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第二部・スノーフレークを探して
3・お駄賃
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寝たのか寝ていないのか途中でトイレへ一度立ち、その間、彼はよく眠っていた。美子はコンビニ前の灰皿前で、子供を問い詰め過ぎた自分を多少後悔していた。自分にそんな資格はないと。ともすれば意味もなく終わるはずだったこの旅から救ってくれた彼の存在に感謝こそすれど、責める気はなかった。ふたりのヒッチハイカーを乗せるまで、彼女の旅は目的こそあったが本当に意味のない旅だった。『眠れる夏のスノーフレーク』。何度となく読み返した小説の結末のように淋しさと虚しさだけが残る。
車に戻って一時間。午前七時。満陽が目を覚ました。弱くかけた冷房は足元ばかり冷やして首元は汗ばんでいた。また温泉に行きたい気分だ。一時間六百円だった。そう彼に伝えると、
「すみません……」
美子はいきなり謝られた。
「いや、行きたくないならいいのよ。車中泊の身で贅沢言ってられないし」
が、彼の話は大幅に違った。
「けっこう大それたことするのね……」
茅ヶ崎から、所持金三千円で旅立ったのだという。
「で、どうするつもりだったの。食費だけでも三日で尽きるわよ」
彼の答えはシンプルだった。
「どこかでバイトとかできればと思ってて」
「北海道の牧場でね、そういう旅人が多くって困ってるって。お金はいらないから食事だけでバイトさせてくださいって。一か月教えても身につかない仕事を二週間やって嬉しそうに帰っていくって。迷惑なんだって。寝るとこも大変だし」
「すみません……」
「謝られても。ねえ、まだ私引き返せるし、家に帰ったら? 名前のことは真剣に話してみればいいわ。こうやって家出するくらいなんだもん。分かってくれるわよ」
たしなめたが、
「そんな親じゃないんです。まだ全然心配してません。『俺の中学の頃は平気で三日家に帰らなかった』とかいう親なんです」
「ミツハ君は親に心配かけたいの?」
「違います。でも、一か月帰らないくらいしないと伝わらないんです……」
心情の話をしていても埒はあかないと、美子は具体案を練る。
「ねえ、今後ミツハ君に何かしてもらうたびに百円やるわ。子供のお駄賃と同じ。コンビニに買い物に行ってくれたら百円。セルフスタンドで給油して灰皿捨てて窓磨いてくれたら百円。ロードマップ見て案内してくれたら百円。食事も昨夜みたいなお風呂も私が持つから。それはお金もない旅人を拾った私の責任。だから現金だけは何かしてもらった時に払う。それでいい?」
「……」
「決まりね。じゃあ早速、シャケのおにぎりと緑茶――濃いやつね。それ買って来て。ミツハ君も合わせて五百円以内で何か買っていいから」
言うとしばらくためらっていたが、手渡した五百円硬貨を握ってコンビニへ向かった――。
「次は、名古屋とか大都市飛ばして三重県ってとこ行きたいの。伊勢神宮とかあるとこね。何かお得な情報知ってる?」
「いえ……」
「ま、だよね。それは行ってから考えましょ。それにしても静岡って突破するの長いのよね。そろそろ給油ポイントだから、着いたらお願いね」
富士山をすでに背中に車線沿いのセルフスタンドへ入ると、まずは給油方法を一から教えることが彼女の仕事だった。牧場のオバさんになったつもりだった。
「で、今回は満タンにするからずっとレバーを引いてて。センサーで勝手に止まるから。まずはここに触って静電気を取って」
言うと、彼は要領を得ない顔で言うがままに従う。
「整備工の息子でしょ。堂々とやっていいのよ」
彼はノズルをセットして美子を見つめる。
「しっかり入れたらレバー引いてジッとしててね。それ終わったら灰皿捨てて来て。今回は窓拭き免除」
