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その七十九 輿入れ

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 さくりさくりと音がする。
 鳴るたびに無垢に穿たれる小さな穴たち。
 それが彼方より点々と点々と……、山の方へと向かってのびていく。

 凍える純白の世界を穢すのはヒトの足。
 狒々神の花嫁を載せた輿を運ぶ一行が雪原を静々と行く。
 二十名からなる行列。輿の中の者以外は全員が里の男たち。
 先頭を歩く者は白と赤い布切れを結んだ竿を持つ。竿の先には鈴もひとつ付けられており、竿が上下するたびにちりんちりん、控え目に震える。これは周囲に自分たちが敵ではないと報せるための目印である。
 行列の中には供物の食べ物や酒をたんと載せた橇(そり)も連なっており、向かうのは赤嶺の奥地にある朽ちた神殿。

 一面の銀世界。
 その中を「ふぅふぅ」息を吐き、頭から湯気をたてながら、男たちは懸命に輿を運び、黙々と橇をひく。
 かつてはウマやイヌたちに運ばせていたものだが、あるときウマは戯れに大狒々に殺され喰われてしまった。イヌはサルどもが「キーキー」やたらと騒ぐ。
 供物だけでもかなりの負担だというのに、そのうえ貴重な労働力であるウマまで奪われてはたまらない。イヌに関しては身の危険を感じた里人らが、みずから連れて行くことを控えた。
 だからいまは男たちのみで、こうやって人力にて運ぶことになっている。

  ◇

 樹氷の森を抜け、雪原を渡り、二度の野営を挟んでようやく辿り着いたのは渓谷。
 赤嶺の奥へと通じている唯一の場所にて、大狒々の支配下にあるサルの群れの住処となっている猿谷。
 ここは地形の関係で風雪の吹き込みが少なく、おかげであまり積もることがない。ぐんと道行きが楽になる。
 だからとて男たちの顔に安堵の色はない。むしろより険しくなりつつあった。
 なぜなら、ここから先は完全なる人外魔境。獣の世界なのだから。

 一行を率いている年長の者より指示を受けて、若い男ふたりが荷から木箱をひとつおろすと、これを谷の入り口にそっと置いた。縄を切って封を解き、蓋を少しだけ開けた状態にしてから、その場を離れる若い男たち。
 これは賄賂(まいない)、サルどもへの付け届け。べつに払わなくてもいいのだが、より円滑かつ安全に谷を抜けるために、いつの頃からか用意しておくことが慣例となっていた。

 ふたたび動きだす輿入れの一行。
 谷へと入ってしばらくすると、一頭、二頭、ちらほらサルが姿をみせたとおもったら、それがみるみる増えていく。あっという間に自分たちの数倍もの数に囲まれてしまった。
 男たちはやや顔を伏せ、出来るだけサルどもと目を合わさないようにして歩く。みな口を固く閉じ、けっしてサルたちを刺激しないようにと細心の注意を払う。
 そんな人間たちを見つめるサルたちもまた無言であった。ただ、じーっと彼らが行き過ぎるの眺めているばかり。

  ◇

 猿谷を抜けた先には、とうの昔に水の尽きた石の河原があり、これを超えるといよいよ赤嶺となる。
 輿入れの一行が到着すると、山はちょうど真っ赤に染まる頃合いであった。

「どうする? いまからだと神殿に着くのが夜になっちまうぞ」

 野営をして朝を待つのか、かまわず進むのか。
 若い者よりたずねられた年長の者は、しばし山とにらめっこをしたのちに言った。

「行こう。やっかいごとは先に片づけてしまうのにかぎる。さっさと花嫁を届けて里に帰るぞ」

  ◇

 かつては少ないながらも訪れる参拝客もあったという神殿へと続く道。
 相応に整備されてあったもので、朽ちたいまとなってもそれなりの形は保っている。
 山に入ってすぐに日が暮れた。すっかり真っ暗となるも、一行が松明や提灯の類をかかげる必要はなかった。
 参道沿いに立てられた石灯篭に明かりが灯されてある。
 大狒々の仕業であった。
 供物と花嫁を迎えるにあたって、部下に命じてわざわざ用意させたのである。そればかりか参道の雪かきまでされてある。

「よかった。どうやら狒々神さまは機嫌がいいらしい」

 一行のうちの誰かがそんなことをつぶやくも、すぐさま「しっ」とそばの者にたしなめられ、あわてて口をつぐむ。
 ここはすでに大狒々のお膝元。相手の不興を買えば、とても生きては山を降りられまい。
 そして相手は獣だ。ヒトとはちがう。何のひょうしに態度を豹変させるのかわかったものじゃない。余計なことはしない。それにかぎる。

  ◇

 ちりん、ちりん。
 か細い鈴の音が石段をゆっくり、慎重に登っていく。
 すっかり苔むした山門を抜けると、一面が石敷きの広間へと出た。
 左右にある棟の屋根はとうに落ちており、壁もあらかた崩れ失せ、吹きさらしとなっている。内部には瓦礫が散乱し、残った柱が虚しく傾いているばかり。
 正面の社殿も似たような荒れ具合であるが、うちの一画だけが妙にキレイに掃き清められてあった。
 かつては神像を祀ってあったであろう台座。
 だがいまは何もなく空席にて、闇があるばかり。

 輿入れの一行がおずおずと広間中央まで進んだところで、ふいに濃厚な獣臭が周囲に充ちた。
 とたんに膨れあがる妖気。
 気圧された男たちは、あわててその場で伏せて、地に両手をつき額をこすりつける。
 そんな人間たちを横柄な態度にて見下ろしていたのは赤い双眸。
 つい先ほどまで空席であったところにて胡坐をかいている一頭の大狒々の姿があった。


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