14 / 47
013 杉浦彩子
しおりを挟む「アヤってば素がいいんだから、もっとオシャレしなよ。もったいない」
「う~ん、でもあんまり興味ないし。めんどうだから私はいいかなぁ。そもそも柄じゃないしね」
高校生の頃に、仲が良かったクラスメイトと交わした会話である。
黒髪おさげに黒縁の眼鏡、特に可もなく不可もなく、みずから何かを発信するでなし。クラスでも特に目立たない地味な子、それが杉浦彩子という娘であった。
父親は地元役場の公務員、母親はスーパーマーケットでパートをしている。
両親ともに物静かにて、あまり騒がしいのを好まない。
そんな家庭に育った彩子もまた、どちらかといえば陽気に騒いだりするのは苦手であった。
彩子は大学に進学するのを機に、実家を出て独り暮らしを始めた。
だが、いざ学生生活をはじめてみると、なにやら物足りない。
懸命に受験勉強を頑張ってまで合格した大学だというのに、いざ通ってみるといささかひょうし抜けした。
合格はゴールではなくて、あくまで通過点である。
頭ではわかっている。でも大学の構内に漂う特有の緩慢な空気が、彩子の思考をぼやけさせる。
苛烈な受験勉強の反動、ちょっとした燃え尽き症候群なのだが、彩子に自覚はない。ぽっかり開いた自由時間を持て余すばかり。
ただ周囲に流されるままに「学生生活とはこういうものだ」と納得して日々を過ごす。
けれども、そんな時のことであった。
構内の景色の中で、異彩を放っている存在を見つけた。
とある男子学生にて、彩子とは講義が被ることが多いせいか、ちょくちょく顔を合わせる。
その男子学生の何が異彩であったのかというと、周囲が学生生活を謳歌し、ともすれば浮かれているのに対して、彼のみがいつも真剣に講義に臨んでいたからである。
真面目やストイックという言葉では、到底言いあらわせない。妙な気迫がある。ひとりだけ纏っている空気が違う。まるで暑い夏の盛りに、黒いコートでも羽織っているかのような印象を受ける。
彩子はいつしか講義に赴くたびに、講堂内に彼の姿を目で探すようになっていた。
ある日のことだ。
講義が始まる前のことである。
隣に座って歓談に応じていた友人が「ええい、まどろっこしい。ちょっと待ってて」と唐突に席を立ったとおもったら、腕を引っ張って彩子のところに彼を連れてきた。
友人は彩子の視線の動きにとっくに気がついていたのである。
で、いい加減に進展がないことにイライラしていたもので、我慢しきれずにお節介を焼いたのである。
それが杉浦彩子と飼部健斗が付き合うきっかけとなった。
◇
健斗の生い立ちを知り、彩子は「なるほど」と得心がいく。
親の庇護の下、ぬくぬくと育ってきた自分とはまるで違う。
彼を野犬とすれば、自分は飼われているチワワみたいなもの。
若くして自立し、日々を懸命に生きている健斗に彩子は尊敬の念を抱くようになった。そして知るほどに好きになり、健斗をそばで支えてあげたいとすら考えた。
でも、それが所詮は恵まれた環境にいる者ゆえの、ぬるい考えだとじきに思い知る。
アルバイトをいくつも掛け持ちし、生活費と学費を稼いでは、大学の授業もけっしておざなりにはしない。
なんの後ろ盾も支援もない若者がひとりで生きる。
その大変さと間近に接すれば接するほどに、彩子は己の未熟さを恥じ、それと同時に不甲斐ない自分がどんどん惨めになっていく。
いつしか健斗と一緒にいることに、喜びよりも息苦しさを感じるようになっていた。
そんなさなかのこと、大学の食堂でひとりホットココアを呑んでは、溜息をくり返していた彩子に「やぁ、隣いいかな?」と声をかけてきた男がいた。
茶髪にピアスのちゃらちゃらした男にて、彩子が苦手とするタイプである。
「どうかしたの? さっきから溜息ばかりついて」
「……べつに。あなたには関係ないでしょう」
「まあね。でも、女の子のそんな顔をみたら、ちょっと放っておけなくてね」
いまにも泣き出しそうに見えたと言われて彩子ははっとするも、すぐに真っ赤になって無言のまま席を立つと、逃げるように立ち去ってしまった。
