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602 舞台裏にて
しおりを挟む腹式呼吸により絞り出された声がよく通る。
「となりのきゃくは、よくかきくうきゃくだ」
「あかまきがみ、あおまきがみ、きまきがみ」
「あかぱじゃま、きぱじゃま、あおぱじゃま」
「うらにはにはにわにわとりがいる」
「なまむぎ、なまごめ、なまたまご」
「まさちゅーせっつしゅうで、せっつせしゅう」
「かきゃくせんのりょきゃくとりょかくきのりょきゃく」
「だしゃ、そうしゃ、しょうしゃ、そうしゃいっそう」
「このたけがきにたけたてかけたのは、たけたてかけたかったから、たけたてかけたのです」
「ぼうずがびょうぶにじょうずにぼうずの、ガリっ、ぎゃっ!」
明日のスターを夢見て発声練習に勤しむ若き劇団員たち。
そこに混じって、おれこと尾白四伯も早口言葉に勤しんでいたのだが、舌を噛んでアウチ。
口の中にじんわり広がる血の味。どうやら切れてしまったらしい。
みんなの稽古の邪魔にならないようにこっそり集団から離れたおれは、壁際に置かれた小道具の大鏡のところにいく。
ベーっと舌を出してケガの具合を確認していると、鏡越しにニヤニヤこちらを見ている知り合いの娘の姿が目に入り、おれはブスっと顔をしかめた。
ここは小劇団「みどりがめ」がホームとしている稽古場。
ではどうして街の探偵であるおれが、こんなところに混じっているのかというと、話せばちょいと長くなるのだが……。
◇
おれこと尾白四伯は芝生綾を避けている。
その理由はおれが彼女の能力の影響をモロに受けてしまうからだ。
芽衣みたいに、がさつでデリカシーがなく、神経が図太く、ふてぶてしいタヌキ娘ならばへっちゃらだが、おれのように繊細かつ感受性の豊かな芸術肌の男には、彼女はあまりにも眩しすぎる、刺激が強すぎる。
超強力なアニマルメロメロフェロモンにて、たちまちノックアウト。盲愛の奴隷に成り下がりかねない。
ゆえに芝生綾とは極力かかわらないようにしている。
街で見かけたらすぐに逃げるようにしている。
おれなりの自衛手段である。
だというのに……。
「四伯おじさんのせいでここのところ綾ちゃん先生が情緒不安定だよっ! そのせいで学校内もざわざわ騒然だよっ! おかげでわたしは肩身がとっても狭いよっ! だからなんとかしてっ!」
学校帰りにいきなり事務所に押しかけてきたとおもったら、芽衣がたいそうお冠にて、デスクをバンバンババンとやかましい。
「いや、しかしだな、そんなこと言われても。こればっかりは相性の問題にて、いかんともしがたく」
「シャラープッ! 言い訳なんて聞きたくない。それに聚楽第の連中のこともあるんだから、いざというときどうするのよ?」
「うっ、それは……」
「でしょう。といはいえ四伯おじさんのソレはアレルギーみたいなものだし。いくらわたしでも、重度のピーナッツアレルギーの人間の鼻に、無理矢理ピーナッツバターをしこたま詰めるような無理強いはしないよ。やったところで逆効果になりそうだし。というわけで、はい、コレ」
無茶苦茶な物言いのあとに芽衣が差し出したのは芝居のチケット。
小劇団「みどりがめ」公演「正男はとにかく人気がない」なる舞台のもの。
いかにも手作り感がするデザインのチケットだが、片隅に小さな文字で書かれてあるメインキャストの名前をみて、おれは「おっ!」
主演・御堂由佳(みどうゆか)。
かつて受けたさる浮気調査の依頼を通じて知り合った女優の卵。
ボーイッシュでハツラツとしたお嬢さんながらも、役者としての才能はピカイチ。
なにせ情報屋のショーンの奥方、アングラ専門の芝居狂いである彼女をして、「絶対につぎくる!」と言わしめるほどの逸材なのだから。
御堂由佳は役を演じるというよりも、没頭して心身ともに成りきるタイプの役者。
事実、街の探偵さんもまんまとその演技に騙されそうになったほどである。
「そうか彼女、ついに主役の座を射止めるほどになったか」
おれは感慨深げにチケットをしげしげ眺めつつも、「はて?」と首をかしげる。
それはともかくとして、これと綾ちゃん先生対策がどう結びつくというのか……。
「はっ! 毒を喰らわば皿まで理論にて、もしや美人教師とデートをして、しっぽり親睦を深めつつ、アニマルメロメロフェロモンに慣れろというのか」
「……んなわけないでしょ。四伯おじさんには御堂さんのところで修行をしてもらいます」
「修行?」
「そう、みっちり演技指導をしてもらって、綾ちゃん先生の前でもキョドることなく、堂々とした大人の立ち居振る舞いができるようになるのよ」
「!」
「というわけで、はい、これ」
ドサッと目の前に置かれたのはチケットの束。その数、百枚。
ど素人のおっさん相手の演技指導への報酬がわりに購入させられたという公演チケット。
請求書ともども渡されたおれは愕然。
それがつい先日のこと。
昨日の今日で半ば強引に小劇団へと放り込まれることになった探偵。
以上、説明終わり。
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