彼女は運転席側に立って満陽の動きを見ている。まさしくスタンドアルバイト一年生だなと微笑ましく見つめる。
「給油口、しっかり閉めた? うん、よし。手がガソリン臭いでしょ。洗ってきていいわよ」
戻った彼に、
「お疲れ様。じゃあこれはとりあえず計上して、あとでまとめて渡すわね。今ちょうど百円玉ないし」
彼はシートベルトを締めると気弱な顔でボソリと呟く。
「その……いいんですかホントに」
「他に方法がないの。これは折衷案よ、お互い譲歩するしかないの。分かったら暗い顔禁止」
思ったほどの大通りでもない国道一号線は静岡を抜けて愛知に入った。朝から好天が続いている。その割に車内は重苦しい。無理もないと美子はラジオのボリュームを上げる。と、そこへ、
「ナユキさん、いいですか」
「いいわよ。どうしたの」
満陽の思い詰めた顔は変わらない。
「帰ったらバイトします。それで、お金はちゃんと返します。だからあとで住所教えてください。ただそうすると本当の名前聞かなきゃいけないですよね。お金返す方法って他に――」
「あーもう。そういうことは今考えないの。キミは自分探しを頑張ればいいの。夏休みはまだ一カ月あるのよ」
「自分探しって――どういうことですか」
彼は温くなったはずのコーラを手に訊ねてくる。彼女にしても冗談に食いつかれるとは思ってもみなかった。
「誰でも一度はね、自分と向き合うの。まあ、それは人生において何度もあるのかも知れないけど。そういう時、自分を限定せずに可能性を信じられるそういう気持ちになることが大事なんじゃないかなって。できないことを数えるんじゃなくって、できることを増やしていくっていうか」
言いながら詭弁だと彼女は思う。ならば自分は今何をしているのだろうと。大切にしてきたすべてを海の泡に帰してしまおうとしている自分は何者なのだと。
浜松を抜けて静岡に別れを告げる。朝から二度目の休憩でコンビニの前で煙草を吹かした。狭い車内で吸うのとは別の爽快感がある。
満陽を車へ残し、美子はスマホタイムに入る。三重の道の駅と名物を探し、探しているうちに軽い目眩がした。疲れなら昨日癒したはずなのにと背伸びをすれば頭はスッキリとした。
「お待たせ。行きましょうか」
愛知に入ると車窓の風景は賑やかな灰色が多くなってきた。空の青との対比がわざとらしいほどだった。
車に戻って一時間。午前七時。満陽が目を覚ました。弱くかけた冷房は足元ばかり冷やして首元は汗ばんでいた。また温泉に行きたい気分だ。一時間六百円だった。そう彼に伝えると、
「すみません……」
美子はいきなり謝られた。
「いや、行きたくないならいいのよ。車中泊の身で贅沢言ってられないし」
が、彼の話は大幅に違った。
「けっこう大それたことするのね……」
茅ヶ崎から、所持金三千円で旅立ったのだという。
「で、どうするつもりだったの。食費だけでも三日で尽きるわよ」
彼の答えはシンプルだった。
「どこかでバイトとかできればと思ってて」
「北海道の牧場でね、そういう旅人が多くって困ってるって。お金はいらないから食事だけでバイトさせてくださいって。一か月教えても身につかない仕事を二週間やって嬉しそうに帰っていくって。迷惑なんだって。寝るとこも大変だし」
「すみません……」
「謝られても。ねえ、まだ私引き返せるし、家に帰ったら? 名前のことは真剣に話してみればいいわ。こうやって家出するくらいなんだもん。分かってくれるわよ」
たしなめたが、
「そんな親じゃないんです。まだ全然心配してません。『俺の中学の頃は平気で三日家に帰らなかった』とかいう親なんです」
「ミツハ君は親に心配かけたいの?」
「違います。でも、一か月帰らないくらいしないと伝わらないんです……」
心情の話をしていても埒はあかないと、美子は具体案を練る。
