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210 錯視の世界、立体迷路
しおりを挟む腰を浮かした状態にて、自身と車体を素早く左右へと振りながらのダイナミックな踏み込み。
産み出されるチカラをペダルが受け止めるたびに、車輪の回転速度が増す。
後輪が砂塵を巻き上げる。進路上にあった小石がタイヤに轢かれてはじけ跳んだ。
ハンドルを握る操者のいかり肩。その振り幅がじょじょに狭まってゆく。
初速はすでに充分。安定期へと移行。けれどもペダルをこぐ足が止まる気配はない。むしろより激しく上下に躍動し続ける太ももやふくらはぎ。これによりさらなる加速を続ける赤い車体。シャーッと軽快な走行音が尾となり続く。
ピンポンピンクが駆るBMXがアスファルトの上を滑るように疾走。
あっという間に遠ざかってゆく背中。
「チャリンコを使うとは聞いてねえっ!」
「あーっ、ずるい!」
探偵と助手のヤジは完全に置いてけぼり。
事前の取り決めにより先発のピンクに遅れること二分後、おれたちはスタートすることになっている。
しかしそのたったの二分が致命的になりかねない。
それほどまでに見事な先行逃げ切りを披露したピンク。速いっ!
芽衣はいきり立ち、おれは慌てふためく。
じりじりと焦燥する中、待っている時間がやたらと長く感じる。
◇
ようやくこちらもスタート。
すでにピンクは第一の呼び鈴を『ピンポーン』と鳴らし、給水塔内部に進入するところであった。
このままでは追いつけない。
そう判断したおれは決断する。
「変化!」
ドロンと化けたのは山道坂道なんのその、荒地もへっちゃらなデコボコタイヤのオフロードバイク。向こうがビーエムエックスならばこちらはモトクロスだ。
自転車よりもエンジンを積んだバイクの方が速い、との単純な考えによるもの。
芽衣は嬉々としてバイクにまたがり「ひゃっほう」とアクセルを回しエンジンを吹かす。「ブゥロロォン」とマシンが吠えた。
たちまち先行しているピンクとの距離を詰め、おれたちも勢い込んでバベルの塔内部に突入する。
「このままいっきにぶっちぎってやるぜい」
「おうとも」
意気込む芽衣とおれ。
しかし、直後にその勢いがブツンと断たれようとは……。
直線と曲線、平面と立体が幾重にも折り重なり、光と闇が交差している空間。
吹き抜けの内部はまるでフィールドアスレチックの様相をていする。
そればかりか幾何学的な物体を塔内に詰め込んだ結果、ところどころがトリックアートのようにもなっていた。
防犯を意図して建造されたのか、はたまた偶然の産物なのかはわからない。
扉の先は錯視の世界、立体迷路そのものであった。
ちなみ錯視とは目の錯覚のことである。上っているように見えてじつは下り坂とか、同じサイズなのに片方が大きく見えたり小さく見えたり。
錯視のやっかいなところは、頭では理解していても魔法が解けない、タネがバレていても脳がコロリと騙されてしまうこと。
さて、ではそんな場所にオフロードバイクで無闇に突っ込めばどうなるのか?
答えは「ゴツンと壁にぶつかる」である。
突入直後、自損事故にて化け術がポンっと解けた。
おれと芽衣は二人そろって赤くなった額をさすりつつ「アイタタタ」と涙目に。
一方でピンクは前輪を持ち上げた姿勢にて、BMXを器用に扱いながら障害を次々にクリア。順調に歩を進めている。
◇
段差をものともせず、一本橋をするする渡り、途切れた箇所をぴょんと飛び越える。
ありえない場所を、ありえない体勢とありえない動きにて進んでいく。
人馬一体ならぬ人騎一体の妙技。
勝負そっちのけでおもわず「おぉーっ!」とパチパチ感嘆の拍手を贈らずにはいられない。
ピンポンピンクのBMXの腕前は本物。
なのに後発の探偵と助手ときたら、立体錯視迷路に悪戦苦闘するばかり。
しかしこれにはちゃんと理由があるのだ。
感覚メインで生きているタヌキ娘は直情型につき「考えるよりも感じろ」タイプ。よってポコポコ面白いように引っかかる。なまじ目が良すぎるがゆえに、錯視との相性がすこぶるよろしくない。
そしてこのおれ、優れた灰色の脳細胞を持つ尾白探偵は、三十路半ばという年齢の壁がもたらす柔軟性のなさが仇となり、これまた迷路にモタつく。
あとここだけの話なのだが……。
じつは人化けをして人間社会に紛れ込んでいる動物たちの大半が、遊園地などにある巨大迷路のような遊戯があまり好きではない。
動物行動学や動物心理学の迷路実験の被検体にされたような気持ちになってしまうからである。適応力やら学習、記憶能力をはかるための実験らしいのだが、いきなり迷路に放り込まれる側としてはいい迷惑である。
そんな苦手意識も相まって、探偵と助手はずっとピンクの後塵を拝する状況が続く。
右を選べば左が正解。だったら次はその裏をかくも、裏の裏が真実だったり。
やることなすことがことごとく裏目にでる。抜け出せない負のスパイラル。
錯視のせいで目はアテにならないし、頼りの勘もさっぱり働かない。運や賭けに関しては言わずもがな。募るはイライラばかり。
そんな状況下、ついに芽衣がキレた。
「うがーっ」
雄叫びをあげ跳ねたタヌキ娘。彼女が張りついたのは塔の中央部分にズドンとそそり立つパイプのうちの一本。銭湯の煙突を彷彿とさせるそれは水圧をコントロールするための配管。ときおり内部にてゴボリゴボリと音がしている。
芽衣は配管をよじ登って上を目指すつもりのようだ。
たしかに成功すれば最短距離にて塔の頂上に到達できる。
ピンクを追い越し先へと行くことも可能だろう。
しかし……。
「ひやっこい、なんか冷っこいです、四伯おじさん。あとジメジメする」
そりゃそうだろう。なにせパイプの内部には絶えず大量の水が流れているのだから。
しかもパイプは鉄製みたいだし。キンキンとまでは言わないが、それに準ずる低温。
これに張りついてよじ登り続ける。
みるみる体温を奪われてけっこうヤバそうだ。
それでもチャレンジしてみるという芽衣に「あんまり無理するなよ」と告げて、おれはひとり順路をゆく。
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