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072 吹雪の夜に
しおりを挟む洞窟内にて揺らめくロウソクの小さな灯火。
焚き火はしない。大樹の墓場はひらけた寂しい場所だ。あまりにも目立ち過ぎる。
どこで誰に見咎められるかわからない。いかに外では吹雪いているとはいえ、運んでいる荷のこともあるし、注意するのに越したことはないだろう。
俺と相棒は入り口付近に陣取り警戒を怠らない。
この地に降りてからなんとなくずっと心がざわついたまま。
大樹の墓場がそういう場所だということを差し引いても、妙に神経が張り詰めている。
経験上、この手の感覚は無視しないほうがいい。知らず知らずのうちに何ごとかを察知している可能性が高いからだ。人間の勘というのもこれで案外侮れないもの。
外では轟っと風が唸り、赤い雪が盛大に舞っている。
頬を打つ風は痛いぐらいに凍えそう。なのにときおり吹き込んでくる赤いちらちらは冷たくない。逆に常温に近いせいか、触れて溶ける際にちょっと温かく感じるほど。
雪は白い、雪は冷たい……。
そんな常識が通用しない。
知識と意識、感覚、現実とのズレがどうにも気持ち悪い。
どうしてこの場所にだけ赤い雪が降るのかはわからない。
大戦時の爆撃の影響による異常気象とされているが、おそらくはそれだけが原因ではあるまい。攻撃対象にされたという研究所にていったい何の研究をしていたのやら。
◇
すっかり夜も更けた頃。
背後にて動く気配。
外へと顔を向けたまま、目だけを動かしそちらを見ればウイザの姿。近寄ってきた彼女が携帯酒瓶を差し出す。
「やたらと神経を尖らして警戒しているみたいだけど、何か気になることでも?」
「……わからない。ただ何かが起こるような予感は、ある」
俺は受け取った携帯酒瓶の蓋を開けてグビリとひと口。
とたんにノドの奥をドロリとした液体が流れ落ち、腹の底がカッカッと熱くなるも顔をしかめて「ひどい味だ」とぶつくさ。
風味もへったくれもありゃしない。酒精が強いだけの味気のない液体。時と場所がちがえば吐き出しているところだ。
だが暖はとれる。眠気や倦怠感もどこぞに吹き飛んだ。気つけ薬と考えれば存外優秀である。
とはいえ、ひと口で懲りた俺は携帯酒瓶を相棒に回す。
酒好きの緑のスーラはぷるぷる身を震わせ喜色をあらわし、触手で受け取ってはグビグビリ。
でもお気に召さなかったらしく、ふた口ほどで「もうけっこう」と言わんばかりに携帯酒瓶を突き返してきた。
「ほら、みろ。気まぐれに上等な酒なんぞを与えるから、メロウのやつ、すっかり舌が肥えちまったじゃねえか。どうしてくれるんだよ」
以前に湖のほとりで彼女から貰った北方土産の酒を引き合いに出し、俺が冗談まじりに文句を言うと、ウイザが「悪かったよ。機会があったらまた買ってきてやるから」と肩をすくめたところで、互いにクスリと笑みを浮かべるも、その時のことであった。
ズーン、ズーン、ズーン、ズーン……。
かすかな地響きとともに、吹雪きの向こうより不気味な音が聞こえてきた。
はじめは空耳の類かとも考えたが、振動と音が少しずつ大きくなっていく。
俺はひとり外へ出ると小高い場所へと移動し、すかさず拡張能力を発動。視力を強化し彼方の様子をうかがう。けれども赤い雪が邪魔をしてよくわからない。
正体不明の何かが夜の大樹の墓場を移動している。
どうする? 確認に向かうべきか。
それともこのまま息を潜めてやり過ごすか
状況からして、何者かはこちらの存在に気がついていないはず。
だとすれば下手に接近をして刺激しない方がいい。
俺はそう判断し、すぐさま洞窟に引き返そうとするも、直後に耳が拾った音にギョッとして立ち止まる。
だあー、ばあー、だあー、あーばぁー……。
ちがう方向より聞こえてきたのは、まるで赤子の声のような音。
とっさに脳裏をよぎったのが「大樹の墓場では夜な夜な巨大な赤子の影が徘徊している」という与太話。
「そんな、まさか……」
おれはしばし立ち尽くす。
この赤い吹雪の向こうでいったい何が起こっているというのか。
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