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第一部「都会の暮らし」
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智樹は煙草を手に取った。十六の時から変わらぬラッキーストライクだ。
「人は誰でもさ、自分の人生をどこかで変えたくなる時が来るとさ。兄ちゃんにしても、父さんにしても、そうやったと思うばい」
二人で焼酎を干し、今度は尋生が焼酎瓶をつかんだ。
「ああ、ありがと。で、今の話やけど、普通は考えても行動は起こさん。家族を考えればね。でもウチには不幸なことに、その悪か見本がおった訳たい」
弟の言葉に黙り込んだ。それはきっと俺のことだと。
「ウチはね、皆どこか兄ちゃんに憧れとった訳さ」
溢れ出してくるのは羞恥心だ。思わずつかんだ焼酎のグラスを尋生は頭から被った。弟の声が飛ぶ。
「そういうことじゃなかとさ!」
智樹が勢いで薙ぎ払った灰皿が柱にぶつかって転がる。
「兄ちゃんはいつも好き勝手したあと悪かったごたる顏ばする! でもそうじゃなかやろ? 好き勝手やったなら一回くらい満足そうな顏ばしてみんね! そうじゃなかったら、こっちは報われんばい!」
尋生は灰皿を拾い、吸い殻を中へ放る。
「俺は……。人に迷惑かけて生きてゆく人間やと思うとる。それは自分の力が足りんけん……。でも今、何か力になれるなら広島に飛びたか。こげん時やけど、広島で友達が大変な目に遭うとる」
「大変ていえばこっちも大変さ。母さんの実家は天草やけん納骨もできん。まあ、天草におればあそこは土葬やけん気にせんかったけど」
智樹は焼酎を煽る。
「三木祐亮……。友達が広島で事故に巻き込まれた。硫化水素中毒で」
「ああ、ニュースで見たばい。あれ、あの三木さんやったとね。高校の時、たまに一緒にギター弾きよったろ?」
尋生もまた、なみなみと注がれた焼酎をひと息に飲む。
「俺が行ってもどうしようもなかかも知れん。でもアイツは、東京で行き場のなかった俺のことを助けてくれた。その恩返しに行くなら今しかなくて……」
智樹は昔から変わらぬラッキーストライクを灰にして、焼酎をつかむ。
「行けばよかたい。あの頃のごと母さんの財布から金ば盗んでいく訳じゃなかとやろう?自分の金で行くとやろうけん」
焼酎は次第に量を減らしてゆく。軽い酔いが尋生にも回る。
「東京は都会やった。何でもあるし、それがたとえムダなもんでも、いくらでもある」
「そいでも人は同じじゃなかかね。仕事して、メシ食うて、寝て起きたらまた仕事たい」
確かにそうなのだが、長崎から出たことのない智樹には伝わらない。
「なんでもあるってことは怖か。いつか自分がそれになれるかもっていう夢を見せてくれる。都会の罠のひとつさ」
「まあ、オイには分からんたい。九州の端っこで毎日生きとるオイには」
お互い、少しずつ穏やかになり話もゆっくりと進む。酒はあと三合ほど。これがなくなれば話も終わりだ。
最後の酒に手をかけ、智樹のコップに注ぐと瓶は空になった。
「まあ、明日も仕事やけん」
そう言って焼酎を喉へ流す弟へ、
「休めないのか」
「工期バタバタよ。今は主任も任されとるけん、休む暇はなか」
若干二十九歳の言葉だった。
「そしたら明日は鍵ば置いて出らんね。鉢植えの下でよか。あとのことはこっちでどうにかするたい」
「ああ、ありがとう」
尋生が答えると、
「なんかさ。兄ちゃん、東京の人と喋っとる気がした」
お互い慣れないスーツで顔を見合わせたが、智樹の笑顔へ同じようには返せなかった。
「人は誰でもさ、自分の人生をどこかで変えたくなる時が来るとさ。兄ちゃんにしても、父さんにしても、そうやったと思うばい」
二人で焼酎を干し、今度は尋生が焼酎瓶をつかんだ。
「ああ、ありがと。で、今の話やけど、普通は考えても行動は起こさん。家族を考えればね。でもウチには不幸なことに、その悪か見本がおった訳たい」
弟の言葉に黙り込んだ。それはきっと俺のことだと。
「ウチはね、皆どこか兄ちゃんに憧れとった訳さ」
溢れ出してくるのは羞恥心だ。思わずつかんだ焼酎のグラスを尋生は頭から被った。弟の声が飛ぶ。
「そういうことじゃなかとさ!」
智樹が勢いで薙ぎ払った灰皿が柱にぶつかって転がる。
「兄ちゃんはいつも好き勝手したあと悪かったごたる顏ばする! でもそうじゃなかやろ? 好き勝手やったなら一回くらい満足そうな顏ばしてみんね! そうじゃなかったら、こっちは報われんばい!」
尋生は灰皿を拾い、吸い殻を中へ放る。
「俺は……。人に迷惑かけて生きてゆく人間やと思うとる。それは自分の力が足りんけん……。でも今、何か力になれるなら広島に飛びたか。こげん時やけど、広島で友達が大変な目に遭うとる」
「大変ていえばこっちも大変さ。母さんの実家は天草やけん納骨もできん。まあ、天草におればあそこは土葬やけん気にせんかったけど」
智樹は焼酎を煽る。
「三木祐亮……。友達が広島で事故に巻き込まれた。硫化水素中毒で」
「ああ、ニュースで見たばい。あれ、あの三木さんやったとね。高校の時、たまに一緒にギター弾きよったろ?」
尋生もまた、なみなみと注がれた焼酎をひと息に飲む。
「俺が行ってもどうしようもなかかも知れん。でもアイツは、東京で行き場のなかった俺のことを助けてくれた。その恩返しに行くなら今しかなくて……」
智樹は昔から変わらぬラッキーストライクを灰にして、焼酎をつかむ。
「行けばよかたい。あの頃のごと母さんの財布から金ば盗んでいく訳じゃなかとやろう?自分の金で行くとやろうけん」
焼酎は次第に量を減らしてゆく。軽い酔いが尋生にも回る。
「東京は都会やった。何でもあるし、それがたとえムダなもんでも、いくらでもある」
「そいでも人は同じじゃなかかね。仕事して、メシ食うて、寝て起きたらまた仕事たい」
確かにそうなのだが、長崎から出たことのない智樹には伝わらない。
「なんでもあるってことは怖か。いつか自分がそれになれるかもっていう夢を見せてくれる。都会の罠のひとつさ」
「まあ、オイには分からんたい。九州の端っこで毎日生きとるオイには」
お互い、少しずつ穏やかになり話もゆっくりと進む。酒はあと三合ほど。これがなくなれば話も終わりだ。
最後の酒に手をかけ、智樹のコップに注ぐと瓶は空になった。
「まあ、明日も仕事やけん」
そう言って焼酎を喉へ流す弟へ、
「休めないのか」
「工期バタバタよ。今は主任も任されとるけん、休む暇はなか」
若干二十九歳の言葉だった。
「そしたら明日は鍵ば置いて出らんね。鉢植えの下でよか。あとのことはこっちでどうにかするたい」
「ああ、ありがとう」
尋生が答えると、
「なんかさ。兄ちゃん、東京の人と喋っとる気がした」
お互い慣れないスーツで顔を見合わせたが、智樹の笑顔へ同じようには返せなかった。
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