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280 イノブタの野望・進撃
しおりを挟む緊急の電話に出てくれたのは梨歩さんだった。
おれは手短に事情を説明し、すぐに葵のばあさんと芽衣に連絡してくれるように頼む。それから「外は危ないのでくれぐれも気をつけて」と伝えておくことも忘れない。
続いてタクシーを手配しようとしたが、そちらは通じず。
コール音が延々とくり返されるばかり。
しかたがない。あきらめて受話器を置く。
ふたたび移動を開始する。旧タバコ屋を離れ道なりに進む。最寄りの集落に近づいたところであわてて物陰に身を潜めた。
街中へと通じる道路には転がされた丸太でバリケードが築かれており、通りにはイノブタが数頭うろうろ。
そのせいで人影は皆無。住民たちはみな怯えて建物の中に避難している模様。
「あの様子だと主な道はすべて抑えられているか」
「おそらくは……。ですがそちらに人員を割いているということは、裏のケモノ道の方は手薄になっているかもしれません」
富貴さんの言葉に「たしかに」とおれもうなづく。
しかしこまった。徒歩での移動はあまりにも時間がかかり過ぎる。
彼女が人化けの術を使えたらおれが乗り物に化けるのに。おれはいろんなモノに化けられるけど、自分ではほとんど操れないという欠点がある。
はてさて、どうしたものやらと悩んでいたら「わたしがお運びしましょう。山の中ならばヘタな乗り物よりもケモノの足の方がずっと速いはずです」と富貴さんが申し出る。
かくして勇ましくも若い牝のイノブタにまたがったおっさん探偵。
「ハイヨーッ!」
パカラ、パカラ、猛然と駆け出すイノブタ。
だが、すぐにおれは落っこちた。
一人バックドロップ。盛大に後頭部を打つ。あまりの痛みにおれは地面でジタバタ悶絶。
しかしよくよく考えればこれは当然の帰結。クルマやバイクと同じ理屈。
なにせおれはイノブタ乗りの免許なんて持ってないんだもの。
乗馬の経験? ねえよ、そんな高尚なもの。おれはもっぱらレースを観る専門。
いきなり颯爽と乗りこなせると考えたのが浅はかであった。
けれどもグズグズしている時間はない。岩上神社に急がなければ……。
そこでおれは赤いマフラーにドロンと化けて、富貴さんの猪首にぐるりと巻きつく。
こうすれば気兼ねなく彼女は全力疾走できるし、おれも安心楽ちん。
◇
赤いマフラーをたなびかせ、富貴さんは風となりケモノ道を疾駆。
一路、岩上神社を目指す。
ときおり進路上の繁みからひょっこり顔を出す穏健派の同志より、各地の戦況などが逐一報告される。
いまのところ人間側に目立った動きはないという。
突然のことに混乱し戸惑っている模様。
島内で最大の武力を保有する警察とて対動物は管轄外。いきなり腰の銃を抜くわけにもいかず、どうしたものかとオロオロ、上の判断待ち。消防も似たり寄ったり。役所はじゃんじゃん鳴る市民からの苦情電話の対応に大わらわ。
当面はどこもこんな調子だろうが、それも時間の問題であろう。
騒動が島内全域におよんでいると正しく認識すれば、きっと関係各所が連携をとり組織だって動き出す。
そうなる前になんとしてもケリをつけなければならない。
◇
怒号と悲鳴、銃声、叫声、血と硝煙のニオイが入りまじる戦場。
岩上神社のある小山。
これを幾重にも取り囲んでいたのはイノブタの軍勢。
女王の号令一下、イノブタたちは突撃をくり返す。唯一の進入路である参道の坂へと殺到。
だが坂道には切り倒された青竹がたくさん転がされており、足をとられて思うように駆けられない。モタモタしているところに飛んでくる石礫。狙いすましたように額やら鼻先、目元などを打つからたまらない。
これをようやく超えた先には朱色の柵が待ち受けている。それは社殿の戸板や鳥居を引き倒し組まれた即席のバリケード。
「なんだこんなモノ!」「おのれちょこざいな!」「ひと息に粉砕してくれる!」
血と戦いに興奮し猛るイノブタたち。チカラまかせに突進。邪魔な柵を排除しようと殺到したところで、勇ましい女の声が響く。
「いまだ、撃てーっ!」
柵の間からにょきっと顔を出した黒筒。猟銃だ。
一斉に火を噴く銃口。
断末魔の叫びがこだまし、バタバタと倒れるイノブタたち。
参道が鮮血に濡れ、地面が朱に染まる。
戦果に猟友会の面々が歓声をあげるも、後続のイノブタたちの雄叫びがこれをかき消す。
本日の狩り場予定となっていた山中にてイノブタたちから襲撃され、混乱し逃げ惑っていた猟友会の面々。
狼狽するばかりの男どもを一喝しまとめあげ、ただの一人も脱落することなく岩上神社まで撤退させ、籠城戦を敢行。
これを指揮していたのは若い女性。
彼女の名前は新島八重子(にいじまやえこ)。
名うてのマタギであった祖父から、幼少期より徹底的に山での生き方を英才教育された凄腕の猟師。今風にいえばジビエ大好き狩猟ガール。ただし超本格派にて、なんちゃっての他とは一線を画す。
今回の淡路島遠征に彼女が加わっていたことが、猟友会にとっては最大の幸運であり、イノブタたちにとっては最大の不運であった。
いかに猟銃が強力だとて弾には限りがある。
後先考えずにバンバン撃っていたら、あっという間に弾切れ。だから頼れる指揮官の下、状況に応じて的確に運用する。
神社の境内には社務所や拝殿もあるが、壁は薄く守りには不向き。とてもではないが大量のイノブタらの突撃には耐えられない。
ゆえに銃弾を温存しつつ、石や手近な品を攻撃手段として代用しながら応戦を続ける猟友会。唯一の出入り口となる経路をひたすら死守。救援要請を受け、援軍が駆けつけてくれるのを信じ抵抗を続ける。
対する攻め手側のイノブタ軍。
最大の脅威となる武器を無力化すべく、数を頼みにひたすら進軍を強行。
圧倒的物量にて敵勢をひと呑みにせんとする。
だがそれだけではなかった。
敵味方の注意を正面に集めている裏では、別の進入路の確保を着々と目論む。じつにおそるべき方法にて。
すべてが明らかとなった時。
女王の土鍋牡丹は嘲笑し、敵味方ともに戦慄させられることになる。
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