都会ノ暮ラシ

テヅカミ ユーキ

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第二部「折り鶴の墓標」

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 冬型の気圧配置はまだ色濃く残り、三月初旬の街は冷え込んでいた。瀬戸内にあっても中国山地のふもとに位置する広島市内では、みぞれが降っても不思議がないほどに寒い夜だった。

 路面電車の走る相生通りから流川通りを南へ抜けると、地元の人間には百メートル通りと呼ばれる事の多い平和大通りに出る。それをまた北へと引き返すのが薬研掘通りだ。それぞれ南北への一方通行になっているこの繁華街には、今夜も空きの目立つタクシーが左周りを続けている。男は、そのグズグズとした渋滞を嫌い、流川の北詰でタクシーを降りた。

 伊藤はこの界隈を、もう三十年も飲み歩いている。

 風俗色の強い薬研堀通りに対して、流川通りでは食事中心の居酒屋やカラオケ目当ての若い女性の通行量も多い。通りの入口には三越デパートがあるのだが、そんな場所ゆえ、足元に楽器を降ろした若い女が立っていようと誰が気に留める訳でもなかった。ただ、伊藤だけはサングラス越しの鈍い目つきでそれを睨みつける。

 十数年前からストリートミュージシャンと言われる連中が幅を利かせ、閉店後の店先や公園の植え込みで上手いとも言えない演奏を行っている。季節を問わず、早い者は午後の八時を回れば姿を見せ、遅い者は空が白むのも構わず、迷惑な演奏を続けていた。

 迷惑だった。伊藤にとっては迷惑以外の何物でもなかった。ひどい時には酔客と円陣を組み、大きく道にはみ出して我が物顔でわめいている。ケースを見れば、世間をバカにしたような金額の紙幣が投げ込まれているのを、何度となく見ていた。一部の暴力団がみかじめ料を回収して問題になった時は、内心で嘲笑っていたものだ。多い時には二十組もいたその連中が、潮が引くように消えてしまったのだから。

「ちっとは根性ないんかいの、あいつらは」

「しょうがないんよ。皆、学生とか若い子じゃろう。ヤクザは慣れとらんのんよ。伊藤ちゃんみたいなんが来よったら、怖あて逃げるわいね」

 他に客もいないカウンターで、十分ほど前から伊藤は酒を舐めている。この街ではスナックの事をスタンドと呼ぶのだが、半年ぶりのこの店に顔を出したのは、ボトルの残りがいちばん多かったと記憶していたからだ。しかし実際に来てみると、酒はシングル二杯の量しか残っていなかった。ここのママは、しばらく出していない客のボトルを勝手に盗み飲む癖がある。そっちの方を忘れていたのだ。

 愛想だけはよい六十過ぎのママに文句も言えず、伊藤はさっき車内で聞き及んだばかりの話に矛先を向けていた。顔見知りの、実刑判決だ。

「人の軒先で商売しとんじゃけえの。知らん払えんは通らんで、この街は」

 彼は、折れた煙草を潰しながら煙たそうに吐き捨てた。

 残り少ないボトルを哀れんだのか客の方を哀れんだのか、ママは、自前の焼酎を作りながらやんわりと受け答える。
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