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624 おさらい
しおりを挟む頼りとすべき祖母と母がいない。
ならば道は自分で切り開くしかない。
とばかりに祖父兵銅に詰め寄る瑪瑙さん。
かくかくしかじか。身振り手振りを交えつつ、ときに冷静に、ときに感情を込めて、尾白四伯との関係など数多の誤解を解き、自分は実家に戻るつもりがないことを説明する。
するとフムフム、おもいのほか殊勝な態度にて孫娘の話に耳を傾けている兵銅。
祖父の態度に「わかってくれましたか」と瑪瑙さんが安堵しかけるも、それはあやまりであった。
ひとしきり孫娘の主張を右から左へと聞き流してから兵銅は言った。
「よし、おまえの言い分はわかった。しかしこちらにも引けぬ事情がある。なにせ一族存亡の危機じゃからな。そこでここはシカはシカらしく、駆けっこでケリをつけようではないか。なんでも聞くところによれば、少し前に奈良の連中が『嫁獲り競争』をやったそうだな。我ら常陸国一宮を差し置いて、勝手に祭事を復活させるとはなんと生意気な。いい機会だから格のちがいを見せつけてやろうぞ」
無駄に奈良や広島に対抗意識を燃やす老爺。
孫娘を出汁にしてイベントを開催し、「常陸国一宮こそが当代随一のシカ王国である」とおおいに喧伝し周囲に知らしめ、なおかつついでに己が留飲をも存分に下げるつもり。
そのための準備は着々と整いつつある。
これこそが初顔合わせのおりに、兵銅が口にした「いろいろと準備に忙しくてな」の言葉の意であったのだ。
「おまえも誇り高き宇陀小路家の娘ならば、欲しいものは己の力で手に入れるがいい」
孫娘を挑発する祖父。
そんな祖父をキッとねめつける孫娘。
火花ばっちばちにて一触即発。この状態で手が出ないのが不思議なぐらい。客間の雰囲気がたちまち剣呑なものになってしまう。
すっかり蚊帳の外へと置かれた探偵と助手は、居たたまれずに尻をもじもじさせた。
◇
虜囚というか客分となり、気づけば瑪瑙さんの実家でお世話になること、はや二日目。
待遇は悪くない。なにかと瑪瑙さんが世話を焼いてくれるので、ちょっとした古民家風民宿に泊っているようなもの。まぁ、不満といえばタバコの自販機が近所にないことぐらい。
「奈良で嫁獲り競争をやったのならば、うちでもやるぞ! それもずっともっとビッグに盛大にやるぞ! 祭りじゃ、祭りじゃ!」
兵銅の意気込みは本物だった。想像以上の行動力を発揮する。
いろいろ困ったじいさまだが、まったくの無能というわけではなかった。むしろ有能? 曲がりなりにもイモ事業を成功させ、宇陀小路家を守ってきたのは伊達ではないということか。これであと歳相応の落ちつきさえあれば、孫たちからもきっと尊敬され愛される存在になれたはずなのに、非常に残念である。
常陸国一宮版の嫁獲り競争の準備が着々と整っていく様子を、宇陀小路家に留め置かれてつぶさに見ることになったおれ、芽衣、瑪瑙さん。
ここで少し、嫁獲り競争についておさらいをしておこう。
嫁獲り競争とはシカたちの間にて古くから続く伝統行事である。
文字通りの内容にて、駆けっこをして勝った者が景品の嫁をゲットするというイベント。
とはいえ中断されてひさしかった。
理由は現代の風潮にそぐわないから。男女の出会いの手段がそのへんにゴロゴロしている昨今、自由恋愛全盛の時代において、女性の人権ならぬ雌ジカの鹿権を蔑ろにする蛮行。内外各種いろんな団体から抗議殺到につき、しばらく執りヤメとなっていたのである。
そんないわくつきのイベントが二十年ぶりに奈良の地にて開催される運びとなったのは、名門である鹿島家の紗月お嬢さまを巡る恋の鞘当てがことの発端であった。
絶世の大和撫子である白シカの鹿島紗月、その幼馴染みである一条卯之助(いちじょううのすけ)、紗月を我が物にしようと狙う葛王司(かつらおうし)。
ここに鹿島家と葛家の家同士の確執、当主同士の因縁、親世代の因果と色恋沙汰なんぞが複雑に入り交じり、陰謀策謀が渦巻くことになる。
それによりレースは大混戦、激しいデットヒートの末に怪我人続出、場外乱闘も勃発、果てには東大寺が誇る国宝の南大門を倒壊寸前に追い込むという悲劇を招く。
あげくにトンビに油揚げならぬ、ダーティなカラス女に白シカのハートをズキュンと撃ち抜かれて、かっ攫われるというマヌケな結末を迎える。
いろいろやらかした葛家は巨額の負債を抱えて破産寸前にまで没落し、葛王司は病院送り、紗月お嬢さまは百合道に目覚め、フラれた一条卯之助は傷心を癒すべくひとり北へと旅立った。
「……そういえば一条青年って、アレからどうしてるんだ? 何度か絵葉書が事務所に送られてきていたけど、いつのまにか途絶えていたし」
回想がてら、おれはふと不憫な青年のことを思い出す。
芽衣に消息をたずねたら「あー、たしか北海道の牧場で、しばらくお世話になるって手紙がきたのが最後ですね」と素っ気ない返事。
瑪瑙さんも詳しいことは知らないらしく「さすがにもう実家に戻って、大学に通っているのでは」と小首を傾げるばかり。
一条卯之助の話題はこれで打ち切りとなったのだが、あとでよくよく考えてみれば、これが虫の知らせというヤツであったのだろう。
ほどなくして、おれたちは一条青年と再会することになる。
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