ユーズド・カー

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第2章 港湾

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 広々とした国道を抜けた車は再び狭く賑やかな都市の中へと入り込んでいく。
 色白の長い指をハンドルに絡ませる瑛莉香の口元は何かを期待するように綻んでいた。勇太は窓の外やペダルを踏む彼女の足、その横顔へとせわしなく目線を動かしていたが、一体どこに向かって走り続けているのかさっぱり見当がつかない。

 彼女が車を走らせているとその運転席側の窓から広大な港湾が徐々にその姿を見せてくる。数台の巨大なクルーズ船や貨物船を浮かべ、鮮やかな赤で塗られたガントリークレーンが岸壁に立ち並んだ港。地上には古びたコンテナが敷き詰められ、くすんだコンクリートの上をカラフルに彩っている。住宅や商業施設、高層ビルやホテルなどが集中する街並みは、写真やテレビで何度か見たことのある景観だった。特に遠出をすることもなかった勇太にとって、女性の運転する車の助手席から見えるその一粒一粒が新鮮に感じられた。

「…おっ、そろそろかな~」
瑛莉香がふっくらとした胸元をハンドルに寄せて呟く。彼女の視線を辿ってみると、前方に大観覧車がそそり立つのが見えた。

「ねえ、勇太君は遊園地とか好き?」
「…ゆ、遊園地…ですか?」
瑛莉香にそう聞かれ、勇太は一瞬戸惑った。

 遊園地など、最後に行ってから何年経つだろうか。
小さい頃に家族に連れられて行ったことのあるぐらいで、少なくとも高校に入ってからは1度も行ったことがない。休日に遊ぶ相手も特にいなかったせいか、ほとんど家の中か外出しても近場で暇を潰すことが多かった。

「良かったらちょっと遊ばない?」
勇太がまごついていると、瑛莉香が言葉を付け足した。彼女の瞳が子どものように澄んだ黒に染まり、承諾を得たくて仕方がないようだ。勇太は眩しい眼差しに気圧されるようにして「はい…!」とぎこちない返事をした。


 屋外の専用駐車場に車を停め、瑛莉香とともに入場口へ向かっていく。既に二人分のチケットを用意していたようで、下手に断らなくて良かったと密かに安心した。
 瑛莉香は薄手の白いガウンを風に靡かせ、背筋を真っ直ぐに伸ばして地面を踏みしめていく。出会ってから初めて横に並んで歩いてみて、改めて自分自身がいかに小さいかが分かった。それは身長が彼女よりも数センチ低いというだけではない。内面から湧き出る毅然とした何かが勇太にはなかった。すれ違う人々からは、一体どんな風に映っているのだろうか。”不釣り合いなカップル”などと嘲笑されてはいないだろうか。彼女の前では野暮な話も、ひとたび”日常”に立ち返れば心をじわじわと蝕んでいく厄介な魔物がその行く手を阻む。

「…ねえねえ、何から乗る?」
入場ゲートを通過し、瑛莉香が早速話しかけた。

「…あっ…えーっと…」
勇太は園内をぐるっと見回した。様々なアトラクションが目に飛び込んでくるものの、一番最初に何を選択するのが相応しいのかが分からない。

「そうだな。勇太君が好きなやつ、何かある?」
瑛莉香が待ちきれなさそうに質問を追加した。勇太はふと一つのアトラクションが脳内に浮かんだ。

「…あっ…空中自転車みたいなやつなら…」
恐る恐る答えた。地上から数メートルの高さに設置されたレールの上を自転車のようにペダルで漕いで進むアトラクションだ。朧げな思い出の中で、それだけは幼いながらワクワクしたことを鮮明に覚えていた。

「あっ、あれか!いいよ!行こ行こ!」
瑛莉香がそれらしきものを指差して勇太を誘導した。

 勇太は瑛莉香とともに乗り物のシートに腰かけた。比較的空いていたおかげでものの5分ほどの待ち時間で乗り物に乗ることが出来た。
 弛みのあるシートベルトで身体を固定して、係員の合図とともにゆっくりとペダルを漕ぎ出した。ペダルの回転に伴って車輪が錆びたレールの上を転がっていく。速度を速めすぎず遅めすぎず、前後に気を配りながら一定の力を加えて回していった。

「やば~い!久々~!」
瑛莉香の声のトーンが一段と高くなる。大人びた彼女が童心に帰る様子が何となく新鮮だった。

 何より、出会って2日目で瑛莉香と腕が接触するほどの近い距離は初めてだ。朝に纏ったであろう香水の甘い匂いや時折触れるガウンの下の腕の柔らかい感触に緊張せずにはいられなかった。サンダルをつっかける色白な素足も車内で眺めている時よりもハッキリと視界に入り込んでくる。自分の足元を見つめるフリをしながら彼女の足へどうしても視線を移さずにはいられなかった。

