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199 黒鬼
しおりを挟む洲本芽衣の放った最後の拳がまさに乾班目を粉砕しようとしたとき。
それはあらわれた。
なんの前触れもなく二人の間に割って入ったのは、どこにでもいそうな中堅サラリーマン風の男。
右手にて乾の首をむんずと掴み、乾はこと切れたように四肢をだらり。
左手にて芽衣の拳を受け止めている。さもキャッチボールでも愉しむがごとく易々と。
男は中肉中背。
白い部分のない瞳は黒真珠のように艶めかしくも妖しい光を宿す。
額からは一本の角が生えている。だが他の鬼たちよりも形状がやや歪であった。石器時代にナイフや槍の穂先に用いられていた黒曜石のごとき姿にて、岩から削り出されたかのような荒々しさがある。
しかもその角は半ばにて折れていた。
戦いに水を差した男は「姓を錫城(すずしろ)、名はない」と言った。
錫城の登場によって、場の空気が一変する。
たしかに緊迫した戦いのさなかではあったが、それでもどこかケンカ祭りを楽しんでいる雰囲気があった。
おれこと尾白四伯とその仲間たちのみならず、緑鬼たちの間にも。
それがたちまち吹き飛んだ。
これまでは乾班目の瞳術・緑炎でロクに動けなかったのだが、今度は錫城という存在によって誰も動けなくなる。
絶望……といった類のモノではない。
心境は断崖絶壁を見上げているような気持ちに近い。雄大な自然を前にして抱く畏敬の念とでも言おうか。
離れたところからでもそうなのだから、直接対峙することになった芽衣が受ける圧力は尋常ではなかろう。
全力全開、渾身の一撃を止められた芽衣もまた動けずにいる。
じょじょにタヌキ娘のまとっていた蒼光が弱まっていく。
そろそろ芽衣は人化の術を維持するのも厳しくなってきた。
にもかからず、なおも自分をねめつけてくる小娘にフッと錫城の表情が緩む。
「筋は悪くない。だがまだまだ軽い拳だ。葵はこんなものじゃなかったぞ。なにせ第四形態となった黒鬼すらをも退けたのだから」
唐突に祖母の名前を出されて「えっ」と驚く芽衣に、錫城がなおも言葉を重ねる。
「この角を折ったのはおまえの祖母である蒼雷よ。だからその伝説を受け継ぐ者と会えるとあって楽しみにしていたのだがな。これは少々期待はずれであったか」
蒼雷とは数多の逸話を持つ葵の異名。その暴れっぷりは伝説となっている。
からかいまじりに侮られ芽衣がグルルと猛る。
その姿に愉快そうに目を細めた錫城。
このタイミングでポンッと芽衣の人化の術が解けた。豆タヌキの姿となってしまう。
精も根も尽きる寸前にてぐったりしている豆タヌキ。前肢を掴まれた状態でぷらんぷらん。
その耳元で黒鬼・錫城がささやく。
「悔しければ強くなれ。葵よりも、誰よりも強くなれ。その時こそ、この私が全力でお前の相手をしてやる。その日が来ることを楽しみにしているぞ」
◇
黒鬼から投げて寄越された豆タヌキをおれはあわてて受け止める。
いつの間にかカラダの自由が戻っていた。
おっさんの腕の中でぷるぷる震える小さな毛玉。目を固く閉じた芽衣が「ウ~ン」とうなされている。
優しく頭を撫でると寝息がやや和らいだような気がして、おれはホッとひと安心。
やれやれ。毎度毎度のことながらうちの助手は無茶をやらかす。心臓に悪くてしようがない。
一方で乾の首を掴んだままの錫城は「速やかに撤収準備に入れ」と命じていた。
これを受けて緑鬼の下っ端たちが粛々と動き出す。
はしごをはずされる形となった尾白一行。
かといってヘタにつついて相手の機嫌をそこねたら全滅必至なので、どうしたものやらとおれが思案していたら、しびれを切らして口を開いたのは安倍野京香。
「おい、どういう了見だ? まさかこれだけのマネをしておいて、なかったことにするつもりなのか」
カラス女からの抗議に錫城は「すでに上同士で話がついている。ウソだと思うのならば確認してみるがよかろう」と答えた。
このやりとりをしている途中にカラス女のスマートフォンから着信音が鳴った。相手はその「上さま」らしい。
通話を切ったとたんに安倍野京香が盛大に舌打ち、地面をガツガツ掘るように蹴る。
「けっ、手打ちだとよ。あとはそこの黒いのにまかせて、先生を連れてとっとと引きあげてこいとさ」
つまり鬼の仕出かした不始末は鬼の方でケリをつけるということ。
うん、あれれ? ということは、今回の事件は放置しておいてもじきに終息していたのか。
なのに鼻息荒く勢い込んで殴り込んだおれたちっていったい……。
尾白探偵と女性陣たちの間に何やら微妙な空気がしらーっと流れる。えへん、ごほんと咳払い。みんな気まずくて目を合わせてくれない。
居たたまれなくなったおれはタバコでも吸って気分を変えようとするも、その手が途中で止まった。
ずっと気を失っていた綾ちゃん先生がここでムクリと起きたからである。
内心で「あー、なんて説明どうしよう。めんどうくさい。とりあえず金持ちのボンボンが彼女にひと目惚れして、想いあまってやっちまったとかなんとか」なんぞと適当な言い訳を考えていたら、何やら先生の様子がおかしい。
起きてるし、目も開いている。なのに焦点があっておらずぼんやり、上体がゆらゆら。夢遊病とか意識朦朧とかそんな感じ。
女教師の唇がゆっくりと開いた。
発せられる声音がまるで別人のモノにて、ただひと言。
『次はないとおもえ』
ゾクリ、どころではない。
いきなり巨大なツララをノドの奥に突っ込まれ串刺しにされたかのよう。
魂を何もない無限の氷原に放り込まれた。あるいは奈落に叩き落とされたか。
恐怖を通り越して死しか連想できない。
一同が凍りつく。
黒鬼の錫城ですらもが冷や汗を垂らすほど。
それでも彼はさっと片膝をつきこうべを垂れ、恭しい態度にて「申し訳ありませんでした」と女教師に詫びた。
すると納得してくれたのか、ヤバそうな気配がたちまち霧散し、コテンと倒れて元の通りにスヤスヤ寝息を立てる綾ちゃん先生なのであった。
緑鬼の副長である乾班目の緑炎の瞳術、黒鬼の錫城の登場に続いて、芝生綾の血の中に潜む何者かの降臨……。
心臓に悪いことばかりが連発。
おっさんはさすがにもうすっかりお腹いっぱい。
いい加減にげんなりしたおれたちはそろそろ引きあげることにした。
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