おじろよんぱく、何者?

月芝

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058 古都の夜に白百合が咲く

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 かろうじて倒壊こそはまぬがれたものの、瀕死の南大門。
 風神さんの気まぐれでポテっと倒れてしまいそう。
 あわてふためくシカたち。
 現場は大わらわ。

「さすがにこれはマズイ!」「すぐに護醍組に連絡を!」「えっ、頭領ならあっちで呑んだくれて寝ているぞ」「バカ、すぐに水をぶっかけて起こせ」「とりあえず手の空いてるヤツは柱を支えるんだ」「ナンマンダブ、ナンマンダブ」「ひええぇぇ、この世の終わりじゃあぁ」

 ちなみに護醍組(ごだいぐみ)とは国宝やら重要文化財などを専門に化けるエキスパート集団のこと。世のうっかりを陰からこっそりフォローしている匠たち。
 懸命に事態の収拾に動く者たち。おろおろ狼狽えるばかりの者たち。たんに騒ぎを面白がっている者たち……。
 阿鼻叫喚と化す南大門の周辺。怒号と悲鳴が入り交じる一方でポテンと倒れるシカもぼちぼち。あまりの衝撃的な光景に肝っ玉がパンっと破裂して「うーん」
 その中には今回の嫁獲り競争を主催した鹿島仁左衛門もいて、娘の紗月とその専属メイドの宇陀小路瑪瑙が介抱するハメになった。

 刻一刻と混沌濃度が増すばかり。
 片隅にて立つ一条卯之助は、申し訳なさそうに背中を丸めて縮こまっている。
 シカ青年の隣でスパスパとタバコをくゆらせている安倍野京香。

「この不始末、どうするつもりだ!」との猛抗議の声には「はん、知ったこっちゃないね。女の幸せとカビの生えた門とじゃあ、比べるまでもねえよ」なんぞとウソぶき素知らぬ顔。

 そんな彼らの目の前にて救出された葛王司が担架にて運ばれてゆく。
 とりすがって我が子の名を呼びながら泣きわめている恰幅のいい男が葛家の現当主。あの子にしてこの親ありとばかりに、ガタイだけは立派。
 すると唐突にぐったりしていたはずの葛王司がパチッと目を開け、むくりと起きた。自分にまとわりつく父親を邪険に払う。
 制止もきかず担架から降り、脚を引きずり向かったのは仁左衛門を介抱している紗月のところ。
 クズ王子の様子がおかしい。
 目が虚ろにて焦点が定まっていない。口元からはヨダレが垂れている。そのくせ全身からは狂暴な気配が立ち昇っている。
 理性が飛んで獣性がむき出しとなった状態。
 そんな男が自分の方へと向かってきたもので、紗月はびくり。美しき白の牝シカが化けている女人は、驚きと恐怖ですっかり固まってしまい動けなくなってしまった。
 すかさず主人を守るべく毅然と前に立つ瑪瑙。
 直後に彼女を襲ったのは乱雑にふるわれた腕の一撃。避ければ主人に当たると判断したのか、瑪瑙はかわすことなくこれを受けた。
 放たれた裏拳に容赦なく殴打されて、メイドの身がなぎ倒される。
 目撃したご婦人方から「きゃーっ」と悲鳴があがる。

「ひっ」

 紗月がもらした声に葛王司が口の端を歪める。表情にありありと浮かぶのは醜い加虐の心。
 狂った牡シカの暴走を前にして、周囲の誰もが凍りついてしまう。
 ただ一人をのぞいては……。

「やれやれ、しつこい男と乱暴なヤツはモテないんだぜ」

 くわえタバコのまま平然と近づいていくのは安倍野京香。
 これを暴力でもって迎えた葛王司。
 ふるわれた拳をひょいとかわし、お返しに安倍野京香が火のついたタバコをじゅうっとその腕に押しつける。
 たまらず「ギャッ」と腕を引っ込めのけぞった葛王司。それもそのはず。なにせタバコの火は小さいけれども七、八百度ほどもある高温なのだから。
 でもって、ふわりと舞ったカラス女。くりんと腰を回転させつつ放たれたのは飛び膝蹴り。
 顔面に深々とめり込んだ膝。
 左頬骨がへこみ、アゴがずれ、歯も数本折れた。
 唯一の取り柄ともいえる二枚目を台無しにされて、葛王司は崩れ落ちる。
 けれどもカラス女が恐ろしいのはここからだった。
 尻を持ち上げて無様に倒れ伏せした相手の、その尻めがけて銃口を向け至近距離からゴム弾をバンバンババン。ついでに「おどりゃあ、うちの倅にナニさらす!」と怒鳴り込んできた葛家の当主の額にも一発入れて黙らせる。

「ちょうどよかった。中途半端に残しても荷物になるから」

  ◇

 手持ちのゴム弾を撃ち尽くした安倍野京香。
 ピューイと指笛を鳴らし、銃を宙高くへと放り投げると、どこぞより飛来した一羽のカラスがこれを受け取り、いずこかへと消えた。
 堂々と証拠を隠滅した安倍野京香が新しいタバコに火をつけて、ふーっ。
 なにやらいい仕事したみたいな感じでたたずむ。
 ここで凍っていた現場がふたたび動き出す。
 ハッとした紗月。父親を放りだしあわてて瑪瑙のもとへと。幸いなことにたいしたケガは負っておらず、ほっと安堵の吐息。
 そこに遅ればせながら「紗月、無事か」と駆けつけたのは一条卯之助。
 これにて二人が抱き合えば、大団円。
 だがしかし、事実は小説よりも奇なり。何が起こるのかわからないのが男と女。
 タタタと駆けだした紗月。
 これを受け止めようと両腕を広げた卯之助。
 けれどもその腕はスカッっと空振って、あれぇ?
 紗月がひしと抱きついたのは幼馴染みの卯之助ではなくて安倍野京香。

「ステキです。京香お姉さまっ」

 いきなり古都の夜に咲いた白百合の花。
 これにはさしもの安倍野京香も面喰らい、「冗談じゃない」と本来の姿になって逃げだした。
 バサリバサリ、漆黒のツバサをはためかせ南大門より遠ざかる一羽の夜ガラス。
 これを「お待ちになってー、京香お姉さまーっ」白い牝シカ姿となった紗月が追いかける。

  ◇

『平城京爆走編。何人たりともオレの前は走らせねえ! 駆ける男たち。闇夜に羽ばたく黒きツバサ。南大門の悲劇』

 映像が終わり、まさかのオチにおれはしばし無言。

「ところで卯之助はどうした?」

 シカ青年のことをたずねたら瑪瑙さんが小さく首をふるふる。

「彼は旅に出ました。とりあえずオホーツク海を見に行くそうです」

 阿呆な駆けっこ競争に勝って人生の大一番に負けた傷心の青年は北へ。
 かくしてなんともほろ苦い結末にて、奈良はシカ王国の嫁獲り競争は終幕した。


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