ユーズド・カー

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第3章 海

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 海上のパーキングエリアで一夜を明かし、車は燦然とした日の光に焦がされながら走り出した。
 昨日教えた効率的なエンジンの掛け方を瑛莉香は早くも頭の片隅へと追いやったようで、いつものようにエンジンを2回ほど掛け直す様子に勇太の眠気は突風が吹いたごとく一瞬で眼球から押し出された。

 車はパーキングエリアから徐々に離れ、爽快な青空の下で車体を揺らしながらくすんだコンクリートの上を駆け抜ける。車内は空調の利いた快適な空間で、外界の澄み切った景色との相乗効果をもたらして淀みのない気分を醸成した。
 いつの間にか、車のスピーカーからは洒落た雰囲気の音楽が流れていた。どこかで耳にしたことのある有名な洋楽だった。カントリーなサウンドを後ろにした女性の声から流れ出る英詞に合わせ、瑛莉香は鮮明かつ滑らかに口ずさんだ。サングラスをかけたクールな風貌とは裏腹に、初めて耳にする歌声はボリュームを控えながらも可憐で透明だった。気分のままに振る舞う彼女に勇太は度々惹かれる。時折見せる憂いだ一面が全て幻かのように、自分とは対極にある理想的な女性として今日もそこにいる。掴めそうで掴めないそのミステリアスな要素が一層勇太に期待と不安を運び込んだ。

 長い高速道路を抜け、間断なく群れをなす波間から乾いた田畑に囲まれる在方の街へと景色が移り変わっていく。
 瑛莉香がサンダルを履いた素足でブレーキを踏んで車の速度を落とし、サングラスの奥から勇太を見据えて口を開いた。

「勇太君は買い物とか好き?」
「…か、買い物ですか…?…えーっと…」
勇太は反応に困った。何かを買うということにはさしたる思い入れもなく、必要なものを手に入れる一手段としか考えていなかった。

「ここらへん色々買い物できる場所があるからさ。どうかなーって。ちょっと見て行かない?」
「…あっ、はい…!」
またしても明確な回答を示す間もなく、勇太はいつものようにぎこちなく返事をした。車が交差点を曲がり終えると、瑛莉香の目指す場所が姿を現した。


 設置された大きな駐車場に停車し、勇太は瑛莉香とともに車外へ出た。付近の海から運ばれる潮風が到達し、襲い掛かる酷暑を少しだけ緩和しているような気がした。気持ちを高ぶらせた多くの人々が一定の方向へと軽い足取りで向かっていく。少しずつ見えてくる景色は、瀟洒しょうしゃで落ち着きのある空間の中に買い物客を絶え間なく触発させる施設を押し並べたアウトレットモールだった。

 タイル状の床を敷いたその両脇に衣料品店や雑貨店等々を揃えた一本の広い通り。道の真ん中には等間隔で木造のベンチと大型の植木鉢が設けられ、思わず背伸びしてしまいたくなるような、洋風で大人びた雰囲気を感じさせる。
 瑛莉香とともに歩きながら目にする華やかで美しい空間に勇太は緊張と興奮を覚えた。

「やばー、いっぱいあるね~」
瑛莉香が両脇に並ぶ店舗に目を配りながら呟いた。衣料品店やスポーツ用品が多く、ファッションやスポーツにあまり興味がない勇太にとって女性との買い物に最後まで楽しむことが出来るのか不安だった。

「勇太君って洋服とか興味あるっけ?」
「…あっ…えと…あんまり詳しくはないです…」
「そっか。じゃあせっかくだしメンズのお店ちょっと覗いてみよっか!」
波長の高い瑛莉香にリードされるがまま、勇太は若干の不安と抵抗感を抱えながら彼女とともに店へ入っていった。

 看板に書かれた店名はあまり馴染みがなかったが、カジュアルな衣服を中心に揃えたお店だった。真夏ということもあり、風通しの良いTシャツやチノパンツ、キャップ、サンダル等が人目につきやすい場所に陳列していた。大衆受けのするような店で安く買い済ませていた勇太にとって、その場所にしかないような服を物色することは初めてだった。ましてやファッションにも精通していそうな女性と一緒に買い物をすることは新鮮さを通り越して心が落ち着かない。

