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882 獣王武闘会本戦 幕間 狩人の罠
しおりを挟むこれは尾白四伯たちが山中の迷い家に囚われていた頃の話。
「あー、癒されるぅ」
富士山の麓に新しくオープンしたホテルのスイートルーム。
素晴らしい景色が一望できる大きなジャグジーで、薔薇の薫りのする湯に浸かり手足をのばしていたのは芝生綾(しぼあや)。高月東高校で国語を教えている女教師、独身、彼氏募集中。ただいまリゾート休暇を満喫しているところである。
◇
日々成長する生徒たちを見守る仕事はやりがいがあるけれども、ちょっとたいへんでもある。厳しくも尊敬でき頼りになる上司はいいのだが、困った同僚にやんちゃな生徒もいるので、なかなかに気が抜けない。
充実する仕事、でもその分だけなおざりになるプライベート。
それを痛感させられたのは、大学時代の友人の結婚式に出席した時。
その友人はさばさばした性格にて、「結婚式? しないしない。だって準備もたいへんだし、お金もかかるし、席順や引き出物を考えたりお色直しとかかったるいし」なんぞと言っていたのだが、ひょんな幸運に恵まれて格安で豪勢な式が行えるとなったとたんに、あっさり前言を撤回した。
で、トントン拍子に決まった結婚式の日取り。
もちろん芝生綾も式に駆けつけたのだが、そこで思い知ることになる。
自分がまじめに教師生活を営んでいるうちに、気がつけば周囲はどんどん身を固めていた。もしくはすでに秒読みや王手をかけている子も多々と知り、愕然とする芝生綾。華やかな結婚式の裏で、のんびりかまえていたのは自分だけと知って、地味にへこむ。
するといっしょに祝いの席に参加して同じテーブルに座っていた独身の友人が、ぐっとワイングラスの中身を呷ってから拳を握り言った。
「ダメよ、綾。私たちにへこんでいる暇なんてないの。今日というチャンスを活かさないと」
結婚式に招かれている新郎新婦の縁者および友人知人その他もろもろ。その中から手頃なフリーの人材を発掘し、これをゲットすべし。
と力説する独身の友人。
「手ぶらで帰るだなんてもったいない。せっかく高いご祝儀を払ったんだから元はとらないとね」
眼光鋭く獲物を物色する友人の瞳は狩人のものであった
芝生綾はその迫力に押されてたじたじとなる。
とはいえ友人の言っていることももっともであり、「せっかくの出会いの機会だし、私もちょっとがんばってみようかな」とやる気になったのだが、さすがに結婚式の場では主役は新郎新婦。
それを放っておいてパートナー探しに勤しむわけにはいかず、ここではちらちら周囲を盗み見るばかり。
狩りの本番は二次会である。
だから「むふん」と芝生綾も鼻息荒く勇んで参加してみたのだけれども、参加者の大半が女性ばかりであった。同年配の男性がいてもすでに薬指に指輪をつけていたり、もしくはわざと指輪をはずしているような男性ばかり。
わずか数名、問題のなさそうな独身男性もいたのだけれども、優良物件にはたちまち狩人らが群がり、芝生綾なんぞはあっさりはじかれて近寄ることもままならぬ。
「……私には無理っぽい」
そうそうに心が折れた芝生綾はひとりカウンター席でへこたれていた。
すると「あはは、みんなすごいよね」と陽気に話しかけきたのは新郎側の親族だという女性。
仁科加奈(にしなかな)と名乗った彼女は芝生綾とは同年代にて、しかも中学校で国語を教えているという。
歳近く独身にて同じ教師ということもあって、すぐに意気投合したふたり。
彼氏はゲットできなかったが、気の置ける友人を得たことに芝生綾は満足する。
後日、仁科加奈と連れだって出かけたのは、新しくできたという大型ショッピングモール。あちこち店をのぞきながら、たまたま入ったブティックで店員に勧められるままに引いたクジが、よもやの大当たり!
富士山の麓にオープンする豪華ホテルのスイートルームのご招待ペアチケットを貰って、芝生綾と仁科加奈は「やったね!」と手を合わせて大はしゃぎ。
さっそく予定を調整して、ふたりでリゾート休暇としゃれ込むことにした。
◇
芝生綾がジャグジーの泡に埋もれていると、シャンパングラスをふたつもってあらわれた仁科加奈。グラスをひとつ渡しながら伝えたのは、とあるイベントのこと。
「なんか映画の撮影があるんだって。それでホテルの支配人さんが、せっかくだからエキストラで参加しないかって言ってるんだけど、どうする?」
だが芝生綾は「う~ん」とあまり乗り気ではない様子。余計なことはせずに、のんべんだらりと過ごしたいっぽい。
しかしその態度が一転して色めき立ったのは、仁科加奈がルクレツィア・ギアハートの名前を口にしたから。
同性異性を問わず圧倒的支持を得ているトップモデル。かつて高月の地で開催された「世界ハイヒール展」にメインゲストとして参加したときには、高月はもちろんのこと日ノ本中が熱狂し沸きに沸いたものである。もちろん芝生綾もそのうちのひとり。
そんなルクレツィア・ギアハートが映画に出演するばかりか、ご尊顔を近くで拝見できる、運がよければサインが貰えるとなったとたんに、「行く」と言い出す芝生綾。よもやそれが自分を誘い出す罠とも知らずに。
「わかった。そしたら支配人さんには参加するってことで伝えておく」
仁科加奈はさっそく了承の返事をすべくきびすを返すも、芝生綾に背を向けたとたんににこやかな表情が一変して真顔となっていた。
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