ちゃらちゃらした男は、以降も、構内で彩子を見かけるたびに駆け寄ってきては、気安く声をかけてくるようになる。
すると不思議なもので、初めのうちは邪険に扱っていた彩子も次第にほだされていく。
それが心の隙間を狙っての男の策であったのだが、彩子はまるで気がつけなかった。
心の中で健斗には悪いと思っていても、明るく陽気な男のペースに巻き込まれていくうちに、次第にその心地良さに溺れていく。
気づいた時には、もう、健斗に言い訳のしようがない状況に陥っていた。
この男は桐谷陽太という。
その正体はただのちゃらちゃらした男なんぞではなくて、人の彼女を寝取っては、捨てられた男が絶望する様を眺めて悦に浸るような真性のクズであった。
朱に交われば赤くなるの例えにて。
彩子はどんどん陽太の色に染め上げられていった。それも悪い方へと。
陽太の悪辣ぶりは構内でも知る人ぞ知るところ。
だから彼女の身を案じて「あんなヤツとは、はやく手を切ったほうがいい」と忠告する親切な友人もいたのだけれども、彩子はまるで聞く耳をもたなかった。
それどころか健斗に対する罪悪感と劣等感から逃れるようにして、楽な陽太との関係に逃げていっそうのめり込んだ。
ついには健斗を捨て陽太を選んだ。
かくして寝取られ物語は成立し、健斗は絶望へと叩き落とされる。
だが裏切りの果てに待っていたのは――
「えっ、そんな……嘘でしょう」
ここのところ生理が止まっており、体調も良くなかったので、もしやと妊娠検査薬を試してみたら、反応は陽性であった。
ひとりで抱えるには大きく、かつ相手あってのことである。
だから陽太に打ち明けるも、返ってきた言葉は酷薄なものであった。
「あん、知るかよ、そんなもん。めんどくせえ、とっととおろしてこい」
あんまりな言い草に彩子は絶句する。
挙句に、中絶費用も自分でなんとかしろと突き離されてしまい、彩子は途方に暮れた。
遊び惚けていたせいで、貯金どころか多額の借金まで抱えている。
実家の両親にはとても話せない。母は卒倒し、父はきっと烈火のごとく怒って、連れ戻されてしまうだろう。かといって頼みになりそうな友人はみずから捨ててしまった。
そんな彩子にさらなる追い打ちとなったのが、妊娠周期であった。
手をこまねいているうちに、中絶期限である二十二週を過ぎてしまっていたのである。
彩子は八方塞がりに追い込まれた。
そんなときに思い出したのが健斗のことであった。遺産うんぬんの話も小耳に挟み、彩子は「これだ!」と思った。
「そうだわ、あいつとの間にできた子どもにしよう。ちょっと時期が微妙だけど、きっと大丈夫。だって健斗は優しいもの。それに自分が不幸な生い立ちで散々に苦労したから、きっとお腹の子にも同情してくれるはず」
そう考えること自体が、どれだけ身勝手でおかしなことなのか、彩子はまるで気がつかない。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
茶番には付き合っていられません
わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。
婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。
これではまるで私の方が邪魔者だ。
苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。
どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。
彼が何をしたいのかさっぱり分からない。
もうこんな茶番に付き合っていられない。
そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。
所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!
ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。
幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。
婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。
王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。
しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。
貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。
遠回しに二人を注意するも‥
「所詮あなたは他人だもの!」
「部外者がしゃしゃりでるな!」
十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。
「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」
関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが…
一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。
なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…
結婚三年目、妊娠したのは私ではありませんでした
杉本凪咲
恋愛
「彼女のお腹には俺の子が宿っている」
夫のルピナスは嬉々とした表情で私に言った。
隣には儚げな表情の使用人が立っていた。
結婚三年目、どうやら夫は使用人を妊娠させたみたいです。
【R18】エロい異世界SHOW漢(しょうかん) ~異世界で貞操観念が変なお姉さん達に漢にしてもらいます~
あらいん
ファンタジー
【完結しました】「どうか、世界をお救いください」そんな、世界の言葉を担当す声の人に導かれて異世界に転移させられた僕と4人のクラスメイトたち。皆で力を合わせて世界を救う! ……なんてリア充みたいな事にはならず、イケメン綾小路一派とオタク佐藤と袂を分かち、単独で異世界冒険をはじめました。でも何故か行く先々で女性が過剰サービスを行ってくれるエロうらやましい展開に!?ちょっとこの世界の貞操感はおかしいよ!でも遠慮なく。初体験相手のギルド職員のお姉さんに仄かに恋心を抱いたり、不倫上等の店員さんにからかわれたり、透け透けシスターさんに叱られたり、あれよあれよと……話は進み、果ては王女様に求婚まで!この奇天烈な事件は、昔から低身長で華奢で童顔+女顔のおかげで姉に妹だと弄られ続けてきた17年に終止符を打つチャンスと知る。コンプレックスを克服し漢になるためと捉えて奮闘必至!異世界で漢にさせていただきます。そんなエロエロ生活の中、綾小路の彼女から「私を買って」と迫られて……。少しずつ世界の秘密が暴かれていく。……でも基本ほのぼの、ベタでちょっぴりエッチな異世界ファンタジーです。話の特性上娼婦の方が結構出てまいります。苦手な方はご注意ください。小説家になろうノクターンノベルズでも連載中。最新話はノクタでどうぞ。
狐侍こんこんちき
月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。
父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。
そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、
門弟なんぞはひとりもいやしない。
寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。
かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。
のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。
おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。
もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。
けれどもある日のこと。
自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。
脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。
こんこんちきちき、こんちきちん。
家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。
巻き起こる騒動の数々。
これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。
黄昏時奇譚
歌川ピロシキ
キャラ文芸
物心ついた時には不思議なものが見えていた。他の人には見えないものと大真面目に会話して、大人にも子供にも気味悪がられた。そのうち、それらが他の人には見えないこと、そして自分にわからないものを人は排除したがることを理解した。だから人を遠ざけた。
人当たりの良い笑みを浮かべ、穏やかに振舞っていれば、無闇に敵視されることはない。誰とも敵対せず、誰とも親しくならずに一線を引いて付き合えば良い。
そんな静かで穏やかだが、人の気配のなかった俺の世界に、けたたましい騒音が訪れたのは、ある秋の日のことだった。
-------------------
あやかしをみる力を持って生まれてしまったがために人間と距離を置き、あやかしと共に生きてきた青年が、ふとしたきっかけで親しくなった少年を通じて人と心を通わせていく物語です。
設定は超ゆるゆるです。
たぶん首都圏のどこか山がちなあたり。
秩父か多摩じゃないかな?知らんけど。
感想大歓迎です。ネタバレOK。
励みになります。
辛口批評も勉強になるのでぜひお寄せ下さい。
---------
四宮迅様(https://twitter.com/4nomiyajin)に律を描いていただきました。
ちょっと浮世離れした感じがぴったり(`・ω・´)b
途中で更新が止まってしまっていて申し訳ありませんが、また秋になったらぽつぽつ書き進めていきます。
婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた
cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。
お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。
婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。
過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。
ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。
婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。
明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。
「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。
そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。
茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。
幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。
「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?!
★↑例の如く恐ろしく省略してます。
★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。
★コメントの返信は遅いです。
★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる