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039 母
しおりを挟む生物学上の母親にして、自分を最初に捨てた人間。
健斗の人生の歯車を狂わせた元凶の片割れ。
季実子、いまは山本季実子か。
捨てられたあと。
ただの一度とて健斗の身を案じ、連絡をとろうとはしてこなかった。手紙のひとつ、電話の一本も寄越さない。
ほら、よくドラマとかであるだろう?
諸事情により泣く泣く子どもを施設に預けて行方をくらませた母親が、やっぱり気になってのちのち絡んでくるという物語。
そりゃあ、健斗だってはじめのうちは期待をしていた。
誰にも祝福されない自分の誕生日が来るたびに、あるいはクリスマスなんかを迎えるたびに「ひょっとしたら」と淡い期待にて、小さな胸をドキドキさせていたものである。
だが現実はどこまでも残酷で非情だった。
眼前に突きつけられたのは、完全なる放置である。
幼かった健斗はそうそうに期待するのは止めた。
そして自分を捨てた両親に対する幻想も捨てた。
遥か過去の遺物、亡霊である。
もはや顔もろくに思い出せないような相手だ。
それがいまさらどうして……
スマートフォンを持つ手が震える。健斗は戸惑いを隠せない。
「――例のフリーのルポライターの仕業のようです。釘を差したのが裏目に出たのかと」
佐々木頼人はフリーのルポライターである。
個人情報をほいほいと第三者に渡すような軽薄な輩にて、そのせいで迷惑をこうむった健斗が、頼んで阿刀田さんから弁護士として抗議をしてもらった。
だがそのことが薮蛇となり、逆に相手の興味を惹いてしまったらしい。
阿刀田さんの情報によれば、頼人という男はルポライターを名乗っているものの、その実態は取材で得た情報をネタに脅迫をする、強請りたかりの常習犯とのこと。
もとは桐谷陽太の記事で小銭を稼いでいたのだが、それ繋がりで杉浦彩子の失踪の件に着目し、健斗にも関心を示す。
餓えたハイエナは鼻が利く。
その嗅覚を記者として活かせば、あるいはジャーナリストとして大成したかもしれない。
とにもかくにも健斗に目をつけた頼人は本腰を入れて調べだした。
動機は邪にて、自堕落な性質にて身を持ち崩してはいるものの、記者としての能力は高い。健斗の過去をさらっていく過程において得たわずかなヒントから、ついには生母である季実子のもとにまで辿り着く。
そして類は友を呼ぶではないが、季実子もまた餓えたハイエナであった。
捨てた我が子が大金持ちになったと知るなり目の色を変えた。
「あちこちで健斗くんの生き別れの母親であることを吹聴しては、どうにかして接触しようとしています。ついには佐々木頼人と手を組んだらしく、ふざけた企画を立ち上げました。この分ではそう遠くないうちに、そちらに押しかけてくるかも――」
生き別れの母親と息子が感動の再会をする……というお涙頂戴の企画。
くだらない、もちろん嘘企画だ。健斗と接触するためのもの。
じつは捨てたんじゃない。あの時はしょうがなかった。自分も辛かった。あなたを守るためだった。
みたいな出鱈目を並べては安っぽい陳腐なシナリオにて、こちらを丸め込み、あとはズルズルと寄生するのが季実子の狙いなのだろう。
頼人は季実子を通じて美味い汁を吸うつもりなのか、あるいは何がしかの弱味を握って直接脅すつもりなのかもしれない。
「ったく、次から次へと湧いてくる。どうして放って置いてくれないんだ!」
阿刀田との通話を終えた健斗は、つい怒りにまかせて手にしていたスマートフォンを地面に叩きつけそうになるも、寸前で思いとどまった。物に当たるのはちがうだろうという自制が働く。
何度か深呼吸を繰り返し、ひやりと澄んだ山の空気を体内に取り込むうちに、次第に逆上せていた頭も落ち着きを取り戻す。
冷静になった健斗はスマートフォンをズボンのポケットにねじ込むと、バギーのエンジンをかけた。
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