「ねえねえ、勇太君って家から何着ぐらい持ってきたの?」
店内に並べられた商品の一つ一つを眺めながら瑛莉香が訪ねた。

「…えーっと、一応上下とも2,3着ぐらいです…」
「おっ、2,3着か~…」
勇太の返答を聞いた瑛莉香の頬が少し意地悪そうに緩んだ。

「…じゃあ、良かったら1,2着よさげなの買っちゃお!私手伝うよ!」
「えっ…!」
そう言い切るやいなや、早速「何がいい?やっぱTシャツとか?」と話を先へ進めた。瑛莉香の勢いに押されながらも、真夏にもかかわらず満足に洗濯を徹底出来ないこの旅ではTシャツが余分に欲しいところだった。勇太は了承し、瑛莉香とともにTシャツの並ぶ陳列棚を探した。

「…ね、これどう?」
程なくして、瑛莉香がハンガーにかかった1着のシャツを手に取った。白い生地の上に緑と黒の細い横線が組み合わさったボーダーTシャツだった。丈が若干長く、腰が十分に隠れそうなつくりの服は同年代の若者が来ている様子を街でよく見かけたことがある。

「勇太君、可愛い系だからなぁ」
瑛莉香はそう言ってシャツの裾をつまんで勇太の身体の前に持ってきた。ハンガーを握る瑛莉香の右手指の関節が勇太の顎に触れた。勇太は視線を目いっぱい落として上半身に当てられた服を見つめ、硬直したまま彼女の査定を待った。

「…うん、いい感じ!あとは………」
瑛莉香は真剣な眼差しで一つ一つのシャツの柄を見つめ、時折ハンガーをずらしながらデザインを確認した。彼女の独断で引っ張り出されたシャツは紺一色の無地だった。

「これも!シンプルで落ち着きあるよね」
瑛莉香は素早く勇太の首元まで手を持っていき、顎を引いて見つめた。勇太の顔から足元まで目線をゆっくりと滑らせた瑛莉香は、軽く頷いて納得したようだった。

「あとはこういうのがプリントされてるやつとか…………ふふっ、これは違うか」
ゆったりとした袖と黒を基調とした、真ん中に大きな髑髏の絵と尖ったフォントの英単語が刻まれたシャツがあてがわれた。音楽に明け暮れるやんちゃな人間とは正反対な勇太とのアンバランスな様子を見て噴き出した瑛莉香はすぐにそれを引っ込め、1番初めに手にしたものをもう一度持ってきた。

「やっぱ私はこれいいかなって!勇太君ストライプ系似合うと思うし、白と黒と緑の組み合わせって割とカッコいい色合いだよね。どうかな?」
瑛莉香に勧められて断る理由は特になかった。勇太は「自分でもいいと思いました…!」と言って近くの鏡で確認してみた。いつも単色の無難そうなシャツを着ていたため、少しだけ見た目にスパイスを加えたものがやけに新鮮だった。何より瑛莉香の太鼓判が押されたという付加価値がついた以上、選り好みする度胸も残っていない。

「…ありがとうございます…!これ買います…!」
「うん!…えーっと、いくらだっけ…」
瑛莉香がシャツについた値札を見つめたが、勇太は上ずった声で「あっ…大丈夫です…!自分で買います…!」と制止した。

「あっ、いいの?まぁ、服は自分のお金で買いたいよね。じゃあとりあえず私は外で待ってるから!」
瑛莉香はそう言い店の出入り口へと向かっていった。勇太は早速レジへと商品を持っていき、会計を済ませて付近の日陰で涼んでいた瑛莉香と合流した。



 そのあと、瑛莉香はバッグやシューズ、時計などを各店舗で悠々と物色した後、最後は衣料品店を何軒か回って夏服を複数購入した。Tシャツやトップス、ハーフパンツなど夏らしく露出度の高いサッパリしたコーディネートはきっとこの旅で一貫するのだろうと思えた。女性客や女性物の商品に囲まれながら買い物に付き合う時間の気まずさに押し潰されそうだったが、服を熱心に吟味しながら買い物を楽しむ彼女を前に悪い気はしなかった。

「いやー、色々買っちゃった」
店の外へ出た瑛莉香が片手に提げた袋を見つめて呟いた。迷いに迷った挙句に選び取ったものだったこともあってか、満足げに頬を綻ばせた。

「…あっ、ねえねえ、あそこちょっとだけ寄ってもいい?」
瑛莉香が何も提げていないもう一方の手を上げて斜めにあるお店を示した。洗練されたオシャレなインテリアの店舗だった。鬱屈とした狭いアパート暮らしで身の回りのものを全て安く済ませていたせいか、少し値の張った家具はしばらく目にしていなかった。勇太は瑛莉香に連れられて冷房の効いた店内へと足を踏み入れた。