「いいセンスしてるよ勇太君!」
テンションの上がった瑛莉香に勢いよく持て囃された。久しぶりのアトラクションの面白さと彼女の高い波長につられ、勇太は思わず照れるように笑みがこぼれた。



 コースを1周して乗り物から降り、余韻に浸りながら次へと向かった。次は瑛莉香の希望で、ウォーターアトラクションに乗ることとなった。水を張ったレールの上を移動し、最後には高速で傾斜を滑走して水しぶきを浴びる乗り物。ジェットコースターほど激しくはないものの、斜面を急速に駆け降りるスリルが病みつきになるらしい。苦手意識はさほどなかったものの、期待と不安を織り交ぜながら彼女の後をついていった。

 蝉も鳴かないほどの猛暑日が連続するこの時期には人気なのか、長蛇の列が出来ていた。瑛莉香とともに貴重品を貸し出しのロッカーに入れて、付近で販売されているポンチョを購入し、列の最後尾に並び始めた。既にそれを堪能する人々の叫び声が一定の間隔で水しぶきとともに甲高く上がる。子どものように落ち着かない様子でコースの方へ顔を向けたり、他愛もない話を振って暇を潰そうとする瑛莉香に呼応するように、勇太の心拍数は少しずつ加速していった。

 いよいよ順番が回ってきたとき、ポンチョを身に纏って緩やかな水流に揺らされたコースターに乗り込んだ。定員の都合でちょうど先頭で区切られたため、係員に案内されたのは最前列の席だった。波で不安定に揺れるコースターの上をバランスを取りながら端まで進み、水で濡れた硬いシートの上に座ると安全バーが下ろされた。係員がアトラクションの大まかな説明と注意喚起を終えると、二人と他の乗客を数組乗せたコースターは水の下に設置されたレールに沿ってゆっくりと動き出す。

「わ~、楽しみ!」
瑛莉香がワクワクした様子を見せる。勇太は緊張した表情で目の前にある手すりを強く握った。

 乗客を乗せたコースターは車輪とレールの歯車を噛み合わせて力強く前へ引っ張っていく。緩やかな斜面を低速で上り、ある程度の高さまで達すると、焦らすように再び平面をゆっくりと走っていく。緊張と新鮮さで目の前をただ見つめるしか出来ない勇太に、瑛莉香はその都度の気持ちを共有したいのか逐一話しかけた。

「…あっ、ヤバい、そろそろかな…!」
コースの終盤に差し掛かった頃、瑛莉香が期待を込めるように呟いた。勇太は身体に力を入れ、来るべき瞬間に備えた。

 水が勢いよく流れ落ちる急斜面が目視できる範囲に来た時、コースターは直前に速度を上げ、有無を言わさず乗客たちをクライマックスへと連れ込んでいく。勇太の心臓は緊迫した心情と待ち受ける刺激をエネルギーにして物凄い勢いで脈を打ち始めた。瑛莉香は勇太の方へ身体を傾けながら無邪気に口元を緩ませた。

「やっ…!来る来る来る…!」
眼前に数メートルの急斜面が姿を現した時、瑛莉香が発した。

 次の瞬間、コースターは猛スピードで車輪を回転させながら真っ逆さまに突っ込んでいった。猛スピードで駆け降りる轟音と乗客の快感に満ちた悲鳴を聞きながら、胃袋が宙に浮いたような感覚がした。ものの数秒、抵抗する余地もなく水の張ったゴール地点へ滑り込むように着地し、重い水しぶきが二人を飲み込むようにしてはじけ飛んだ。

 刹那の出来事。緩やかな水の流れに伴って元の場所まで向かうコースターの中、勇太は一息ついた。水で濡れたポンチョが身体に張り付き、猛暑による熱が緩和されて涼しかった。直前までの張り詰めた空気は達成感に満ちたものへと変わり、思わず癖になってしまう理由が分かった。落ちる前の緊迫感と落ちている最中の無重力状態、そして落ちた後の安心感。気づけば硬直した筋肉が弛緩し、間が抜けたように口角が上がっていた。




 園内のほとんどのアトラクションを回り終え、最後に「遊園地の定番」だと謳う彼女に連れられたのは大観覧車だった。鮮やかな単色に彩られたシンプルなゴンドラが雲一つない青空を背景に映える。賑わいだ港町を鳥瞰しながら悠然とした時を過ごすことの出来る観覧車には多くの人々がそのひと時を待ちわびていた。

 スリリングな緊張が程よい高揚に変わる頃、勇太は瑛莉香とともに低速で滑る赤いゴンドラに乗り込んだ。係員がドアを締めると、雑音が遮断されて空調の音と冷気が熱を持った心身を優しく包み込んだ。

「ふぅ」
瑛莉香は安堵するようにため息をつき、シートにもたれかかった。

「なんだかドキドキするな~」
瑛莉香が口を開いた。ドキドキすると言いながらも余裕のある表情を浮かべる彼女に対し、勇太は空中に吊るされた狭い箱の中で女性と二人きりで過ごす状況に気持ちが落ち着かなかった。

「…あの…なんかすみません…。遊び慣れてなくて…」
罪悪感にまみれた言葉が不意に口をついた。瑛莉香は不思議そうに勇太の瞳を覗き込んだ。

「えっ?なんで謝るの?」
「いや…えと…その…なんていうか…」
上手く言葉が出てこない。自意識過剰が故の防衛反応だということは自覚していた。

「遊園地なんてワーッと楽しんでなんぼだよ!それに…」
瑛莉香がさっぱりとした顔で言い切って言葉を続けた。

「楽しそうに笑ってる勇太君を見てて、なんか可愛いな~って思えて」
瑛莉香の言葉を聞いた瞬間、頬が赤く染まるのが分かった。少しずつ高度を上げながら安全な逃げ場を塞いでいくゴンドラの中、凛々しくも柔らかな微笑を浮かべてその正面を見据える彼女を前に身体が硬直した。

「えっ…そ…そんな…」
勇太は思わず動揺し、目線を四方八方にぎこちなく逸らした。思えば、笑っている姿が可愛いなどと言われたことなどなかった。どちらかと言えば、緊張や不信感でひきつる笑顔が不自然で滑稽に映ることが多かった。

 ただ、振り返ってみると、何の邪推もなく心の底から笑顔になれたのは久々かもしれない。いつも人に気を遣い、周囲に上手く溶け込めない葛藤に苛まれ、虚無感と劣等感に覆われた日々。快活な女性にリードされ、鬱屈した惰性を忘れられるぐらいの刺激が連続した今日は、終始張り詰めている心の深奥で一縷の光が差し込むようだった。

「だから遊び方が分かってるかとか、そんなの気にしてないよ。純粋に楽しいでしょ?」
瑛莉香が温もりに満ちた笑みを浮かべて勇太を気遣った。細々とした心情を捨象すれば、豊穣とした快感だけがそこに残っていた。

「…いや…なんというか…自分なんかでいいのかなって…つい…」
勇太は瑛莉香の艶々とした太腿あたりに視線を落として気まずそうに呟いた。

「そんなそんな、良くなかったらこんなとこわざわざ来ないってば!大丈夫、私そんな可愛い女の子みたいなこと出来ないしさ」
男として責任を感じていると解釈されたのか、瑛莉香は女子らしい愛嬌がないというような表現をした。勇太の自信のない言葉に苦笑しつつも、自虐を通じて間接的にフォローするのが彼女なりの優しさだと改めて感じた。

「あっ…そろそろ頂上じゃない?ていうか景色めっちゃいいね!」
ゴンドラが頂上へと到達する頃、少し淀んだ空気を一変させるように瑛莉香が窓の外を覗き込んだ。勇太も恐る恐る下を覗き込むと、車内から垣間見た港町がジオラマのように広がっていた。日の光に照らされた海がたゆたい、米粒ほど小さい人々が忙しなくコンクリートの上を行き交う。無機質でありながら堂々と空間を支配するビルや商業施設を鳥瞰出来るわずか十数分ほどの中に、日常の喧騒からまかれて悠然と外界に思いを馳せることの出来る無限性が感じ取れた。

「…世界ってさ、広いよね」
しばらくの沈黙の後、瑛莉香が不意に呟いた。勇太は反射的に瑛莉香の方へ顔を向けた。遠くを見据える眼差しがどこか憂いを帯びていた。

「なんていうかさ、私たちがいつも見ている景色って、案外小さかったりするんだよね。子どもの頃にあれだけ大きく見えてた大人たちが、いつの間にか石ころのように見えたり…」
憂色を浮かべながらどこか詩的に言葉を紡ぐ彼女の口元を、勇太は不思議そうにじっと見つめた。

「…なーんて。人生なんて案外そんなもんだよって、先輩面してみる」
深入りしようとしないものの、勇太の下向きなベクトルを洞察して励まそうと破顔した。

「…いえ、ありがとうございます」
勇太は軽く会釈するように首を動かした。内実がどうであれ、彼女のささやかな優しさが身体の奥まで沁み込んでいくのは確かだった。



 彼女との濃密な時間はあっという間に過ぎていった。太陽が西の空へ傾く頃、最後にクレープを買って駐車場へと戻っていった。非日常的なひと時が終わったにもかかわらず、戻る場所もまた非日常であることに対して言葉では形容し難い感覚が続いた。端から見れば何ら不思議でもない事実も、勇太にとっては奇跡的だった。

「…よし、そろそろ出発するよ!」
クレープの最後の一口を喉に送り、瑛莉香が車のキーをひねる。すぐには始動させまいとしつこく空転するセルの音を聞きながら、連綿と続く夢と現実の境目を勇太はただじっと見つめていた。
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