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第二部「折り鶴の墓標」
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三木祐亮が死んだのは、それから五時間ほどあとだった。搬送中に呼吸が乱れ、容態が急変したために高速を下りて宇部市の病院へ向かったが、その約二時間後に息を引き取った。奇しくも遥香の実家からさほど遠くない場所だった。看取った親類は、もちろん彼の母親一人だ。
テレビニュースでは、移送を請け負った民間救急サービスに対する責任追及を騒いでいた。だが実際には誰一人、それを訴える者はいなかった。三木の母は、地元の長崎から携わっていたボランティアの看護師を始め、すべての医療関係者に深々と頭を下げて礼を述べた。
筧誠一の耳へは、テレビニュースより先に三木の母から電話が入った。声を震わせて事情を話す彼女に、悔やみの言葉は彼にもしばらく出てこなかった。
遥香には。
遥香よりも先に知らせを受けた筧が気を遣い、自分から伝える旨を告げると、三木の母はしばし黙ったあとに、消え入りそうな声で了承した。
どこから聞きつけたのやら、深夜を待たずに電話が鳴った。マスコミ関係者が筧へのコメントを求めてきたのだ。
公表していいものか筧が迷っていると、マネジメントの方から正式に報告が入ったのだという。これを最後の機会に少しでも売り上げを望んでの事だろうが、それを人でなしと呼ぶのは筧にもできかねた。彼もそういった世界の枠に、すでに取り込まれているのである。
筧は形式上のコメントだけを伝え、あとは携帯の電源を切った。昼には、動かぬとも生きている三木を見送ったばかりなのだ。今はまだ何を言えるはずもない。
自分の気持ちも落ち着かぬままの筧はそれから、遥香へ伝えるべき言葉に頭を悩ませた。そのうちに眠れぬ夜は明け、翌日のテレビニュースがそれを報じ始めているというのが現在だ。もちろん彼は止めていた酒をあおっていたが、彼の恋人も三木とは古くから面識があり、この日ばかりは彼の深酒を見逃すしかなかった。
三木祐亮の『墓標』が、未明から何度も流れている。放浪の弾き語り意識不明のまま墓標に、という見出しにはセンスも悼みも感じられない。
筧は苛立ち紛れにテレビを消す。が、目を赤くした恋人がそれを睨んでつけ直すということを、もう三度も繰り返している。四度目には、彼女がしびれを切らして口にした。
「あんたができんなら、私が遥香ちゃんには電話しちゃるけえ。こがあに、テレビなんかで知ったら余計に辛かろう」
女が言いそうなことじゃと、筧は口に出さずボヤいた。しかし酒の酔いが、それを許してくれなかった。
「もう、あの娘には構わん方がええ」
ああ言うてしもうた、と後悔するが、三木との縁も終わった以上、筧はもう無理に心を隠したくもなかった。
「何を言いよんね!」
間を置かず、恋人が泣きそうな怒鳴り声を上げる。
「ほいじゃ、何がしてやれるんじゃ!」
もう、してやれる事は何もない。
遥香に対しては昨日あれから、病院の待合室で話をした。あまりにも泣き止まない遥香を見かねて、病院の人間が小部屋を貸してくれた。他の患者の手前というのが本音ではあったろう。
哀れな娘じゃと、筧はかけてあげる言葉もなく彼女の肩を叩いていた。三木の回復を祈り、一緒にCDを作り上げた仲間として、それはせめてもの優しさではあった。あったが、この娘は自分が何者か分かっとらん、と哀しくなるのだった。
「あの娘は」
と、筧はいい加減に底の見え始めた酒瓶を傾けながら、恋人にだんまりを決める。女には、きっと分からない。女にはいちばん分かりたくないことだろう。自分の優しさでダメになっていく男の姿など。
「あんたは三木君に冷たいんよ……妬いとるんよ」
彼女に責められながらも、その冷たさがあの娘にも少しあればと思っていた。三木祐亮を羨ましく、妬ましく思う気持ちがあれば。そうすれば、遥香もあの男に深入りすることはなかったものを。
