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623 ブレーキ不在
しおりを挟むまんまと裏日光猿軍団の虜囚となった我ら三人組。
命じられるままに用意されたワゴン車へと乗り込み運ばれた先は、のどかな田園風景が広がるところ。
「映画やドラマとかのロケに使われそうな田舎ですねえ」
車窓に流れる景色を眺めながら、フフンとうそぶいたのは芽衣。
だがそういうタヌキ娘の実家もたいがいの田舎である。少なくともバス停までは歩いてニ十分以上もかかるし、そのバスも一時間に一本あるかないか。昼間にテクテク道を歩いていても、誰とも行き交わないこともしばしば。街灯がほとんどなく夜になると真っ暗。だから星はよく見える。あと淡路島に電車はない。
こと交通面に関しては、たぶん芽衣の実家である洲本家の方が負けている。
なのにこの上から目線はいったい……。
隣に座るおれは内心で「どの口がほざきやがる」である。
すると同じく後部座席に押し込められていた瑪瑙さんが、「すみません。どうやら私の実家に向かっているようです」とぼそり。
で、ついた先は小高い丘の上に立つ大きなお宅。
空へと突き出たのっぽな三角屋根は古式ゆかしい茅葺き、立派な長屋門を構え、納屋や土蔵が母家に併設されており、いかにも大地主の庄屋さんとか豪農の家といった感じの造り。
これこそが瑪瑙さんの生まれ育った家であり、常陸国一宮にてちょいとは知られた宇陀小路一族の総本山。
「へー、ほー、昔話の『湖山長者』とか『わらび長者』に登場する家みたいです」と芽衣。
「立派なもんだ。ひょっとして文化財登録とかされてるんじゃないのか」とおれ。
探偵と助手が感心していると「いえ、それほどでは……たんに古いばかりでお恥ずかしい」と恐縮する瑪瑙さん。
ちなみに「湖山長者」も「わらび長者」も長者没落譚に分類されている昔話。
ようは長者が調子に乗り過ぎて、足下をすくわれてすってんころりん、すっからかんになるお話である。
しかし何げに悪意あるチョイス。おれはタヌキ娘のセンスに戦慄を禁じ得ない。
こちとら虜囚の身。このままてっきり瑪瑙さんと引き離されて、あそこにみえるごつい土蔵にでも押し込められるのかとおもいきや、さにあらず。ふつうに玄関からあがらせてもらい、客間へと通され、お茶まで振る舞われる。
お茶請けは干し芋。しかも自家製。味はウマウマ。もちっとした食感。ディープキスのごとくねっとり舌にからみつく。だがけっしてしつこくない。濃縮された自然の甘味が、噛むほどに口いっぱいに広がり、食べるほどに気分がほっこりしてくるから不思議。
瑪瑙さんによれば、宇陀小路家は広大な農地でイモをじゃんじゃん生産しているとのこと。品質よくイモは引手数多にて、干し芋製造会社をも経営しているそう。
その話を聞いておれは「ふむ」と独りごちる。
いかに金で雇われているからとて、裏日光猿軍団がやたらと熱心に働いているとおもったら、そういうことだったのか……。
だっておサルさんはイモが大好物だもの。
歴史、信仰、金銭面のみならず、胃袋までガッチリつかんでいたとは、恐るべし宇陀小路一族!
◇
客間にて待たされることしばし。
ひたすら干し芋をむしゃこらしている芽衣。おかわり自由なのをいいことに、イケるところまでイクつもりのようだ。タヌキ娘の辞書に「遠慮」という文字はない。
見ているだけでお腹いっぱいになったおれはくわえタバコでぼーっと過ごし、瑪瑙さんは高月の地に残してきた紗月お嬢さまへ「実家につきました」メールを送信中。
このことからもわかるように、電話や所持品を取り上げられていない。
おもいのほかの好待遇に、すっかり気分が弛緩したところでスパンと勢いよく襖が開く。姿を見せたのは、上下小豆色のイモダサいジャージをきた老爺。なおこのジャージは男孫の藍閃の中学時代の体育で使われていた品のおさがりなんだとか。
先代当主にして瑪瑙さんの祖父である宇陀小路兵銅がついにご登場。
「待たせたのぅ。いろいろと準備に忙しくてな」
鷹揚にふるまう兵銅。瑪瑙さんと芽衣には「よお来た」と笑みをみせ、おれは露骨に無視された。
まぁ、ジイさんの中でおれは「大事な孫娘をたぶらかすろくでなしの、ハーレム野郎」ということになっているのだから、しようがあるまい。お茶を出されただけでも良しとすべきだろう。
いろいろあったがいちおうは肉親ゆえに、最低限度の帰還の挨拶をしたところで瑪瑙さんが真っ先にたずねたのは、姿が見えず連絡もつかない祖母と母のこと。
ともすれば暴走しがちな宇陀小路家。その手綱を握る両名が一連の騒動について静観するわけがないがゆえの、この問いかけ。
しかし返ってきた答えはあまりにも想定外なものであった。
「富貴のやつなら、世界四周旅行中じゃ。いまごろはたぶんガラパゴスあたりをうろついておるはず。未来さんは仕事でヨーロッパに行っておる」
富貴(ふき)とは兵銅の妻にて、彼が頭があがらない人物の筆頭格。
そして未来(みらい)は息子蒼砥(あおと)の嫁さんにて、兵銅にとっては義理の娘にあたる人物。フィールドワーク専門の考古学者をしており、その筋ではけっこう有名なんだとか。今回も珍しい遺跡が発見されたと聞くなり、「ちょっとひと掘りしてくるわ」と家や亭主を残し飛び出してしまったんだとか。
アクティブな性格ながらも、学者らしく理路整然とした思考を持ち合わせており、こと対面での論戦となれば、兵銅もたじたじ。だから彼が頭があがらない人物その二であったのだが……。
そんなふたりの女たちがいない。
鬼の居ぬまになんとやら。ここぞとばかりに祖父兵銅がやりたい放題。
ブレーキ不在と知って瑪瑙さんが「よりにもよって、なんてことなの」と頭を抱えた。
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