秋嵐の獄、狐狗狸けらけら

月芝

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其の四十八 穴の底

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 炎は激しかったというのに、その夜はほぼ無風であったせいか、火事が離れや本宅、店の方へと延焼することはなかった。
 とはいえ焔の柱が天を焦がし、辺り一帯には煙やニオイが充満すれば、否応なしにご近所も気がつく。
 さすがに内々で処理するわけにもいかず、消防団や警察が駆けつけるほどの騒ぎとなった。
 とはいえ出来たことといったら、そろって遠巻きにしては、燃え盛る蔵をぼんやりと眺めていることぐらいであったが……。

 結局、火はほぼ一晩中燃え続けて、蔵は完全に焼失した。
 あとには炭と化した残骸が残るばかり。
 女は心労のあまり倒れた。

  ◇

『どうやら火災現場となった蔵の中には、ここの主人が取り残されていたらしい』

 店の者よりそのことを聞きつけた警察官たち。
 もしもそれが本当ならばたいへんなこと。なにせ彼は人格者にして地元の名士として、よく知られた人物であったのだから。署長とも懇意にしているというし、ここで何もせずに帰ったら、どんな叱責を受けるかわかったものじゃない。
 だからすぐに真偽を確かめるためべく、まだ余熱が残る現場へと警察官たちは立ち入ることにした。

 とはいえ中はご覧のありさま。いったいどこから手をつけたものやら。
 途方に暮れていると、そのうちのひとりが、うっかり燃え残っていた床板を踏み抜いてしまった。すっかりモロくなっていたもので、足だけではあきたらずに、その身ごと穴の底へと吸い込まれてしまう。

「なんだ? こんなところに自前の防空壕でもかまえていたのか」
「いや、ちがうぞ。これは地下室だ」
「ここぐらい繁盛している大店の蔵ともなれば、万が一の備えがあっても不思議じゃない。なにせ昔は火事は商いの天敵みたいなもんだったというから」
「おいっ! 学をひけらかすのもけっこうだが、いまはそれどころじゃないだろう。少しは落ちた奴の心配をしてやれ。おーい、大丈夫かぁ」

 上から声をかけられて、落ちた者は「平気だ、ちょっと腰を打っただけですんだ。たまさか荷物の上に落ちたおかげで助かった。あいたたたた」と答えたもので、とりあえず上にいた一同はほっとする。
 けれども直後のことであった。

「うん? なんだ、これ。角……樽……。ひぐっ、ヒィイィィィィィィィィィッ!」

 突如として悲鳴が聞こえ「助けてくれ、すぐにここから出してくれ。イヤだ。ここは、ここは地獄だっ」との泣きながらの懇願。
 大の男が尋常ではない取り乱しよう。
 だから同僚らはどうにかしてすぐに彼を助け出そうとするも、床そのものがいつ崩れてもおかしくない状況。無理をすれば全員が落ちかねない。
 そこで穴からの救助は断念し、手分けをして地下へと降りられる場所を探す。

 入り口は燃え残った柱の下敷きになっていたもので、いささか発見するのに手間取ったものの、ようやくこれをどかして地下へと駆けつけた面々。
 だがそこで目にしたのは散乱している木片たち。これは酒樽の成れの果て。中身が火の熱で膨張したのか、破裂したような壊れ方をしていた。
 問題はそれらに混ざっていた方。

 燃えているのもある。真っ黒に炭化したものもある。中途半端に焦げているのもある。赤く腫れているものもある。生煮えのようなのもある。やせ細ったミイラのようなのもある。ぶくぶくに膨らんだものもある。腐りかけているものもある。腕や足が欠けているものもある。頭が潰れた饅頭みたいになっているものもある。骨のみのものもある……。

 大量の赤子の骸たち。

 警察官たちは恥も外聞もかなぐり捨てて、我先にとその場から逃げ出した。

  ◇

 現場が大騒ぎになっている気配を、女は床に伏しすっかり見慣れた天井を眺めつつ、ぼんやりしながら聞いていた。
 いずれは露見するだろうと、ずっとおもっていた。
 それをとても恐れたこともあった。
 しかしいまとなっては、もうどうでもよかった。
 だって旦那さまは逝ってしまったのだから。
 でもようやくだ。ようやくこれであの不憫な子らを、きちんと弔ってあげることができる。そのことだけが唯一の救いである。
 女はふたたび瞼を閉じる。
 とても哀しい、とても切ない、とても寂しい。胸の奥にて虚ろがどんどんと大きくなっていく。
 なのに涙は不思議と出てこない。
 受けた衝撃が強すぎて本当に辛いときには、うまく泣けないという話をしてくれたのは、どこの誰であったか。小さい頃、まだ置屋に預けられる前に聞いたような気がするのだけれども。わからない。どうしても思い出せない。


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