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32 あの日の出来事、裏。
しおりを挟むふぅ、と溜息をついた男。ぽんぽんと凝り固まった肩を自身で叩く。
いくつかの世界を監視する業務についてから幾星霜、わりと細々とした仕事が多くて、大業な立場のわりにはちっとも楽ができない就労の日々。楽しみといえば仕事帰りに飲み屋でひっかける一杯ぐらい。せめて家庭でも持っていたら、またやりがいを見いだせたのかもしれないが、あいにくと独り身。かといって仕事にすべてを捧げるほどの熱意も執着もない。ゆえに何事もソツなく無難にこなすことが信条みたいになっていく。
バランス調整のための異世界間での転移について、規則通りに対象者と一人ずつ面談をし、これから行く世界のことについて説明をし、なおかつ常識の範囲内において出来うる限り当人の希望に沿った能力を与えて送り出す。
すっかり慣れっことなった仕事だが、それとて延々と同じことを繰り返すのは骨が折れる。最後の方なんて説明の際に、一切の感情が込められていなかったことは自覚している。ややおざなりになったことも悪かったと思っている。態度も少しばかり高圧的になって、質問の類は一切受け付けません的な雰囲気を醸し出していたのも事実だ。
しかしそれもしょうがないことであろう。まるで工場でベルトコンベアの作業台を相手にしているかのような流れ作業、次々と回ってくるのを手早く処理しないと、すぐに後ろが詰まってしまうのだから。
とにもかくにもなんとか今回の転移をやり遂げたと思ったのも束の間、すぐに自分のミスに気が付いた。
四十人をクラス単位で送るハズだったのに一人足りない。
よくよく調べてみるとほんの数日前に、クラスメイトが一人転校していた。父親の突発的な転勤が原因らしいのだが、おかげでこっちに手抜かりが生じる。すでにあちら側には四十人を送る旨を報せてあるというのに、これでは計算が合わない。バランス調整のための行為が、かえってバランスを崩す羽目になってしまう。
そこで管理者の男は急遽、代替え品を探すことにする。
送る者は縁者が望ましいということで、先に送った若者らと同じ高校の中から選別すると、ちょうど具合のいい子が隣のクラスに見つかった。
「山田花子さん……ね。家庭環境もあまり恵まれてないみたいだし、これなら大丈夫かな」
対象者の履歴が記載された書類を手に立ち上がった男は、上着を引っ掴むとそのまま仕事部屋を出て外界へと赴く。
本来ならばこちらに呼びつけて、いつものように処理したいところだが、それだと手間と時間がかかる。遅れれば遅れるほどにバランスの崩れに影響が出てしまう。だから彼は帰宅ついでに手早く済ませることにする。
久しぶりに降りた下界の雰囲気に管理者は少しばかり浮かれた。
コンビニエンスストアというところに立ち寄り、その品揃えの豊富さと機能性、なにより二十四時間営業という信じがたい営業形態に心底驚いた。どうやらここの世界の住人たちは働くのが大好きなようだ。これならば向こうに送った連中もこれから送る子も、きっといい仕事をしてくれるに違いあるまい。
男はビールとつまみにチクワという食べ物を購入して、これを持って近くの土手にてどっかと腰を下ろして、休憩がてら夕陽を前にしばし黄昏た。
冷えたビールに喉を潤しつつ、かじったチクワはたいそう美味かった。
そろそろ頃合いかと思い腰を上げた男は、すぐ近所だという対象者の家へと向かう。
インターフォンを鳴らすも応答はない。どうやらまだ学校から帰っていないらしい。仕方がないのでドアノブに手をかけて中へと勝手にお邪魔する。
家の中の空気がどこか寒々しい。
人が生活していると何がしかの痕跡というか、匂いなんぞが染みつくというのに、ここにはそれがない。玄関先にてすぐに気がつくほどに、その内部には生活の色がなかった。
資料によれば随分と淡泊な両親のもとで育てられたとあったが……。
そんなことを考えていたら不意に背後の玄関ドアが開く。
考え事をしていたのでつい反応が遅れた。いささか慌ててしまったのかもしれない。
無意識のうちに自分の口から出ていたのは「君は何が好きかな?」という言葉だった。すると彼女はチクワと答えた。それはつい先ほどまで自分が食べていたアレのこと。
この小さな偶然にちょっと嬉しくなってしまったのだが、そこで時間切れとなる。
足りない分の余波が思いのほか、あちらの世界に強く影響を及ぼし始めていることを報せる警報が届いたのだ。だから申し訳なかったのだが、ろくすっぽ言葉を交わすこともなく彼女を送り出してしまうことになる男。
女の子の姿が消えて、あちらに到着した途端に警報が止んだ。
どうやらこれで世界間のバランスは無事に保たれたようだ。
やれやれとひと息ついたところで、ふと管理者の男は首をひねった
「ところで『チクワ能力』ってなんだ?」
時間に押されて考えなしに与えたチカラだが、そもそも当人どころか付与した張本人も把握していない能力。たぶんポコポコとチクワを出すぐらいだろうと男は考えた。だが適当な急ぎ仕事のつけは、いずれその身をもって味わうことになる。
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