「うち、電話してくるけえね」
恋人が彼の電話を手にすると、座を立った。そうしてくれるならば、してくれればいい。女同士がいかほど楽であろう。
テレビニュースでは、移送を請け負った民間救急サービスに対する責任追及を騒いでいた。だが実際には誰一人、それを訴える者はいなかった。三木の母は、地元の長崎から携わっていたボランティアの看護師を始め、すべての医療関係者に深々と頭を下げて礼を述べた。
筧誠一の耳へは、テレビニュースより先に三木の母から電話が入った。声を震わせて事情を話す彼女に、悔やみの言葉は彼にもしばらく出てこなかった。
遥香には。
遥香よりも先に知らせを受けた筧が気を遣い、自分から伝える旨を告げると、三木の母はしばし黙ったあとに、消え入りそうな声で了承した。
どこから聞きつけたのやら、深夜を待たずに電話が鳴った。マスコミ関係者が筧へのコメントを求めてきたのだ。
公表していいものか筧が迷っていると、マネジメントの方から正式に報告が入ったのだという。これを最後の機会に少しでも売り上げを望んでの事だろうが、それを人でなしと呼ぶのは筧にもできかねた。彼もそういった世界の枠に、すでに取り込まれているのである。
筧は形式上のコメントだけを伝え、あとは携帯の電源を切った。昼には、動かぬとも生きている三木を見送ったばかりなのだ。今はまだ何を言えるはずもない。
自分の気持ちも落ち着かぬままの筧はそれから、遥香へ伝えるべき言葉に頭を悩ませた。そのうちに眠れぬ夜は明け、翌日のテレビニュースがそれを報じ始めているというのが現在だ。もちろん彼は止めていた酒をあおっていたが、彼の恋人も三木とは古くから面識があり、この日ばかりは彼の深酒を見逃すしかなかった。
三木祐亮の『墓標』が、未明から何度も流れている。放浪の弾き語り意識不明のまま墓標に、という見出しにはセンスも悼みも感じられない。
筧は苛立ち紛れにテレビを消す。が、目を赤くした恋人がそれを睨んでつけ直すということを、もう三度も繰り返している。四度目には、彼女がしびれを切らして口にした。
「あんたができんなら、私が遥香ちゃんには電話しちゃるけえ。こがあに、テレビなんかで知ったら余計に辛かろう」
女が言いそうなことじゃと、筧は口に出さずボヤいた。しかし酒の酔いが、それを許してくれなかった。
「もう、あの娘には構わん方がええ」
ああ言うてしもうた、と後悔するが、三木との縁も終わった以上、筧はもう無理に心を隠したくもなかった。
「何を言いよんね!」
間を置かず、恋人が泣きそうな怒鳴り声を上げる。
「ほいじゃ、何がしてやれるんじゃ!」
もう、してやれる事は何もない。
遥香に対しては昨日あれから、病院の待合室で話をした。あまりにも泣き止まない遥香を見かねて、病院の人間が小部屋を貸してくれた。他の患者の手前というのが本音ではあったろう。
哀れな娘じゃと、筧はかけてあげる言葉もなく彼女の肩を叩いていた。三木の回復を祈り、一緒にCDを作り上げた仲間として、それはせめてもの優しさではあった。あったが、この娘は自分が何者か分かっとらん、と哀しくなるのだった。
「あの娘は」
と、筧はいい加減に底の見え始めた酒瓶を傾けながら、恋人にだんまりを決める。女には、きっと分からない。女にはいちばん分かりたくないことだろう。自分の優しさでダメになっていく男の姿など。
「あんたは三木君に冷たいんよ……妬いとるんよ」
彼女に責められながらも、その冷たさがあの娘にも少しあればと思っていた。三木祐亮を羨ましく、妬ましく思う気持ちがあれば。そうすれば、遥香もあの男に深入りすることはなかったものを。
「うち、電話してくるけえね」
恋人が彼の電話を手にすると、座を立った。そうしてくれるならば、してくれればいい。女同士がいかほど楽であろう。
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