 店内は良質な木材を使用した家具が統一的なテーマの一室を構成するように並べ置かれていた。淡い橙色の照明に照らされ、単色で塗装されたシンプルな皿やマグカップなどがテーブルの上の装飾を施している。観賞植物の緑は落ち着きある空間を小粋に際立たせ、座り心地の良さそうなソファが高級感を醸成していた。

「わ~、オシャレ~!」
瑛莉香は店内をゆっくりと眺め歩き、時々テーブルやソファーに手を触れたりしながら恍惚の眼差しを向けていた。その半歩後ろを歩きながら、勇太は視界に入るものを漠然と見ていた。想像すらしたこともなかったランクの高いインテリアに神経が倍になってすり減っていく。

「…っていうか勇太君はあんまりこういうの興味ないよねきっと」
店内を1周した後、瑛莉香が苦笑いしながら尋ねた。女性らしい趣味に付き合わせてしまっていることへの配慮だと思うものの、自分がどこかつまらなそうな雰囲気を醸し出しているのではないかと不安になった。

「…あっ…いえ…すみません…!」
「やだ、いいのいいの。女子ってついついこういうオシャレなものに目がなくなっちゃって…」
瑛莉香は近くのマグカップを手に取って空中で一周させた。

「案外こういうのもさ、非日常って言えば非日常だよねぇ。なかなかこういう暮らしって出来ないもん。こういうオシャレでキラキラした、雑誌に載ってるような部屋をつくってそこでゆったりと過ごすだなんて。ほんとに」
経済的にも人格的にも十分に思える彼女から諦念のようなものがまたしてもこぼれた。

「…よし、出よっか!」
店内をざっと見通して気が済んだのか、瑛莉香は出入り口の方へと向かっていく。勇太は洒落た空間に背を向けて、彼女に従って店を後にした。




 アウトレットモール内のレストランで昼食を取り、他愛のない会話を交わしながら中を一周した後で駐車場へと戻った。
 手の汗で取っ手のよれた手提げ袋を後部座席へと置き、勇太は助手席に座ってシートベルトを締めた。
 瑛莉香が運転席に乗り込んでシートベルトを締め、車のキーを差し込んでエアコンが作動した。車内にこもった湿り気のある熱が徐々に駆逐され、蒸し風呂のような状態から爽快さに溢れる空間へと変化を遂げていく。

 勇太はエンジンの始動する時を興奮気味に待ち構えていたが、瑛莉香はスマートフォンを取り出して通話し始めた。相手が誰なのかは分からなかったものの、何かを予約して承諾をされたようだった。

「…はーい、失礼しま~す!」
朗らかな声で通話を終えると、すぐさま勇太に顛末を伝えた。

「コテージ、二人分空いてるって!」
「…コテージ…ですか…?」
「うん!寝泊まりするためのね。ウチ出る前に調べてて、当日予約でもOKってあってさ」
瑛莉香はスマートフォンをドアのポケットに置くと、キーをひねった。

「お風呂もついてるし、買い出しして好きなの飲みながらゆっくり過ごせるかなーって」
空転するセルの乾いた音と瑛莉香の柔らかい声が入り交じり、平静を装いながら彼女の言葉に反応することで頭がいっぱいになった。車のエンジンは1回では掛からなかったようで、瑛莉香は再度キーを回し、次は不意にサンダルでアクセルを数回踏んだ。すっかり油断していた勇太の興奮が絶頂まで上り、息遣いが思わず荒くなった。

「…さて、しゅっぱーつ!」
エンジンが掛かると瑛莉香がブレーキを踏みながらギアを入れて、アクセルへ踏み替えた。

 興奮が落ち着いた後、動き出した車内の中で勇太は思いに耽った。遊園地や食事や買い物など、何気ない日常的な過ごし方も、瑛莉香とともにした経験という意味では全て非日常だった。今日は初めて家族以外の女性に勧められて購入した服を手にすることが出来た。2000円ほどで買い上げたボーダーシャツが少なくとも瑛莉香と過ごした日々を証明する物的根拠となるはずだ。

 そして、勇太は一番最初に彼女と出会った時にさらっと言われたことも記憶の片隅にずっと残っていた。彼女が空中で大雑把にこの旅の経路を描きながら口にしたルート。海上の高速道路を抜けた今、旅のクライマックスが間近に迫っていることに気が付いた。
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