23 / 154
その二十三 イッカク
しおりを挟む南西にくいっと下顎を突き出すかのような形をしている半島が、伊邪王が統べる紀伊国。
その南端にある港から、左回りに陸沿いを北上すると、じきに見えてくるのが船乗りたちから白淡峡門(しろあわきょうもん)と呼ばれている難所。
内海と外海が交わるところにて、浪華湾の玄関口。
大量の海水がぶつかり行き交っているがゆえに、潮の流れは速く複雑、ときおり大渦も発生する。また潮の満ち引きによっては、水底から鋸の歯のような岩礁が姿をあらわし、うっかり船底をこすってしまうと、たちまち浸水や座礁することもある危険な場所。
だがしかと見極めて慎重に航行すれば、これほど便利な場所もない。
なにせ迂回すれば風と潮流の関係から十日以上もかかる距離を、わずか一日半足らずに短縮できるのだから。
しかしこれが素人にはちと難しい。
そこで誰よりもこの近海に詳しく、操船術にも長けた紀美水軍を水先案内人に立てるのがつねであった。
だというのにである。
ここのところ船がやたらと沈んでいる。
初めは油断しての事故かと考えていたのだが、どうやらちがうらしいとわかったのは、船の横腹に大穴が開いたのにもかかわらず、命からがら港に辿り着いた船がもたらした情報による。
「フカだ。頭に角の生えた、とてつもない大きさのフカにやられた」
フカとは鮫のことである。
この近海にも鮫は昔から出没する。ときおり仕掛けた漁網に穴を開けられたり、生け簀(いけす)を破られたり、素潜り漁をしているときに襲われて犠牲になる者も稀にだがあった。
たしかに大きい鮫もいる。だがそれでも一丈に満たない大きさにて、せいぜいが小舟程度の大きさ。とてもではないがたくさんの人や積み荷を運ぶ大型帆船をどうこうできやしない。
だからこの話を聞いた者らは、はじめ「酔っ払いの与太話」と一笑に伏したものである。
しかし全長十丈、幅三丈ほどもあり、太く立派な竜骨を持つ頑丈な船の底に残る生々しい破損跡を前にしては、そろって真っ青になり顔を引きつらせるしかなかった。
海を渡る船には強度が求められる。
厳しい陽射しは海面をも跳ね返っては、上や下から容赦なく照りつける。
絶えず押し寄せる波、湿気や潮を含む風などが、船体をひたすら痛め続ける。
ゆえに製造に使用される板の一枚とて、それに相応しい品を船大工たちが職人の誇りにかけて厳選して用いている。
いわんや人体でいうところの背骨に相当する、船底の中心に据える要の竜骨ともなれば、さらに吟味された逸品が用いられる。それこそ船が難破してもこれだけは無事にて、再利用が可能なほどの品を。
そんな竜骨が半ばにて折れかけている。
もしも完全に折れていたら、船はすぐに沈没していただろう。
船底にある丸い穴は襲ってきた巨大鮫の角によってつけられたらしく、船尾の舵近くにもかじられた跡がある。
よくもまあ助かったものとあきれるほどの満身創痍。
聞けば、少しでも船体を軽くすべく、積み荷をすべて捨ててしまったところ、相手の興味がそちらに移ったので助かったとのことであった。
◇
角のある風体から、イッカクと名づけられた巨大鮫。
これに味を占めたのか、以降、群れを率いてはちょくちょくあらわれるようになり、白淡峡門を渡る船を片っ端から襲いだす。
この事態を受けて「なら、そのイッカク、この俺さまが退治してやる!」と名乗りをあげる銛自慢の者たちもいたのだが、勇んで出かけたものの、誰ひとり帰ってはこなかった。
滞る物流。増える犠牲。拡大するばかりの被害。
ついに紀美水軍は海路の一時封鎖を決定する。
そして対策なり退治する方策なりを練るつもりで組頭が集まっての話し合いをしていたところ、そんな彼らの耳に届いたのが湖国の使節団が港に到着し、その中に忠吾がいるという情報。
「こいつはツイてるね。評判の火筒の腕を借りられれば、イッカク退治はぐんとやりやすくなるだろうさ」
「ああ、あの人の腕は自分が保障する。人物も確かだから、頼めばきっと助けてくれるはずだ」
と言い出したのは碧の組の瑠璃と隆瀬の夫婦。
この意見に「たしかに」とうなづき賛同する者らがいる反面、「海のことは海の者で片をつけるべきだ。陸の者の手を借りるのなんぞは、とんだ恥じだ」と頑なに異を唱える者も多々。
海賊には海賊の矜持がある、面子がある。おいそれと助力なんぞは乞えない。
その意見にもうなづく者もいて、話し合いは平行線をたどることに。
どちらの言い分もわからなくはないが、これでは埒が明かない。
そこで瑠璃はこっそりと自分の娘に「ちょいと宿まで訪ねて、忠吾さんを呼んできておくれ」と頼んだのであった。
瑠璃としては「まずは当人に会って、見定めてからでも遅くはない」との考えであったのだが、手を握って、その面構えを前にして、ひと目で忠吾を気に入った。
