけに愛してると口にすることができるだろうか。
「ぼくは……」
 言いかけたものの、言葉が続かない。
 ユグルドは優しくレキウスの体を揺らし、小さく笑った。
「君は、これから沢山のことを学ぶだろう。色々なことを知って、自分で何でも判断を下すことができるようになったら……その時に、その言葉の続きを教えてほしいな」
 出会ったばかりの相手に軽々しく愛してるなんて言うものじゃないよとユグルドは窘《たしな》めると、レキウスのつむじにそっと唇を押し付ける。
「さて、今度こそ本当に昼寝をしようかな。おいで、レキ。僕と一緒に昼寝をしよう」
 抱きしめられたままベッドにぽふん、と二人して倒れ込む。
 勢いあまって二人でベッドの上をゴロゴロと転がり、そのままレキウスはユグルドの腕の中に抱きこまれる。
「可愛いレキ。君を、この離宮から救い出すのがどうか僕でありますように」
 甘い声で囁くと、ユグルドはレキウスの唇にキスをする。
 くちゅっ、と湿った音がして、唇が合わさった。何度も、何度も……息をするのも忘れるぐらい甘く、優しく、心地好いキスをレキウスは初めて経験した。
 頭の芯が痺れたようになって、身体がフワフワする。
「ん……ん、ふっ」
 自身の身体に必死にしがみついたままキスを求めるレキウスの幼さが愛しくて、たまらないといったふうにユグルドは何度も唇を合わせた。ユグルドがレキウスの舌を強く吸い上げると、朱色がかってぷくりと腫れぼったくなった。
「ぁ、む……んんっ!」
 ビクビクと小魚が跳ねるようにレキウスの華奢な体が震えている。
「気持ちいい?」
 そっと唇を外して頬を摺り寄せると、ぐったりとなって放心したレキウスがコクコクと頷く。
 ふと見ると、レキウスのズボンの股のところにほんのりと染みが浮き上がり、青い性のにおいがふわりと鼻をついた。
「ああ……キスだけでイっちゃったんだ?」
 嬉しそうに呟くと、ユグルドは弟をぎゅっと抱きしめた。
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