都会ノ暮ラシ

テヅカミ ユーキ

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第二部「折り鶴の墓標」

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【第二部開始におきまして】

いつもご精読いただきありがとうございます。
第一部よりの流れでご想像のつく方もいらっしゃると思うのですが、第二部はいわゆる「うつ展開」です。正直、物書きとしてこの表現は使用したくないのですが――。
もしも読み進める中でご気分を害される方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。ご了承ください。



                 *


 彼の転院の日が来た。これが六回目だったかと、千代紙を折りながら静かに思い返していた。

 晴れてよかったと、遠方よりの訪ね人を気遣っていた遥香は、カーテンから差し込む淡い午前の日差しに安堵する。ベンチチェストの上にはシンキチの描いた絵がフォトスタンドに入れられて飾られていた。

 雨の多かった五月の連休も終わり、世の中が普段の表情を取り戻し始めると、皮肉な事に空はよく晴れた。彼女が勤めるショッピングモールの小さな雑貨屋も客足は伸びぬまま、今日明日は代休を迎えている。

 彼女はいつもそうするように、止まったばかりの曲をまたスピーカーから流す。数え切れぬほど流したCDは今日も彼の声で、気の早い梅雨空を唄ってくれる。

 ――空けの星も やがて 眠り始める
 ――水無月の空は 何を憂う
 ――涙 ひとかけら 雲に紛れて
 ――行方をたずねれば 笑いぐさ

 彼と同じように口ずさみ、テーブルに並べてゆく折り鶴を一つ増やす。もうじき彼の母親から連絡が入るだろう。

 彼の実家は広島から遠く長崎で、当初はあちらも地元への転院を何度も考えたようだ。それでも、距離四百キロを超えての病人搬送を簡単に引き受けてくれる民間サービスは見当たらなかった。高速道路を使っても五時間はかかる移動だ。医療責任のリスクを嫌う病院はもとより、いくら状態が落ち着いているとはいえ植物状態の患者移送には、どこもいい顔を示さなかった。逆に、回復の見込めない植物状態だからかも知れない。医療上の彼はもう、重篤な急病人ではないのだ。

 今日移る事になった療養施設は、半年を越えての入院を約束してくれているらしい。この一年半、ひとシーズンごとの風物詩になりかけていた彼の病院移動も、これでしばらくは悩まずに済むだろう。

 ベッドに寝かされた彼の生活は、ほとんど変わらない毎日だった。一日に二回の清拭。三回に分けた流動食。一時間の関節の曲げ伸ばしに、床ずれを防ぐため三時間毎の体位変換。抵抗力が落ちる寝たきりの患者にとっての脅威は院内での感染らしく、ちょっとした傷から入った菌が命にかかわるという。それでもほぼすべてが集中管理された病室の中にあって、彼の日常は退屈で静かだった。

 そんな事もあり、手続きや、病室でも確認事項の多い転院の日は、遥香にとっても特別だった。ハルちゃん、と呼んでくれるようになった彼の母とも、また一か月ぶりの再会だ。遥香がこうして彼の世話を焼けるのは、彼の母のおかげだ。

 彼の母親は、一度耳にした古希というのがそれであれば七十に近い高齢のはずだ。

 病院での初対面、どんな罵倒も覚悟していた遥香への第一声は、「うちのバカ息子が迷惑ばかけたですね」だった。中肉で顔つやはよく、南国の女らしい頑固でたくましい母の雰囲気はあったが、まだ若々しい五十代の母を持つ遥香にとっては、どうしても労わりの対象だった。どれほど明るく振る舞われても、彼女の言うところの、「あんたは何も気にせんで良かですけん」では済まされない心苦しさがあった。彼の息子が災厄に巻き込まれたのは私のせいだと、遥香は今も自らの思慮の浅さを悔いている。

 だが、彼の長期にわたる入院は別の女性がきっかけで、それは警察の調べでも明確だった。
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