都会ノ暮ラシ

テヅカミ ユーキ

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第二部「折り鶴の墓標」

3-2

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「でも、あれらは好きで唄うとんやないの? 商売言うて、そがあには入らんのよ。小遣い程度のもんじゃろ」

 伊藤には、その、小遣い稼ぎの態度が気に入らない。金を稼ぐというのは、もっと命がけなのだ。

「知らんわい。マーちゃんとこの若いもんが、あれのせいで上げられたんじゃけえ」

 路上演奏から金を集めていた構成員が、新聞記事になったあとに実刑を食らったのだ。入れ知恵をしただけの伊藤にまでは、手は回っていない。

 それでも、以来ほとんどのストリートミュージシャンは流川から消え去っており、生意気に反論して唄い続けたのは旅の流しと、やけに腰の低いオヤジだけだったらしい。

 苛立ちに任せて酒をあおったあと、伊藤は後悔した。それはボトルに残っていた最後の酒だった。

「ああいうんは、根性が座っとらんの」

 誰に向けるでもなく言うと、彼は空けたグラスの横に紙幣を置いて店を出た。慌てたママが後ろから追いかけてきたが、背を向けたままで手を振った。家に帰れば、今夜こそ離婚届に判を押さなければならない。

 彼は流川通りを引き返して北に向かった。幟町まで歩けば、キープはなくとも安く飲める店がある。彼はとにかく夜を潰したかった。

 彼は小用を足すためにコンビニに入り、ポケットにあった小銭でスーパードライの五百ミリ缶を買った。最初からこうしていればわざわざ高い金を払って飲まずにすむものを、たまった小便を出してまでなぜ人は酒を飲むのか。そんな事を考えないでもなかったが、すでに指先はビールを開けて喉を鳴らしていた。

(あいつは)

 と、伊藤は胃に溢れかけた炭酸を音を立てて吐き出しながら、三越のシャッター前に陣取った女を見ていた。出がけに見かけた女だろうか、ギターと思しき大きなケースとボール箱を並べては、何をするでもなく立っている。

 時刻は、午後の十一時半だった。電車通りに近いコンビニの前ではまだまだ夜を楽しもうとタクシーを降りる客や、明日の仕事に備えて最終電車に向かう通行人も多く、決して人は少なくない。しかしこの寒い中、突っ立った女は誰を呼び止めることもせず、楽器を出して演奏をしている訳でもなかった。

(ほんまに何がしたいんじゃ)

 彼の胸には、苛立ちが湧き上がってくる。苛立ちとは面白いもので、顔を出さないうちに減っていたボトルへの恨みも、離婚調停のことしか頭にない女房への不満も、一緒くたになってそれを増幅させた。負の感情は、どんな時も融和性が豊かなのだった。
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