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第一部・眠れる夏のスノーフレーク

告白

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 部長という立場でなかったらと季李は歯噛みしている。毎日でもその後ろをつけ回してやるのにと。

(彼は描いたんだ。きっと平然と――)

 彼女は光晴が絵を描く時の真っ直ぐな目を思い浮かべる。もう何度となく盗み見たその横顔を。その目があのモデルを見つめていた。その事実に胸をかきむしりたくなる。

 著名な裸婦像くらいは美術部員として知っている。美しさも理解は出来る。しかしそれを同じ年頃の男子学生が描いているという衝撃はあまりにも大きかった。モデルの存在自体が信じられないのだ。
デッサンの具合から見て成人女性。しかも二十代。全体像は分からないけれどプロポーションは羨ましいほど、そこにデフォルメがあるとしても美系の顔立ち。どう見ても勝ち目はない。

(赤いワンピースの女だ。絶対にそうだ)

 そこまで断定して、ベッドへ伏せる。数々のバレンタインチョコ、運命のフォークダンス、そんなものでは到底太刀打ち出来ない事実を噛みしめて。

 謎の女。決して従姉ではない。目が不自由というのも恐らくウソ。

(だとして、いったいどこで知り合ったんだろう)

 謎の女の謎は深まって、季李は深みにはまる。



 午後十時の電話。光晴は素直に電話を手にした。そのまま相楽だと思いつつ、モニタも見ずに電話を取る。

「はい」

『先輩』

 大迫季李だった。

「どうしたの大迫さん。また絵の話なら――」

『私、先輩のこと好きなんですけど』

 キレ気味の声が響く。

「えっと――」
『大好きなんですけど。だからあの女の人のこと教えてください。誰なんですか。島の人じゃないでしょう。どこの人なんです。答えてください』

 光晴は脈絡がつかめない。

「その、なんの話?」

『女の人です。モデルの人。あの人が先輩とどんな関係なのか考えてたら頭おかしくなっちゃって眠れないんです。先輩、無線グラスありますよね。V電しましょ。こういうのは顔を突き合わせて話すんです』

 光晴はやれやれと机の上のグラスを耳にかけてパルサーのスライドモニタを引き出し、シチュエーションをセッティングしてビジュアルを繋いだ。彼女はパジャマ姿を映して後ろにはベッド。わざわざ背景処理をしないノンシチュエーションモード設定だ。途端にパルサーの全方位カメラがむくれた彼女を映す。

『で、どうなんですか。ていうか、なんで制服なんですか』

「よれよれのTシャツなんだよ。勘弁してよ」

『手抜きですよまったく』

 憤慨して、それでも続けた。

『教えてください。真剣なんです。じゃなきゃ、あの絵のこと前島先生にバラしますよ』

 彼女の性格的にはやりそうだと、光晴はそれだけで観念する。

「個人情報だから全部は言えないよ。あの人は僕の知り合いの知り合いで、島のとある病院に来てるんだ」

『病院? どうしてわざわざこんな田舎の? またウソつくんですか。コウちゃんから聞きました。目が不自由だとか。私、そんなふうに見えませんでした。あの時めちゃ普通でしたから』

「そう言うしかなかったんだって。本人の都合で病院も言えないし、病名だって言えない。分かってよ」

『納得しません。バラしますよ』

 グラスに映るのは意固地を絵に描いた顔だ。大迫は少し怒った方が可愛らしいのだと光晴はどうでもいいことに感心していた。

「分かったよ。じゃあ大迫さんが絵のモデルを引き継いでくれるなら話してもいいよ」

 彼なりの冗談だった。が、

『いいですよ。脱ぎますよ。いつですか、どこにしますか。描きたいんですよね? 私そんなにプロポーションよくないですけど、それでもいいならヌードになります。だから先輩はあの人のこと教えてください』

 言いきられた。手元のスライドモニタに気まずい自分の顔が映っている。

「絶対に誰にも言わないでよ。相楽先生だよ。相楽先生の患者さん。あのホテルで療養してる」

 彼女が少し黙る。

『それがどうしてヌードモデルになるんですか』

 今度は光晴が黙る。これ以上騙し続けるのも悪いと思った。

「すごく時間のかかる治療で、もしかしたら命を落とすかも知れないんだ。だから、今の姿を今のうちに絵に残して欲しいって」

『ヌードでですか』

「それは……僕が頼んだ」

『……ヘンタイ』

 よもや美術部長に言われるとも思わなかった彼は、

「それは芸術に対する冒涜だよ。大迫さんのこと、少し見損なったな」

『やだ! そういう言い方! なんで先輩って私に冷たいんですか! 私、こんなに好きなのに!』

「だったらもう少し手加減してくれても」

『……すみません』

 話はそれでフェードアウトして、ついに二人で黙った。不自然に八秒。

「それから――」

 言ったのは光晴で、

『はい……』

「返事は少し待って欲しいんだけど。せめて一週間」

『分かりました……遅くにすみませんでした……』

 消え入りそうな声と共に無線グラスの映像が切れた。エンドロールは無数のキリンが右から左に流れるアニメーションスタンプだった。

(大迫さんが……冗談ってことはないよな)

 英語のライティングの課題を解いていたが、すっかりやる気がなくなってしまった。それから夏雪のことを優先して考えてしまう自分のことを情けなく感じていた。


 大迫と微妙な距離を保ったまま放課後を過ごし、一年生の女子二人に興味津々で絵を覗かれ、土曜日を迎えた。
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