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その三十九 仮面の女王

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 代々湖国を治めてきたのは女王。
 それはこの地にて祀っている龍神との誓約による決まりとされている。
 だが長い歴史を重ねていれば、ときにはやむを得ない事情が起こるもの。
 よって一度だけ男の王を立てたこともある。
 しかしたちまち国が天災と争乱に巻き込まれて、危うく滅びかけたとか。
 以来、欠かさず女系による継承が守られている。

 現在の女王は瑞裳(たまも)。
 二十歳という若さで王位についてより、二十三年の在位歴を数え、施政者としてもっとも油が乗ってきた時期ともいえる。
 このまま順調にいけば、五十を前にして娘に後を任せて楽隠居できるかも……。
 と考えていた矢先にあらわれたのが禍躬シャクドウである。
 これにより瑞裳女王の御世はおもわぬ岐路に立たされることになってしまった。

  ◇

 湖国の宮殿は瓦屋根の木造平屋造り。
 上にのびないかわりに、板の間が横や奥へと広がっている。
 これは土地が限られている都島では贅沢なこと。
 案内されるままに磨き込まれた縁側の廊下を静々と進むのは、佐伯結良に連れられた忠吾と緒野正孝。コハクは縁側沿いの庇の下、玉砂利が敷き詰められた場所を歩きついてくる。

「気にせず山狗の子もごいっしょにどうぞ」

 と佐伯結良より勧められたが、足の爪でせっかくの床板に傷をつけるのはしのびないと判断した忠吾が、コハクにそうするように伝えた次第。

 長い廊下を七度ほども曲がっただろうか。
 奥へ奥へと進むほどに、雰囲気が変わっていく。襖絵が絢爛となり、欄間の彫り物は精緻さを極め、柱や梁が重厚さを増す。どこかヒンヤリとさせる張り詰めた空気と緊迫感が漂う。それらが否応なしに、ここがどのような場所なのかを来訪者に突きつけてくる。
 そうして辿り着いたのは優に百名もの人間が座れそうな大広間。
 だというのに、いるのはたったの四名のみ。
 御前へとそろりそろり近づきながら、先を歩く佐伯結良が忠吾らにだけ聞こえるように小声で、ざっと人物紹介をする。

 中央奥にて一段高くなっている場所。
 御簾越しに鎮座しているのが瑞裳女王。
 そのかたわらに正座にて控えている紫の法衣を着た入道頭の男が宰相の日向(ひゅうが)。瑞裳の夫にして公私に渡って妻を支えている人物。なお彼は王族に婿へと入ったときに、姓を捨て実家とは縁を切っている。これは余計な権力闘争を防ぐ意味合いを持つ。
 この二人よりやや下座にて、あぐらで首を深々と垂れているのが、文官長である南部一徳(みなべいっとく)。
 佐伯結良とは師を同じくし、先輩に当たる人物にて優秀ながらも、なにかと彼に突っかかってくる困った人でもある。どうやら何かと日向に目をかけられている佐伯結良をやっかんでいる模様。
 そんな南部一徳が見慣れぬ若者を連れていることに、佐伯結良は内心で首をかしげる。

「すみません。あの若者には見覚えがありません。宮中に勤める者ならばみな顔を記憶しているのですが……。ひょっとしたら私がいない間に、南部さまが引き入れた子飼いの者かもしれません。しかしこの場にわざわざ連れてきていることからして、何らかの意図があることは明白。大事にならなければいいのですが」

 そんな佐伯結良の危惧は、当たらずとも遠からずであったとわかるのは、帰還の挨拶をした直後のことであった。

  ◇

「よくぞ忠吾殿を連れてきてくれたな、佐伯結良。大義である。女王さまもことのほかそちの働きをお喜びだ」

 宰相日向の言葉を、「ははぁ」と佐伯結良は両手をつき受ける。
 女王はあくまで御簾越しに居るだけで、表向きの対応はすべて宰相を通して成されるのが湖国の慣わし。
 自己紹介を済ませ、使節団を率いていた佐伯結良の口より、紀伊国のことや旅の途中での出来事なんぞをひとしきり語らせたところで、いよいよ本題である禍躬シャクドウの話題へと移ろうとしたのだが、ここで「あいやしばらく」と横槍を入れたのが南部一徳。

「その前にこれなる若者をご紹介したく。これは弥五郎と申す者にて、まだ若輩ながらも四度の討伐に成功している禍躬狩りです。新式の火筒を操り、ご覧の通りの意気軒昂。
 比べてそこの忠吾殿は、失礼ながらいささかお歳を召しているご様子。いかに伝説の禍躬狩りの男とて、寄る年波には勝てますまい。ましてや片腕となればなおのこと。つきましては……」

 ようは南部一徳が何を言いたいのかというと、此度の禍躬シャクドウ討伐のお役目を自分が用意した弥五郎に譲れということ。
 これにはさしもの温厚な佐伯結良も「なっ!」と顔を真っ赤にし、補佐兼検分役である緒野正孝にいたっては怒気もあらわにて、いまにも相手に掴みかかりそうな形相となる。
 けれども無礼な物言いをされた当の忠吾はさして気にした様子でもなし。

 いっきに剣呑となった謁見の場。
 なのに宰相の日向は南部に注意するどころか、発言するままに任せている節がある。
 どうやら彼の中にも疑念があるのかもしれない。
 あるいは忠吾と弥五郎を天秤にかけているのか。
 ついには言い争いを始めた南部と佐伯の両名。互いに主張をぶつけ合っての論戦へと発展する。

 ふいにチリンと鈴の音が鳴った。
 とたんに、ハッとした二人はたちまち平伏。
 御簾がするすると持ち上がっていく。
 姿をあらわした翡翠の仮面をつけた女王。
 このように女王が人前に姿をみせることは極めて稀らしく、だからこそ興奮していた二人もすぐさま黙り込んだのである。
 女王は言った。

「ならば自慢の腕を競うてはいかが」と。


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