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第五十一話 高野詣
しおりを挟む紀州の材木といえば、その名を全国に轟かせている。
色よし艶よし形よしに加えて、香りよしにて、使い勝手がまこと良好。
なんでも紀伊の国では、津々浦々にまで空海さまのご威光が満ちており、神仏の恩寵を受けて、のきなみ杉や檜は素直で真っ直ぐに育つという。
そんな木々に囲まれた山道を進んでいた鈍牛一行。
ここはすでに獣と神々の領域につき、世俗とは離れた場所。
吸い込んだ空気が肺より全身に染みわたるようにて、それだけで己が浄化されたかのような、世俗の汚れが洗い落とされたような気持ちにさせられる。
だがそれはあくまで気分だけのこと。
実際には、歩いているだけで全身から汗がわき、それが山の気に触れて冷やされて、衣をも濡らし肌にはりつき、体の内は暑くてたまらないのに、身を凍えさせる。
足元はぬかるみ、水が染みた草鞋の感触のなんと不快なこと。そのくせうっかりするとズルリとすべるものだから、一歩一歩に注意せねばならない。
緩やかにつづく坂道も曲者だ。上がったり降ったり左右にうねうね曲がっては、行く先々にて同じような景色を見せる。前を向いても後ろを振り返っても、目に飛び込んでくるのは木、木、木。
ただの一本とて同じモノは存在しないはずなのに、すべてが同じように見えては、なにやら得たいの知れない恐怖を抱かされる。
たとえありがたい地蔵様とて、数百も集まれば、やはりギョッとする。それと同じような心持ちなのだろうか。
ようやくここまで来たものの、ずっと鈍牛の右肩の上でだらりとしている愛猫の茶トラの小梅以外は、全員の表情にやや疲れの色が浮かんでいた。
襲撃もはじめのうちは、わりと直接的な攻めであったのだが、接近戦では無類の強さを誇る加藤段蔵がこれを千切っては投げ、千切っては投げ。
すると連中、強引な力業では埒が明かぬと方針を変更。まわりくどいやり方に変えてきたものだからやっかいなことに。
峠の茶屋に寄れば老店主に化けた忍びに一服盛られ、町の宿に泊まればせっかくの料理にやはり一服盛られ、ちょいと温泉で一休みといけば湯けむりの向こうから女があらわれ、妖艶な笑みを浮かべる。
相手はもちろんクノイチにて、うっかり色香に迷おうものならば、油断したところでズブリとあの世行き。天国から地獄へと突き落とされる。
信長の首の入っている壺だけを狙おうとする輩もいて、とにかく油断も隙もあったものじゃない。
ちょっかいをかけてくる忍びの数とその流派も日に日に増えていく。
甲賀、風魔、根来、軒猿、戸隠、雑賀、甲州透波、饗談……。
どうやら正式に依頼を受けた者から、主人より命じられた者、噂を聞きつけて欲に目が眩んだ者、身の丈にあわぬ野心を抱いた者などが、こぞって群がってきているみたい。
さながら忍びの博覧会のようなありさま。一つの獲物にこれほどの忍び集団がよってたかってくんずほぐれつ。
ざんばら髪の六尺越えの大男である鈍牛。目立つ容姿にて追跡はたやすい。それを踏まえてのオトリ役にて、十二分に役目を果たしているものの、よもやこれほど効果があろうとは。
かつてない事態に田所甚内は呆れ、加藤段蔵は腹を抱えて大笑い。
なおこれまでの経緯にて、いかに鈍牛がおっとりとした性格とはいえ、白髭の好々爺である甚内が、ただの商家のご隠居ではないことにはさすがに気がつく。
で、道中にてたずねたら、あっさり自分が伝説の果心居士だと正体を明かした。
満を持しての種明かし。
しかし鈍牛の反応はおもいのほかに希薄。
それもそのはず、青年は果心居士を知らなかったのだから。
これには甚内の方がすっかり肩透かしを喰らった格好にて、なんともバツの悪い結果に。
ちょっとドヤ顔だったのに、相手に知らないと言われては立つ瀬なし。自分ではそこそこ有名人のつもりであったのに。
地味にへこんでいる田所老人を加藤段蔵が励ますという、奇妙な一幕も見られたりもした。
男三人に猫一匹の旅ゆえの気安さはあるものの、その道行は地獄旅。
彼らの通り過ぎた後には、忍びの骸がばたばたと鈴なりに倒れている。それがしるべとなって更に多くの忍びをおびき寄せるのくり返し。
とんだ高野詣にて、唯一の朗報といえば、今回の信長の首争奪戦から伊賀が手を引いたらしいということ。
それが知れたのは、彼らがまだ大和の国の中ほどにいたときのことである。
吉報をもたらしてくれたのは、一人の女の子であった。
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