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163 キツネとタヌキ
しおりを挟むパンっ!
乾いた音。
立ち合いの開始を告げる爆竹が鳴った。
先に動いたのは黒のフルフェイスのヘルメット、黒のライダースーツ、黒のブーツ、黒の手甲をつけ、禍つ風の扮装をした出灰桔梗。
一階の隅、保健室あとに潜んでいた彼女。扉越しに廊下の様子を確認してからそっと引き戸を開けた。するりと身を抜けるなり音も鳴く廊下を疾走。床に飛び散るガラス片やら落ちた天井の建材などの瓦礫を巧みにかわす。ときには壁のわずかな出っ張り、窓の縁などをも利用し、天地自在に突き進む。
一階にターゲットの姿はない。
勢いのままに階段をのぼって二階へ。
しかし駆けあがったところで禍つ風はピタリと足を止めて壁に張りついた。
そっと覗いた廊下の先に小さな背中を発見する。
茜色のパーカー姿を目にして禍つ風がつぶやく。
「本当に小さい……。あのカラダの内に検分役の孤斗羅美さんを、トラを負かしたチカラがあるだなんて信じがたいけど。まずはひと当たりして様子を見ましょうか」
禍つ風が闇に紛れて背後からスルスルと洲本芽衣に近づく。
淀みなく迷いのない動きは、さながらそよ風のごとく。けれどもそれは禍を運ぶもの。
十五メートル、十メートル、五メートル、洲本芽衣はまだあっちを向いたまま。まるでこちらに気がついてはいないよう。
五、四、三と距離を詰めるも、まだ気づいた様子がない。
あまりにも隙だらけ。こうなると逆に「誘われたのか」との疑念が浮かぶ。だがそれならそれでもかまわない。
ついに二メートルまで接近。ここからなら軽く踏み込めば余裕で手が届く。
呼吸と合気にてタイミングをはかりつつ、右手の人差し指を立て指突をくり出そうとした禍つ風。けれどもこれが殺し合いではなくて、立ち合いだということを思い出し、急遽手刀へと変えた。
背後から狙うは首筋の急所。決まれば一撃にて相手の意識を刈り取れる。
一瞬にして距離を詰めた禍つ風が手刀にて芽衣の首を薙ぐ。
攻撃は空を切った。
禍つ風はそのとき、自分がはやるあまり目測を誤ったのかと思った。
だがちがう。芽衣がほんの一歩、前へと強く踏み出してかわしたのである。
直後に禍つ風の横っ腹に衝撃。芽衣の蹴り。背後からの攻撃を避けながらの反撃ゆえに、腰の入った蹴りではない。
それでも軽量な禍つ風の身は吹き飛ぶ。
カラダは窓を破って廊下から最寄りの教室内へと転がった。
すぐさま芽衣も破れた窓から教室へ飛び込むも、すでに体勢を立て直している禍つ風。
自分の脇腹をさする禍つ風は驚きを禁じえない。仕掛けるタイミングはバッチリだった。当たるはずの一撃だった。なのにかわされたばかりか、反撃まで。その一撃の重いこと。まるで鐘撞の棒で突かれたような衝撃であった。とっさにチカラの流れに乗って自ら飛ばなければアバラを何本か盗られていたかもしれない。
一方で芽衣も蹴りの感触がおかしかったことには気がついていた。刹那の会合ながらも、隠形の術、歩法、技の切れ、どれをとっても洗練された実力の持ち主であることも理解する。
理解した上で首をかしげていた芽衣が言った。
「桔梗さん……じゃなかった、いまは禍つ風か。あなた、迷いましたね? 指突がスゴイって四伯おじさんから聞いて知っています。さっきの場面ならば指で首か心臓をひと突きのはず。なのに手刀に変えた。ほんの一瞬でしたが隠形が乱れました。せっかくの奇襲が台無しです」
初手のたった一度の攻防で自分の甘さを、覚悟の足りなさを見抜かれた。
図星にてヘルメットの中で桔梗が歯噛み。顔がみるみる赤くなる。恥ずかしい、情けない。自ら戦いを求めておいて、いざともなれば躊躇するとか。なんと不甲斐なきこと。これではしょせん道場拳法と揶揄されたとてしようがない。
ともすれば激昂しそうになる感情。それを「ふぅ」と呼吸ひとつで鎮めたのは日頃の鍛錬の賜物。
ゆらりふらり、横へ横へと爪先立ちにて移動しながら間合いを確保。「お恥ずかしいかぎりです」と自身の非を認めた禍つ風がわずかに頭を下げる。
「あらためまして。狐崑九尾羅刃拳(ここんきゅうびらじんけん)、禍つ風こと出灰桔梗。本日は勝負を受けていただきありがとうございました」
じつに堂々とした名乗り。
相手が迷いを捨てたことを感じ取り、挨拶を返す芽衣。
「狸是螺舞流武闘術(りぜらぶるぶとうじゅつ)、洲本芽衣。未熟な身なれども精一杯お相手を務めさせていただきます」
ペコリと芽衣も頭を下げる。
が、そのときのこと。
床を滑って芽衣へと向かってきたのは椅子や机たち。
教室に放置されてあったそれらを蹴り飛ばしたのは、禍つ風である。
ほんの少し、芽衣の注意が自分からそれ、視線が床を向いた瞬間を狙ってのこと。
卑怯? 卑劣?
いいや、ちがう。迷いを捨てたからこその行動。なりふりかまわず全力で勝ちにいくという意思表明。この立ち合いはルールこそ設けられているが、通常のきれいな試合ではない。どれほど傷つこうとも、最後に立っていた者が勝ち。
だからいかなる好機をも見逃さない。
それがわかっているからこそ芽衣も何も言わない。
机は身をかわして避け、椅子はぴょんとまたぐ。
が、芽衣の身が宙に浮いたわずかな間を狙い、怪鳥のごとく踊りかかったのは禍つ風。
「狐崑九尾羅刃拳、二尾っ!」
狐崑九尾羅刃拳の技は一尾から九尾まであり、尾の数が増えるごとに放つ攻撃の数と威力が段階的に増していく。
一尾は一点集中の突き技にて、指突きはこれに属している。そしてこの二尾は別名「双竜」と呼ばれる技。二発同時に放たれる蹴りが左右から襲いかかるというもの。
顔面へとのびた右の蹴り。芽衣はとっさに両腕でふせいだ。しかしがら空きとなった腹部に左の蹴りが突き刺さる!
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