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010 長櫃の中、蔵の奥
しおりを挟む結局、健斗は好奇心に負けた。
でも長櫃の蓋に手をかけたことをすぐに後悔した。
懐中電灯に照らされて浮かびあがったのは――
落ち窪んだ二つの眼窩、鼻筋がすっと前に長く突きだしている。口が大きい。顎の骨がしっかりとしており、噛む力が相当に強いことが伺える。
一見すると大型犬の頭蓋骨に見えなくもない。
だが、猛々しい牙の存在がそれを否定していた。
剥き出しの野生、自分の知っている犬の牙とは比べものにならない迫力がある。
この大きな獣の頭蓋骨を前にして、健斗の脳裏に浮かんだのは、誰もが知っている童話の一場面であった。
『ねえ、おばあさん。おばあさんの口はどうしてそんなに大きいの?』
『それはねえ、おまえを食べるためだよ、赤ずきん!』
おそらくこの頭蓋骨は狼のものだろう。
「でもどうしてこんなものが、ここに?」
お金持ちの家に鹿の首や雉に鷹の剥製なんかが飾られてあることはままある。
けれども、狼とおもわれる獣の頭蓋骨の話はまるで聞いたことがない。
ましてやそれを蔵の長櫃に封印? わけがわからない。
健斗はとても困惑している。
なのに長櫃の中身から、朽ちてなお威光を放つ鋭い牙から、健斗は目が離せない。
◇
狼の頭蓋骨を前にして、健斗は固まっていた。
息をするのも忘れて、ただ食い入るように見つめるばかり。
暗闇の中、どれほどそうしていたであろうかわからない。時間の感覚が跳んでおり、その間の記憶がふつりと切れている。まるでフィルムのネガを切り貼りしたかのように。
そろり……
不意に健斗の頬を撫でたものがある。
奥の暗がりから流れてくる、ひんやりした風であった。
蔵の中に充ちている空気とは異質な冷気、触れられた途端にはっと我に返った健斗は長櫃の蓋を閉じた。
「僕はいったい何をしていたんだ……」
少し頭がぼーっとしている。不快感と気怠さがまとわりついている。それらを払うかのように健斗が小首を振っていると、またしても風を感じた。前髪をわずかに揺らす。
どこかに隙間でもあるのだろうか。
風に誘われるかのようにして、健斗が長櫃のうしろの闇を懐中電灯で照らせば、浮かび上がったのは白い壁であった。漆喰のそれは蔵の内壁だ。
二階はそこで行き止まり。
けれども風はたしかにそこから来ている。
風の出処を探れば、壁には一本の筋が走っていた。
古い建物だ。ひび割れや亀裂のひとつやふたつあってもおかしくはない。
でも、これは少し様子がおかしい。
「上から下へ、真っ直ぐに線がはいっている。不自然なこれは……、ひょっとして人為的な切れ込み!」
手をのばし、健斗は指で壁の線をなぞる。
少し指先に力を込めてみれば、壁がことりとへこんだ。
とたんにひんやりした空気が中からどっと溢れてくる。
壁の一部がどんでん返しになっており、奥には下へと続く石段が隠されてあった。
「どんでん返しに隠し通路とか、まるで忍者屋敷だな」
この家に来てから次から次へとおかしなことばかり続いてる。
そのせいで感覚が麻痺しつつある健斗は、さして警戒することもなく石段に足を踏み入れた。
隠し通路の幅は、ちょうど人がひとり通れるぐらい。蔵の奥を二重底にして、階段を通してあるようだ。降りる途中に一度折り返しを設けることで、地下まで真っ直ぐに降りられるようになっている。
しかしずいぶんと手の込んだことをする。
年季を感じるので、おそらくは三峯家の先祖の誰かの仕業なのだろう。
あるいはここは本当に忍者の隠れ里だったのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、ついに地下室の入り口へと到着した。
降りた先に待っていたのは鉄の扉である。
大きさは団地のスチールドアと同じぐらい。
だが、見た目はこちらの方がずっと厳めしい。
ドアノブはなく取っ手がついている。だから引き戸なのかとおもって、横に動かすもびくともしない。鍵穴は見当たらず、鍵がかかっているわけでもなさそう。
「ここも仏壇と同じでサビているのかも。あっ! ちょっと待てよ。もしかしたら……」
あることを思いつき、健斗は取っ手を握り手前に引いてみれば、扉はあっさり動いた。
引き戸にみせかけてじつは、という仕掛けだ。
侵入者がまごまごしているうちにぶすり、という忍者屋敷のからくり。小学生の頃に遠足で出向いた先で見たことがあったので、健斗はもしやと考えたのだが、それが当たった。
「いよいよ隠れ里説が濃厚になってきたな」
半ば呆れつつ鉄の扉を潜る。
そして健斗はついにアレと対面した。
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