「ねえ、今後ミツハ君に何かしてもらうたびに百円やるわ。子供のお駄賃と同じ。コンビニに買い物に行ってくれたら百円。セルフスタンドで給油して灰皿捨てて窓磨いてくれたら百円。ロードマップ見て案内してくれたら百円。食事も昨夜みたいなお風呂も私が持つから。それはお金もない旅人を拾った私の責任。だから現金だけは何かしてもらった時に払う。それでいい?」
「……」
「決まりね。じゃあ早速、シャケのおにぎりと緑茶――濃いやつね。それ買って来て。ミツハ君も合わせて五百円以内で何か買っていいから」
言うとしばらくためらっていたが、手渡した五百円硬貨を握ってコンビニへ向かった――。
「次は、名古屋とか大都市飛ばして三重県ってとこ行きたいの。伊勢神宮とかあるとこね。何かお得な情報知ってる?」
「いえ……」
「ま、だよね。それは行ってから考えましょ。それにしても静岡って突破するの長いのよね。そろそろ給油ポイントだから、着いたらお願いね」
富士山をすでに背中に車線沿いのセルフスタンドへ入ると、まずは給油方法を一から教えることが彼女の仕事だった。牧場のオバさんになったつもりだった。
「で、今回は満タンにするからずっとレバーを引いてて。センサーで勝手に止まるから。まずはここに触って静電気を取って」
言うと、彼は要領を得ない顔で言うがままに従う。
「整備工の息子でしょ。堂々とやっていいのよ」
彼はノズルをセットして美子を見つめる。
「しっかり入れたらレバー引いてジッとしててね。それ終わったら灰皿捨てて来て。今回は窓拭き免除」
彼女は運転席側に立って満陽の動きを見ている。まさしくスタンドアルバイト一年生だなと微笑ましく見つめる。
「給油口、しっかり閉めた? うん、よし。手がガソリン臭いでしょ。洗ってきていいわよ」
戻った彼に、
「お疲れ様。じゃあこれはとりあえず計上して、あとでまとめて渡すわね。今ちょうど百円玉ないし」
彼はシートベルトを締めると気弱な顔でボソリと呟く。
「その……いいんですかホントに」
「他に方法がないの。これは折衷案よ、お互い譲歩するしかないの。分かったら暗い顔禁止」
思ったほどの大通りでもない国道一号線は静岡を抜けて愛知に入った。朝から好天が続いている。その割に車内は重苦しい。無理もないと美子はラジオのボリュームを上げる。と、そこへ、
「ナユキさん、いいですか」
「いいわよ。どうしたの」
満陽の思い詰めた顔は変わらない。
「帰ったらバイトします。それで、お金はちゃんと返します。だからあとで住所教えてください。ただそうすると本当の名前聞かなきゃいけないですよね。お金返す方法って他に――」
「あーもう。そういうことは今考えないの。キミは自分探しを頑張ればいいの。夏休みはまだ一カ月あるのよ」
「自分探しって――どういうことですか」
彼は温くなったはずのコーラを手に訊ねてくる。彼女にしても冗談に食いつかれるとは思ってもみなかった。
「誰でも一度はね、自分と向き合うの。まあ、それは人生において何度もあるのかも知れないけど。そういう時、自分を限定せずに可能性を信じられるそういう気持ちになることが大事なんじゃないかなって。できないことを数えるんじゃなくって、できることを増やしていくっていうか」
言いながら詭弁だと彼女は思う。ならば自分は今何をしているのだろうと。大切にしてきたすべてを海の泡に帰してしまおうとしている自分は何者なのだと。
浜松を抜けて静岡に別れを告げる。朝から二度目の休憩でコンビニの前で煙草を吹かした。狭い車内で吸うのとは別の爽快感がある。
満陽を車へ残し、美子はスマホタイムに入る。三重の道の駅と名物を探し、探しているうちに軽い目眩がした。疲れなら昨日癒したはずなのにと背伸びをすれば頭はスッキリとした。
「お待たせ。行きましょうか」
愛知に入ると車窓の風景は賑やかな灰色が多くなってきた。空の青との対比がわざとらしいほどだった。
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