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022 犬と蛇
しおりを挟むほんのわずかだが胸元が上下している。
呼吸が浅い。
すっかり血の気を失っているけれども、兄はまだ生きていた。
房江に言われるままに、隆はぐったりしている信也の両手足を縛り、頭陀袋(ずだぶくろ)に放り込んだ。
それを一輪車に乗せて運ぶ。
向かうのは家の裏山を迂回して、さらに奥へと進んだ方。
「ほら、こっちよ、ついてきて。絶対にバレない隠し場所があるの」
房江にそう言われて、隆は慣れない一輪車の操作に苦戦しつつも、案内されるままについて行く。
隆は彼女と堕ちていく覚悟を決めた。
これまでに学んで身につけた知識を使って、なんとしても房江を守る。
それでもバレない隠し場所とやらについては半信半疑であった。
なぜなら遺体の処理というのは、おもいのほかに厄介だからだ。
海に沈めようと、山に埋めようと、バラバラに刻もうと、不思議なことに隠そうとすればするほどに、ひょっこりあらわれる。
そのせいで事件が発覚し、犯人が逮捕されたケースは枚挙にいとまがない。
案内されたのが、寂しいすかすかの小高い山だったもので、隆は顔にこそ出さなかったものの、ひどく落胆した。
でも房江はそんな隆の心を見透かしたように微笑み、愉快そうに両腕を広げてみせる。
「ふふふ、がっかりしているのね、隆さん。でも大丈夫なのよ。ここに捨てたらオイヌサマが綺麗さっぱり片付けてくださるから。その証拠にほら、つい昨日捨てたばかりなのに、もう失くなっちゃっているわ」
オイヌサマ? いったい彼女は何を言って――
「な、失くなっているって何が……」
おずおず訊いたとたんに、すっと房江の顔から表情が消えた。
「お父さまと、お母さま……。ふたりってば酷いのよ。私が信也さんと結婚して家を出るのことに賛成していたのに、その話がダメになったとたん、急に『やっぱり無理だったんだ』『ここを離れてはいけないんだ』とか言い出して、ふたりして私を家に閉じ込めては、『お前が悪い!』って責めるの。まるで何かにとり憑かれたみたいに、汚い言葉を吐いては目くじらを立てて、それはもう恐ろしかったわ」
一人娘ゆえにとても大事にされてきた。
だというのに急に豹変した父と母、責めは日に日に酷くなっていくばかり。
本気で命の危険を感じた房江は殺られる前に殺ることにした。
そして殺した両親の遺体を、この畏御山に捨てた。
なぜならここに捨てれば、オイヌサマが片付けてくれることを知っていたから。
三峰家がいつ頃この地に移り住んだのか、どうしてこの地を選んだのかはわからない。
もともと犬遣いの家系にて、その力を使って呪法を請け負うのを生業としていたのだが、それがせいで元の土地に居づらくなったらしい。
各地を転々とし、放浪の果てにこの地へとやってきたとき、三峯家は一頭の巨大な山狗を連れていたという。
どうやらその山狗を依り代にして「お犬さま」を召喚しては、いろいろと悪さをさせていたようだ。
家名からもわかる通り、この家は狼信仰で広く知られた、あの神社ゆかりの者である。
けれども呪法に手を染め、とうに一族より追放され縁切りされた身にて。
その際に勝手に持ち出したのが「お犬さま」であった。
社で祀る神の眷属にて「大口真神(おおぐちのまがみ)」「御眷属さま」「御神犬」「山犬さま」などとも呼ばれていた。
本来であれば宮司に願い出て、厳格な手順のもとに特別なお札を拝領し、これを持ち帰ることで連れ帰ることが許される存在である。
そして一年経ったら、また山に還し奉る決まりとなっている。
一年、俗世に身を置き、仕えていた主を守っていたことで染み付いた穢れを、山に戻って清め払うためだ。もしもこれを怠れば、御身はどんどんと汚れていき、ついには荒神(こうじん)になってしまう。
だというのに三峯家の先祖たちは「お犬さま」を本山に返すことなく、ただただ使い続けた。まるでわざとそうなるかのように……
◇
畏御山(いみやま)は房江の先祖たちが住み着くよりも、ずっと前からあった。
ただし、漢字でこう書かれるようになったのは、戦後のことである。
それまでは「忌み山」あるいは「遺巳山」と記されていた。
古くから地元では風葬の地として使われてきた場所である。
風葬とは、ような遺体を捨てて野ざらしにて、朽ちるにまかせる弔い方法のこと。
なんとも乱雑な方法のようにおもわれるかもしれないが、べつに野蛮な風習ではない。
京都の鳥辺野(とりべの)、化野(あだしの)、蓮台野(れんだいや)は風葬の地としてとくに有名で、けっこう各地で行われており、なんとごく限られた地域であるが1960年代頃まで続けられていたというから驚きであろう。
死は不吉にて穢れ……遠ざけるもの。
ゆえに風葬の地が「忌み山」と呼ばれるのはわからなくもない。
けれども「遺巳山」というのは少々奇妙なことであろう。「遺」は骸を表す文字だ。死体を捨てる場所柄から「遺棄」ともかかっているのかもしれない。
ならば「巳」はどうであろう?
これは蛇をあらわす文字である。
そして文字通り、この地には大蛇伝説があった。
一帯の山の主として君臨している大古の蛇神がいて、山を荒らすものあらば、たちまち呑み込んでしまうという。その名前を「イミサマ」といった。
実際に山に捨てた遺体が、ほんの数日で消えてしまう。
きっと蛇神の仕業に違いないと、近在の者らはたいそう恐れ、必要な時以外はけっしてこの一帯に踏み入ろうとはしなかった。
そんな場所に住み着いたのが三峰家の先祖たち。
あろうことか、彼らはこの地の守り人を自任する。
かくしてこの地には二柱の神が同衾することになり、産まれたのが「オイヌサマ」であった。
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