この場に居合わせた大多数の者たちも同様である。
事情を聞いた忠吾はうなづき、ただひとこと「わかった」
どのみち船が出せねば湖国へと向かえないのだから、ならば障害となる存在を排除することを厭う理由はない。なによりこのまま足止めが長引けば、生真面目な佐伯結良の胃に穴が開いてしまいかねない。
ゆえの快諾であった。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。
猫菜こん
児童書・童話
私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。
だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。
「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」
優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。
……これは一体どういう状況なんですか!?
静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん
できるだけ目立たないように過ごしたい
湖宮結衣(こみやゆい)
×
文武両道な学園の王子様
実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?
氷堂秦斗(ひょうどうかなと)
最初は【仮】のはずだった。
「結衣さん……って呼んでもいい?
だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」
「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」
「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、
今もどうしようもないくらい好きなんだ。」
……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
ズボラ通販生活
ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!
姥捨て山に墜ちた星
高木解緒 (たかぎ ときお)
ミステリー
2018年だったか19年だったかに書き上げ某賞二次落ち後、やり場もないのでなろうに掲載したら通報されノクターンへ誘導、ノクターンが明らかに当方の意図するジャンルではなかったため、苦肉の策でKDPのみで公開させていただいておりましたが、こちらで公開できないかと投稿させていただくことにしました。
この作品は当方の他作品に比べエログロきつめではありますが、それらはすべて主題のメタファーや事件解決の手がかりとして用いられるもので、エログロの表現を目的として描かれるものではありません。
※この物語には残虐描写、暴力描写、性描写が含まれています。
※この物語には現代においては不適切であるとみなされうる表現が使用されていますが、時代性、言語表現の多様性を尊重し、敢えて伏字等の改変を行っておりません。
あらすじ
「老人どもを皆殺しだ!」 崩壊したケアハウスで若者が叫ぶとき、怨念の連鎖が輪廻する。 西暦2025年。その日、高級老人施設「丹沢天翔園」の朝は遅く始まった。職員宗田まゆみの惨殺体が発見され、騒然とする中、当のまゆみの嬌声が園内に響き渡る。それは〝さるのばけ〟を相手にした果てしない戦いの幕開けだったのだ。一方、西暦1925年、探偵小説家の弧川は逃避先の集落で思いもよらぬ恋に落ちる。名家の座敷牢に幽閉された少女と少しずつ想いを紡ぎ合う彼の背後に、伝説の怪物を装う殺人鬼の魔手が迫っていた……。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
時間泥棒【完結】
虹乃ノラン
児童書・童話
平和な僕らの町で、ある日、イエローバスが衝突するという事故が起こった。ライオン公園で撮った覚えのない五人の写真を見つけた千斗たちは、意味ありげに逃げる白猫を追いかけて商店街まで行くと、不思議な空間に迷いこんでしまう。
■目次
第一章 動かない猫
第二章 ライオン公園のタイムカプセル
第三章 魚海町シーサイド商店街
第四章 黒野時計堂
第五章 短針マシュマロと消えた写真
第六章 スカーフェイスを追って
第七章 天川の行方不明事件
第八章 作戦開始!サイレンを挟み撃て!
第九章 『5…4…3…2…1…‼』
第十章 不法の器の代償
第十一章 ミチルのフラッシュ
第十二章 五人の写真
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる