白き疑似餌に耽溺す

月芝

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013 杉浦彩子

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「アヤってば素がいいんだから、もっとオシャレしなよ。もったいない」
「う~ん、でもあんまり興味ないし。めんどうだから私はいいかなぁ。そもそも柄じゃないしね」

 高校生の頃に、仲が良かったクラスメイトと交わした会話である。
 黒髪おさげに黒縁の眼鏡、特に可もなく不可もなく、みずから何かを発信するでなし。クラスでも特に目立たない地味な子、それが杉浦彩子という娘であった。
 父親は地元役場の公務員、母親はスーパーマーケットでパートをしている。
 両親ともに物静かにて、あまり騒がしいのを好まない。
 そんな家庭に育った彩子もまた、どちらかといえば陽気に騒いだりするのは苦手であった。

 彩子は大学に進学するのを機に、実家を出て独り暮らしを始めた。
 だが、いざ学生生活をはじめてみると、なにやら物足りない。
 懸命に受験勉強を頑張ってまで合格した大学だというのに、いざ通ってみるといささかひょうし抜けした。
 合格はゴールではなくて、あくまで通過点である。
 頭ではわかっている。でも大学の構内に漂う特有の緩慢な空気が、彩子の思考をぼやけさせる。
 苛烈な受験勉強の反動、ちょっとした燃え尽き症候群なのだが、彩子に自覚はない。ぽっかり開いた自由時間を持て余すばかり。
 ただ周囲に流されるままに「学生生活とはこういうものだ」と納得して日々を過ごす。
 けれども、そんな時のことであった。
 構内の景色の中で、異彩を放っている存在を見つけた。

 とある男子学生にて、彩子とは講義が被ることが多いせいか、ちょくちょく顔を合わせる。
 その男子学生の何が異彩であったのかというと、周囲が学生生活を謳歌し、ともすれば浮かれているのに対して、彼のみがいつも真剣に講義に臨んでいたからである。
 真面目やストイックという言葉では、到底言いあらわせない。妙な気迫がある。ひとりだけ纏っている空気が違う。まるで暑い夏の盛りに、黒いコートでも羽織っているかのような印象を受ける。
 彩子はいつしか講義に赴くたびに、講堂内に彼の姿を目で探すようになっていた。

 ある日のことだ。
 講義が始まる前のことである。
 隣に座って歓談に応じていた友人が「ええい、まどろっこしい。ちょっと待ってて」と唐突に席を立ったとおもったら、腕を引っ張って彩子のところに彼を連れてきた。
 友人は彩子の視線の動きにとっくに気がついていたのである。
 で、いい加減に進展がないことにイライラしていたもので、我慢しきれずにお節介を焼いたのである。
 それが杉浦彩子と飼部健斗が付き合うきっかけとなった。

  ◇

 健斗の生い立ちを知り、彩子は「なるほど」と得心がいく。
 親の庇護の下、ぬくぬくと育ってきた自分とはまるで違う。
 彼を野犬とすれば、自分は飼われているチワワみたいなもの。
 若くして自立し、日々を懸命に生きている健斗に彩子は尊敬の念を抱くようになった。そして知るほどに好きになり、健斗をそばで支えてあげたいとすら考えた。
 でも、それが所詮は恵まれた環境にいる者ゆえの、ぬるい考えだとじきに思い知る。

 アルバイトをいくつも掛け持ちし、生活費と学費を稼いでは、大学の授業もけっしておざなりにはしない。
 なんの後ろ盾も支援もない若者がひとりで生きる。
 その大変さと間近に接すれば接するほどに、彩子は己の未熟さを恥じ、それと同時に不甲斐ない自分がどんどん惨めになっていく。
 いつしか健斗と一緒にいることに、喜びよりも息苦しさを感じるようになっていた。
 そんなさなかのこと、大学の食堂でひとりホットココアを呑んでは、溜息をくり返していた彩子に「やぁ、隣いいかな?」と声をかけてきた男がいた。
 茶髪にピアスのちゃらちゃらした男にて、彩子が苦手とするタイプである。

「どうかしたの? さっきから溜息ばかりついて」
「……べつに。あなたには関係ないでしょう」
「まあね。でも、女の子のそんな顔をみたら、ちょっと放っておけなくてね」

 いまにも泣き出しそうに見えたと言われて彩子ははっとするも、すぐに真っ赤になって無言のまま席を立つと、逃げるように立ち去ってしまった。
 ちゃらちゃらした男は、以降も、構内で彩子を見かけるたびに駆け寄ってきては、気安く声をかけてくるようになる。
 すると不思議なもので、初めのうちは邪険に扱っていた彩子も次第にほだされていく。
 それが心の隙間を狙っての男の策であったのだが、彩子はまるで気がつけなかった。
 心の中で健斗には悪いと思っていても、明るく陽気な男のペースに巻き込まれていくうちに、次第にその心地良さに溺れていく。
 気づいた時には、もう、健斗に言い訳のしようがない状況に陥っていた。
 この男は桐谷陽太という。
 その正体はただのちゃらちゃらした男なんぞではなくて、人の彼女を寝取っては、捨てられた男が絶望する様を眺めて悦に浸るような真性のクズであった。

 朱に交われば赤くなるの例えにて。
 彩子はどんどん陽太の色に染め上げられていった。それも悪い方へと。
 陽太の悪辣ぶりは構内でも知る人ぞ知るところ。
 だから彼女の身を案じて「あんなヤツとは、はやく手を切ったほうがいい」と忠告する親切な友人もいたのだけれども、彩子はまるで聞く耳をもたなかった。
 それどころか健斗に対する罪悪感と劣等感から逃れるようにして、楽な陽太との関係に逃げていっそうのめり込んだ。
 ついには健斗を捨て陽太を選んだ。
 かくして寝取られ物語は成立し、健斗は絶望へと叩き落とされる。
 だが裏切りの果てに待っていたのは――

「えっ、そんな……嘘でしょう」

 ここのところ生理が止まっており、体調も良くなかったので、もしやと妊娠検査薬を試してみたら、反応は陽性であった。
 ひとりで抱えるには大きく、かつ相手あってのことである。
 だから陽太に打ち明けるも、返ってきた言葉は酷薄なものであった。

「あん、知るかよ、そんなもん。めんどくせえ、とっととおろしてこい」

 あんまりな言い草に彩子は絶句する。
 挙句に、中絶費用も自分でなんとかしろと突き離されてしまい、彩子は途方に暮れた。
 遊び惚けていたせいで、貯金どころか多額の借金まで抱えている。
 実家の両親にはとても話せない。母は卒倒し、父はきっと烈火のごとく怒って、連れ戻されてしまうだろう。かといって頼みになりそうな友人はみずから捨ててしまった。
 そんな彩子にさらなる追い打ちとなったのが、妊娠周期であった。
 手をこまねいているうちに、中絶期限である二十二週を過ぎてしまっていたのである。
 彩子は八方塞がりに追い込まれた。
 そんなときに思い出したのが健斗のことであった。遺産うんぬんの話も小耳に挟み、彩子は「これだ!」と思った。

「そうだわ、あいつとの間にできた子どもにしよう。ちょっと時期が微妙だけど、きっと大丈夫。だって健斗は優しいもの。それに自分が不幸な生い立ちで散々に苦労したから、きっとお腹の子にも同情してくれるはず」

 そう考えること自体が、どれだけ身勝手でおかしなことなのか、彩子はまるで気がつかない。


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